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#9 彼女は彼に触れる

 未知香はため息をついて、電話を置いた。バイク探しの方も意外に難航しているようだ。

 君塚と一緒に進めている武生の身辺調査も、思うような成果を上げていない。武生には仕事以外の知り合いがほとんどおらず、交友関係そのものが少ないのだ。内縁の妻である美由紀についても、誰かと会うようなことはあまりなかったという。

 膨大な交遊録を出されても困るが、ほぼゼロというのもまた困る。取り付く島もないというのはこのことだった。交友関係なし、親戚関係なし、買い物以外の外出も、趣味と呼べる活動もなし。

 それはいったいどういう暮らしなんだろうかと、未知香は他人事ながら不思議に思う。


「……うへぇ……」


 パソコンに向かっていた君塚が、いきなり奇妙な声を出した。画面を覗き込みながら、短く唸り声を上げる。


「係長、どうかしたんですか?」


 未知香が声をかけると、君塚は尻でも蹴り上げられたような情けない表情で振り返った。


「よくわかんないんだけど……国見美由紀、死んでるって」


 サッと青ざめた未知香に、君塚は手を振って言い直す。


「違う、今回の事件じゃない。六年前に、行方不明になったまま発見されていないんだ」


「……え?」


「ホラこれ、この国」


 君塚は机の上に置かれたままのファックス用紙を指す。

 本人から送られてきた、国見美由紀のパスポート。しかし、それは偽造のはずだった。


「でも、国見美由紀って人は存在しなかったんでしょ?」


「このパスポートの人物はね。でも本国に照会してもらったら、六年前にダイビング中の〝日本人〟観光客、国見美由紀が遭難してんるだって。未知香ちゃん、英語は?」


 未知香がうなずくと、君塚がパソコンのモニターを向ける。

 送られてきていたのは、当時の新聞だった。ところどころ意味不明な単語があるが、それは地名と現地語のようだ。未知香の英語能力でも、大雑把な意味は理解できた。


「現地警察と沿岸警備隊が出動して、かなり大規模な捜索が行われたようです。結局は、そのまま行方不明として処理されてますね。年齢は当時二十六歳」


「生きていれば、今頃は……三十二だな」


「じゃあ、その〝故人〟を捕まえて一件落着?」


 君塚の顔を見ている限り、そんな感じではない。モニター上の新聞画像がスクロールされると、その下に添付されていた人物写真が現れた。


「これが〝日本人の美由紀さん〟だそうだ」


 笑顔で写っているのは、太り気味で高慢そうな表情をした、古いタイプの日本女性。

 武生の内縁の妻とは、明らか違う。


「……別人」


 君塚は写真を見つめ、大きなため息をついた。


「あの女、いったい何者なんだ?」


「どうした、出てこい!」


 静まり返った闇の奧に、明日香は再び声をかける。反応はなかった。


「復讐が目的なら、ここで果たせばいい。こちらは丸腰だ。武器は持っていないし、仲間もいない。それに……ここなら人も来ないぞ」


 わずかな間が空き、車のドアを開ける音。街路灯の光のなかに、大須賀惇一が姿を現す。

 思いつめた表情で、片手には太い棒。見たところ武器としては貧弱だが、素材次第ではダメージも大きい。明日香は腰を落とし、油断なく身構えながら周囲に意識を向ける。

 闇のなかに白く覗いているのは、彼の乗ってきたワゴンRだろう。

 他に後続車はなく、誰かが潜んでいる気配もしない。


「……どうしてわたしに付きまとう」


 相手は無言のまま、手にした棒を握りしめる。


 ――答える気はない。いや……答えるまでもない、か。


「こちらが素手なら、五分の条件だろう。それでも文句があるなら……」


「取り消せ!」


 いきなり、惇一が吠えた。

 なんのことかと訝る明日香に、裏返った声で畳みかける。


「取り消せよ、あのとき言った言葉を取り消せ!」


「……あのとき……?」


 吠える男の声に、彼女はその光景を思い出す。

 鼻を衝く異臭。獣の巣のように荒みきった部屋。

 湿り、濁り、淀み、こもった空気。薄暗い部屋のなかで、睨み付けてくる潤んだ目。


「問題になっているのは、われわれの〝権限〟じゃないんですよ、大須賀惇一さん」


 明日香は彼に、そう言ったのだ。


「あなたの〝義務〟と〝責任〟が問われているんです」


「なにを……ッ!」


「教育・勤労・納税。国民の三大義務です。社会に無駄な人材を抱えておくことは、真面目に働く多くの人たちに無用な負担をかけ、幸せな生活の足を引っ張ることになります」


「ふ、ふざけるな、そんなことあんたに言われる筋合いはない! それにな、なんでぼくだけなんだよ。二丁目にいる西原のオッサンだって、毎日昼日中からプラプラしてるだろ。あとB棟の山崎だって、ヒキコモリの売れない絵描きじゃないか、趣味や見た目の違いだけで、こんな差別が許されるのかよ!」


「趣味の問題ではないんですよ。見た目も、まったく関係ない。西原氏は三年前まで会社を経営していらしたが、社長の座を後進に譲り勇退された。山崎氏は生業として画家をされている。それは、まったく我々が干渉する問題ではありません」


「ぼ、ぼくも……ぼくだって……」


「オタクで家計が成り立つんですか。自分の身も養えないのなら、それは道楽でしかありません。もちろん、道楽は道楽で結構。しかし、ご両親に頼って暮らしている以上、あなたにはご両親の意思を曲げてまで道楽を続ける資格はないんです」


 惇一は明日香を見つめ、なにかを言おうとして口を開いた。

 そして、結局なにも語られることはなく、唇はきつく噛み締められたのだ。


 ――あのとき……。


 明日香にしても、言い過ぎたという自覚がないわけではなかった。しかし、言っている内容そのものは彼女の正直な意見だった。

 惇一はあの暗い部屋で見たのと同じ、潤んだ目で睨み付けていた。


「そうだよ……思い出したか」


 無言で立つ明日香に向かって、彼は大きく一歩を踏み出す。手にした棒をこじ開け、なかからなにかを取り出そうとする。


「ぼ、ぼくにだって、夢はある。やりたいことだって、あるんだ。……う、上手くはいかなかったけど、努力だってしてきた。それをあんな一方的な言い方で切り捨てることは許さない……絶対に許さない!」


 振り上げられたなにかが、目の前で広げられる。

 視界を塞ぐ大きな影を蹴り上げようとして、明日香の動きが止まった。


「見ろよ……こ、これが……これがそうだ」


 惇一はそれをいっぱいに掲げる。明日香にもようやく、その棒が絵を入れるポスターケースだとわかった。


「ぼくの絵だ、ぼくが描いた、描きたかった絵だ」


 言われて見ると、広げられたのは巨大なケント紙だった。

 そこに描かれているのは、漆黒のボディスーツでビルの谷間を飛び回る少女。彼女の周囲には火花が散り、上空には銃弾が飛び交い、背後からは黒いスーツの男達が追いかけている。


 ――巧いな。


 意外にも、技術としては悪くないように見えた。

 明日香に絵の素養があるわけではなかったが、見たところ描写能力も色彩センスもそれなりに高く、構図的な見栄えや仕上げもこなれている。

 あまりに煽情的かつ類型的な趣味は〝いかがなものか〟という気がしないでもなかったが……まあ、それは他人の干渉する問題ではない。

 明日香は反応に困って惇一を見つめた。上手下手の評価はともかく、無関係な他人でしかない立場でなんと言って良いものか迷う。

 視線を感じた彼は、すぐ恥じ入るように目を逸らした。


「あ……あんたのすべてを調べたのは、復讐のためなんかじゃない。ぼ、暴力で勝てるわけないし、そんなことしたくもない。ぼくは惨めな人間かも知れないけど、でも、……プライドくらいあるんだ」


「じゃあ、付きまとっていたのは……」


「しゅ、取材のためだ。あんたみたいな面白い人間がいるなら、それを題材にして漫画を描いてやろうと思ったんだ。め、迷惑なのはわかってたけど……」


「マンガ? ……マンガか。そんな才能があったなんて、思ってもみなかった」


「才能なんか、な、ないよ。技術もコネも才能も、なにも。でも、それがぼくの唯一の趣味で、職業にしたい仕事で……そして、引き籠もりになった原因でも……ある」


 言いたいことだけ言い終わると、我に返ったのか急に背を向けてモジモジと足踏みを始めた。見ると、脚が震えている。耳まで赤いのが、後ろからもはっきりとわかった。


「そ、それだけ! ……じゃ、じゃあぼくもう行かないと」


「大須賀さん」


 彼は振り返らない。せわしなく脚を動かしながら駆け去り、アタフタと車に乗り込む。慌てて発進しようとしたために、軽自動車はエンストを起こして停まった。弾みでギアが抜けたのか、セルモーターが軋んだ唸りを立てるだけでエンジンは再始動しない。

 明日香は呆れてため息をついた。車の横に歩み寄って、運転席を覗き込む。


「落ち着いて、深呼吸してみてください」


 素直に深呼吸する男を見て、なぜか奇妙な親近感を持つ。無様で不器用で融通が利かず、上手く生きられない人物。かつての自分を見るようで、彼の姿は微笑ましくもありまた気恥ずかしくもあった。

 教習所の手順でも思い出すように、彼はぎこちなくシフトレバーを動かし、ミラーを見て、ハンドルを握る。姿勢を正してキーを捻ると、今度はエンジンがかかった。


「運転は気を付けてくださいね」


 なにかを言いかけた惇一は、そのまま息を吐いて黙り込む。あのときと同じように。


「……なにか、言いたいことでも?」


 彼はしばらく間を置き、甲高く裏返った声で言った。


「ヒ、ひとつだけ、嘘を言った、ぼく」


「え?」


「きっかけは、復讐だった」


 そう言ってすぐ顔を背け、アタフタと慌てて手で扇ぐ。


「で、でも、暴力や迷惑じゃなくて、実力で見返してやりたかったんだよ。……お、覚えてろ、そう言いたかったんだ。それだけなんだ、ホントだ」


 惇一は、そこで口ごもった。

 沈黙を怖れているのか、必死で言葉をつなごうと喘ぐ。


「ほ、ホントに……ただ、目にもの、見せてやるってさ」


 明日香は、走り出そうとした彼の横顔に声を掛ける。


「……見たいな」


「え?」


「あなたの作品ができたら、見せてもらえると嬉しい」


 ポカンとした顔で、明日香を見る。惇一はたちまち真っ赤になって視線を泳がせた。


「い……いつできるか、わからないよ。いつまで待っても、できないかも知れない」


「あなたは自分を信じているんでしょう? だったら、わたしもあなたを信じる」


 予想していた結果と違っていたのだろう。惇一は困惑したようにモゴモゴとなにかをつぶやき、慌てて車を発進させる。


「か、か勝手なこと言うなよッ! ぼくのことなんか知らないくせにッ!」


 走り去る車に向かって、明日香は叫んだ。


「わたしは、市役所にいる。ずっと、待ってるから!」

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