影は焦がれる、その情動に
‟アシュティン……!”
シャトゥンの攻撃で意識を失ってしまったアシュティン。
ヴンダーはなんとか立ちあがろうと抗う。
しかし四肢に巻きついた影の帯と、背中に乗った小さな影石の破片がそれを許さない。
"くそ……!"
「さて、と。休憩がてら少し話をしようか、ヴンダー?」
軽く背伸びをしてから、シャトゥンはそんな提案を口にした。
今すぐ飛びかかりたい衝動に反してそれが出来ない。
シャトゥンもどうせ動けまいと高を括っている。
手足を縛る帯はもういい。
問題は背中に乗った破片だ。
これがヴンダーの自由を奪う絶対的な拘束具となっている。
‟この破片さえ、取り除ければ……!”
「ああ……本当、久しぶりに楽しいなぁ。災魔の中には殺しをわざわざ戦いに発展させるなんて馬鹿馬鹿しいと口にした奴もいたけど、失礼な話だよねぇ」
シャトゥンはヴンダーの頭を撫でながら、のんびりと語りだす。
「そもそも"命を賭けた奪い合い"を発展させたのは他でもない君達だ。人間も獣も虫も。そうやってありとあらゆる生命種が、これこそが我々だ! と世に示し続けてきたんじゃないか。そこに意を唱えるなんて、この世界に生まれた命として間違っているだろう?」
"な、にを……っ"
「そういった性質を持つ生物の中でも、とりわけ人間がボクは好きだ。だけどね……大きな括りで言えば、世界に在る全ての生命種を尊んでいるということでもあるんだよ」
ヴンダーの正面に立ち、笑いかける。
その笑みはヴンダーのこれまでの生で見てきた、どの笑顔よりも歪みきっていたが。
「だって生命はいつだって幸福をそうやって奪うことで掴み取る。そんな魅力を魔族に教えてくれたのは紛れもなく君達なんだぜ?」
そこに乗せられた言葉には確かに、生きている物に対しての崇敬が込められていた。
「どうか誇ってほしい——"命の先輩方"。お歴々が積み上げてきた生命の轍をボクらはちゃんと辿っているのだから」
"……ッ"
馬鹿げてる。
コイツの言ってることはまったく理解できないし、したくもない。
「——美しい目だ。赤い光を帯びた四つの目。魔法使いの目をくり抜いて蒐集する稀有な趣味の同胞がいてね。正直理解できない嗜好だと馬鹿にしていたけど……君くらい輝きのある目なら、彼女の気持ちも少しはわからなくもない」
クク、と愉快げに笑う魔性。
まるで愛しむかのようにヴンダーの肌を優しく撫でる。
「気づいてくれているかい、ヴンダー? 散々これまで人間の魅力を語ってきたけど、実のところ今僕が最も興味を惹かれているのは君なんだよ」
"……!?"
興味……? 何をいきなり——
「唐突だと思うかい? いや、そんなことはない。君があの村で僕の配下を殺した時から、僕はずっと君を見ていたんだから」
ずっと見ていた——確かに自分の手下を殺した相手に注意を払うのはおかしいことではない。
増してその相手が見覚えのない怪物であったなら尚更だろう。
でも何か……この男が言っているのはそういうことではない気がする。
「ねえ、ヴンダー。君——トマリと同じだね?」
"!? え——"
突然トマリの名前を出され、動揺してしまう。
どうして今トマリの名前を? それに彼と同じってどういう意味で……まさか、コイツーー
「全ての生き物には"魂"というエネルギーが宿っている。あらゆる生物の動力となる源だ。自分という個を象る根本。そんな概念を君は考えたことはあるかい、ヴンダー?」
タマシイ? 何の話をしてるんだ……?
「そんな力を持つ概念物を人間は誰も見ることはない。魔法使いさえ、それを知覚することはできないんだ。あくまで知識として認めているだけでね」
自分の中に宿っている物なのに不思議だよねぇ、と話を続ける。
「だけど魔族はその魂をハッキリした形として視認できるし干渉だってできる。ほら、なにせ食べてるくらいだからさ」
クク、と魔性が笑っている。
「特に僕の場合は魂一つ一つの質を見て、知ることが好きでね。だからかな……わかるんだ。君とトマリの中に在る魂の質は他の何者とも異なり、そして君と彼の二つだけに共通する解があるのだと」
……そんなことを言われてもわからない。
そもそもトマリとは会ったこともないのだ。
それを魂が同じだの、ざっくりしたことを言われたところでピンと来るわけもない。
「トマリは実に興味深い男だった。魔法とは違う異能を操ることもそうだけど、決意を持って僕らに立ち向かう勇者と共にありながら、彼の振る舞いは怯えた人間そのものでね。丸わかりなくらい逃げたくて仕方ないはずだったのに、それでも魔から人を救うという目的を決して諦めなかった」
影の災魔はトマリという人間に対しての己の主観を語る。
「勇気を振り絞っていると言えば聞こえはいいかもしれないけど、その姿はまるで——何かに促される傀儡のようでもあったよ」
……傀儡。操り人形。
コイツは自分とトマリの出どころを知っているというわけではない。
つまりは魔族の感覚的な部分で気になったという話に過ぎないのだろう。
とはいえ、この男の言葉は自分やトマリの経緯を自然と連想してしまう。
……まったく。
こんな時まであの女のことを思い出させないでほしい。
「君と彼は同胞なのか? それとも、ただやって来た場所が同じなのか? わからないけど——とにかく。きっと君達二人の間にしかない、何か特別な繋がりがあるんだろう。その特異性の正体を言い表せないのが少しだけ口惜しくはあるけどね」
赤い四つ目の殺意を心地良さそうに漆黒の瞳が見つめ返す。
「トマリとはもっと色々な話をしたかったけど、それは叶わなかった。でも残念でならないと悔やんでいたところに現れてくれたのが君なのさ、ヴンダー。それも人間ではなく獣の——いいや、人間でないからこそ君という存在に惹かれたと言えるだろうっ」
語るにつれ高揚している様子が伝わってくる。
"……どうして——"
そこまで自分のことを? とヴンダーは考える。
トマリと自分に似たものを感じたから?
……いや、違う。
コイツは別にトマリやヴンダーという存在の正体を知りたがっているわけじゃない。
興味の一つではあるのかもしれないが、"似ている"ことはコイツにとって、あくまで副産物のようなものだろう。
なら怪物に変身できるこの力か? いや、そんなことはないだろう。
そもそも魔法や呪いだのが存在するような世界で、この力がそこまで特別視されるものだとは思えない。
何より自分の力はこの男に届いていない。
アシュティンと二人がかりで向かっても倒せなかった——それどころかコイツはまだ遊ぶ余裕さえあるようだった。
自分がこの力でどれだけ爪と牙を向けようと、この男は何の脅威にも感じていないのだ。
一体コイツにとってどんな価値があるって言うんだ。
せいぜいちょっと珍しいってだけだろうに。
「僕にとって君は価値があるよ、ヴンダー。何故なら君は人間と同一の意志のもとで動いているから」
……同じ意志?
「言葉が交わせなくても今日までの観察でよくわかる——君には強い意志がある、ヴンダー。それは飼い慣らされて洗脳されたつくられたものなんかじゃない。君という個体が生み、選び出した思考。完全な一個の自我だ」
シャトゥンは相手を尊ぶように語り続ける。
「自分の安全や利益を顧みない行為をする生物は、僕の知る限り人間だけだ。だからトマリはまだ理解できるんだ。彼は人間だからね。強弱はあれど、その行動原理は僕が見てきた他の人間の実例に当て嵌められる。でも君は——君までが"そう"であるのは何故なんだろう」
ヴンダーが人に寄り添う理由。
「人間を助ける。人間を守る為に魔族と戦う。それは動物の生存サイクルから逸脱した行いですらある。にも関わらず人あらざる君が何故そんな思考をするに至ったのか? 僕はそこにとても興味があるんだよ」
教えてくれないか、ヴンダー。と、魔性が問いを投げる。
何故、人間の側に立つのか?
人でないその身が人と同じ立場と目線で。
従属する必要のないその意志が己を削ってまで。
一体いかなる理由で人間を守るという選択をしたのか?
その道を決定づけた過程をこの魔族は問うている。
——そんなの決まってる。
だって人間は……安心をくれるから。
人間は……安心を欲しがるから。
ヴンダーはあの冬の公園を思い出す。
自分を見つけてくれたシワだらけの人間。
その大きな腕から感じた温もりを。
そして自分を暗く狭い箱に入れ、離れていってしまったあの小さな手の温もりのことも。
『ごめんね……ひどいことして……勝手でごめんねっ——……』
……あの子はなんて名前で呼んでくれてたっけ。
「フフ……」
歪んだ笑みを向ける男を睨みつける。
「迷いのない、鋭い目だ。君にとっては思案するまでもなく、僕の言葉は愚問ということか」
——当たり前だ。
どうしてそんな質問をするのか、この男の意図なんてわからない。
でも人間の——ヴェルメ達の味方をするのに迷うことがあるものか。
「ゴルルゥッ、……ッ!!」
ヴンダーは再度、全身に力を込めた。
上からかかる圧を押し返すために、潰れた体をどうにか持ち上げようと抵抗する。
「ははっ まだまだ元気が余ってるみたいで大変結構。けど、強引に動こうとするのはやめたほうがいい」
まるで諌めるような口調で水を差す。
「尻尾の先まで動かせやしないだろ? 感覚的には押し潰されそうなんだろうけどね。君が動けないのは重さのせいじゃない。固定されているから動けないんだ」
"……!?"
ヴンダーの背に乗せた小さな石を指差しながらそう答える。
「つまり破片の影に君自身がくっついている状態だ。だから動けない——もしこの破片を指で弾いたら君の身体も一緒に転がっていくだろう。縛るだけじゃ君は止められないとわかったからね。それならと接着をしてみることにした」
重い感覚は副次的なもので、あまり意味はないと言う。
嘘ではないのだろう。騙す理由もない。
実際、全身の筋力を立ち上がることに向けるが体はわずかも浮かせることができない。
にも関わらず、かかる圧は強まることもなくずっと一定のままだ。
体が石片の影に接着されている——そんな原理なんて考えるのも馬鹿馬鹿しい現象が自分の身に降りかかっているというのも納得せざるを得なかった。
「いや、しかしそうか……君にとって人間はそこまでの価値を持つものなのか。——うん。やっぱり君は面白いよ、ヴンダーっ 君という生命体に出会えたのは僕にとってまさに僥倖と言える!」
何が嬉しいのかシャトゥンは興奮した様子で声を張り上げる。
……どうすればいい。このままじゃ——
みんな死んでしまう。リーベが助けられない。
ここで倒れてしまったら、あの時と同じだ。
何もできずに、目の前で何もかも失くして——
……イヤだ。それは……それだけは……っ
「さて、どうしようか——まだまだ君への興味は尽きない。このまま話を続けたいところだけど……邪魔を気にせず語り合うには君の仲間の存在はちょっと大きすぎるかな」
"……!!"
そう口にするとシャトゥンは気絶して倒れたままのアシュティンに目を向けた。
その影から現れた剣が空中に浮き上がり、刃先を主人の目線と同じ方向へと変えて静止する。
"アシュティン! 起きて、アシュティン——っ!"
足を千切ってでも動くという気概も極小の影による固着からは逃げられない。
せめて声をと必死に吼えるが、彼の意識が戻る様子はない。
「彼のことも気に入っているから、惜しくはあるけど……ね」
魔の笑んだ口もとが更に歪んでいく。
"ヤメ……ロ……ッ!"
その笑みを合図に黒い凶器が無防備な身体へと狙いを定め——
"っ!?"
——瞬間。
ギィンと固い金属が弾かれたような鋭い音が鳴った。
同時にアシュティンを貫こうとしていた黒い剣が、かき消える。
これは——
何が起きたのかはすぐに理解できた。
見るとシャトゥンの影武器とは別に空中に浮かんでいる物体がある。
"あれはシュテルの……!"
ふよふよと浮かぶ二つの玉石。
それらから放たれた星の光弾がシャトゥンの得物を撃ち落としたのだ。
「ヴンダーっ!」
名前を呼んだ方向——この謁見の間と直繋ぎになっている大広間の真ん中に銀髪の少女が立っていた。
"シュテル……!"
「おやおや、今までどこにいたんだい? ずいぶんと遅い到着だったじゃないか」
シュテルは敵の挑発には応えない。
そんなゆとりはまったくない。
今の目的は仲間の救出。
その為に全神経を魔力の操作に集中させる。
「フフ……」
浮遊する二つの玉石にシュテルの魔力が注がれ、発光を始めた。
敵を撃ち抜き、滅ぼす為の光の矢弾が装填される。
——無理だ。シュテルだけじゃシャトゥンの相手にならない。
コイツは異常だ——
彼女を低く見ているわけではない。
グレンツェの森では彼女の力もあって魔族を撃退できたのだ。
それでも——
‟ダメだ、シュテル……!”
コイツはこれまでの敵と違いすぎる。
このまま向かっても殺されてしまう……!
しかし言われずともシュテルはわかっている。
力の差は明らか。
それを考慮して尚、一人で挑むような無謀さも勇敢さも彼女は持ち合わせない。
だから彼女が今することは——
玉石から魔法が放たれる。
二つの光弾がシャトゥンを狙って真っすぐ飛んでいく。
「ハハ——ッ」
シャトゥンは影の剣を使い、容易くソレを弾いた。
「破壊に特化したシンプルな攻撃魔法だね。中々の威力だけど……」
手を軽く揺らし、こんな程度じゃ物足りないとアピールをする。
「さて、次はどうするんだい? 魔法使いならではの奇策を僕に見せ——」
新しい標的の出現に喜んでいるシャトゥンの背後でパキ! と音が鳴った。
「——」
それに気づき、後ろを振り向く。
そこには立ち上がったヴンダーが今まさに飛びかかろうと構えている。
——目に。体の動きにわずかな動揺が見える。
動きを封じたはずの獣がなぜ動けているのかと考えているんだろう。
背中に置いてやった呪縛がどうして壊されたのかと。
シュテルの仕業と気づくことはできても、その方法まではわからない。奴が彼女の攻撃手段と思いこんでいる玉石は目の前で浮かんだままなのだから。
シュテルが操る魔法の仕組みの把握に努めているのだろうが、その間に叩き潰して——
「アシュティンを拾って——っ!」
”っ——!”
シャトゥンに飛びかかろうとしていたヴンダーは、有無を言わさないシュテルの声にすぐさま動きを変えた。
倒れているアシュティンに近づくと、彼の体を咥えてそのままシュテルの位置まで一気に駆けた。
「フ——」
シャトゥンの影が波打ち、またも武器が出現する。
数は9本。
逃げようとする獲物を狙い撃つべく黒い凶器が配置につく。
"……!"
——まずい。アレはアシュティンとシュテルのことも狙っている。
自分が守らなくては——だけど、庇いきれるかっ?
ヴンダーが二人を守ろうと前に立つが、シュテルの鋭い叱責がその行動を制止した。
「違うっ! ヴンダーは私の後ろ! あいつが倒れたらここから逃げるよ!」
"!? ——"
逃げる? いや、それよりアイツが倒れるって——
その答えを示すようにギィンと一際甲高い音が鳴る。
それと同時にシャトゥンがその場で膝をついた。
「!?、っ……!」
ずっと愉快と笑んでいた男が初めて見せる驚愕の表情。
シャトゥンが床に崩れたのはシュテルの放った魔法が彼の片足を吹き飛ばしたからだった。
しかし足を撃たれたこと自体はたいした問題ではない。
不可解であったのは足を奪った光弾の魔法があの銀髪の魔法使いが操る玉石からではなく。
まさに今、己自身が作り出した影武器から放たれたという事実からだった。
「今! ヴンダー、脱出——っ!」
ヴンダーはシュテルを背中に乗せ、広間の出口を破って外へ飛び出していった。
* *
辺りが一瞬で静寂に包まれる。
シャトゥンはその場から動かず、失った足を愛しむように撫でている。
「僕が具象した影武器を自分の魔法の発射口に変えた? ……ははっ、すごいな——」
足下の影が伸び、失った部位の形を象る。
欠損した足は何事もなかったように元に戻った。
——驚かされた。魔法使いは足元をすくうような油断のできない戦い方をするという印象があったから、一応警戒してはいたが……
「あえて頭を狙わなかったあたりも冷静だ。足止めをしたいなら足を壊すのが一番だからねぇ、あっはは」
シャトゥンはゆっくり立ち上がるとヴンダー達が逃げていった正面玄関をただ眺める。
追う必要はない。ただここで待っていてあげればいい。
どうせ彼らはすぐに戻ってくる。
いや、戻ってこざるを得ないのだから。
「でも、なるべく早く戻ってきてくれよ? せっかくの熱をあまり冷ましたくはないし……なにより彼女も時間がないだろうからね」
彼らは自分を飽きさせない。
その絶対的な信頼を持って、影の災魔は来客の束の間の退出を見送った。




