シロクマは漂流中 【最終話】
最終話です。長めです。
ふわふわと跳ねるように歩く、ふくよかな男の隣に肩を並べる。
百八十センチちょい超えの俺とたいして変わらない身長であるコイツは、体格の所為で一・五倍ほど存在感が増している。
しかし実際はジムで定期的に鍛えている俺の方が腕力には自信ある訳で。こんな風にご機嫌な様子で油断している隙に何とか寝技に持ち込めないかな?なんて想像してみる。しかし無理矢理コトに持ち込んだ経験も無いうえに実際そんな事を実行に移してしまったなら、コイツとの間に長い間築いて来た信頼関係はガラガラと崩れ去ってしまうだろうってコトが目に見えているだけに……出来っこないじゃねーか、と直ぐに自らの邪な想像を打ち消した。
大体自分が男もイケるかもしれない、だなんて思ったのはコイツが初めてなんだ。つまり俺は女相手の経験しか無い訳で。女相手なら手順も勝手も人並み以上に熟知しているが、男相手にその経験が通じるのかどうか極めて怪しい。
情けない事に実際そういうチャンスが巡って来るかも?と想像するだけで心臓がバクバクして落ち着かない。コイツとどうにかなれるなんてあり得ないと決めつけていたから、どうしたら良いか、どうするべきかも分からないと言うのに。あーホント、カッコつかねぇ。まあ、どうにかなるなんて本気で思ってなんかいねーけどさ。
女たらし、遊び人と揶揄される事も多い。まさに自他ともに認める『女好き』と言っても過言ではないだろう。「一人に絞れないから結婚は考えていない」なんて体の良い断り文句の、信憑性が高くなると言うものだ。だから『遊び人』と言う呼称は俺にとって都合の良い免罪符なのだ。何せ本命とは結婚どころか相手にして貰える可能性さえ無いのだから。
男同士の『付き合い』についてほとんど具体的な知識を持っていない俺だが、実はもともとそれほど同性愛には偏見を持っていなかった。……とは言え、自分にそういう嗜好があるとは後藤に会うまで一欠片も想像もしていなかったのだが。
偏見が無いのは、母方の叔父の影響かもしれない。弁護士の叔父はゲイである事をカミングアウトしてから親戚の集まりに顔を出さなくなった。しかし彼の姉である俺の母親だけは変わらず繋がりを保っていて、俺は母親と一緒にたびたび彼の家を訪れていたのだ。彼の同居人によく遊んで貰った事もあって、優しい雰囲気のその男性に俺は好感を抱いていた。勿論恋心があった、とかそう言う意味では無い。単純に良い人だから好きだったのだ。
性嗜好的には多数派である親戚のオッサンやオバサン達が、誰かを口汚く批判し楽し気に揶揄するのをよく目にしていた。そんな時『こいつらの方がよほど常識も無いし、人間としての品性も劣っている。人間って言うか野蛮人じゃねーか』と、内心憤ったものだ。けれども俺は外当たりの良い性質を発揮して、そいつらに噛みつく事は決してなかった―――心の中では冷たい目でそいつ等を切り離してはいたが。
自分が出来ない事を難なく熟す才能ある人間を妬む気持ちも、理解できない人間を駄目な奴だと断じて排除したくなる本能も分からないではない。だって『自分こそが本当は駄目な人間で、とるに足らない存在だ』と認識する事は、とても辛い事だ。そこから目を逸らしたい気持ちは理解できる。けれどもその本能に体を預けて―――理解出来ない相手を公に晒し者にして蔑んだり、周囲を味方に付けた上で集団でこき下ろしたりするのを目にすると、その醜悪さに胸糞が悪くなるんだ。
叔父さんの恋人の方が、よほどソイツらより思い遣りもあり人間として真っ当だって思う。
けど勿論ゲイの人の中にも、親戚のオバサン、オッサン並みに性格の悪い人もいるだろうし、たまたま叔父さんが選んだ相手が良い人だったと言うだけだと言う事も承知している。
そう、俺は女の子にしか性的な興味を抱いた経験がないので、だからあくまでそれに関しては『他人事』である、と言うスタンスだったんだ。単にそう言う人も世の中にはいるよね、って感じで。
そして後藤を見つけて―――ヤツの事を、そう言う意味で好きなのかもしれないと気が付いた時。俺は気の所為だと何度も自分の気持ちを否定した。これは尊敬であり友情であり……俺は違う筈だ、と。
叔父さんとその恋人の関係を他人事だと思っていた時は、余裕だった。そういうのもアリかもね、なんてコメントするだけで良かった。だけどいざ自分が『そう』なのかもしれないと考えた時、俺はビビってしまったのだ。
後藤の横に居座りながら俺は、アイツを揶揄い又はフォローする気の置けない友人として振る舞っていた。胸を震わせる不思議な情熱に『友情』や『尊敬』と言うありきたりな名前を与える一方で、敢えて少しでも気に入る女がいれば声を掛けるように心掛けた。
それまで俺は、見た目や何でもソツなく熟す要領の良さ、家柄の良さ、学歴……そう言った様々な女受けの良い要素を標準装備していたお陰で難なく女性からモテてはいた。
でも『遊び人』とか『手が早い』『軽い』なんて言われるようになったのは、正直後藤に対する気持ちを否定しようと焦った影響が大きい。それ以来、女性に対して踏み込むハードルがぐんと低くなってしまったように思える。
コイツへの気持ちをしっかりと自覚してしまった今では―――稀に割り切った関係で欲を発散する以外は、目に付いた所で後藤と良い感じになりそうな女を排除する為にギリギリの線で相手を誘惑するに留めている。場合によっては一線を越える事もあるけれども、後藤や会社に迷惑が掛かる可能性のある、大事な仕事相手には慎重に接している。これはなかなかスリルのある『仕事』だと思う。気を惹きつつ、さりとて深入りさせず煙に巻くのはとても難しいのだ。
「ご機嫌だな?」
行き付けの日本酒バルのカウンターで、店名を冠した『いと、めでたし(とても喜ばしい)』と言う銘柄の日本酒に口を吐けながら、ふんわりと微笑む後藤の横顔に声を掛けた。無事同窓会で初恋の相手と再会できたのだろうか?そして良い手応えを得られたから、そんなにコイツはご機嫌なのだろうか?……などと心の中でグルグルと聞きたい事が渦巻いているのに、安易に口にすることは出来ない。何故なら俺の恋心を、相棒であるコイツに決して覚られるわけには行かないからだ。
「うん、ご機嫌だよ。まさに『いと、めでたし』って気分だ」
蒼い切子のグラスを持ち上げて、後藤は目を細めた。
「……初恋の相手には会えたのか」
「ん?……うん。会えたよー」
既にほろ酔い気分の後藤は、蒼いグラスに口を付けてホーッと溜息を吐き出した。そしてフフッと楽しそうに笑う。その楽し気な表情に心臓がギュッと苦しくなる。
……こんな風に俺を追い詰め、苦しめる事が出来るのはコイツだけだ。どんな女も男も、俺の余裕を突き崩す事はない。なのにコイツはいとも簡単に、かつ無自覚にそれをやってのけるんだ。
「見せろよ」
「え?」
「写真とか、無いのか?同窓会で撮っただろ?」
「……ああ」
怖い物見たさと言うか毒を食らわば皿までと言うか。どうせ失恋は確定なんだからいっそグサグサとどめを刺して貰いたい、と自棄になってしまう。そう、やるならやってくれ!徹底的に『俺では駄目なんだ』と、思い知らせて欲しい。
……だからと言って、諦められるかどうかと言うのは別問題なのだけれども。
「うーん、どうしようかな」
しかし後藤は勿体ぶって見せようとしない。イラついた俺は恨み言をぶつけた。
「何だよ、俺がお前の好きなヤツの写真を見たからって何だって言うんだ?まさか手を出すとか疑っているんじゃないだろうな」
語るに落ちる、とはまさにこのこと。思わずカッとなってそんな事を口走ってしまうのは、やましい所があるからだ。コイツが本気で、かつ相手が申し分ない女―――見た目だけじゃなく性格やその他もろもろ、後藤に見合う女であれば見逃してやっても良いと思っている。けれどもそうじゃなければ……俺はきっと後藤からソイツを引き剥がそうと画策してしまうだろう。
それを見透かされたように感じ、つい苛立ってしまったのだ。
後藤は目を瞠って俺を見つめた。そんな風に真っすぐに、無防備に見つめられるとどうしても鼓動が速くなってしまう。
「そんなこと……考えてもみなかったよ」
ゆっくりと首を振るのを目にして、俺はホッと胸を撫でおろした。どうやら、俺の邪悪な奸計は見透かされていないようだ。
しかし問い掛けるような俺の視線に根負けしたのか、意を決したように後藤はスマホに目を落とすと画面を触った。そして一通り操作を終えると、テーブルの上をスッと滑らせるようにしてスマホを俺の目の前に差し出した。
その画面に映っているのは、小柄な女性だった。
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい、普通の女の子だ。普通に可愛らしく、優し気な笑顔が印象的な……。でも何となくシックリ来ない、それは何故だろう?
後藤が長年恋焦がれているような女性、叶わなかった恋を引き摺る相手は―――もっとこう、人を引き付けるような鮮烈な印象を与える、むしろ手強い印象の女性を思い浮かべていたのだ。それこそ、俺が敵視して噛みつきたくなるような……。
親しみを覚えるような、こんな柔らかな笑顔を湛える彼女は、むしろ後藤に印象が重なるような気がする。これじゃあ文句の付けようがない、俺の戦意が喪失してしまうのは目に見えている……。俺は唇を噛み締めて、スマホの画面を目を細めて睨んでしまった。
「?」
しかし写真を見て直ぐに気が付く。女性の隣に偉く綺麗な、精悍な面立ちの背の高い男が立っている。大柄な後藤よりずっと背が高い。しかし体格はスラリとしていて、モデルやタレントだと言われても違和感が無いくらいスタイルが良い。俺も容姿には自信があるが―――コイツには負ける、それぐらい輝いていた。
そしてその男と小柄な女性との距離が近い。後藤と彼女との距離よりずっと。
それはつまり……彼女の恋人は、もしかしてこの美男子ってことなんじゃないだろうか。若しくは彼女が目当てにしている相手かもしれない。もし恋人同士であれば、当時からずっと付き合いを続けていると言う可能性もある訳で……。
「後藤、この二人……?」
「うん、素敵なカップルだよね?小学校から付き合っていて、もうすぐ結婚するんだって」
「……」
「本田君はね。あっ、本田君ってこの男の人の事なんだけど、パイロットなんだ」
「パイロット?」
「カッコイイだろ?高校の頃はバスケット選手だったんだよ。で凄いんだ、球技大会なんかで当たっちゃうと、もう壮観って言うか……ただでさえ背が高いのに、更に軽々と飛んでポーンとシュート!まるで羽が生えているみたいなんだ。運動だけじゃなくって彼は成績も良くって……なのに、すっごく紳士で誠実で、彼女のことをずっと大事にしていて一途でさ……」
「……」
「本田君は、僕の憧れだったんだ」
「後藤……」
胸が苦しい―――これが失恋の痛みってヤツなのか?
だけどこれは俺自身だけの苦しみじゃない。幸せそうに昔を振り返り目を細めるコイツの胸の内を想像して、つい気持ちを重ねてしまう。……だから二重に苦しい。
「同窓会で再会出来たんだけど、二人が相変わらず幸せそうで……本当に、心から嬉しかったんだ」
そんなに嬉しそうな表情で、だけど瞳の中は切なさでキラキラと潤んでいる。
「後藤、そんなにお前……この彼女のこと……好きだったのか?」
思わず肩を掴んで尋ねると、後藤は顔を上げた。
「彼女?ああ、うん。鹿島さんはすごく良い子だよ。いつも優しくて朗らかで……だけど」
後藤は寂しそうに笑って、溜息を吐く。そして意を決したように俺を見つめた。
「俺が好きなのは……好きだったのは、本田君だ」
「え……」
時が止まった。
後藤が言っている意味が分からなかったからだ。言葉は聞こえた。鼓膜も正常、脳も言葉をハッキリと認識している。だけど予想と違う展開に理解が追い付かなったのだ。
「え?お前……」
驚きのあまり、思わず肩から手を離すと後藤はフッと視線を外して俯いた。
「うん、俺ね。男の人が好きだったんだ。……でも、これまで『本田君』しか好きになった事が無いから、本当に『男の人』が好きなのか……よく分からないんだけど」
「……」
衝撃で言葉を失った俺をチラリと一瞥して、後藤は再び溜息を吐く。それから蒼いグラスに手を伸ばし、中身を一気に飲み干した。
カウンターの向こうをまっすぐ見つめ、フーッと熱い吐息を漏らしてアルコールに潤んだ瞳を閉じた。俺はその横顔をポカンと口を開けたまま、見守るしかない。
「吃驚した?」
「……した」
「……軽蔑、する?」
「え?」
「松山は女の子、大好きだもんな。俺みたいなヤツ気持ち悪いかなって」
「いや……」
口の中が乾いて言葉にならない。俺は混乱していた。気持ち悪いどころか……まさか、そんな。コイツの好きな相手が……男だったなんて。
「……俺は……」
「あ!でも!誤解しないでよ!」
後藤はバッと俺を振り返り、首を振って見せた。
そして世にも残酷な台詞を一気に言い切ったのだ。それが俺の気持ちを慮ってと言う事は分かり過ぎるほど分かっているのだが―――だからこそ始末が悪い。
「松山の事をそんな風に思った事は一遍も無いから……!本当に!友達としか思っていないし……!だから、松山……その」
後藤は一拍置いて、必死なあまり僅かに上擦ってしまった声音を一旦落ち着けてから、言葉を継いだ。俺を安心させるように、優しい音でこう囁く。
「……安心して欲しいんだ、俺、間違っても松山に不快な思いをさせようなんて、思ってないから」
俺は思わず俯いて頭を抱えた。
コイツは……!後藤、お前……分かってないからって言って良い事と悪い事があるぞ!無自覚にも程があるっ!言うに事かいて『絶対友達宣言』するなんて……!
「後藤……お前……」
まさか、分かっていて牽制しているんじゃねえだろうな?!
……って言うかそもそも俺、今まで敢えて後藤にそう思わせて来たんだよな。
俺は無類の女好きで、女にしか興味がない。それこそ男になんか欠片も―――だからお前をこれだけ構うのも気に掛けるのも、単に友情や世話焼きってだけなのだ、と。そう印象付けて来たツケが今、俺に回ってきている。
俺はユラリと顔を上げて、後藤を睨みつけた。
それこそ殺気を込めて。可愛さ余って憎さ百倍……そんな諺が身に染みる。だから鈍感な後藤に対して身勝手なイライラが込み上げてくるのを、必死で抑えつける。ガッと後藤の肩を掴み、そのふっくらとしたモチモチの白い顎に手を掛け無理矢理俺の方を向かせた。
怯えた瞳―――そんなに俺を……優秀な右腕で、学生時代からの腐れ縁、気の置けない友人を失うのは怖いのか……?
「おい、俺は腹を立てている」
「え……」
更に怯え、瞳を揺らすその無防備な表情に苛立ちを募らせた。
「何故か分かるか?」
「あ……はい、それはもう……」
「分かんのか?」
「ええと、その……」
「……分かんねえだろうな」
経営者としての勘は目が覚めるほど、冴えわたっていると言うのに、こういう事に関しては全く鈍いんだよな。別人かよ、ポヤポヤした顔しやがって。
内心口汚く毒づきながら―――俺はフッと笑顔になった。そしてパッと顎に掛かった手を解放してやる。肩に手を掛けたまま、目をしっかりと見据えて俺は言い聞かせた。
「俺の頭の中を勝手に決めつけるな。……なら今までの付き合いは何だって言うんだ?俺達の歴史は?それがお前の性的嗜好がどうだからって、揺らぐもんじゃねえだろ?俺達は一心同体なんだ。今更それが―――お前が男を好きだから、とかそんな些細な事でお前への俺の見方が変わるなんて思われているのなら心外だ。冗談じゃねえ」
「……!」
後藤は息を飲んで俺を見つめた。俺はゆっくりと彼のシッカリとした肩を掴んでいた手を解放する。
「もしお前だったら―――どうなんだ?例えば俺が、男を好きだとしたら」
「えっ」
思ってもみない事を言われた、そう顔に書いてある。
「そんな、松山が?……そんなあり得ない事……」
「『あり得ない』ってこたぁないだろ?あり得るとして!……もしそうだとしたら、お前は俺の事を気持ち悪いとか軽蔑するとか、そんな風に見る目を変えちまうのか?仕事関係も解消して、友達ですらなくなるって言うのか……?」
「まさか……!」
後藤がブンブンと首を振る。
その必死さに―――思わず俺は安堵の息を漏らした。
「……だろ?」
ニヤリと笑って見せると、後藤もほにゃりと眉を緩めた。
その如何にもホッとした―――と言う表情に、救われたのは俺の方。
心臓がワクワクと鼓動し始める。
一度『絶対友達宣言』で地べたに叩き落とされた俺の希望が、むくむくと頭をもたげてくる。
他の男を好きだと言い、俺の事を友達だと断じた後藤。がっかりしたけれども―――だけど、あらためて冷静に考えてみると、そう絶望する状況でも無いのだと気が付いた。
だって、コイツは男を好きになれるんだ。
今は『本田』とか言うヤツしか好きになった経験がないと言うが―――都合良く解釈するのであれば、この俺を受け入れる可能性も、零ではないと受け取る事ができるのだ。
会社を大きくして行く過程で、これ以上ないってくらい悪い状況を何度となく引っ繰り返して来た。後藤は俺達の会社の指針、羅針盤で進路計画で―――いわば旗印。俺はそれを遂行するためにいる船員を指揮する船長で―――時には武器を持って戦う戦闘員を指揮する将軍だった。そして企業したての時はコイツの唯一の相棒で、かつ一介の船員で戦闘員でもあったのだ。
どんな悪い状況でも好転するチャンスはある……諦めなければ。絶対とは断言できないかもしれない、だけど望みを叶える為に踏み出した者にしか叶えるチャンスは訪れない、と言う事だけは断言できる。
「じゃ、改めて……」
後藤が飲み干して空になったグラスに、俺は自分のグラスの酒を半分注いだ。
「乾杯しよーぜ!」
「え……乾杯?……何に?」
後藤はパチクリと瞬きを繰り返して、こう尋ねた。失恋したばかりの後藤。確かに『何故?』と問いたくなる気持ちは分かる。だけど俺は―――すこぶる上機嫌になってしまったんだ。
「お前の失恋に」
ニマっと意地悪く笑うと、後藤は眉を寄せて不満げな表情を見せた。
そうそう、いつもの調子が出て来たじゃねぇか。
「それと―――俺達の新たな門出に」
「……」
「こんな長い付き合いの俺達にも、お互いに知らない事があったんだなって思ってさ」
「うん……確かに、そうだね」
「だからこれからもよろしく!つーことで……」
俺はカツン、と後藤が手に持ったグラスに自分のグラスを当てた。
「乾杯!」
すると後藤が呆気に取られた顔をして―――それからくしゃりと表情をゆがめた。そして次の瞬間、ふにゃりと笑ったのだ。
「うん、乾杯……!これからの僕達に!」
シッカリとした返事が胸に染み渡り、俺は大きく頷いた。
昔テレビで見た事がある。
流氷に乗って海へ流されてしまったシロクマの映像を。
目の前のシロクマも北極でのんびりと昼寝をしているつもりだったかもしれない。けれどもいつの間にか、地面の氷が割れてその場所を離れてしまったらしい。流氷に乗って太平洋を漂流中、そのまま眠り続けて俺が暮らす所まで辿り着いたら良いのに。そしたら俺は『遊び人』を辞めて『狩人』にでも鞍替えしようか。縄なら各種、様々な種類を何メートルでも用意できるんだ。ゆっくりじっくり仕留めてやる。
「未来は明るいな?」
そう俺が言うと、後藤はしっかりと頷きを返した。
たぶん俺の意図している所と後藤が想像している未来予想図は、一部決定的に齟齬があると思う。だけど俺は―――ニッコリと隣のフクフクとしたシロクマへ、満面の笑みを返したのだった。
【シロクマと遊び人・完】
お読みいただき、有難うございました。