8.【お姫様の行方】
エメライア姫とは、約40年前に行方不明になった先王の末の姫君である。
存命だったら孫がいてもおかしくない年齢という話を、いつだったか私も何処かで話のついでに聞いた覚えがある。
「神殿で行方不明になったんだよ」
市場で野菜を売る近隣の村の農家の女性が買い物に来た子供達におまけのように話す程、エメライア姫の行方不明事件は有名な話であった。
それを聞いた子供達は笑って同じく有名な童謡を歌いながら走って行った。
仕上げた書類を客に届ける途中、私とすれ違った別の子供達の集団も同じ童謡を口ずさんでいる。
私が子供の頃にもウォーゲル子爵家の領地で聞いた事があった、古い神殿に住む悪魔が女の子を騙して連れ去ってしまう童謡だ。
今ならそれが暗にエメライア姫の事件を歌っていたと分かる。
ただこの領都の子供達が歌っている童謡は、私の記憶にあるものとはちょっとだけ歌詞が違っていた。
連れ去られた女の子は2度見つからなかっただけでなく、最後は女の子が悪魔に食べられてしまう何とも残酷な結末になっている。
何を思って誰が付け加えたのかは分からないが、それもまた悪魔をのさばらせた神殿への皮肉かも知れない。
エメライア姫の行方不明事件後しばらくして歌われ始めた童謡は、一時は国中の者が知っている程にとても流行ったという。
悪魔を身の内に潜ませていると歌われているのが非常に不名誉だと、神殿はこの童謡の禁止を王家に訴えかけたのだが、堂々と神殿を嘲笑ったこの歌を王家は寧ろ推奨して歌わせたという。
何せ行方不明になったエメライア姫は当時12才。
姿を消した姫に対しての神殿の対応が当初はおざなりだった事もあり、先王が神殿に向けた怒りは尋常ではなかったと、受け取った書類を確認しながら高齢の客は私に教えてくれた。
「あの時代は神官が今より生臭くってな。聖女だと言われていたエメライア姫は強欲な神官達に何処かに売られたと、庶民の間では専らの噂だった」
行方不明となる前には、縁が薄い筈の遙か遠い国が何故か執拗に脅すような言葉を並べてエメライア姫の輿入れを再三願っていたらしい。
交流もない国相手に外交官も苦慮していたしつこい縁談は、姫が消えると同時にすっぱりとなくなった事もあり、多くの者が何かしらの疑いを持ったそうな。
「流石に強欲だったとしても、自国の姫君を売りますでしょうか?」
「さて、どうだろうか。貴族子女が売り買いされた実例は、それこそ枚挙に暇がないからな」
若かりし頃は王城で文官をしていたらしい常連でもあるこの客は、そう言った事件を何度か扱ったと以前にも話していた。
貴族があるなら王族もないとは言い切れない。
あくまで可能性の話とは言え、なかなか恐ろしい事である。
まあ、売られたのかどうかはともかく、エメライア姫が忽然と姿を消してから既に長い年月が過ぎている事は間違いない。
国王もエメライア姫の実兄に代替わりをしており、皮肉を効かせていた童謡もただの歌の一つとなっていた。
事件後に生まれた私達の中には、今の今まで姫の名前も知らなかった者もいるだろう。
行方不明からきっかり40年目の今年、エメライア姫の名前は突然急浮上した。
神殿は先日、何十年かぶりに『エメライア姫の無事を神殿で祈願する』と大々的に発表したのだ。
領都の大通りにある掲示板にも神殿からの告知として、分かりやすく彩色も施された大きな張り紙がしてあったのを見かけていた。
「祈願ねぇ……」
「ふふふ。笑ってはいけないよ。権力欲だけは健在な神殿は王家に近付きたいと必死だからね」
姫君の無事を祈願するにしても、40年という歳月はあまりにも長く、誰にとっても今更感しかなかった。
王家にしても同様だろう。既に過去となった話を神殿が掘り出してきた事に首を傾げているかも知れない。
もしかすると、エメライア姫の事件があった頃に活動していた聖女様の手紙が出てきたから?
偶然と言うにしては、最初尋ねてきたネーレイアも手紙にエメライア姫の事が書いていなかったか真っ先に聞いていた事が引っかかった。
結局あの聖女の手紙の内容自体は無関係だったのだが、亡くなった依頼人の発見の発表そのものが何かの引き金になった可能性は高いだろう。
ただ、あの手紙も元は最近神殿から廃棄された書類の一つだった筈。
「……神殿って、真面目に仕事しているんでしょうか?」
「そりゃあ、我々一般人には理解出来ないような素晴らしい仕事があるんだろうよ」
時代が変わって多くの人が入れ替わったとしても、生臭神官がいなくなった訳ではなかった。
神官を名乗りながら自分の欲を満たす事ばかり考えている彼らは、その言動で誰を助ける事もなく、その祈りは誰も救わない。
その仕事も当然、自分自身の為になるものでしかなかった。
エメライア姫の無事を祈るなど、関係が冷え込んだ王家に向けてのただのパフォーマンスであろう。
私は惰性で神殿に寄付していたのを止めようかと思案した。
日々目まぐるしく移り変わっていく中。
運送ギルドは支部職員による窃盗事件について、手紙部門だけの問題だったと結論づけた。
きっちり本部が調べ上げた結果、荷物の管理システムは正常に作動しており、他の支部との荷物の記録も一致して、領都で直接配送する手紙以外は窃盗が可能ではなかったと確認出来たからだ。
その辺りは新聞に詳しく書いてあったので、私も知っている事だ。
ただ、結論がついたとしても、不祥事を起こしてしまった運送ギルドの整理はその先があった。
「この件で手紙部門が閉鎖される事になって、手紙部門で働いていた職員は全員解雇され……私は最後まで終了に伴う書類整理をしていたのですが、最後の給与も貰えず放り出されました」
「再就職先の斡旋は?」
「ありませんでした……」
私の向かいに座っている草臥れた女性はそう言って項垂れた。
これは面接と言う事もありお茶だけを出していたのだが、私はお茶菓子を入れた小さな籠をそっと女性に近づけた。
何処の世界にも都合良く使われてしまう者はいるものだ。
あの手紙の窃盗犯は運送ギルドの支部長の縁故で入った者で、何か様子がおかしくても辞めさせられなかったと言う話は、街のあちこちで鬱憤が溜まっていた元運送ギルドの関係者が既に暴露している。
手紙部門最後の仕事として私宛の手紙を配達に来たセシリアは、着払いの配達料金だけは貰えるからと疲れたように笑っていた。
流石に退職金を払うべきだろ、と私はセシリアの身の上に同情した。
無責任に放り出されてしまったらしいセシリアは、私が個人経営の店の主だと知ると、事務員として一時的でも良いから雇って欲しいと必死に頼んできた。
まだまだ借金があるとは言え、立て続けに起きた事に自分とメイドだけである事に不安を覚えていた私は取り敢えず面接をする事にしたと言うのが、取り敢えずの経緯である。
この場で簡単に書いて貰ったセシリアの経歴などには、スキルを使っても嘘は一切見当たらなかった。
雇う事自体は問題はない。
ただ、全員若い女性となってしまうのは不安があった。
何かしら変なのが来た時は結局対応が難しいままなので、同情で雇う事は出来ないと……。
酷く疲れた顔をしたセシリアと目が合ってしまった。
同情は捨てなくてはいけないが、私も家族に都合良く使われた果てに何とか領主達に拾い上げて貰った身の上だと思い出した。
もう一度セシリアの書いた文字を見る。
綺麗である事は勿論、セシリアの文字はとても誠実で、素直な文字だった。
「……条件は一つだけ。貴女は秘密を守れる?」
どんな職であっても仕事内容には守秘義務を課すものだ。
当たり前の事だったが、セシリアは大きく頷いた。
これも仕方ない事だ。諦めて領主に護衛について相談しよう。
どの道領主の家紋の威力が効かない者があまりに多く、私はため息をついた。
そして、案の定、数日で予想の範疇の人間が来た。
運送ギルドから追い出されたも同然だったセシリアが私の店で働いていると何処からか聞きつけたらしい。
セシリアの元同僚という男性は、入ってくるなり雇うなら自分の方が有能だと自信満々に言った。
「そんな女なんて元々大した仕事が出来る訳じゃない。ここは俺みたいな優秀な男こそ入れるべきだろう」
そう言うが、優秀だという何か具体的な根拠を示す事はなく、ただ自分が有能であるとだけ言い張るセシリアの元同僚は、気持ちの悪い笑みを浮かべながら私を見ていた。
何度となくこの手の視線は受けてきたので、女だと侮っている事など一発で分かる。
「まあ、俺ならこの店の経営もやれる。あんたは作業にだけ没頭すれば良い。なあ、お互い上手くやれるんじゃないのか?」
「お断りです」
「いやいや、ここには女性しかいないんだろ。男がいなければ利益を狙う変なのが寄りついてくるから、遠慮しなくて良いんだぞ」
「結構です。何なら貴方が利益を狙う変なのです」
「何言ってるんだ。俺は善意で言っている。それに俺には他のギルドにもたくさんの伝手がある。今後この店の経営は俺がやってやるから、ほら、ここを開けて……」
私の拒絶を無視して不躾にカウンターの仕切り扉の鍵に手を回そうとした男の手は、柱の影で様子を見ていた領主直属の騎士にがっしりと捕まれた。
「ここは領主様の直下の店です。貴方はカウンター横にある領主様の家紋が目に入らなかったようですね」
一部始終を見られていれば言い訳もきかず、セシリアの元同僚男性は治安を乱す者として騎士に引き摺られて行った。
ちょっとだけ試すようなつもりで騎士を借りたのだが、まさか直ぐに必要になるとは私も思ってもみなかった。
「女性だけって怖いわね……」
私の言葉にセシリアも顔を青くしながら頷いた。
以前捕まって消えた騎士もそうだったが、自分が男だからというだけで他人の店が簡単に乗っ取れると思い込めるのが本当にどうしようもなく短絡的で、稚拙な発想に頭が痛かった。
「そもそも私の店は今年で来たばかりなのよ。店を構える際の借金がまだあるに決まっているでしょう。明らかに赤字の店を乗っ取ろうなんて考えた時点で終わっているわね」
「深く考えず、女なら男の自分が脅せば簡単に名義が換えられるとでも思っていたのでしょうね」
世の中そんなに甘くはない。
代筆屋は厳密に許可制なので、男が脅したからといって何か権利が書き換わる事はないのだ。
そんな事も知らない人間が優秀とは私には思えなかった。
なお、その自称有能なセシリアの元同僚は、そのまま街を追放とまではならなかったが、何処かの船に労働者として放り込まれたらしい。
帰って来るとしたら数ヶ月後となる長い旅となるが、単純な肉体労働だけが必要で、上手くいけば大金が手に入るとか。
「……あの人、船酔いするって前に言ってた気もしますね」
「事故の前に途中で降りるしかなくなって、そのまま帰って来られないパターンもありそうね」
領主の家紋に気付かなかった方が明らかに悪い。
それでも貴族に睨まれた場合にしてはまだましな結果であろうと、私もセシリアもそんな男がいた事など直ぐに忘れてしまった。




