エピローグ:兄と弟
昔、カイルとアリアが仲良くなった頃のこと。
いつものように二人でいると、そこにカイルの兄がやって来た時があった。
「カイル、その子は友達かい? 僕にも紹介してくれないかな」
「断る」
「これは、フィン様。この度、拝謁の栄を…」
「ああ、簡単にでいいよ。ここは公式の場ではないからね」
すぐに立ち上がり、頭を下げたアリアを兄が止めた。
「では、……コホン、お初にお目にかかります。私はクラリス家の長女、アリアと申します。カイル様のお友達をやらせてもらっています」
カイルにした挨拶とは随分と違う。
もっと言うと、初めから敬語ですらなかった。彼女の口からこんなに丁寧な言葉を初めて聞いた。
「おい、話し方変わりすぎだろ」
「ご丁寧にありがとう。知っての通り、そこのカイルの兄、フィンだ。よろしく」
「何しにきたんだよ?」
「カイルが最近楽しそうにしているから、家族としてその功労者に挨拶をするべきだと思ってね」
「楽しそうになんてしていない。俺は前からこんなんだ」
「だって。どう思うアリアちゃん。うちの頑固な弟の相手は疲れるだろう?」
「はい、毎日骨が折れます」
「お前のわがままに付き合ってやってるのはこっちだ」
「ははっ、どうやら二人は僕が思っているよりも仲が良いようだ。僕はお邪魔だったかな?」
「やっと理解できたか。わかったなら、さっさとどっかへ行け」
「そんなことないですよ。フィン様のお時間が許すのであれば、私は大歓迎です」
「カイルの友達にそこまで言われたら仕方ないな。よし、椅子を持って来させよう」
「ちっ」
アリアの余計な一言のせいで、三人で話す流れになった。
いつもは何もない庭の隅にテーブルと椅子が運び込まれた。
「アリアちゃんは今のこの国をどう思う? このままでいいと思うかい?」
「それは、どうでしょうか……」
「おい、困ってんぞ。俺たちの前で国の、王家の悪口など言えるはずないだろう」
「大丈夫だよ、アリアちゃん。全部カイルが言ったことにするから」
「であれば、そうですね、色々と問題はあると思います」
兄の言葉を聞いて、アリアはすぐに語り出した。息の合う二人だな。
アリアとしてはどこかの誰かが言っていたことを、自分の意見を交えて、次期王様に伝えただけである。
「また、孤児院なども、足りていないように思います」
「すごいね。そこまで見えてるんだ」
「友人が優秀なもので、話についていくために勉強しました」
「その友人はこの国のことをとてもよく考えてくれているんだね。今度、その友人にも会ってみたいものだな? カイル?」
「そうだな。俺にも紹介してくれ」
そんな奴がいるのか。もし兄がいなくなるようなことがあれば、俺ではなく、代わりにそいつを王にしよう。
「貴重な意見をありがとう。大いに参考にさせてもらうよ。また意見を聞かせてくれるかい?」
「もちろんです。その友人とも、より一層議論を深めておきます」
「助かるよ。……二人ともよく見ていてくれ。僕がこの国をもっと豊かにしてみせるから。君たち二人が安心して、いつまでもここで仲良く過ごしているのを僕も見たいからね」
「それは、光栄なことです」
「はいはい。精々身を粉にして働くんだな」
テーブルの下でアリアに蹴られた。彼女を睨むと、ニコニコした笑顔を返された。
「さて、僕はもう行くとしよう。ここだけの話、実は勉強から逃げ出して来ていて、そろそろ戻らないと怖い先生に怒られそうなんだ。僕だって、たまにはサボりたくなる時があってもいいだろう?」
とはいえ、結局、この兄は国のことについて話していた。
勉強から逃げてきてやることがこれかと、カイルは呆れた。
「それは朗報だ。お前の先生にはサボってたって俺から言っといてやる」
「それは困るな。アリアちゃん、弟を止めといてくれるかい?」
「お任せください」
「ちっ。何でお前は兄貴の味方なんだよ」
その場にフィンの笑い声が響いた。
突発で開かれた三人でのお茶会は、これにて幕を閉じた。
そして、それが最初で最後になった。
そんな昔のことを思い出しながら、カイルが訪れた場所は、兄の墓があるところだ。
その墓の前には、先客がいた。
もう見慣れた存在のアイボだ。
「やあカイル君。ここにはよく来るのかい?」
「いや? 兄貴が死んでから初めてだな」
「もっと来てあげなよ。フィン君がかわいそうだよ。それにしても今日はどうしてここに来たんだい?」
「兄貴にお礼を言おうと思ってな」
「お礼? 死んだ彼が何かしてくれたのかい?」
「アイボ、もういいだろ?」
「………もういいって?」
「お前がバカ兄貴だってことがバレバレだって言ってるんだ」
カイルが鋭く指摘してやると、綿毛姿のアイボは動揺するように僅かに揺れた。
「………いつから気づいていたんだい?」
「最初からだ。バカ丸出しだったからな」
「それはさすがに嘘だよね?」
「本当だ。そうじゃなかったら、何で俺が訳の分からないやつの言う通りに行動しなければならない? 兄貴だったからだ。夢半ばで死んで可哀想だったからな」
フィンには、この国を豊かにしたいという夢があった。
「ははっ。なんだバレていたのか。じゃあ最後くらい僕に戻ろうかな」
アイボ、いや、フィンはカイルの見慣れた兄の姿になった。
カイルの兄とは思えない、優しそうな顔をしている。瞳の色は、カイルとは違い、母譲りの薄い青色。
「手を出せ」
「何? 言ったと思うけど触れないよ」
「気持ちだ。形から入るのは効果があるんだろ?」
「そう言われたら仕方ないな」
カイルとフィンは握手をする格好になった。
「ありがとう。アリアが助かったのは兄貴の助言のおかげだ」
カイルはフィンを真っ直ぐに見た。
「お安い御用だ。助けになって良かったよ。それに、ほとんどカイルの力だよ」
フィンはそんな弟を見て、相好を崩した。
「望むものも多分手に入ったように思う」
「僕は父上と母上、そしてアリアちゃんと話せって言っただけだけどね。しかもそれも、僕が死ぬ前からカイルに言ってたことだよ」
フィンの言うように、カイルはよく兄から両親と婚約者と話せと口酸っぱく言われていた。
「ああ、そういうところだぞ。そこもボロが出ていた。本当に正体を隠す気があったのか?」
「うるさいな。どうせ気づかれていたんだからもういいじゃないか」
「それは結果論だ」
「……ふ、ははっ。そうだね。その通りだ」
突然フィンは腹を抱えて笑った。
「何がおかしいんだ」
「いや、弟とのこういうやり取りが懐かしくてね」
「俺は全然懐かしくない。それで? お前はいつ消えるんだ?」
「血も涙もない質問だね。もう少し兄とのお別れを惜しんでくれてもいいんだよ?」
「悲しすぎて涙も出ない。で、どうなんだ?」
「そろそろだよ。心配ごとはなくなったからね」
「そうか」
「………」
「………」
二人の間に沈黙が流れた。
カイルにとって、その沈黙は穏やかに過ぎ去る時間ではなかった。
何か大事なものが急速にすり減っているような感覚に襲われた。寂しさや悲しみ、そして大きな焦りが荒波のように押し寄せ、感情が持っていかれる。
兄貴と話せるのは、今しかない。
分かっていても、言葉が出てこない。
そのどうにもならないやるせなさに、カイルは何故か泣きそうになった。
もっと話すことが、話さないといけないことがあるはずなのに、言葉がまとまらない。
そんなカイルに助け舟を出すのは、いつだってカイルのことが、そしてカイルが好きな人である。
「カイル」
「なんだ?」
「たまにはサボったっていい。怒られたら、僕を盾にすることを許そう。一度だけね」
「全部兄貴のせいにしてやるよ」
「健康には気をつけて、無理はしないように」
「俺が無理をするわけがないだろ」
「父上は厳しいけれど、ちゃんとカイルのことを思っているよ。何かあれば相談するといい」
「そうなのか」
「母上はカイルのことを一番心配していて、一番愛していると思う」
「それは知ってる」
「アリアちゃんと仲良くするんだよ?」
「ああ、わかってる」
「………」
「………」
「本当は話したいことがもっとたくさんあったはずなんだけどね。まあ、思いついたらまた言いに来ようかな」
「………もう来るな。俺たちのことは気にせず、向こうで楽に生きてくれ」
「そうしたいところだけどね。……兄貴はいつも、不出来な弟のことが心配なんだ」
フィンは、カイルを見ながら、困ったように笑った。
俺のことが、心配?
瞬間、湧き上がる情動が抑えられない。
「だったら!」
カイルは声を荒らげた。
こんなにも大きな声も出したのは初めてかもしれない。
そんな彼の両目からは大粒の涙が流れていた。
ふざけるな。なんで今になって。
「だったら! 死ぬようなヘマしてんなよ! バカ兄貴!」
おかげで、寂しくなってしまったではないか。
そんなカイルにフィンは驚いたようだった。
「あのカイルが、僕のために泣いてくれるのかい?」
「ああそうだ。この涙はお前のせいだ。最悪だ。返してくれ」
「いや、それは僕のものだ。僕がもらっていく。それに、言い伝えでは泣いてくれた人数分だけ、あの世で幸せになれるらしいからね」
「だまれ。親の分まで奪っていきやがって」
「はは。……それは、本当に、僕もそう思うよ」
そして、今度は力なく笑う。
フィンの声が初めて陰った。
それもそうだろう。
死にたくなかったはずだ。やりたいことがあったはずだ。国を豊かにしたいという夢があったはずだ。
「重荷を背負わせてしまったね。すまない、カイル」
兄は頭を下げた。
「だまれ」
違う。
勘違いしている。
カイルは間違いなくずっと兄に怒っている。恨んですらいる。
しかしそれはカイルを置いて先に逝ったことに対してだ。
決して、兄が死んだせいで、王になる羽目になったと怒っている訳ではない。
そんなことはもういいのだ。
生きていて欲しかった。それだけなのだ。
たったそれだけのことが、カイルは言えない。
言えないのだ。
素直になれない憐れな王子は。
彼は、兄みたいにはなれないのだ。
しかし。
ああそうだ。
そうだった。
これだけは言っておかないといけない。
「兄貴が心配して出てこなくても、別に俺はそれなりにちゃんと王をやるつもりだった」
「知ってるよ。でも言っただろう? 僕はカイルが心配だと。国のことは関係ない」
「………俺のことなんかより、兄貴にはこの国を良くしたいという大望があったはずだ」
「そうだね。でも、こんななりじゃ難しそうでね。それは君に譲るよ。それなりにやってくれるんだろう?」
「ああそうだ。元からそのつもりだった。でも今は違う」
「違う? 自由に生きたくなったのかい?」
「逆だ。俺はこの国をもっと良くしたいと思うようになった。天才である俺のやる気を出させたんだ。その功績はでかいぞ?」
『二人ともよく見ていてくれ。僕がこの国をもっと豊かにしてみせるから』
兄は過去、カイルとアリアの前でそう宣言していた。そのために努力を重ねていたのだ。
「俺がこの国を世界一豊かな国にしてやろう。その最大の立役者になったことを誇れ」
その夢は道半ばで途絶えてしまったけれど、その道はカイルが繋いでいく。
カイルの言葉の意味を理解した兄は、その顔をぐしゃっと崩した。
カイルは兄の涙を初めて見た。
その顔が徐々に徐々にぼやけていく。
「なんだよ、それは。嬉しいこと言ってくれるじゃないか。僕は、僕はこの国のためになれたのかい?」
「ああそうだ。兄貴のおかげで俺はやる気を出し、アリアが生きて、二人で協力してこの国は世界一の国になるんだ。だから、誇れ」
それは、素直に自分の気持ちを表せないカイルが、兄に送る精一杯の餞。
「………ずっと、本当はずっと無念だと思っていたんだ」
「………心残りはなくなったか?」
「うん、そうだね。そうだと思う。でも欲を言っていいのなら、カイルが作る素晴らしい国を見てみたかった」
「見なくてもわかるだろう? 兄貴が想像する最高の国を思い浮かべてみろ。それが俺が作る素晴らしい国の姿だ」
兄は目を閉じた。
本来、何も映すことのないその瞼には、豊かに栄えた未来のココビア王国の栄光が広がっていた。
太陽の光を反射させて白く輝く石畳の通りには、色鮮やかな店が建ち並び、そこには人々の活気が満ち溢れている。
そこを吹き抜ける風は美味しそうなパンの香りと、子供たちの楽しそうな笑い声を高らかに運んでいる。
他国からの使者も絶えず行き交い、広場では音楽隊の演奏が聞こえてくる。
それは世界の中心とも呼べる際限のない繁栄だった。
その国の王は民の人気者だ。持ち上げ、崇める民衆を見て、鬱陶しそうにため息をつくカイルに、アリアが文句を言っている。
そして、いつも王妃に怒られている王を見て、みんなが笑うのだ。
それは、弟が約束してくれたフィンの理想の景色。
「見えたか?」
「お陰様でね」
「そうか。じゃあ今すぐ帰れ」
「そうだね。そうさせてもらうよ。お別れの挨拶は何がいいかな?」
「今更だ。何でもいいだろ」
「じゃあこういうのはどうかな」
そう言って、フィンはカイルに笑いかけた。そういえばあの日も、兄は同じような顔をしていた。
「ちょっと留守にするから、その間頼んだよ」
「………ああ、任せろ」
兄から国を託された弟は、面倒そうに短く応えた。
カイルが戻ろうと振り返ると、側近のマルクが涙を流していた。
もしかしたら、彼には兄の姿が見えていたのだろうか。
「バカ兄貴がどんな国を想像したのか知らないが、それに近づけるために忙しくなりそうだ。ついて来れるか?」
「もちろんでございます」
マルクは胸を張り、カイルの後を追いかけた。
そんな彼の服は、珍しいことに、少しだけ乱れていた。
「わがまま姫と天才王子」これにて完結です!
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
いやー短かったですね笑
無駄を省いて突っ走った結果こうなりました。もう少し寄り道をしても良かったかもしれません。
当初はカイルとアリア中心の物語にしようと思っていたのですが、思いのほか兄の存在が大きくなってしまった最後でした。
まあこれはこれで良かったのかなと。
今のところ、続編のようなものは考えていません。
気が向いたら、後日談としてカイルとアリアの日常的なものを書くかもしれませんが、気が向いたらです。はい。
その時はまた覗いてやって下さい。
初投稿で至らない点も多々あったかと思いますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
感想いただけたら嬉しいです〜!




