⑬弱者の渡世術
「違え!てめえなんざに訊いてねえんだよ!」と、睨まれる。
「ひっ…」
俺が引き攣った悲鳴を上げると、俺の後ろの方からPC男が答えた。
「…そういった記録は取り敢えず…どこにも載っていませんねえ…」
男が、どうなんだ?とでも言いたげに俺の顔を覗き込んできた。
俺はただそれに赤べこのように小さく肯いて返す。
「ふうん…残る傷痕は付けなかったんだ?…何だあ、そっかー…」
何だそれは。まるで、残念だとでも言いたげな口調と表情だ。
だけど、取り敢えず俺の左目の寿命は繋がった。それでも、まだ終わっていない。安心するにはまだ早かった。
何故ならば目の前のこの男の双眸は依然俺を獲物と見定めたまま、俺を甚振ることをちっとも諦めていなかったから。
それを男の、俺の髪を掴んで離さない手が明白に証明していた。
男の頭の中では今きっと、さあこれから俺をどうやって料理してやろうか、と口実なり順序なりを考えているに違いない。
「そうなんだー…残念~…」
脱力したように言うが、その口調を男の、視線だけで人が射殺せそうなギラついた眼光が裏切っていた。
男は再び煙草を吸うと、わざと俺を挑発するように吐いた煙を俺の顔目がけて吹き掛けてきた。
それで俺が激昂して乗ってくればしめたもので、そうじゃなくても嫌がらせぐらいにはなるだろう。
最終的には塵も積もれば山となる、の算段か…。
そんな男の思考が俺には透けて見えるようだった。
(けど、そうはさせない)
俺はゴホッ、ゲホッ…と涙目で噎せながら、バリバリに固まった体の痛みに顔を顰める。だけど、これはほぼ演技だった。全てがそうだとは言わないが。
それは臆病で弱い犬が喧嘩の強いボス犬に自らの腹を見せて自分は抵抗しないと絶対服従を誓う行為に似ていた。
そうやって勝ち目のない相手の同情を買いたかったのかもしれないし、若しくは無抵抗の俺を痛めつけても何の面白みもないぞ、という事を男たちに知らしめたかったのかもしれない。
既にお前たちの攻撃はもう俺に十分効いている。お前らの本来の目的はそもそも金のはずだろう?なら、その前段階として俺の心に恐怖心を刻み込む行為はもう既に達成されているはずだ。
これ以上の行為は無意味どころか、これ以上やるとやり過ぎて、弱い俺の心は完全に折れかねない。そうなったら本気で俺は警察に駆け込むかもしれないぞ?
それじゃ元も子もないだろうに。困るのはお前たちの方だぞ。一時の怒りに我を忘れ俺を嬲りものにするか、それとも実利を取るか…。
そうした忠告も含めて、相手に本来の目的を思い出させるための演技、高度な交渉術、テクニック。俗に敗者、弱者の渡世術ともいう。
つまるところ、
『だから、もうこれ以上は勘弁してください』と、俺は言いたいのだ。
実際には考えて取った行動ではない。ほぼ本能に突き動かされて、気付けばそうしていた、が正しい。
だけど、現在の俺の気持ちを理路整然と説明するならばきっとそうなる。
すると、目の前の男はそんな事でも嬉しいのか、ニヤリと目を三日月型に細めた。
(くそっ、下衆めが…)
だけど、俺は忘れていた。人間の脳というのはよく出来ていて、こうした極限の緊張状態に長時間晒され続けると、何とかいう興奮物質を大量に生成、分泌し、心身が壊れないよう時に感覚を麻痺させる働きがあるのだということを。
だから俺が『ちょっと痛い』と感じていたのは、本当は『ものすごく痛い』で、既にその痛みが危険域に達していたからこそ俺はそれを痛みとして知覚したわけで…。
そして、痛みを一度でも自覚してしまった俺はその後、間もなくして本気の泣きを入れる事になる。
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