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ワールズエンドの歌姫  作者: 染島ユースケ
3.ライブハウスの歌姫
44/177

 自転車で来たら、思いの外早く到着してしまった。集合予定は午前10時。今の時刻は午前9時45分。

「一番乗り、か」

 部室には、まだ誰もいない。無人の部室は、少し埃っぽいのと同時に休日の匂いがした。

 誰もいないなら先に個人練習をしてようかと、奏介が荷物を下ろしてケースからギターを取りだそうとした。その時。

 震える携帯。ジェロムよりお呼び出し。軽音部共有のメッセージに、ジェロムからの連絡が届く。

『寝坊した! 各自俺が来るまで自主練し、モチベーションを高めておくように!』

 寝坊したというのに、まるで悪びれる様子のない文面。むしろ、その言葉から思い浮かぶのはジェロムのドヤ顔だった。それでこそジェロムらしいと言われればそれまでだが。

 すると、続いてスタンプが投稿される。梨音から、『えー』という文字とともに微妙に不満そうな表情のカシワニスタンプ。

『了解です、もう着いたんで部室で待ってます』

 奏介も無難な返事を返してからメッセージのアプリを閉じる。

 そのアプリの中には、3人分のやりとりしかない。今時珍しい、通話と簡単なメールしかできない化石のような携帯しか持っていなかった彼方は、まだグループに入れていなかった。でもいつかはこのアプリのグループに、彼方の名前も加わればいいと思う。

 そのままの流れで、何となくSNSのアプリを開く。

『MiXヘビロテ不可避』

『私の心を癒してくれるMiXマジ天使』

『相変わらず中毒性半端ないわMiX』

『今回もMiXはただの神だった』

『俺にもっとMiXを! MiXの音楽を!』

『MiXは』『MiXが』『MiXに』

『MiX』『MiX』『MiX』『MiX』――――

「……やかましい」

 アプリを閉じる。

 SNSの中でも、MiXの存在感は圧倒的だった。

 新譜が発売されて数日が経った今も、タイムラインの至るところでMiXの3文字が躍っている。液晶画面の向こう側で、静かなる熱狂が渦巻いている。

 誰も、この状態を異常だとは思わないのだろうか。それとも、やはり自分のほうが異常なんだろうか。

「おはよう」

「うおっ!?」

 気づけば、背後に彼方がいた。

「……今来たの?」

「10分前くらい。今、コーラ買ってきた」

 今声を掛けられるこの瞬間まで、奏介はまるでその気配に気づかなかった。忍者か。

「奏介は、今来たの?」

「うん」

「そう」

 それだけの短いやり取りで、会話が途絶える。いつもはここで梨音かジェロムが繋いでくれるけど、今はその2人もいない。

 彼方が、同じソファーの隣に座る。奏介とは、少しだけ間隔を開けて。

 何となく、おぼつかない空気が流れる。流れている気がする。

 一方の彼方はと言うと、そんな奏介のことなど意に介さず、早速買ってきたコーラの缶を開けていた。かしゅっ、という小気味よい音を立てて。

 ぽっかり開いた缶の口と、彼方の口が一つに繋がる。その瑞々しい唇から体内へ、渇きを癒す黒いソーダ水が流し込まれる。指先でなぞりたくなる、横顔のシルエット。こくりこくりと動く喉。唯一無二の歌声を創り出す喉。色白で細く、流線型を描く女の子の喉。

 それに奪われた、奏介の5秒間。

「どうしたの?」

 彼方の問いかけで、奏介は我に返った。

「あ、いや……何でも」

 今になって、ささやかな罪悪感が芽生える。きっとこんな気持ちになるのは、学校へ向かう途中で見た妙な空想のせいだ。一時の気の迷いだ。そういうことにして、奏介は無理矢理自分を納得させる。

「そういえば、久しぶり」

「久しぶりって?」

「奏介と、2人で話すの」

「言われてみれば、そうかも」

 奏介と彼方についてのここ最近といえば、記憶に残るものはそのほとんどが軽音部の面々で過ごした日々だった。そもそも1対1で長く話した記憶といったら、それこそ奏介が彼方を軽音部へ誘ったところまで遡らないといけない。

 もちろんこうした流れは、彼方が軽音部に思いの外馴染んだからという嬉しい誤算の賜物でもあるわけで。当然、それはそれで喜ばしい。

 だけど、やはり奏介としては少々寂しいところがあった。例えるなら、密かに応援していたインディーズバンドがメジャーデビューした結果、一気に売れてしまったような感覚(MiXに業界を牛耳られた今となっては、そんなケースは滅多に見かけないが)に近いかもしれない。

「まさか、4人で過ごすことがこんなにも多くなるとは思わなかったな」

「私も」

 ふと、訊いてみたいことを思いついた。

「あのさ……」

「なに?」

「訊きたいことが、あるんだけど――」

 彼方は、軽音部に入ってよかった?

 そう訊きたかった、その時だった。

 ドアが開いた。最初に飛び込んで来たのは、梨音の声。

「あのさ部長、いくら寝坊したからって寝間着の格好のままで来るのってあります!? やっぱ頭おかしいわアンタ!」

「別に構わんだろうが、減るもんでもなし」

 一気に部室が賑やかになる。いつもの制服姿の梨音に、短パンに白Tシャツというこれ以上ないくらいにラフな姿のジェロム。ちなみにそのTシャツには『大戦略』のロゴが胸元にでかでかと張り付いている。征服王にでもなるつもりだろうか。

「それよりもだベリオン、本番まで残り少ない俺達にとっては遅刻することのほうが損である! タイム・イズ・マニー!」

「だからベリオン言うな!」

 ジェロムはもちろん、梨音の声もはきはきとしていてよく通る。だから、奏介の軟弱な言葉はあっという間にかき消された。

「グッモーニン! 早くもみんな揃ったようで意識が高い! これでこそ我がジェロムズの選ばれしメンバー達だな! そして遠野君は早速コーラを飲んでいると来た! こうしてはおれん、俺も早く朝コーラを摂取しなければ!」

 嵐のようにやってきたジェロムは、荷物を置くとまた嵐のように去っていった。相変わらず、朝から絶好調。

「彼方おはよー。ソウと2人きりで何かヘンなことされなかった?」

「おい梨音それどういう意味だ?」

「……ヘンなこと?」

「ヘンなことってのは例えばソウが彼方を――」

「ちょっと待て何説明しようとしてんだお前は」

「オーマイゴッド! 自販機のコーラが売り切れてたぞどういうことだ!?」

 弾みだした会話の途中で、さらにジェロムの騒がしさが戻ってくる。すっかりこの場所は4人の空間になっていた。

「よし、奏介!」

「ん?」

「ん? じゃない、買い出しだ! 腹が減ってなおかつ体内のコーラ分が不足していては戦ができぬ。そういうわけで俺と奏介でコンビニに行くぞ! 合宿の話はそれからだ!」

 指名された奏介は、財布だけ持って寝間着姿のままのジェロムと共に部室を出る。

 奏介はほっとする反面、今になって2人きりだったさっきまでの数分間が恋しくなった。

 どこかぎこちなくて、しかし静謐に流れていた彼方との時間。いつかまた、どこかのタイミングで戻ってきてはくれないか。

 奏介は無意識的に、心の片隅で願っていた。

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