幸災楽禍の悪魔
アシュティンが椅子に座りながら微睡んでいた時、扉を叩く音で目を覚ました。
「っ、ロミーか……? 来るの早すぎだろ。さっきパンを持ってきたばっかなのに——」
だが、ロミーなら返事を待たずに勝手に入ってくるはず。
そう不思議に思っていると間隔を置いてもう一度ノックされたことでロミーではないと気づいた。
「誰だ?」
「——私です、アシュティン様っ」
「え……? ————まさか」
一瞬、思い当たらなかったが聞き覚えのある声がすぐに気づかせた。
扉が開いて見知った顔が目に入り、答え合わせがあっという間に完了する。
「リーベ、ヴェルメ……! お前ら、なんでここに——」
「しばらくぶりです、アシュティン様。……少しお痩せになられましたね」
リーベが家の中に入り、その後をついていこうとした時、近くの物陰から誰かが顔を覗かせているのが見えた。
……誰だろう?
恐らく町の住民だとは思うが、どうもこっちの様子を確かめているふうだ。
……とはいえ最初に会った男の態度のこともある。
今は不必要に町の人間に関わらない方がいいかもしれない。
とりあえず警戒心だけ置き、家の中に入ることにした。
* * *
「リーベ、ヴェルメ——」
初めて見るその人間の顔をよく観察する。
リーベと同じ年頃——彼女より少し上くらいだろうか。
褐色の瞳と同じ色をした、少しボサボサになった短髪の髪。
昔、キョウコがテツロウ相手に熱弁していたハンサム……に近い作りをしていると思う。
自分からすれば顔の造形に良いも悪いもないのだが、それはそれとしてその顔色は非常に悪い。
リーベは少し痩せたと口にしたが、痩せたというよりはやつれたといった印象だ。
二人と違い、以前のアシュティンを知らないが初めて相対した彼は今にも倒れてしまいそうなほど危うく見えた。
そんなアシュティンと呼ばれた青年は椅子から立ち上がり少しの間、呆然と二人を見る。
しかしハッとして、二人の首についたアザに気づいた。
「バ……ッカ野郎! なんで来たんだ!? この町はもう——」
「魔族がいることはわかっています。このアザが……この町から逃がさない為のものだということも。私達はあなたに会いに来たんです、アシュティン様。あなたの力を……お借りしたくて」
「……なんだって?」
リーベはここに来るまでの経緯を説明した。
アシュティンはリーベ達が訪ねてきたことも含めて最初は驚いていたが、少しずつ落ち着きを取り戻し、最後まで黙ってリーベの話を聞いた。
「ヴェルメが魔族に狙われてる……か」
「正確にはペンダントですが……そのためにこの子を捜しているのは間違いないみたいなんです」
「そのペンダントってトマリ様がヴェルメにくれた物だったよな? なんでそんな物を魔族が狙うんだ。確かにキレイな装飾だけど……そんな特別な物には見えねえけどな」
「……わからないんです。トマリ様はお守りにしてくれって、渡してくれただけで」
首に下げたペンダントを握りながらヴェルメは複雑そうな表情で俯いている。
渡してきた人物にとってもただのお守りのつもりだったのか、それとも何かの意図があって託したのかはわからない。
しかし、このペンダントによって自分が狙われているという事実が彼女を苦しませているようだった。
そんな彼女の様子が心配で傍に寄った。
それに気づくとヴェルメは逆に優しく頭を撫でてくれた。
「……ありがと。私は大丈夫だよ」
「にしてもお前ら、魔族に襲われたって……どうやって撃退できたんだ? いや、逃げてきたのか?」
「あ、いえ……実はこの子が助けてくれたんです。魔族を倒してくれました」
「はっ? 魔族を倒したって——嘘だろっ? ……さっきから気になってはいたけど、この獣はなんなんだ? この辺じゃ見かけねえ生き物だけど……」
アシュティンの関心がこちらに向く。
対抗するわけではなかったが、彼という人物の情報を得ようとこちらも観察を続けた。
「……私達にもわかりません。ただ、魔物に変化することができて……その力で私達や村を救ってくれたんです」
「魔物に変化って……そりゃ魔物ってことだろっ? そんなの連れて歩くって、お前ら気は確かか!?」
「違うんです、アシュティン様っ うまく言えないけど……この子は他の魔物や魔族とは、違うんです」
何が違うってんだよ——とアシュティンは呆れたように椅子に座り直した。
一瞬声を荒げたがヴェルメの必死な訴えもあってか、それ以上の追求はしなかった。
「……俺の力を借りたいってのは、魔族からヴェルメを守る為の手助けがほしいってことか」
「身勝手なのはわかっています。でも出来るだけ手が欲しいんです。どうか、お力を貸していただけませんか——どうかっ」
「身勝手なんて思わねえよ。妹の為だろ? むしろ、なりふり構わねえって勢いがあったっていいくらいさ。だけど……」
アシュティンはそこで一度、言葉を切ると少し間をおいてから自分の意思をはっきり伝えた。
「ここまで来たお前らには悪いけどさ。頼る相手を間違えてるよ。俺は……お前らの力にはなれない」
アシュティンは目を逸らしていた。
自分には彼が二人と目を合わせるのを怖がっているように見えた。
「この町を見たろ? もう1年近く魔族に好き放題されちまってる。俺はずっとこの町にいたのに、魔族一匹倒すことだって出来なかったんだ」
「この町の魔族の事なら私達も手伝います。一緒に協力をすれば——」
「やめろ、無理だ! 刃向かおうなんて考えるな!」
そう言ってアシュティンは自分の首のアザを指差した。
「この国を支配してるのはアンデルって名前の魔族だ。町の住民全員につけられたこのクソ忌々しいアザは奴の仕業だ。こいつがある限り、誰も奴には逆らえねえ」
「……呪いはこの国にいる全ての人間に及んでいるん、ですね?」
「ああ。……もう誰かに会ったか?」
「この国に来てすぐ……住民の一人に助けられました。話も多少は、そこで」
「……そうか」
住民の男が語ったアシュティンについての話をリーベは伏せていたが、彼は何かを察したようにため息をついた。
「……それにしても信じられません。たった一人の魔族が敷いた術で国を丸ごと支配してしまうなんて。100人にも満たない小さな村とは住んでる人数の規模も違うのに」
「魔族が操る呪いってのはどれもデタラメなもんなんだろ? 別に不思議じゃねえさ。……アザは奴のルールを守らせる為のモンだ。奴の決め事に逆らった時にこのアザは全身に広がって、溶かされたように消えちまう。そうなった人間は全員、アンデルの腹の中だ」
初めこそ逃げ出そうとする住民は多くいたという。
国王が魔に降伏した後も諦めず抗おうとした人間もいた。
しかしそれらの勇気が実を結ぶことはなく、アンデルの意に従わなかった者は次々と溶けて消えていった。
希望を失った人々が心を折るのはあっという間だったとアシュティンは語った。
「この町はすっかりアンデルのおもちゃ箱だよ。奴の悪趣味な思いつきに呼び出される恐怖に怯えながら、みんな毎日を過ごしてるんだ……」
だから諦めろと、アシュティンは言っている。
しかしリーベはそれに納得しなかった。
「私達はずっと村の中にいて……この国には今、来たばかりです。だから町の人達やアシュティン様の気持ちを推し量ることは難しいかもしれません」
「おねえちゃん……」
「でも……それでもっ! これはアシュティン様らしくありません! 私達の知るアシュティン様ならこの状況を黙っていることなんてできないはずです! だから——」
「話、聞いてたか? アザがある限り、どうしようもねえんだよ……」
リーベの言いかけた言葉が止まる。
「……そうでしたね。すみません、感情的になりすぎました」
「それにさ……どうなんだ? 本当に俺はこの状況を黙ってちゃダメなのか?」
「え?」
「町の人間はみんな俺を憎んでるよ。俺や兄貴達、勇者一行のことをな。あいつらのせいでこんな事になったんだって恨みの目線と言葉をずっと浴びてきた」
「そんな——」
「ま、兄貴達のことはともかく俺についちゃそれで正解だよ。なにせこの国の王様を殺しちまったんだからな」
「!!」
町の男が話していたことだ。
それをアシュティン本人も認めていた。
「その話は……本当のことなんですか?」
「……ああ。本当だよ」
わずかな沈黙の後、事実だと静かに話す。
ヴェルメ達は信じていないがアシュティン自身が認めてはこれ以上は何も言うことができなかった。
「悪いけどさ、もう行ってくれねえか。……しばらく一人になりたいんだ」
「で、でもアシュティン様——っ」
なんとか食い下がろうとするヴェルメをリーベが止める。
「わかりました。……一度出ましょう、二人とも」
「お、おねえちゃんっ」
「アンデルは王宮を根城にしてる。絶対にあそこには近づくな。ここに来ちまった以上、大人しくしてろよ。間違っても奴と戦おうなんて思うな。……もう、どうにもならねえ」
「……」
リーベはペコリと頭を下げ、この場を後にした。
* *
……一人になったことで、アシュティンは以前のことを思い出した。
まだ兄が魔王討伐という使命も負わされていなかった頃。
私用で西国に赴いていた兄が急に家に帰ってきた。
当初告げられていた予定よりだいぶ早く戻ってきたことに彼は喜んだが、兄の隣には暗い目をした二人の少女が立っていた。
兄は少し言いにくそうに話していた。
『この二人、姉妹なんだ。その……帰る家を失くしちまってな。これから俺はこの子達が安心して暮らせそうな場所を探してくる。だから……アシュティン、悪いんだがそれまで二人の面倒を見てやってくれないか?』
悪い! とあまり悪く思ってなさそうな態度で二人をアシュティンに押しつけた。
最初こそどう接していいかわからなくて戸惑ったアシュティンだったが、二人の身の上を知ってからは元気になって欲しくて下手なりに一生懸命、明るく話しかけるようにした。
兄のツテで二人を受け入れてくれる村が見つかった後も——
『俺、グリューン国にいるからさ。困った事があったらいつでも訪ねに来てくれよ。兄貴には及ばないけど、なんだって力になるぜっ』
そう言ったことをよく覚えている。
リーベもその言葉があったから今、彼をアテにして来たのだろう。
あんなに威勢のいいことを言っておきながら。
いざ頼りにされれば、その約束すらあっさりと蹴ってしまう。
自分の卑劣さをただただ軽蔑することしかできなかった。
「最低のクソ野郎だ……チクショウッ」
* *
——外に出た後、これからどうするべきか途方に暮れていた。
「おねえちゃん、どうしたら……いいのかな?」
ヴェルメが不安そうに尋ねている。
リーベはしゃがみ、ヴェルメの目線の高さに合わせて答えた。
「ごめんね、ヴェルメ。もしかしたら……アシュティン様に助けてもらうことは無理かもしれない」
謝るリーベにヴェルメは首を横に振る。
「それはいいの。ただ、私……アシュティン様をあのままにしたくない。あの人にあんな苦しい顔、してほしくない。そのためには——どうしたらいいのかなっ」
ヴェルメは自分の気持ちをリーベに伝える。
「……私も同じ気持ちよ、ヴェルメ。ただ……その為にはアシュティン様の説得だけじゃなくて、この町を縛る大本の原因をなんとかしなきゃいけないわ」
ヴェルメはこくりと頷く。
今の状況を変えるには何が必要かは彼女もわかっているのだろう。
もちろん自分も理解している。
自分達も囚われの身になっている以上、どの道それは避けられないことだと。
ただ、どうするべきなのか。
あのアシュティンは魔族が王宮にいると言っていた。
このまま乗りこんでいいものだろうか?
そもそも未だにこちらに接触してこないのは気になる——
————あれ?
あれこれと考えを巡らせている最中、あるものが目に入った。
それは塔のような建物だった。夜の暗さで人間には黒塗りの輪郭に見えるだろうが、犬である自分の目には十分視認できた。
今いる場所からは少し離れているが、町の真ん中に寄った個所に細長い塔がニ本、左右対称に建っている。
かなり目立つ大きさ。高さだけならどの建物よりもずっと上だ。
「どうしたの? あっちに何かあるの?」
ヴェルメが声をかけてきた。
こっちの様子の変化に気がついたようだった。
「あの建物がどうかしたの?」
塔から目を逸らせない。無意識に唸り声まで上げていた。
……この不快な匂いは何?
鼻腔を抜けて身体中に充満していく悪臭。
チクチクと中から針で刺されるような痛み。
その元が、あの塔の上から漂っているような。
「おねえちゃん、この子どうしたんだろうっ」
「え、ええ……」
リーベも塔の方向へと目をやる。
「……あの塔?」
「あ、あの——」
「ひゃっ!? え——だ、誰……っ?」
リーベとヴェルメが塔の存在を気にし始めたその時、突然背後から声をかけられ驚く。
「ご、ごめんなさいっ! びっくりさせるつもりじゃなくて、私あの……あなた達に聞きたいことがあって——」
——やっぱり、さっきこっちの様子を伺っていた少女だ。
ヴェルメよりは年上だがリーベよりは下に見える。
「あ、あなたは……町の子……?」
「わ、私、ロミーって言います。あの……みなさん今、アシュティンさんの家から出てきましたよね……?」
* * *
「さ、どうぞどうぞ。座って待っててください。——おかーさーんっ!」
リーベとヴェルメを椅子に座らせてから、ロミーという少女はパタパタと奥に移動した。
あの後、リーベがアシュティンに会いに来たことを伝えるともっと話がしたいと言われ、流されるまま彼女の家に案内されることになった。
「——どうぞ。ウチで作っているパンです」
そう言って中年の女性がパンを差し出してきた。
「もちろん、あなたの分もあるわよ。お口に合うといいんだけど」
女性はこっちにもパンを置く。
慎重に匂いを嗅いだ後、恐る恐る一口かじった。
「! ——おいしい。こんな柔らかくて食べやすいパン、初めてです……っ」
「私なりの工夫を凝らしてあるの。製法については……内緒にさせてね」
——おいしい。おいしい……っ!
尻尾が止まらない。本能をむきだし、思いきりかぶりつく。
「ふふ、この子かわいいっ」
絶賛するこちらの反応を見てロミーと彼女の母親は満足そうに微笑みながら言う。
「パン屋を営んでいてね、まあまあ評判が良かったのよ? 今じゃほとんど買いに来るお客さんなんていないけど……」
軽い雰囲気で話してはいるがその言葉にかけられた声の重さはわかりやすい。
リーベとヴェルメもそれには気づいてるようだった。
「私の娘がごめんなさいね。びっくりしたでしょう?」
「いえ。どうしたものかと困ってましたから、助かりました」
「……さっき娘から聞いたわ。アシュティンのお友達なんですってね」
「……はい、まあ」
「この町が魔族の手に落ちてることはわかっていたんでしょう? そのリスクを承知でなお外から来るなんて、よっぽどの事情があったのね」
それでもやっぱり、あなた達はここには来るべきじゃなかったわ、と首のアザを見ながら女性は口にした。
「……あの。あなた達はアシュティン様とはどういう?」
「同じ町に住んでいる住人。それだけ……だったのだけどね」
「と、いうと……」
「私と娘は……アシュティンに命を救われたの」
「え?」
「ここを支配している魔族アンデルのことは聞いた? 私達につけられたこのアザはあの魔族の作ったルールを破らせない為のものなの。その決め事を破った者には即座に死が与えられる。そのルールの一つとして、奴の呼び出しに応じるというものがあるの」
「呼び出し?」
「奴の……悪趣味な娯楽よ。呼び出しには必ず二人の人間が呼び出される。それも恋人や家族を持つ者を優先して呼ぶの」
その話は凄惨なものだった。
つまり呼び出した人間二人の身内や恋人を景品にして、互いに殺し合わせる。
勝った方は景品と一緒に家に帰れる。
負けた方は景品丸ごと没収。残らずアンデルの腹の中ということらしい。
拒否すればアザに殺される。自分も大切な家族も死ぬ。
どう足掻いても逃げられないという極限の精神状態。
やるしかない。目の前の相手を一人殺せば自分も家族も助かるのだから。
「そんなの……ひどい」
ヴェルメは小さく体を震わせている。
彼女の足もとに移動すると、自分を落ち着かせるように体を優しく撫でた。
「いつ呼び出されるかは全て奴の気まぐれ。1日に2組以上呼ばれることもあれば、数日間は誰も呼び出されないこともある。……次は自分が呼ばれるのではと皆、怯えながら暮らしているのよ」
まるで生贄だ。いや、まるでではなく実際にそうなのだろう。
口にするだけで心をすり減らすような話だ。
女性はそこで一度言葉を切った。
しばらく間を置き、リーベは改めて尋ねた。
「……もしかして、あなた達も?」
「ええ。私には夫がいたの。呼び出されたのは夫……景品は私と娘だったわ。そして、相手は……王の近衛兵を務めていた方だった」
「えっ? じゃあ、まさか——」
「ええ。相手の景品は……グリューン王とその家族だったの」
「そんな——」
「夫は衛兵の一人だった。とても真面目で……私達、家族や町や王の為に働けることにいつもやりがいを感じていた。だけど天秤にかけられたのが自分の家族と……国王とその一族だと知った時、あの人はどう思ったのかしらね」
女性は俯きながら、かつての記憶を思い返している。
その表情は悲痛に満ちていた。
リーベが聞く前に質問の答えを女性は口にした。
「夫はその殺し合いをする前に死んだわ。自害をしたの。自分の胸に剣を突き刺してね」
「そんな……でも、それじゃあその勝負は中止になって?」
「いいえ。アシュティンに命を救われたって言ったでしょう? 夫が自害して興ざめしたらしいアンデルはそのまま私と娘を喰らうつもりだった。そこに割って入ったのがアシュティンだったの」
「お父さんの代わりに戦ってくれたの。私とお母さんを……助けるために」
それまで口をつぐんでいたロミーが会話に入る。
そこでようやく皆が理解した。
「国王を殺したって、そういう……」
話が大体見えてきた。
王側の代表と戦うはずだった男が“辞退”した。
そしてアシュティンがその代役になった。
結果、王側の代表を務めていた相手をアシュティンは打ち負かし、王とその家族はアンデルの餌食になったと。
「決着は一瞬だった。腕利きの近衛がまるで相手にならなかったわ。いくら勇者様の弟とはいえ、あれほどの腕があったなんて王ですら知らなかったみたい。……あの時のグリューン王の絶望に満ちた顔を私は一生忘れられないわ」
「……グリューン王は最後に何を思ったんでしょう」
「……あの方は民のことを考える優しい王だった。それでも最後は……どうかしら。彼を憎んだとは思いたくはないのだけどね」
女性は辛そうに口にする。
「みんな、ひどいんだ。アシュティンさんを裏切り者、王を殺した。兄弟そろって災いそのものだ! って——王様を殺したのは魔族なんだよ? アシュティンさんは私とおかあさんを助けてくれただけなのにっ」
「ロミー……」
「勇者様のことだってそうだよっ その弟っていうだけで蔑んで——あんなにみんなで期待して希望だって騒いでたくせに、あっさり手のひら返してさっ アシュティンさんも勇者様も……何も悪いことなんてしてないのにっ!」
ロミーは自分の憤りを吐露する。
感情が先走り、流れた涙を拭いている。
「……正直、私には他の人を責めることはできない。理不尽のせいで溜められていく絶望を他の何かに怒りとしてぶつけることしか考えられなくなる。……私も弱い者の立場としてその感情が理解できてしまう」
女性は娘の姿を見ながら自分の胸の内を言葉にしていく。
「それでも……それに倣うわけにはいかないの。私とこの子は……アシュティンに命を救われたんだから」
「アシュティン様……」
「ねえ、おねえさん。おねえさんのその目の色——魔法使いなんでしょ? その力で魔族をやっつけてはもらえない? お礼なら、できることならなんでもするからっ!」
「ロミー、無茶を言ってはダメよ……!」
ロミーの必死さを感じる。
だがリーベは正直に伝えた。
「ごめんね、ロミー。確かに魔法は使えるけど、魔族を倒せるような強い力は私には……」
「……そうだよね。無理を言って、ごめんなさい」
肩を落とすロミーの姿にチクりと胸が痛む。
だがリーベも本当はそんなことを言いたいはずがない。
落胆させることになっても適当なことを言わないのは彼女の誠実さ故か。
「二人——いえ、三人とも宿に困っているでしょう? 今晩はウチに泊まっていって。部屋が一つ空いているから、そこを使うといいわ」
話を切り上げ、素直にその好意に甘えることにした。
しかしその前に最後に一つ、リーベはある質問を女性に尋ねた。
「あの、この町の真ん中に塔が二つ建っていますよね? あれは……?」
「え? ああ……あれは国の強さを顕示する為のものよ。高い塔が多く建てられているほど、その意志の強さを示しているの。グリューン王はそういうことにあまり興味を持たれていなかったから最初は一本だけだったんだけど——」
ロミーがその後に続く。
「リヒト様が勇者と認められた記念としてもう一本が建てられたの。つまりただ自慢したくて作っただけ。特になんの機能もない塔だよ。ああいう塔が西のロート国にはいっぱい建てられてたらしいんだけどね。……それがどうかしたの?」
「ううん——どうもありがとう」
リーベはお礼を言い、そのまま部屋へと案内してもらった。
* * *
リーベ達の話が終わり、ひとまず休息をとることにした。
一つしかないベッドはリーベが使っている。
リーベはヴェルメに使うよう勧めていたが彼女はそれを断り、毛布にくるまって床に横になった。
彼女の頭は今、自分が体に乗せている。
「アシュティン様……」
ヴェルメは顔を毛皮に埋めながら話しだす。
「……優しい人なの。勇者様もだけど……負けないくらいアシュティン様も、優しい人」
ヴェルメはポツポツと語る。
アシュティンを知らない誰かに彼が悪い人間ではないと知ってほしい——そんな少女の願いが自分に向けられているようだった。
だから助けたい、と。
「ごめんね。これはきっと私とおねえちゃんの、わがまま。あなたを、巻きこんで……ごめんなさい。でも、どうか……手伝っ、て……ほし……」
ヴェルメはウトウトと、やがて静かに寝息を立て眠りについた。
そんなヴェルメの様子を見ながら思う。
……わがままで、いいんだよ。
あの人が君とリーベにとって大事な人なら、いっぱい手伝う。
自分にはできなかった。必死に吠えても、必死に走っても。
自分の大切な人を助けることはできなかった。
あんなにも悲しくて自分がバラバラになりそうな恐ろしさはなかった。
この子達には、そうなってほしくない。
だから守る……君達の心を、守らせて。
そして、この閉じられた檻の中で一時の眠りについた。
* * *
"っ!?"
突然、首に痛みを感じて飛び起きた。
自分だけではない。リーベもヴェルメも首を押さえながら起き上がっていた。
「お、おねえちゃん……!」
ヴェルメとリーベの首のアザがボウっと紫色の光を放っている。
どうやらここにいる全員が同じ状態らしかった。
「リ、リーベさん——っ」
「ロミー! おばさん——、っ!?」
ふらついた足取りで二人が部屋に入ってくる。
見ると二人のアザも同じように光っていた。
「これは一体——」
「アンデルからの……呼び出しよっ 王宮まで、来るようにと」
「呼び出し——これがっ?」
さっきの話では二組が呼ばれると言っていた。
つまり自分達と————
「……行くしかないっ 拒めば、この場で死ぬことになるわ……っ」
「……わかりました。一緒に行きましょう」
「おねえちゃん……」
「……ヴェルメ、それからあなたも。話したいことがあるの。向かいながら話すから」
リーベは静かに、これからすべき事を耳打ちした。
そして親子の案内で王宮へと向かう。
* * *
——城の中はすっかり荒れていた。
壁も床もあちこちがひび割れ、飾りつけられていたはずの鏡も花瓶も粉々になり、床に散らばっていた。
床に残された壊れた装飾類がかつて見せつけていたであろう華やかさを語っている。
玄関から階段を上り、長い回廊を進んだ先の扉を開けると玉座の間と呼ばれる部屋に着いた。
人間達の催しにも利用されていたらしいその部屋は広く、ひと際豪華な飾りつけがされている。
他の場所よりは比較的、破損が少ないが床のあちこちには血痕が見られる。
部屋の奥に置かれた玉座にはその椅子に不釣り合いな幼い少女が座っていた。
「あっ 来てくれたのね! いらっしゃい。あなた達が来るのを待ってたのよっ」
「こど、も……?」
黒いドレスに身を包んだ少女は見た目だけならヴェルメと同じくらいにも見える。
しかし側頭部に生えた二本の角。そしてこの異様な空間で楽しそうにはしゃぐ姿が普通の生物と違うことを示していた。
「はじめまして。私は災魔シャトゥン様に生み出された魔族アンデルっ 会えて嬉しいわ、外から来たお客様なんて初めてだもの!」
魔族の少女——アンデルは両手をいっぱいに広げて、その来訪を歓迎する。
意思の疎通は可能な相手と考えたのかヴェルメはアンデルに質問をする。
「どうして……どうしてこんなひどい事をするのっ?」
するとアンデルはきょとんとした顔でヴェルメを見る。
「どうして? どうしてって……もちろん楽しいからよ? 人間も楽しいかどうかを基準に行動するでしょ? それと同じよ。私は人間が大好きだから、そういう共通点があるのってとっても嬉しいのっ!」
「っ——」
無邪気な顔で答える相手にヴェルメは怖れる。
"ヴェルメ、下がって!"
アンデルに牙を剥き、威嚇をする。
「っ! 待って、ダメ!」
ヴェルメがあわてて体を押さえてくる。
だが自分も理解していた。今は攻撃できない。
こうして相手に敵意を向けているだけでも首のアザがざわざわと蠢いている気持ちの悪さを感じる。
もし実際に飛びかかろうものなら、その瞬間アザに喰い尽くされる確信があった。
「ねえ、あなた達——エストを知ってる?」
「……エスト?」
「私と同じ魔族よ。実は私達、魔王様が欲しがってるっていうペンダントを探すように言われてるの。でもこの国じゃ見つからなくてね? それでエストが近隣の小村も調べてみるって言って出かけていったんだけど……ずっと戻ってこないのよ」
——村で戦ったあの魔族のことだ。
話を聞いてすぐに思い当たった。
相手もリーベ達の表情を見て理解したらしく不気味に微笑んだ。
「やっぱり、あなた達が知ってたんだ。——ねえ、エストはどうしたの? もしかして殺したの? だとしたらどうやって殺したか聞かせてほしいわっ」
仲間が死んでも憤ることもない。まるで好奇心旺盛な子どものようだった。
「——キレイな目。魔法使いの目ね。その力でエストを殺したのかしら? まあ、それも確かめればいいわよね。ちょうど最後のお客様が来てくれたみたいだしっ」
それを聞いて全員が振り返ると入り口にはアシュティンが立っていた。
手には武器であろうか、何か長い得物を持っていた。
布で覆われているため、はっきりと確認はできない。
「っ、アシュティン様……!」
アシュティンはリーベ達を無視し、あの親子のもとへ歩く。
「ア、アシュティンさん……っ リーベさん達は、いい人で……っ でも……私と、おかあさんは……」
ロミーは涙を流しながら震えている。
アシュティンは安心させようと彼女を抱き寄せる。
「しばらく目ぇつぶってろ。嫌なものは見ないに限る……」
「アシュティン、あなた……」
「おばさん、ロミーを頼むよ。……なるべく早く終わらせる」
「これからやるルールはきっともう聞いてるわよね? そこの彼は多分、この国で一番強い人よ。エストを殺せるほどの力がある、あなた達に相応しい相手だと思うわっ」
アシュティンはこちらをまっすぐ睨む。
そこにはもう彼女らが語っていた優しい青年の姿はなかった。
「どんな恨み言も自由だ……全部俺にぶつけていってくれ。その代わり俺も……これからやることを後悔しないようにする」
「アシュティン様……」
「……ヴェルメ、いいわね?」
リーベの言葉にヴェルメは少し迷いながらもコクリと頷く。
「ごめんね。……どうか、ここをお願いっ」
リーベは最後に自分に言葉をかけた。
「アシュティン様! 聞いて——!」
ヴェルメはアシュティンに強く呼びかける。
「お願い! どうか、この子を——この子のことを信じてくださいっ!!」
「……は?」
そしてリーベと合図と同時にヴェルメと部屋の出口に向かって駈け出した。
「走って、ヴェルメ——!!」
二人はそのまま全力で部屋を飛び出していった。
「あー、どこ行くのーっ? これから楽しいものが見られるところなのにーっ」
アンデルはぷんぷんとむくれ顔をしながら怒っている。
「もうっ たまにいるのよね、怖がって逃げ出しちゃう人。どうせこの町からは逃げられないんだから意味ないのに。次からは観戦しないとダメっていうルールも付け加えようかしら」
そしてアンデルは物足りなそうにこちらを見る。
「それにしても、てっきり魔法使いの女の子が戦うと思ってたのにキタナイ獣が残るなんて。こんなのに勝負を預けて逃げるなんて滑稽で——」
アンデルが言葉を言い終わるより前に行動に移す。
「——あら?」
自分から発生する黒い霧が渦を巻き、黒い怪物へと姿を変えた。
「————ッ!!」
咆哮が広い空間に響き渡り、その場にいた者全員が驚愕する。
「————すごい。すごいすごいすごい! 何それ!? ホントにすごい!!」
ぽかんとしていたアンデルはすぐに目を輝かせ、喜びに興奮している。
「やっぱり……魔物じゃねえか」
アシュティンはこの姿をただ呆然と見ていた。
「……何がこの子を信じて、だ。魔物の何を信じろっていうんだ。こいつらがいるから全部がおかしくなったんだろっ 魔族が……魔王なんてものが現れるから誰もが苦しむんだろッ」
得物らしき物を握るアシュティンの手に力が込められていく。
「……うんざりだ。こんな奴らがいなければ——兄貴は帰ってきてくれたのにっ」
————ああ、
「もう……うんざりなんだよ、テメエらにはァ————ッ!!」
アシュティンは得物に巻かれた布を取る。
そして白い長槍を手に、構えた——怪物を殺す為に。
向かってくるアシュティンをただ真っ直ぐ見る。
——この人も泣いてる。
このままじゃダメだ。この人も、ヴェルメも、リーベも、町の人も。
誰もが苦しいままで全てが終わってしまう。
こんなに何一つ救いがないなんて————
絶対にイヤだ。
テツロウはお節介と言われることもあったくらい困っている人を助けてた。
でも、今はその気持ちがわかる。
周りにいる人が幸せな気持ちでいてくれなきゃダメだ。
だって、そうじゃなきゃ自分も幸せになれない——嬉しくなれない。
だから絶対に助ける。
あの親子を。アシュティンを。リーベを。ヴェルメを。
この人達を苦しめる全部を壊してやる。
それを愉快と嗤う魔族も——必ず後悔させてやる。




