その10
≪秘密の物語≫
一方、ミコト姫たちの道も険しく長いものでした。時期はちょうど冬。山の中は寒さが厳しく、日が出ている時間は短く、一日に進める距離もわずかです。
森の妖精たちや獣たちの助けを借りつつ、姫は寒さをしのいできましたが、それでも、上空からナーシモ王国の放つ鷹たちを避けるのは至難の業でした。
妖精たちは乱暴な鷹の爪の攻撃が一番の苦手でした。そして、どこからともなくやってきた大きな白オウムも、姫たちを狙っているようでした。
それに、騎士のショーンやケンたちの疲労もかなりのもので、しかも姫のメイドのレイは、ケンの子を身ごもっていたのです。彼女に無理はさせられません。姫は、どうしたらいいのかと考えました。
そんなとき、白オウムが姫の頭の上を飛び回り話しかけました。
「皆は置いて、姫だけで行くんだね。このままじゃあ、レイのお腹の子どもが死んでしまうよ」
ミコトは白オウムの言葉に唇を噛み締めました。
「わかった…」
「そうかい。姫は家来思いのいい子だねえ。ご褒美にいいことを教えてあげよう。
ナーシモは、光の石を目覚めさせる“光の石の子どもたち”を全部集めたいんだ。それを集めて、交換で王子のことを返してくれと言えば、王子は戻ってくるさ」
「“光の石の子どもたち”を全部? それは誰のことなの?」
「人じゃないよ。石だよ」
「どうやって集めるの?」
「それは自分で考えるんだね」
「私がその石をみつけてあげれば、ナーシモ王はにいさまをかえしてくれるのね?」
「信じるかどうかは、姫の自由だよ」
白オウムはそれだけ言うと、巨大な翼を広げて飛び立って行ってしまいました。
“ひとりで行こう”
姫は夜明け近く、そーっと、そーっと、皆の隊列を抜け出し、愛馬のタロウにまたがりました。
ショーンはそれに気づいていましたが、姫を追いかけようとしたとき、サイオン王から預かった石が光を強め、彼の足を動けなくしたのです。
“これは、お試しということなのか…。姫、僕が行くまで、どうかご無事で。光の女王よ、姫をお守りください”
ショーンは姫の後姿を見つめながら、ひたすら、その無事を祈りました。
* * *
奏子は帰り際、紗由のところに駆け寄ってきた。
「さゆちゃん、りゅうくん、げんきがないの。どうかしたの…?」
「うーん…。おねがいしたのに、きいてもらえなかったって、いってた」
「どんなおねがい? かなこがきくから、いって」泣きそうな顔になる奏子。
「あのね、なかよしのたくみくんがね、にこにこじゃなくなっちゃうかもしれないの。
だから、たくみくんが、かなしくならないようにしてくださいって、たくみくんのおじいさまのところに、おねがいにいったの。でも、だめだって、いわれたの…」
「じゃあ、かなこが、もういっかい、おねがいしてくる」
教室を飛び出そうとする奏子を、紗由が慌てて止める。
「まって。いま、どうしたらいいか、かんがえるから」
「どうしたの、さゆちゃん。むずかしいおかおに、なってるよ」真里菜が声を掛けた。
「こまったときには、マドモアゼルかなこのおなやみそうだんしつに、そうだんするといいでござるぞ」
「かなこちゃんが、こまってるとこなの」紗由が眉間にしわを寄せる。
「それは、こまったでござる!」
「りゅうくんに、そうだんしたら?」
真里菜が提案すると、紗由は溜め息をついた。
「にいさまが、こまってるから、かなこちゃんが、こまっちゃったの」
「それは、こまったこまったでござる!」
「りゅうくんが、こまってるの、やだ…」奏子が泣き出しそうになる。
「わかった! かなこちゃん、さゆがおねがいしにいくから」
「かなこもいく」
「かなこちゃんは、まってて」
「そうだよ、かなこちゃん。ふぃあんせがこまってるときは、いっしょにいてあげないと」真里菜がきりっとした顔で諭す。
「うん…」
「さゆちゃんは、だれにおねがいするの?」真里菜が聞く。
「だれ…」紗由が再び考え込んだ。
「なにをおねがいするんでござるか?」
「なに…」さらに考え込む紗由。
「さゆちゃん…」奏子が紗由の手をぎゅっと握った。
「…わかった! かみさまにしあわせをおねがいしてくる」
紗由はそう言うと、かばんを掛け、周子の待つエンタランスへ、すたすたと歩いて行った。
* * *
弥生のアトリエに遊びに来た翔太は、驚かせようと、弥生の後ろからそーっと近づいた。
だが、翔太の足が途中で止まる。
“あれ? あの、ぴかぴかって…”
「翔ちゃん!」弥生が振り向いて、うれしそうに声を上げ、翔太を抱きしめる。「来るなら、そう言ってくれれば、おいしいケーキを用意しておいたのに…」
「すぐに行くさかい。気にせんといてや」
「あら。どこかに行く途中?」
「うん。“命”さまのとこ」
「例のレッスン?」
「今日はきっと事情聴取やな」
「事情聴取って?」
「いろんな人が、うろちょろしちょるし、様子が変わった人とか、そういうのも報告する決まりなんや」
「そう…」弥生は目を伏せた。
「弥生ちゃん、本当は受け取れるん?」翔太は思い切って聞いた。
「え?」驚いて顔を上げる弥生。
「弥生ちゃんのぴかぴか、時々、“命”の力がある人と同じ色になる。それも、“弐の命”のほうや」
「…誰かに話した?」
「ううん。でも、今日は“命”さまに話さなあかんやろな。何受け取ったか、聞いたら教えてくれるん?」
「翔ちゃんに話さなくても、きっと澪ちゃんがたどるわね」弥生はくすりと笑ったが、すぐに真剣な顔つきになった。「大隅は、とんでもないところに手を出しちゃったみたいだわ」
「どういうこと?」
「カメラマンの森本さんとやら、何とかしたほうがいいわ。もう、大隅の手には負えない」
「ようわからんけど、森本さんて、今どこにおるんや」
「そこまでは私にはわからない。でも、“試合”の時に現れるわ。気をつけてね」
「大隅はんも危ないんか?」
「本人はわかってるはずなの。でも、どうしてそのままにしておくのか…」弥生が唇をかむ。
「弥生ちゃんの、おとんやもんな。大隅はんは。俺の、曾じっちゃんも同じや。“命”さまに相談して、ちゃんと守ったるから、安心せえや」弥生をぎゅっと抱きしめる翔太。
「ありがとう…翔ちゃん…彼はもう、私の言うこと聞いてくれないのよ」
弥生の涙が、頬を合わせていた翔太の頬に伝った。
* * *
≪秘密の物語≫
「だがね、ドラゴン王子。私は困っているのだよ。この光の石は、うんともすんとも言わない。どうやら、光の石を目覚めさせるには、別の石が要るらしいのだ。
そして、黒の魔法使いが言うには、それを探し出せるのは、君と、君の妹のミコト姫なのだそうだ。見つけてくれるかね?」
「お断りします」
「ほほう。断るのかい? それは困ったなあ。ミコト姫は今、君を助けようと、こちらに向かっているんだよ。
君が言うことを聞いてくれないなら、姫がひどい目にあうかもしれないねえ」
ナーシモ王は、くくくと笑いました。
「…ひきょう者!」
「兄妹仲よく、私に石を探しておくれ」
「そんなことはできない」
「おや。そんなことを言うから、姫が闇の玉に捕まってしまうようだねえ。これは黒の魔法使いの鏡だ」
ナーシモ王は、壁にあった鏡を覗き込みました。そこには、薄暗い球体の中で辺りを見回す姫の姿がありました。
「ミコト!」
「よーく、考えるんだね。王子」
王は唇を噛み締める王子を残し、部屋を出て行きました。
* * *
翼は緊張した面持ちで、出されたケーキにも手を付けず、華織が来るのを待っていた。
「お待たせしました、翼くん。あら、ケーキ食べてないの? 美味しいのよ。食べて」部屋に入るなり、ケーキをすすめる華織。
「い、いいんです。ケーキは後でいただきます」
「そんなに緊張しないで、翼くん。…で、今日はどんなご用事かしら? 一人で来るなんて、今までなかったわよね」
「は、はい。あの…四辻家のことを、石の一門のことを教えてください。おじいちゃまから、ちゃんとしたことを教わっていないんです。
でも、奏子は石を使う力がちゃんとコントロールできないし、それに、僕が渡した石のせいで、まりりんに何かあったら困ります…」段々と翼の声が小さくなる。
華織は、そんな翼の様子を見ながら、小さく溜め息をついた。
「そうね、翼くん。大切な人たちを守るために、お勉強は必要だわ。特に、あなたは奏人さんの跡継ぎだもの。ちゃーんと、わかっておかないとね。聞きたいことがあるなら、何でもどうぞ」
華織の質問に翼が答える前に、ドアがノックされ、龍と紗由が現れた。
「僕たちも、一緒に講義を受けていいですか」
「龍くん! 紗由ちゃんも…」
「いいかしら、翼くん」
「は、はい…」
「じゃあ、お邪魔するね、翼くん。僕も、石の一門のことはよく知らないし、奏子ちゃんの最近の様子も心配だから」
「さゆもです! かなこちゃん、だーってはしったり、ぷんすかするから、さゆがとめないと」
「…ありがとうね、龍くん、紗由ちゃん」
「じゃあ、石の一門について、基本的なところを説明してから、質問を受けようかしら」
3人が一様に頷くと、華織は説明を始めた。
「“命”の一門には、それぞれ得意分野があるの。その分野に応じて、石の一門、癒の一門、古の一門、感の一門、写の一門、封の一門などと呼ばれます。
簡単に言えば、石の一門はパワーストーンを操る能力に長けた一門。
癒の一門は、心身の傷を癒す能力に長けた一門。
古の一門は、人や物から過去をたどる能力に長けた一門。
感の一門は、五感のセンサーが人並み優れた一門。
写の一門は、いろんな“命”の能力をコピーすることができる一門。ただ…コピーには制限があるけれど。
そして、封の一門は相手の記憶を封じたり、災いが起きたときに、それを最小限に留めるべく、人の動きを封じる力に長けた一門よ」
華織は、それぞれの一門について説明を始めた。
石の一門というのは、パワーストーンから力を得ることが出来る、また逆に影響を与えて、さらなる力を他に及ぼすことができる能力を主力とする一門の総称である。
石を通じて、未来を受け取ったり、他の“命”が持っている石と連絡を取り合ったりすることができる。基本的に、“命”は過去を受け取ることはできないことになっているのだが、石の一門と古の一門には、例外的にそれが可能になっていたりもする。
できないようになっているのは、過去を受け取った時に、その過去自体を夢違えして、現在を変えてしまおうとすることがないように、ということからなのだが、この二つの一門に関しては、過去は受け取るだけに特化されており、夢違えで先のことを変えることができない。
本来、他のグループの“命”との接触を禁じられていた“命”たちではあったが、石の一門に関しては、その石を通じて、接触が可能だったことも事実だ。
だからこそ、石の一門の中で特に能力の高かった四辻奏人は、華織への接触を可能とし、違うグループであったにも関わらず、働きかけることができた。
石の一門の役目はそれだけではない。石は、あらゆる“命”に与えられているアイテムなので、いわば、それを統括するリーダーでもあるのだ。特に自分のグループ内においては、他の“命”が持つ石を管理指導する役目も仰せつかっていた。
中でも、四辻奏人は稀なる“石使い”であり、その能力は華織を凌ぐほどのものでもあった。
だからこそ、石という、一般人にもわかりやすいアイテム、それを手に入れれば、自分も同じ能力が得られるだろうと思われるアイテムを所持していることは、その力を狙う者たちから、彼自身が狙われるという事態を招いてしまったりもした。
彼が亡くなった後も、彼が残したと思われる石を探す人間は後を絶たなかった。
その主なものが、プレジデント・ストーンと言われる大きな対のアメジスト原石だった。
「おじいちゃまは、石を狙われて死んじゃったんですか?」唇を噛み締めながら尋ねる翼。
「…一概に、そうとは言えないわ。奏人さんは、“命”であると同時に有力な政治家でもあったから、“命”でなくても狙われる可能性はあったわけだし」
「おばあさま。そういう、曖昧な言い方はやめて。翼は、そういうこともちゃんと聞く覚悟で来てるはずだよ。わかっていることは全部教えてあげて。ごまかすのは失礼だ」龍が厳しい表情で言う。
「…“命”さま。僕は、ちゃんと聞きたいと思っています。おじいちゃまの跡を継ぐということは、そういうことですよね?」
「…ええ、そうよ、翼くん。あなたのその言葉、奏人さんが聞いたら、喜ぶと思うわ」華織は目を伏せた。
「おばあさま、なかないで…」
紗由が華織に駆け寄り、ポケットからハンカチを出して差し出す。
「ありがとう、紗由」華織は涙を拭うと翼に言った。「あなたのおじい様を狙っていた人は何人もいました。考え方の異なる人が沢山いたんです」
「考えが違うなら、話し合えばいいのに」ぎゅっと唇を噛む翼。
「その通りよ、翼くん。でもね、話し合いをできない人たちもいるの。意見が違う人は排除する、自分の目の前から消してしまおうとする人たちが、この世の中にはいるのよ。」
「そんなの、おかしいです! 誰なんですか、その人」
「そうね、おかしいわ。だから、そういう人たちから、普通の人々を守るために、私たちはいるのよ。
そして、石が原因で起きたことは、石によって解決しなければならないわ。今、西園寺家の周囲に石の一門の人々が集まってきているのは、そういうことなのよ」
「石の一門の人って、たくさんいるの?」龍が尋ねた。
「奏人さんと一緒に働いていた誠さんのお家もそうだし、澪ちゃんの生まれたお家もそうよ。今はその役目を返上しているけれども、周子さんの伯父様の血筋もそう」
「いしだらけですねえ…」紗由が難しい顔で腕を組む。
「あの、“命”さまは何の一門なんですか? 何でも出来るんですよね」
「何でもというわけではないわ」華織が笑う。「西園寺家は写の一門です。コピー能力が高いために、大抵のことはできるように見えるの」
「じゃあ、優れた“命”が集まれば、“命”さまはもっともっと力が増すんですね」
「そうねえ…でも、石の一門の能力は、それ相応の石の力を借りないとコピーできないわ」
「じゃあ、プレジデント・ストーンを手に入れればいいのに。おじいちゃまが持っていた、あの大きな石が、全部の石の親分なんでしょう?」
「ええ、その通りよ、翼くん。でもね、私のものにはできないわ。これ以上の力を手に入れたら、私は欲にかられて悪い事をしてしまうかもしれない。自分の精神力に見合った力しか、手に入れてはいけないものなのよ」
「でも、悪い人の手に渡ったら、大変なことになるんですよね?」
「心配は要らないわ。今、あの石は保ちゃんが所有者よ。小宮山総理から譲り受けたの」
「…なら、いいです。保先生はいい人だから」翼は拳をぎゅっと握った。
「ねえ、おばあさま。小宮山先生は奈美ちゃんのところから、ていうか、誠さんが持ってたプレジデント・ストーンを、奈美ちゃん経由で買ったんだよね?
その前は、梨本先生が持ってたんでしょう? どうやって人の手に渡っていくのか、よくわからないんだけど…」
「持ち主が適任者でない時は、石は勝手に動くのよ。一般の人に渡る時は、一度、石の一門の人間のところに戻って浄化を受けて、それから動くわ」
「梨本先生も小宮山先生も、総理失格だから、プレジデント・ストーンに見捨てられたんですか?」翼が真剣な表情で聞く。
「見捨てられた…。そういうことね。欲しがる人は多いけど、持つからにはそれなりの覚悟が必要なのよ。本当に皆のために働き続けられるか」華織は厳しい表情になった。「楽なことではないわ」
「一般人には、その怖さがわからないんだね。だから梨本先生は、どうして石に見捨てられたかも考えずに、もう一度手に入れようとするんだ」
「でも、“大統領”も“子どもたち”がいなければ、その子たちがちゃんと目を覚まさなければ、お仕事はできないわ」
「じゃあ、子どもたちを手に入れて、その子たちを起こそうとするんじゃないですか?」
「ええ、そうよ。翼くんの言う通り。彼は、子どもたちも手に入れないといけないし、その子たちを起こせる人間も手に入れないといけないの。だから、“命”の周囲でいろいろと動いているんでしょう」
「でも、一般人の梨本先生や小宮山先生が、どうやって石の詳しいことを知ったんだろう…。石は党内でも噂になってたんだよね。それを手に入れようとするだけなら、わかるんだけど」
龍がつぶやくと、紗由がきっぱりと言った。
「“たぶらかすのおじさん”だよ」
「それ、誰?」翼が尋ねる。
「名古屋のパーティーにいたんだ。じいじの悪口言って、大地ん家の会社、首になったカメラマンの人」
「ミコトひめのとこにも、きたんだよ。さゆ、あのひと、きらい」ぷーっと口を膨らませる紗由。
「その人が、梨本先生や小宮山先生に、石のことを教えたってこと?」翼が重ねて尋ねた。
「そうか! 梨本先生は猛くんを養子にもらうのを、ある人に薦められたって言ってた。僕は大隅さんなのかと思って聞いてたけど、もしかしたら、それもその小父さんなのかな」
龍が華織を見るが、華織はその問いには答えようとしない。
「“命”さま。大統領の子どもたちはどこにいるんですか? 起こせる人間というのは誰ですか?」翼が少し語調を強める。
「子どもたちは全部で5つ。
翼くんがまりりんにあげたアメジスト、賢ちゃんが奏人さんからいただいたアメジストは、こちら側にあります。
でも、残りの3つのうち2つは梨本さんのところ…というか、ひとつは梨本さんの手元に、もうひとつも手元に行きつつあります」
「梨本先生のところにある石は、匠くんがカフスに使っていたアメジストだよね。行きつつあるほうの石は、猛くんの石だね?」
「ええ」
「猛くんて、試合するチームのキャプテン?」
「にせものの、おむこしゃんだよ」紗由が言う。
「彼は、昔は石の一門だった家の子。かあさまの親戚だよ。今度、梨本さんちの子になる予定なんだ。梨本さんは猛くんの石と、それを開く力が欲しかったってことだよね」
「ひどいや!」
「だよね。子どもをそんなふうに利用して嫌な思いをさせる人が総理大臣だなんて、とんでもないよ」
「大人の勝手なことで、そんなふうなるなんて、可哀想だよ…」翼はうつむき、ポロポロト泣き始めた。
「翼…?」突然泣き始めた翼に動揺する龍。
「ないちゃった…」紗由も驚いて顔を覗き込む。
「おじいちゃまが死んじゃった時、殺されたって噂になって、マスコミの人とかいっぱい来て、ママのおじいちゃまとおばあちゃまが、心配して、それで…」翼の声が小さくなった。「ママとパパを離婚させようとしたんだ。僕と奏子もママの家に来いって言われた」
「そんなことがあったんだ…」ハンカチを差し出す龍。
「ママはもちろん反対した。でもその日は僕と奏子はママの実家に連れていかれた。四辻の家は危険だからって。
だけど、奏子が家出しちゃったんだ。誘拐かって大騒ぎになって、結局近所で見つかったけど、また家出して…」
「かなこちゃん、ぷんすかしちゃったんだねえ…」
「奏子ちゃんらしいわねえ」妙に感心したように言う華織。
「ちゃんと子どもを見ていられない人たちに預けられないって、ママが取り戻しに来て、僕たちは家に帰った」
「よかったね。皆で一緒に暮らせるようになって」
「うん。ケンカもいっぱいするけど、やっぱり家族は一緒なのがいいよ」
「僕もそう思う。だから、僕たちが勝ったら、猛くんを養子にするのはやめてもらうことにした」
「あら、龍ってば、そんなこと言わなかったじゃないの」
「聞かれなかったから」
「まったく、もう…」華織が溜め息を付いた。「まあ、いいわ。あなたたちの戦いなんだから、好きなようになさい」
「絶対に勝とうね、龍くん」翼が涙を手で拭いながら言う。
「もちろんだよ。彼に紗由をやるわけにもいかないしね」龍は大きく頷いた。
「そうです! さゆは、しょうたくんのおよめしゃんです!」立ち上がって、腰に手をやる紗由。
「…ところで、おばあさま。残りのもうひとつの石はどこにあるの?」
「近いうちに現れるはずよ。もう少し、時間が必要ね」
華織はそう言って、どこか遠い目で空間を見つめた。
* * *
帰りの車の中で、翼が龍に尋ねた。
「ねえ、龍くん。どうして“命”さまは、答えてくれることと、くれないことがあるの? 全部わかってるんでしょう?」
「うーん。全部わかってるとは限らないなあ。おばあさまも、教えてもらっていることと、そうでないことがあるんだ」
「おじいちゃまの命を奪った人が誰なのかと、子どもの石を起こせるのが誰なのかと、猛くんを養子に薦めたのが誰なのかは、教えてくれなかったね」
「おばあさまはね、じぶんでわかることは、おしえてくれないの」紗由が言う。
「え?」翼が紗由を見つめる。
「そういうことだろうね。僕たちの力で答えが出せることなんだよ」
「そうか…“命”さまばかり当てにしてちゃ、駄目なんだね。でも…過去をたどれる時とたどれない時があるから…僕の力じゃ…」翼が心細そうに言う。
「大丈夫だよ。翼はみんなの中で一番記憶力があるから、いろんな人たちの言ったことや、やったことを、集めて分析すれば、一瞬で過去をたどれなくても、答えが出せるはずだ」
「ぶんせきなら、さいおんじりょういちけんきゅうじょで、おてつだいします」
「そうだよ。皆で協力すればいいんだ。皆の力を持ち寄って」
「わかった。ありがとう、龍くん、紗由ちゃん。僕、頑張るよ」
「さゆもね、がんばって、おねがいしてきますから」
「お願い?」
龍が不思議そうな顔をすると、紗由はおもいっきり笑顔になり、歌を歌いながら辺りをスキップし始めた。
* * *
「たくみくんのおじいさま、こんにちは。さいおんじさゆです。5つです!」右手で5を示して元気に挨拶する紗由。
「これはこれは、可愛くて元気なお嬢ちゃんだねえ。こんにちは。匠と仲良くしてくれて、ありがとうね」梨本が穏やかに挨拶を返す。
「はい!」
「すみません、梨本先生。どうしても先生にお会いしたいと言ってきかなくて…」保が恐縮しながら頭を下げた。
「いやいや、こんな可愛いお客様なら大歓迎だよ。匠経由で手紙をもらったときは驚いたがね。さすがに紗由ちゃんと“ふたりだけでおはなし”するのは何だから、君にも来ていただいたが」
「さゆは、たくみくんのおじいさまに、おはなしがあって、きました!」
「ほお。何かな」
「たぶらかすのおじさんは、わるいひとです。いうことをきいたら、だめです!」紗由が両の手の拳を握る。
「“たぶらかすの小父さん”?」梨本と保は同時に声を上げた。
「あのひとは、みんなにうそをつきます。たくみくんのおじいさまにも、たくみくんにも、にせもののおむこしゃんにも、うそをつきます」
「紗由、ちょっと待ってくれ。“たぶらかすの小父さん”というのは…もしかして、名古屋のパーティーにいたという人のことかい?」
「まりりんのかいしゃにいたひと。くびになったけど」
「森本くんのことだね?」
「ええ。そのようですね」保が眉間にしわを寄せる。
「おいしいケーキを、ひとりでたべようとするひとです」紗由がきゅっと唇を結ぶ。
「おいしいケーキね…」梨本が軽く頷いて考え込んだ。
「先生。紗由のこの表現は、最大限に悪い人を表わしています。
大好きなケーキだけれども、皆と分け合って食べるのが、紗由のルールなんですよ。独り占めする人間は、彼女の論理ではひどい奴なんです」
「紗由ちゃん、彼はそんなに悪い人なのかい?」
「やよいちゃんのとうさまを、わるいひとにしました。わるくないのに、わるいひとだって、みんながおもいます」紗由が厳しい目つきになった。
「やよいちゃん、というのは…?」梨本が保を見る。
「翔太くんはご存知ですよね。彼の祖母、清流旅館のご亭主の奥様。大隅氏の養女です」
「つまり、森本の策略で、大隅氏が悪者にされたということか」
「どうやら、そのようですね。…私も初耳ですが」うつむく保。
「でも、みんながなかよくなれるように、さゆは、なかよしのおどりをつくってきました!」
そう言うと、スキップしたり、ジャンプしたり、くるくる回ったりと、楽しげに踊り出す紗由。
「さ、紗由…」
「たくみくんのおじいさまも、いっしょにおどりましょう!」
紗由は梨本の手を取ると、一緒にくるくる回ろうとする。
「おお、紗由ちゃん…」
最初は戸惑う梨本だが、紗由の笑顔に釣られて、一緒にステップを踏み始めた。
「さゆがおどると、たくみくんはバイオリンをひいてくれました!」
さらにニコニコ顔になる紗由を見て、梨本は楽しそうに踊る。
「そうか、そうか。ありがとう、紗由ちゃん。匠と仲良くしてくれて」
二人がダンスするのを、保は複雑な表情で眺めていた。
「いやあ、西園寺君。いい運動になったよ。匠の言う通り、紗由ちゃんは太陽みたいな子だなあ」汗をハンカチで拭う梨本。
「恐れ入ります」保が複雑な表情で頭を下げる。
「ところで紗由ちゃん、聞いてもいいかな」
「はい。どうぞ!」
「紗由ちゃんは、さっき、森本君のことを悪いやつだと言った。どうやって、それがわかったんだい?」
「かみさまが、おしえてくれました」
「神様?」
「みんなが、しあわせになりますようにっておねがいすると、かみさまは、どうやったらみんながしあわせになれるかを、おしえてくれます」にっこり笑う紗由。
「お願いした結果、教えてくれたことが、今の私へのアドバイスなのかい?」梨本が聞く。
「あどばいす?」
「ああ、ごめん、ごめん。忠告…いや、どうしたらいいかを教えてくれる、ということだよ」
「はい。にいさまも、しょうたくんも、かみさまにききました。ほかのみんなにも、きいてもらいました」
「西園寺君、これは“命”オールスターズの総意ということでいいのかね?」
「いや…私も皆の話を聞いたわけではありませんので、断言はできませんが…」保が戸惑う。
「さゆは、たくみくんのバイオリンがだいすきです。いつも、にこにこで、ひいててほしいです!」
「ほお。匠のバイオリンが好きかい?」
「はい! たくみくんのおとは、ふかふかのおふとんみたいです」
嬉しそうに笑う紗由に、梨本も思わず微笑む。
「そうかい。でも、紗由ちゃんのにいさまだって、すごく上手なんだろう?」
「…うーん…にいさまもじょうずだけど、にいさまのおとは、びゅーんてとんでくるから、よけるのがたいへん。おもしろいけど…」
「なるほどねえ…。紗由ちゃんの言うことは、さりげなく的を得ているな。それにある意味、龍くん以上に交渉上手かもしれん。いや、待てよ。彼は自首を薦める刑事のスタンスだったのかもしれんな」
笑う梨本に、保が怪訝そうな顔で尋ねる。
「龍以上とは…?」
「先日、龍くんと二人で話をしたときのことだよ。いやあ、面白かったねえ。
あんな聡明な人間と話をしたのは久しぶりだ。相手が小学生だということも忘れて、ゾクゾクしたよ、西園寺君。
それにねえ、人の痛いところを突くのが実に上手いのと同時に、人の優しさを真っ直ぐに引き出そうとするんだ。あんなに気弱になったのも久しぶりだった」
「龍と二人で話をなさったんですか?」眉間にしわを寄せて尋ねる保。
「しーっ! しーっです」紗由が梨本に向かって、人差し指を唇に当てる。
「おや、秘密だったのかい?」
「…どういうことだい、紗由。龍から何か聞いているのか?」
「たんていじむしょには、しゅひぎむがありますから」紗由が両手を腰に当てた。
「ほお。これはこれは、紗由ちゃんは難しい言葉をよく知っているねえ」笑う梨本。
「あ、そうだ。これ…どうぞ」
リュックの前ポケットから名刺を取り出し、梨本に渡す紗由。
「さいおんじたもつたんていじむしょ…。西園寺君、手広いねえ。探偵事務所もやってるのかい」梨本が笑う。
「いや、それは…」
「じいじは、おにぎりです」紗由がこくんと頷く。「あれ? おざなり、だったかな…」
「“お飾り”だろう?」渋々と正解を提示する保。
「それ!」にっこり笑う紗由。
「次期総理が単なるお飾りとはねえ」
「ちょーさをするのは、セクシースパイのまりりんです!」
「生憎とスパイ家業には興味がありませんでして」静かに微笑む保。
「しらべてほしいことがあったら、おじょうさまうけつけじょうに、いってください!」
「なるほどね…。じゃあ、早速調べてもらうかな」
梨本はにっこりと微笑むと、机の引き出しから、大粒のアメジストを取り出し、二人の前に広げた。
* * *
梨本から預かったアメジストを華織に手渡すと保は言った。
「どういうことなんだい、姉さん。正直驚いたよ。龍が単独交渉に臨んでいたとは」
「それぐらいのことで驚いていたら、一国の総理は務まらなくてよ」
「確かに龍は頭がいい。特別な能力も備えている。だが、姉さん。龍はまだ3年生なんだ。子どもなんだぞ。大人のいざこざに、そこまで巻き込むな。それが当たり前だと、龍に思わせないでくれ」保が声を荒げる。
「…当たり前だと思ってもらわないと困るの。それが“弐の命”というものなのよ、保」華織が保をじっと見つめた。「あなたは、いっぱい愛情を注いであげて。私が、そうしきれなない分も、いっぱい…」
「姉さん…」
「この石は龍と紗由に預けるわ。梨本先生も私に石を精査させるために渡したわけじゃないでしょう」
「じゃあ、何のために?」
華織が答える前に、ドアが開いた。
「あ。じいじだ」紗由が保に駆け寄った。
「紗由。…龍」
龍も紗由の後に続いて部屋に入ってくる。
「だっこ、しなくちゃ」
そう言って、保によじ登ろうとする紗由を、保は抱き上げた。
「じいじ…怒ってる?」恐る恐る保に尋ねる龍。
「大丈夫よ、龍。保ちゃんが怒ってるのは、龍じゃなくて私」
「おばあさまは悪くないよ。僕が一人で決めて、話をしに行ったんだ。それに、本当の用事は匠くんと遊んだり、バイオリンの練習することだったし…」少し言い訳がましく言う龍。
「コンクールの後の発表会では、ふたりで弾くんだそうだな」
「うん。匠くん、上手だから合わせるの大変なんだ」
「そうか。頑張れよ」
「龍。保ちゃんが梨本先生からお預かりしてきたんですって」
華織がアメジストを差し出すと、紗由が保の腕から降り、割り込むように叫んだ。
「あ。さっきの子だ!」
「これは…」龍が眉間にしわを寄せる。「匠くんがカフスにしてた石だね。匠くんには強すぎるからって梨本先生に言った、あの石。…でも、この子、今は寝てるね」アメジストを手に取る龍。
「これは姉さんが集めると言っていた石のうちの一つなのかい?」
「ええ」
「どうして、わざわざこっちにそれを渡すんだ」
「おきないから。たくみくんのおじいさまは、めざましどけいがないでしょう?」
紗由が、まるで華織のような口調で保に言うと、保は小さく咳払いした。
「匠くんに持たせておけば、この石は起きてるのに」
「あら。あなたがそれをするなと言ったんでしょう? 匠くんには強すぎるからって」
「そうだけど…」
「匠くんに負担がかかることは、したくないのよ、梨本先生は」
「だったら、じいじにケンカを売るようなこと、やめればいいのに」
「やめればいいのに」紗由が真似をする。
「大人っていうのは複雑な生き物なの。そう簡単には行かないのよ。そうそう、保ちゃん。さっきの質問だけど、梨本先生はこの石をくれたわけじゃないわ。こちらで起こせるかどうか、確認したいのよ」
「それは、起こしたら奪い返すということかい?」
「そうね」
「だったら、起こさなければいいだけだろう」
「それだと、じいじは総理大臣にはなれないよ。なっても、すぐに辞めることになる。梨本先生や、小宮山先生みたいに」
「龍…」保が龍を見つめる。
「そういうことなのよ、保ちゃん。プレジデント・ストーンを持っていた人たち、奏人さんも含めてだけど、任期や政治生命を全うできなかったのは、本人の資質だけじゃなくて、“子どもたち”をちゃんと開かなかったから」
「梨本先生と小宮山先生はわかる。そういう力がないんだろうから。だが、四辻は石の一門の“命”じゃないか」
「確実に開ける人間だから、開く前に狙われたのかもね。脅迫のつもりで、やり過ぎてしまったんだわ。…そう見せかけてという可能性もあるし、複雑ね、あの一件は」
「じゃあ、今度は姉さんが狙われるのか?」保は“あるいは龍が?”という言葉を飲み込んだ。
「私がいなかったら、最後の儀式ができなくなるわ」ケラケラと笑う華織。
「メンテナンスもできなくなる」龍が補足する。「だから、四辻のおじさまが生きてたほうが、総理になりたい人間にとっては面倒がなくてよかったんだよ」
「そう。奏人さんから、ちゃんと“引継ぎ”ができていれば、こんなことにはならなかったのよ。でも、おバカさんたちは後先考えないから」
「そういうバカな人たちには、総理大臣になってほしくないよ、僕」
「同感だわ、龍」微笑む華織。
「じゃあ、姉さんたちは安全なのか」
「生命の危険までは行かないでしょうけど、力を欲しがる人たちが、いろんな行動を起こすのは仕方ないわ。それは、保ちゃんが総理になろうが、ならなかろうが、同じこと」
「仕方ないよ、じいじ。お金持ちが泥棒に狙われるのと同じだよ」
「そういうことね、保ちゃん」
「わかったよ、姉さん。私が何を言おうと、姉さんたちは従ってはくれないんだろう。しかも、いつだって、何だって事後報告だ。こっちの身にもなってくれ」保は小さく溜め息をついた。
「“命”になる人間にしか言えないこともあるわ。そんなこと、保ちゃんだってわかってるでしょう?」
「紗由や翔太くんは特別なのかい? 紗由は今、弐の位ですらないはずだ。なのに、姉さんが許可しさえすれば、すぐにでも弐の位になれるはずの私よりも事情通なようだが」
「あら。翔太くんは特別よ。類稀なる“龍の子”ですもの。あの“黄金の龍の子”を曾祖父に持ち、四辻に次ぐ石の一門の血を継いだ弥生さんの孫なのよ。弥生さんの血筋の力は、澪ちゃんを見ればわかるでしょう?」
「力、伸びてるよね」龍が言う。「それに、あいつ、いい奴だし」
「はい! しょうたくんは…いいやつです。ふふ」紗由がほっぺたを赤くして笑う。
「わかったよ。翔太くんは特別ってことなんだな」
「あのね、しょうたくんは、とくべつです。はやく、およめしゃんになりたいです!」さらに頬を赤くする紗由。
「涼一に聞かせたら、引きこもりになりそうだな…」紗由の様子を見ながら苦笑いする保。
「うん。とうさまがグレちゃうと困るから、ナイショにしてね、じいじ」龍がにっこり笑う。
「その件は了解した。…で、石はまだ全部そろってはいないんだろう?」
「うん。賢ちゃんの石、まりりんが持ってる四辻家の石、匠くんの石。これで3つ」龍が答える。
「5ひく3は2だよ! あとふたっつ」
「あら。紗由ったら、おりこうさんね。もう引き算ができるの?」
「まいにち、クッキーでれんしゅうしてるの」にこにこ笑う紗由。
「僕のクッキーまで使ってね」龍がちらりと紗由を見た。
「きょうだいは、クッキーくれるぐらい、なかよくしないといけないの」紗由が頷く。
「僕がクッキーもらったことはないけど…まあ、仲良くはしないとね」龍も渋々認める。
「そうよ。何があっても、兄弟は仲良くしなくちゃ」華織は保を見ながら、にっこり笑った。
「…で、その二つはどこにあるんだい?」
「ひとつは、紗由の“偽物のおむこしゃん”が持ってると思う」
「鷹司本家の子か?」
「うん。前に名古屋のパーティーの時に、彼がアメジストのペンダントをしてたのを、翔太が見てるんだ。翔太が描いたぴかぴかの絵からしても、間違いない」
「残りのひとつは?」
「まだ見つからないけど、きっと近くにあるわ。やっぱり眠ってると思うけど」
「それと関係があるんだろうか。どうも最近、清流の夢をよく見るんだ…」保が言う。
「さゆも、みるよ!」
「あら。どんな夢かしら。順番に説明してちょうだい。まずは保ちゃんから」
「小さな女の子が、泣きながら、清流の裏手の山から庭へ降りてくるんだよ。手に石を握っている。降りてきたその子を、男性が抱きしめて、そこで夢は終わる。昨日で3回目だ」
「女の子の顔に見覚えは?」
「くりっとした瞳が、玲香さんに似てる気がする。男性は後姿で顔がわからないが、女の子が玲香さんなら、男性は飛呂之さんだろうな」
「そう…。紗由の夢はどんな夢なの?」
「ひろゆきさんがね、はこのなかのいしをみてるの。おばあさまに、おでんわしようとして、やめちゃうの」
「紗由は、飛呂之さんにその夢のことを聞いてみたの?」
「うん。きいたよ。でもね、こまってた。だから、もうきかないことにしたの。おとなのおんなは、そういうものでしょ?」
物知り顔で言う紗由に、一同が思わず笑う。
「そうね、紗由。大人の女というのは、そういうものよ。余計なことは聞かない。相手の負担になることはしないの。…でも、おばあさまは、ちょっと子どもなのよ、紗由と違ってね」
華織は紗由の頭を撫でると、スマホを手に取った。
* * *
新橋にある華織所有のマンションの一室に保が到着したのは、午後7時を少し回った頃だった。
「お待たせしたね」
「いえ」待っていた哲也と梨緒菜が立ち上がり、頭を下げる。
「この後、静岡に行く予定なんだ。すまないが、さっそく報告をお願いできるかい」
「はい、先生」梨緒菜は書類を保の前に差し出し、説明を始めた。
「…じゃあ、記事に書かれている実業家女性は愛人ではないのかい?」
「はい。どうやら、小宮山先生がお付き合いしていた女性は、記事中の実業家女性の名前を騙っていたようですね」
「何でまた、そんなことを…」
「現時点で、そこまではわかりません。ですが…2枚の写真を比べていただけますでしょうか」梨緒菜はまず、一枚の写真を差し出した。
「この人は、フリージア幼稚園の園長夫人だね」
「はい。三咲詠子さんです。そしてこちらは、小宮山先生からお借りした、愛人女性の写真です」梨緒菜がさらに一枚の写真を保の目の前に置く。
「見覚えがない顔だなあ…」
「この2人の耳を比べてみてください。顔は整形しても、普通ここは直しません」
梨緒菜に言われて、保と哲也は写真を覗きこんだ。
「確かに同じ形だ…。上側のほうが特徴的で」哲也が頷く。
「小宮山総理が愛人と別れたのは3年前。園長夫人が後妻におさまったのも、その頃です」
「なるほど…。三咲さんは、整形して過去を隠して、結婚したというわけだね」
「記事に出ていた名前…つまり、園長夫人が名前を騙っていた実業家女性は、実在していますが、所在がわからなくなっています。
記事の出る少し前に会社を処分して、姿を消しているんです。周囲には田舎の親が病気で倒れたので、帰って面倒を見ると言っていたようですが、実家とされる土地のほうにも戻っていません」
「タイミングよく姿を消したということか。何かありそうだね」哲也が言う。
「愛人と関係があったのは3年前と言ったね。ちょうど梨本先生が総理に就任された頃だな。当時、小宮山先生は官房長官になった」
「その辺も、いろいろ考えてみたんです。政治がらみの思惑で、誰かが小宮山先生を陥れようとしたのかとか」
「でも、その時期にハニートラップを仕掛けるなら、梨本先生のほうだろうなあ…」哲也が首をかしげる。
「あの…保先生もハニートラップ、ありましたよね。瑞樹兄さんにも色目を使っていたらしい、あの作家先生に、かなり迫られてたって、母から聞きました。しかも彼女は自ら噂を流すようなことをしていたと」
「ああ…あれね。まあ、ちょっとおかしな人というのは、時々いるものだからね」保が苦笑する。「でも、和歌菜さんのお陰で助かったよ。桐生さんの奇行を突きつけて封じ込めてくれたんだ。さすがに、久英社の雑誌で記事にされたら、彼女も困るだろうしね」
「小宮山先生が総理になられて、しばらくしてからでしたよね、それ。正確には、四辻の小父様がお亡くなりになって、しばらくしてから」
「それがどうしたの?」哲也が聞く。
「いつもナンバー2が狙われているんですよね…。小宮山総理就任時のナンバー2は、外務大臣だった四辻の小父様。そして、小父様が亡くなった後のナンバー2である保先生が、トラップのターゲットになっている。ナンバー1ではなくて2。何かそこが引っ掛かるんです」
「四辻先生にもトラップはあったの?」
「四辻の小母様が、しばらく家を空けていた時期があったの、哲也は覚えてる?」
「…えーと、もしかして例の隠し子騒動のこと?」
「そう。小父様が外務大臣になった直後よ。小父様はDNA鑑定をして、その結果を公表すると言ったのに、当の男性が姿を消した」
「当時はけっこう騒ぎになったよね。でも、相手が取材拒否して消えたから、世間は四辻先生に同情的で、逆に人気が高まったよね。結果として、トラップになってないな」
「ふむ。他にも、トラップらしい例は、あるんだろうか?」
「はい。私も気になったので、ここ20年間の総理とナンバー2を調べてみました。
梨本先生、小宮山先生以外にも、何回か同じようなパターンがあるんです。
ある人間が総理の座に座り、そのナンバー2がスキャンダルの種をまかれ、総理になったかと思うと、すぐにその座を退くはめになる。マスコミ的には公になってない場合が半分以上。
これがもし、計画されたことなのだとして、どうせなら、ナンバー2の時点でつぶしておけばいいのに、何故か、ナンバー2は必ず一度ナンバー1になるんですよね…」
「時間がかかるのかなあ、撒いた種が芽を出すまでに」
「トラップが、うまく作動しなかったのは、四辻の小父様と保小父様の時だけでした。四辻の小父様はお命を…失うはめになってしまいましたけれど」うつむく梨緒菜。
「梨緒菜ちゃんは、何かの考えに至っているのかい?」
「保小父様もご存知ですよね。“プレジデント・ストーン”」
「ああ、知っている」
「小宮山先生、運よく手に入れたと噂になっているようなんです、その“総理の座を手に入れる石”を。
それで詳しく調べたら、小宮山先生と梨本先生がそれを手に入れたことはわかりました。
でも、お二人だけではなくて、ナンバー2から1になり、2の時点でのスキャンダルが、1になってすぐの失墜につながっている人物は、どうやらもれなく、この石を手に入れていたようなんです」
「ほお…」
「私はその石の存在と力が関わっているように思えて仕方がないんです」
「力?」哲也が尋ねる。
「総理にしてくれる不思議な石なんでしょう? 特別な力があるんじゃないの?」
「その特別な力が、トラップと関係していると、梨緒菜ちゃんは思うんだね?」
「はい。非科学的といえばそれまでですけど、それを手に入れた人たちが、総理の座についたのは事実です」
「でも、梨本先生にしろ、小宮山先生にしろ、あまり長持ちはしなかった」
「そう。そこなんです、小父様。私が思うに、何かその使いこなし方というか、単純に所有すればいいというものでは、ないのではないかと。つまり、トラップは石からの“お試し”のようなものというか…」
「梨緒らしくないね。そういうの、信じてないんじゃなかったっけ?」
「そうなんだけど、それが一番しっくりくるのよ、説明としては。早期に失墜した人間は、何かが足りなかったんだわ」
「なるほどね…」
保は立ち上がると、梨緒菜と哲也を隣の部屋へと招き、台座に乗っている置物らしきものに掛けられていた布を取り去った。
「これが、そのプレジデント・ストーンだよ。梨緒菜ちゃんには、全部話しておいたほうがいいようだ。哲也くんの“副業”についても。…いいね、哲也くん」
保の言葉に、哲也は少し戸惑いながらも、しっかりと頷いた。
* * *




