9. わがまま姫と天才王子
「天才と謳われる王子が、王になった」
その知らせは瞬く間に国中を巡った。
人々はその若き新王を一目見ようと、演説があるという王城に詰めかけた。
彼がバルコニーから発した言葉は、決して長いものではなかったが、力強さと誠実な響きが民の心を打った。
「このココビア王国に際限のない繁栄を」
そう締めくくられた後、割れんばかりの歓声が上がり、人々は明るい未来を想像し、その熱狂に酔いしれた。
しかしそれ以降、若き新王カイルは、民衆の前に一切姿を見せなかった。
その後開かれた新しい王の誕生に即したお祭りや、イベントにも顔を出さず、予定していた視察も代理の者が務めた。
「無理もない。いくら天才だと言えど、あれだけ若いのだから、慣れないことばかりで大変なんだろう。俺たちができるのは優しく見守るくらいなものさ」
人々は重責と、慣れない業務で四苦八苦している若き王の姿を想像し、彼を思い、王城の方を見た。
しかし、彼らは知らない。
そこには、とうの昔に王の姿がないことを。
時は戻り、アリアの病気を知った直後のことである。カイルはその足で、ある場所を目指した。
見慣れた大きな門を通り、少し歩いて建物の中に入った。大きな広間の脇に備え付けられた階段を登り、三階。
カイルの顔は険しく、どこか疲れたような雰囲気を放っている。けれど、何かに追われるように、急ぎ足だった。
家族で食事をした食堂を抜けて、さらに奥。この廊下の一番奥の部屋の扉を、ノックもなしに開け放つ。
その部屋は、いわゆる執務室だった。そこにある書類の山が、部屋にいる人間の多忙さを物語っている。
そしてそこに、この国の王がいた。カイルの父、ロデスである。
ロデスは、突然カイルが訪ねてきたことに、驚くことはなかった。まるで、ここにカイルが来ることを知っていたかのような落ち着きぶりだ。
仕事中だった父は手をとめて、カイルを見た。いつものようにその表情からは何も読み取れない。
「アリアの病気のことを聞きました」
挨拶も、前置きもなく、カイルは事実だけを告げた。
「そうか」
「私に言って欲しかったです」
「クラリスのお嬢さんが、お前に伝わらないことを望んだ。迷惑になりたくないと」
迷惑になりたくない。
もっともらしく、まるで理に適ったような言い分だ。
それを言われてしまっては、父のような第三者は従う他ない。
しかし、それが本当にカイルにとって迷惑かどうかは別問題である。
言ったではないか。本当に迷惑だったら、遠慮せずに言うと。
「恨むなら、恨んでくれて構わん」
父は言い訳をするつもりはないらしい。責められて当然だと、そう思っているのかもしれない。
「………言って欲しかったです。ただ、言わないでいたことを責めるつもりもありません」
「………」
隠されて、自分だけ蚊帳の外で、恨めしく思う。
しかし、アリアの気持ちを尊重してくれる父で、両親で、嬉しくも思う。
そんな複雑な思いを抱いたカイルは、二人を責められない。
だからこの件は。胸の中に燻った恨めしい感情は、この会話をもって水に流そうではないか。
それに、カイルがここに来た本題は、もっと別のところにある。
「これから、治療法を探します」
断言した。カイルは決して、父に許可を取りに来たわけではない。そう決めたと、事後報告をしに来たのだ。
国のために生きよ。個に情けをかけるな。気を緩めるな。
王である父から、繰り返されてきた教えがあった。
治療法を探すということは、その教えに背くと宣言しているのと同義である。
個に情けをかけて、決して国のためにならないことをやると、カイルは王の前で言い放ったのだ。
「王城の医師も、書庫も、予算も人も、使えるものは全て使います。足りなければ、どんな手段を使ってもかき集めます。ですが、十日後に予定されている私の即位と、すでに周知されている演説はしっかりやります。しかし、王になった後も、しばらくは政務も後回しにさせていただきます」
一国の王たる者が、たった一人の娘の命のために国を揺るがすなど、許されるはずがない。
特に、厳格な父のことだ。馬鹿なことを言うなと、一蹴されるはずだ。
だから、こう付け加える。
「文句があるなら、」
「使え」
遮るように、父が言った。
王にはなりません。と続けるつもりだった。
「は?」
「全部使っていい」
父の予想外の言葉に、カイルは動揺が隠せなかった。
「………国のために生きよ、ではないのですか」
皮肉ではない。思ったことがそのまま口に出た。
瞬間、父はほんのわずかに口を引き結んで、目を伏せた。
「フィンの時、わしは間違えた」
兄の名前が出て、息が詰まった。
「あれが死んだと聞いて、わしが真っ先に考えたのは、悲しみよりも、次の王のことだった。今度はお前が何かあった時に備えて、わしの弟の子を養子に取る話を進めたのも、そのすぐ後だった。………国のためだと、自分に言い聞かせてな」
父の弟の子を、やけに早く養子に迎えた。その違和感の正体が、今になってわかった。
「そのせいで、フィンの葬儀も遅れた。悲しんでやれる時間も少なかった」
最期まで国のために生きた兄は、国のために蔑ろにされた。
「あれには、申し訳ないことをした」
あの父が、息子の死を悲しんでやれなかったと、絞り出すように後悔を口にした。
もしかしたら父は、兄が死んでからずっと、自らの過去の行いを気に病んでいたのかもしれない。
『国のために生きた兄は、死にました』
そして少し前に、久しぶりに食事の場で顔を合わせた際、カイルの口から出た父を責めるこの言葉が、決定打になったのだろう。
良くも悪くも、父の考えを変えたのだろう。
「お前まで、同じ後悔をすることはない。守りたいものがあるのなら、守れ。それで国が傾くというなら、傾けばいい。傾かんように、しばらくはわしも支えてやる」
国が傾けばいいなどという言葉を、父の口から聞ける日が来るとは思わなかった。
本気でそう思っているわけではないだろうが、カイルのために背中を押してくれたことが伝わった。
そして、カイルが王に即位した後も、父はしばらく手伝ってくれると言う。
「ありがとうございます」
「よい」
父は再びペンを取って、仕事の続きをやり始めた。話は終わり、ということだろう。
背を向け、部屋を出ようとして、カイルは足を止めた。
「………一つだけいいですか?」
「なんだ」
「私は、父上は間違っていなかったと思いますよ」
カイルは、国のために生きよという言葉が嫌いだった。そして、口を開けばそう言う父が苦手だった。
しかし、王としてのその生き方が、好き嫌いは別にして、間違っていたとは決して思わない。
父に、後悔を抱えた失意のままに、王座を退いて欲しくなどない。
「それに兄上なら、父上らしいと、笑って許してくれると思いますよ。私だってそう思うのですから、間違いはないでしょう」
兄のその姿が、カイルには容易に想像できる。
「………行け。時間が惜しいのだろう」
「はい」
その声が、いつもより掠れて聞こえたのは、きっと気のせいではなかった。
そして今、クラリス家の大広間にカイルがいた。
民の前で演説をした翌日である。
そこは、人の出入りが激しく、少し前まで寂れていたのが嘘のようだった。そしてその中には、高名な医師や研究員が含まれていた。
「陛下、魔法を医学に関連づけたものはありますか?」
「『融合論』に書いてある。あとこれもだ」
カイルは『魔法医学』と書かれた本を手渡した。
こんな本はこの国で見たことがなかったが、クラリスの当主レオナルドが集めたものらしい。
そういう医学に関する本が、この屋敷に数千と集められていて、それならばと、王城ではなくここで研究することになったのだ。
それに、何かあった時にアリアのところにすぐに駆けつけることもできる。
集められた人間の中には異国の者も混ざっていて、これはレオナルドの努力の賜物であったが、財政難になるわけである。
カイルたちがやっていることは、言うまでもなく、アリアの治療法の開発だ。
これは、カイルがアリアの病気を知った日から始めたことで、その日から休む間もなく続けられている。
なので、すでに少し疲労が見える者もいるが、皆泣き言ひとつ言わずに取り組んでくれていた。
ちなみに、この部屋からカイルが姿を消したのは演説をした時のみである。
その演説ですら、直前にそれっぽく考えたものを言っただけで、頭ではほとんど病気に関することを考えていた。
民たちには申し訳ないが、何事にも優先順位というものがある。
「陛下、心臓部について一番細かく記載されているのはどれでしょうか?」
「『帝王医学』の225ページ19行目以降だ」
知りたいことがあれば何でも聞けと言ってある。探す時間が勿体無いからだ。そんなことよりも彼らには頭を回してほしい。
カイルらの研究はとんでもない速度で進んだ。
カイルには及ばないが、集められた人間も天才と称される人物ばかりである。そこに莫大な予算が注ぎ込まれているのだから、それも当然といえよう。
彼らの話は非常に興味深く、カイルにも考えつかないような新しい視点が次々と得られた。
この調子でいけば、なんとか間に合うかもしれないと期待した。
そして、一日、二日三日と過ぎていき、カイルが王に就いてから一週間が経った。
しかし、未だに治療法は見つからず、研究は混迷を極める一方である。
様々な仮定を検証し、結論が出てもまた新たな可能性が浮上する。それもまた一つ一つ潰していかないと前に進めない。
研究とは本来そういうものであるが、状況が全く進展していない気がして、心が焦れる。
「………また振り出しか」
誰かが、力なく呟いた。
灯ったばかりの火が、そう何度も吹き消されては、気力も削られるというものだ。
さらに、疲労が祟ってか、研究の速度は最初と比べてかなり落ちていた。
集められた天才たちが、一人、また一人と限界を迎えていった。
三日眠っていない者がいた。血走った目で手を動かしているが、心ここにあらずといった者もいた。
海を越えてきた研究者の一人は、故郷から遠く離れたこの地で、とうとう人目もはばからず泣き出してしまう。
「もう、無理です」
その言葉を、カイルは咎めなかった。
彼らは十分すぎるほどやってくれた。本来、見ず知らずの娘のために、ここまで身を削ってやる義理などどこにもない。
カイルとて、逆の立場だったらとっくに投げ出している。
「お前たちは、少し休め」
カイルが休憩を促すが、そう言う彼自身が誰よりもひどい顔をしていた。
頭だけは嫌になるほど冴えているのに、体がまるでついてこない。動かす手は重く、指先は氷のように冷たい。
昔からそうだった。
少し無理をすればすぐに熱を出し、数日は寝込む。そういう体に生まれついた。
「陛下。これ以上は、お命に関わります」
いつの間にか、薬を片手に、王家お抱えの老医師が側に立っていた。カイルの体をこの世の誰よりもよく知る人物だ。
彼もひどい顔をしていた。
「あなた様まで倒れてしまっては、元も子もありません」
彼の腕は確かだったのだ。体の弱かったカイルが、ここまで無茶をしても耐えられるようになった。
今もこうしてカイルが頭を回せているのは、間違いなく彼の功績だ。
そんな彼が、アリアの病気に手も足も出ず、無力に溺れて落胆している姿を見た。
そして、誰よりも鬼気迫った表情で研究に取り組んでいたことも知っている。
今も、自分の無力に打ちひしがれているところだろう。
しかし、しかしだ。
「お前には感謝している」
彼にもらった時間で、アリアの病気の治療法が見つかったのなら、それも彼の功績に含まれないだろうか。
「………でも、悪いな」
それはそれとして、忠告は聞くわけにはいかない。
カイルは差し出された薬だけを受け取って、再び机に向き直る。
「そうですか」
そのまま、お世話になった老医師が立ち去ったのを見送った。
渡された薬を飲み、心なしか、体調が楽になった気がした。
倒れるまでは、それまでは、この少しはましになった体にも、せいぜい最後まで付き合ってもらおう。
窓の外を見ると、いつの間にか日が暮れていた。
もう何度目かわからない夜がやってくる。しかし、決して長くはない。すぐにまた明るくなっているのだろう。
ふと人の気配がし、振り向くと、あの侍女がいた。
「なんだ」
「先程、一瞬だけ、お嬢様が目を覚まされました」
すぐに駆けつけたい衝動に駆られたが、言い方的におそらくまた意識がなくなったのだろう。
それに、カイルにはここでやるべきことがある。
「そうか。何か言っていたか?」
「生きたいと」
「………そうか」
大事な人のために生き抜いた少女は、最期に自分の願いを口にした。
遅すぎるくらいだ。
でも、しっかりと届いた。
それをわざわざこの侍女が伝えにきたのは、おそらくカイルらの尻を蹴り飛ばすためだろう。
その甲斐あり、周りの人間が気合いを入れ直し、心にまた火が灯ったのを感じた。
カイルも、彼らに続く。
『生きたい』
カイルとて、それをアリアの最後のわがままにするつもりなどさらさらないのだから。
さらに、一週間が過ぎた。
その部屋は本や物が散乱し、足の踏み場がないくらいだった。
もう何日も寝ていない医者や研究員は、全員気絶するように倒れていた。
今や、机に齧り付き、頭を回し、手を動かしているのはカイルのみになっている。
アリアがそろそろ限界だと聞いた。
しかし、どうしても辿り着かない。
定説を疑い、知恵と知識を総動員し、ありとあらゆる可能性を潰しても、後一歩及ばない。
必要なピースを必死にかき集め、この手で掴みあげようとも、最後の最後で指の隙間からこぼれ落ちていく。
ただ一人、見えない正解に首を絞められる。
『治らないから、治せないから不治なのだ』
疲れているのか、頭の中の冷静なカイルが指摘してくる。
『間に合わない。諦めたらどうだ?』
うるさい。
『お前のような天才でも見つけられないんだろ? だったら、治療法はこの世に存在しないということだ』
だまれ。
『それとも、人外なら、あるいは』
………。
目の前に、アイボがいた。
アリアの病気のことを聞いてから見かけなくなり、今初めて姿を現した。
「どこに行っていた」
「ちょっとね」
「助言はあるか」
「あるよ。とびっきりのが。と言いたいところだけど、僕には判断がつかない」
「言ってみろ」
「死ぬ間際に痛みが消えて楽になったと、同じ病気で亡くなった人たちが言っていた」
「そうか」
それからまた、その部屋は静寂に包まれた。
アイボはカイルに自分の情報が役に立つかを聞かなかった。ただ情報を与えて、邪魔にならないように気配を消した。
それが最も効果的だと、アイボは知っているのだ。
静かになった部屋で、カイルは考える。
アイボの助言を聞いて、何かが見えた気がした。掴んだ気がした。掴めた気がした。
しかし、しかし。
またしても、さらさら、さらさらとこぼれ落ちていく。
掴めなかったものは、こぼれ落ちたものは、アリアの命だったような気がして、カイルは血の気が引いた。
カチ、コチともう聞き飽きた時計の音が、カイルの耳を通り抜ける。
時間がない。焦っては思考が揺れる。
分かっていても、逸る心臓の音が止まってくれない。
冷たくなった手が震え、嫌な汗が流れ続ける。
深呼吸をしても全くおさまってくれない。
神は何もしてくれないどころか、カイルの好きな人を二人も奪おうとしている。
信じられるのは、もはや己のみ。
いや、己の中の化け物のみ。
おい、いつまで寝てやがる。とっくに仕事の時間だぞ。聞いているのか。
お前に言ってるんだ、『天才』。
それはずっとカイルにとって呪いのような称号だった。
これまで散々カイルの足を引っ張ってきたものだ。
それのせいで、カイルの人生はつまらなくなり、孤独になり、自分のことが嫌いになった。
しかし今、カイルはその『天才』に縋る。
俺が何度もいらないと思ったお前のことを、褒めてくれた少女がいたはずだ。
『頭が良くて、何でもできるってすごいことじゃない。もっと誇ってもいいのよ』
俺が散々嫌ったお前のことを、愛してくれた少女がいたはずだ。
『私が代わりに、そんなあなたを認めて、愛してあげるわ』
そんな彼女を、『天才』は見捨てるのか!
俺に、お前の存在を誇らせてくれ。お前のおかげだと感謝させてくれ。
天才と呼ばれるカイルを、俺に愛させてくれ。
だから、早く正解を導きやがれ!
わがまま姫が愛した天才王子!!
そうして。
しばらくして。
天才とその相棒は、部屋を飛び出した。
次で最後です。




