9 エレベーターシャフト
『衝撃とかでも爆発するから気をつけてね』
気づかれた――爆弾――衝撃――誘爆する。
――かもしれない。
瞬間、思考が駆け巡り、ジローは反射的に地面に落ちたケースを上へ投げていた。
「アキラ!!」
アキラも、速やかに動いていた。
空中にばら撒かれたケースの中身――パイプ爆弾のひとつに狙いを定め、猟銃の引き金を引く。
弟を押し倒した瞬間、爆弾6本分の衝撃波と炎が通路を満たし、轟音と悲鳴が響き渡った。
うっすら目を開けると、密集した獣たちは散乱した大量の破片に引き裂かれ、さらに表皮に引火して炎に包まれていた。
阿鼻叫喚で暴れ周り、狭い通路は混乱に陥る。
「行くわよ!!」
ふたりは、異獣の体が遮蔽物になり爆風をもろに受けずに済んだ。
今しかない。苦しみ悶える巨体の間をすり抜けるように走る。
通路の先に見える光を全速力で目指す。
「ギェアアアアアアアッ!!」
そこに、炎に包まれた異獣たちが立ち塞がる。
アキラは壁を伝って飛び上がり、一体目の首をすれ違いざま斬り飛ばした。
さらに空中で身を捻り、二体目が振るう巨腕をかわし、その足元に着地。
顎下から銃口を押し付け、スラグ弾で頭部を吹き飛ばす。と、三体目の顔面に、間髪入れずスピンコックでリロードと同時にひるがえした銃剣の切っ先を突き刺した。
「アキラ! 後ろ!」
銃声でジローの叫びがかき消される。撒き散る血飛沫を横目に背後を見た。
視角外から四体目の異獣が、既に目の前に迫っていた。
「ッ――――」
全身がほぼ真っ黒に炭化しているが、まだかろうじて、生きていた。
銃剣は三体目に刺さったままだ。
間に合わない――と思った刹那、小さな体が飛び込んでくる。
「アギィオオオオ゛……!!」
「うぅぐっ……ッ!」
当然、それはジローだった。
渇いた呻きを上げながら異獣は彼の腕を掴んだ。ナイフのような爪が防護服に食い込み、凄まじい握力で、肉と骨が一気に押し潰される。
「ッぐぅ……!」激痛に奥歯を軋ませながら、彼は杖を異獣のこめかみに突き刺した。
「ジロー!!」
駆け込んできたアキラが即座に銃剣で喉元を刺す。「っ……!」右腕を掴む手から力が抜け、鋭い痛みとともに開放された。
「うっ……ぐ」
「行くわよ!」
アキラは弟を無理やり立ち上がらせ、再び走った。
立ち塞がる異獣を殺し、その亡骸を踏み越え、半壊した隔壁をくぐり抜けると、視界が開ける。
エレベーターホール。
あまりに高い天井に、一瞬呆気に取られて、足を止めかける。
「――あれだ!」
開きっぱなしの巨大な扉がある。
地上まで続く、運搬エレベーターの入口だった。
「このまま昇ろう……!」
背後からは傷を再生し始めた異獣たちが迫ってきている。
ふたりは扉に駆け込んだ。
「これが……」
昇降機のスイッチ類は当然作動しない。天井を見ると、食い破られたような穴があった。そこから光が漏れだしている。
穴から天井にはい上がる。
エレベーターシャフトはさらにはるか上に続いていた。
頂上までの距離は目算ではとても測れない。長大な四角柱の空洞だ。
昇降機は両側の壁にあるレールに固定され、巻き上げ用の6本の太いケーブルで吊り下げられている。
「フックガンを……」
ふたりはリュックサックから銃型の装置を取り出した。垂直ダクトを昇るために使ったジローの作品。
「先に登って。私は足止めする」
アキラが穴から下を見ながら言う。
「……いや、でも……」
「早く!」
一喝すると、ジローは口を噤み、準備を始めた。
頭上から伸びた6本のケーブルのうち1本を固定具で腰のベルトに繋げる。杖もベルトに抜け落ちないようにしっかりと挟み、フックガンの銃口を上方に、狙いをつけて撃つ。
射出されたフックはワイヤーを伸ばしながら、ケーブルを数メートル間隔で束ねている中継リングにひっかかった。
「来たわ!」
足元の穴から昇降機内を覗いたアキラが呼びかける。
ジローは支えになるケーブルの一本に掴まり、フックガンの巻き取りを開始した。
「ォアアアアアアアアッ!!」
そのとき、昇降機内に入った異獣たちの雄叫びが聞こえた。
足場がぐらと揺れる。ケーブルを登るジローの下についてアキラが支えていると、足元の穴から、異獣の腕が伸ばされていた。
「ガァアア――!」
身をよじって穴を広げ、天井に登ってこようとしている。
「くっ……」
大丈夫だ。
あの穴は狭い。一匹ずつしか通れない。
頭を出したところを仕留めていけばいい。
「アアアア!!!」
「ガァアアアアア!!!」
と思考した刹那、今度は足場全体が軋み始めた。
天井の鉄骨がひしゃげる。アキラは咄嗟にケーブルにしがみついた。
直後、足場が崩れ落ちる。残骸を押しのけ、無数の異獣たちが顔を出す。
獰猛な赤い目でふたりを見上げながら、壁に爪を立てて、次々よじ登ってくる。
「アキラ? 無事!?」
「さっさと登れっ!」
上からのジローの声に答えながら、アキラは自らもフックガンを取り出そうとして……それが無いことに気づいた。
群がる異獣たちの足元に、小さな装置が落ちていた。
さっき足場が崩れた時だ。
「クッソッ……!!」
異獣は続々と登ってくる。取りには行けない。仕方なく、そのまま素手でケーブルを登り始めた。
「……マジか」
ジローがその様子に驚愕したとき、意識外の頭上で、なにかが弾ける音が響いた。
「うぉっ!?」
目と鼻の先に、金具が降ってきた。
6本あるケーブルのうちの1本がたわみながら落ちていく。
急激な不可に、老朽化した根元の部品が耐えきれず、ちぎれたようだ。
「まずい、ケーブルの強度がもたない……急いで!!」
下のアキラに呼びかけている間に、また破砕音がなり、ちぎれたケーブルが1本が落ちてくる。
残り4本。
「……んな事言ったって……ッ! こっちは素手なのよ!」
アキラはケーブルにしがみつきながら、ジローの数メートル下を必死に登っていた。
そのさらに10メートルほど下に無数の異獣が迫っている。
全神経をケーブルにしがみつくことだけに集中させ、急ぐとかいうレベルの状態では無い。
だから、上からなにかが垂れ落ちてきたことにも、すぐには気づけなかった。
「……あ?」
マスクにぽたりと赤い滴が付着して、初めて気づいた。
その滴は、ジローの右腕から垂れていた。
さっき通路で異獣に掴まれた腕。
そこには大きな裂傷があった。
防護服が破れ、血が肘を伝い、垂れ落ちている。
「あ……」
バキン、とまたケーブルの1本がはずれて、アキラの視界が揺らぐ。
「大丈夫っ!」
ジローは姉に気づかれたことに気づき、平静の怒声を発した。
「いや、本当に、大丈夫なんだ。変異が始まるまではまだ数分かかる……。
登りきったら、ナイフを消毒して、汚染部をえぐり出せばいい」
その勉強だけは欠かさなかった。
部分的な身体汚染への対処法。最悪、汚染部をまるごと切除すれば、理屈上は助かる。
「大丈夫っ……まだ……」
そのとき、彼の腰に着いたフックガンのワイヤーが大きくたわんだ。
遠くでまたなにかが弾けた音がする。
そして、彼の全身から重力が消えた。
「――――あれ?」
宙に放り出されていた小さな体が、輪状の金属片と、ちぎれたケーブルとともに降ってくる。
フックガンのワイヤーを繋いでいた、中継リングが、1本のケーブルごとちぎれたのだ。
「ジロー!!」
アキラはとっさに弟の手を掴んだ。
瞬間――彼の右腕に全体重の負荷がかかる。
「いぃ゛い──――ッ!!」
尋常ならざる悲鳴が鼓膜をついた。
「ッてぇぇちぎれるうゥアアアアアでも離さないで──ッ!!」
「っ――――耐えて!!」
噴き出る血を見ながら、アキラは、息を整える。
弟を引っ張りあげようとしたそのとき、ケーブルを掴んでいる反対の手が汗で滑った。
「くッ────?」
あわてて掴み直す。
伸ばしきった彼女の腕はブルブルと痙攣していた。
ここまで幾多の異獣を斬り殺した。
いま、左手でジローを掴み、右手でケーブルにぶら下がっている。この状態を維持するだけで既に限界の力を使っている。
「う……ぅ……!」
ここから筋肉ひとつでも動かそうものなら、張り詰めた糸が切れ、指がケーブルから離れてしまいそうだった。
どうすればいい。ここからどうやって……。
思考している間にも、指はゆっくりと握力を失っていく。
「ッ……」
ジローの声が聞こえない。
見下ろすと弟は虚ろな顔をしていた。
激痛で意識を失いかけている。
「離さ──――──……」
「バカッ、起きて……!!」
握った手から伝わる力が急激に弱まり、直後、するりと抜け落ちた。
「ッ────」
ジローが落下する。
アキラは躊躇なくケーブルを離し、弟を追って宙に身を投げた。
エレベーターシャフトの底で待つ大量の黒い影が、歓喜の雄叫びとともに、ふたりを迎えた。
※
「ひゅ~……」
次々に群がり、手を伸ばし、引き裂き、噛みちぎる。
無数の黒い影が我先にと群がる。
「……ひゅう…………」
奴らはあっという間にジローを覆い隠した。影の隙間から伸ばされていた白い腕が、ほどなくだらんと垂れ下がる。
「こひゅ……」
アキラは昇降機の床に寝転がって、その光景を眺めていた。
「ひゅう~……」
もう一度、ありったけの息を吸い、腹に力を込める。
が、やはり起き上がれない。
目だけで見下ろすと、防護服の至る所に穴が空いていた。
右腕が、持っていた猟銃ごとない。両足は歪な方向に折れ曲がっている。
腹の大穴から垂れ出た腸を、数匹の“奴ら”がむさぼっているのが見えた。
「……ひゅ」
血溜まりに脱力する。
もう身体に痛みはない。ただ、息を吸う喉が震える。
血とともに全身の熱が抜けていくのがわかる。
寒いはずなのに不思議と内奥は暖かい。
感覚がぼやけて、ふわふわとして――丁度布団に包まれて寝る前の、あの微睡みに似ていた。
このまま目を瞑れば、おそらく、自分は無になる。
もう二度と目を覚ますことはない。
現実に戻ることはない。
これでもう終わる――そう考えるとなんだか気分も楽になってきた。
ただ、目を瞑ることはなかった。
重いまぶたは今にも目の下にくっつきそうだが、ギリギリで堪えていた。
呼吸も、続けていた。
あと数秒で命が尽きると自覚しながら、その数秒はとうに過ぎていた。
まだ諦めるな。
不思議なことにそう思う。思っていることに自分でも驚いた。
いま、誰かに背中を押されたわけでも、母との約束を思い出したわけでも、ジローの涙を見たわけでもなかった。
死んでたまるか。
それは彼女自身の中から生まれた未知の原動力だった。
「ひゅう……」
呼吸を続けろ。意識を失うな。
まだ私は生きている。可能性は……ゼロにはなっていない。
こんなところで死んでたまるか。
「ひゅううっ……」
もう誰もいなくなった。母も、友達も、好きだった人も、みんなこの世界に奪われた。
このクソみたいな世界に――
「…………ひゅうぅッッ……」
――負けてたまるか。
ずっと奥底にあった、でも長く放置され、冷め忘れていた感情が、再沸騰する。
煮えたぎる意志とともに息を大きく吸い込む。
そのとき、群がる無数の黒い影の隙間から、小さな何かが落ちてきた。
それはジローの杖だった。
ドッ、
と、アキラの胸にぶつかり、重い音を立てた。
ドッ、
昇降機の床に転がる杖を、目で追った瞬間。
――――――――ドクン。
「――――ッぐ――――あ!!」
大きな脈動が生じた。
血液が、凄まじいスピードで循環する。
全身が燃えるように熱くなる。
「――――ぉ――――あ――ア――!!」
熱い。熱い。
そして死ぬほど、腹が減ってきた。
頭の中で、何かのスイッチが切り替わった感覚がする。
『アキちゃんとジローは他の人とは違う。特別なの』
むくりと体を起こす。
ちょうど、自分の腹に食いついている異獣が目に入った。
『お父さんの血を引いてるから』
口の端から涎が溢れ出す。
抑えきれない本能のままに、アキラは異獣の頭に噛み付いた。
「ガッ、ギィアエ────」
骨を噛み砕き、肉を咀嚼し、溢れる血とともに飲み込む。異獣は驚きとも疑問ともとれる呻きを上げ絶命した。
そのまましばらくの間、死体に顔をうずめて血をすすり、喉の渇きを癒す。
すると、身体の疲労も回復していくのがわかる。流れる血が止まり、折れた足に感覚が戻ってきた。
その間、彼女の傍にいたもう一匹の異獣が気づいて、背後からにじり寄ってきていた。
「ギィォアアアアアッ!」
アキラはおもむろに、近くに落ちていたナイフを左手で拾い、口にくわえた。
突進してくる異獣。筋肉質に発達したその腕をかいくぐり、懐に潜り込む。
くわえたナイフを腹に突き立てた。
「ギッ――ア! ギァアアア!!」
そのまま腹を搔っ捌き、傷口から手を突っ込む。
暴れる巨体を腕力で押さえ込みながらまさぐり、硬い感触を指先に捕らえると、一息に引きずり出した。
「ギェアアアアアア──ッ!!」
胃液にまみれた散弾銃剣が、ちぎれた右腕とともに出てきた。
異獣がたたらを踏んで後ずさる。
アキラは取り戻した武器を間髪入れず、その脳天に振り下ろした。
銃身下部に装備された肉切り刃で、頭蓋を叩き割るように両断する。
鮮血がシャワーのように撒き散った。
「は……んく……ごく……」
彼女はそれを浴びるように飲みながら、ちぎれた右腕を、肩の付け根に押し当てた。
断面がじんと熱を帯びたと思うと、目に見える速度で肉が盛り上がっていく。
「……」
骨と筋繊維が接着され、ものの数秒で右腕が繋がった。
アキラは指を数度動かし感覚を確かめると、強く握りしめた。
ジローに群がる無数の異獣たち。既に無惨な肉塊と化した彼の頭にかじりつこうとする。
その首が、音もなく飛ぶ。
同時に、アキラは銃剣を振り抜いた姿勢で群れの中心に着地した。
異獣の腕から滑り落ちるジローの体を抱きとめる。
「…………」
弟の状態は見るも無惨なものだった。
が、その口に耳を近づけると、
「…………ひゅ……ぅ……」
ごくか細いが、まだ息がある。
やはりまだ生きている。
「アアウウウ゛ウ゛…………」
異獣たちは困惑していた。
いま彼らの前に立ちはだかる食事の邪魔者は、さっき食い殺した少女のはずだ。
「ヴヴヴ……」
彼女は、弟を丁寧に床に寝かせた。
その周りを異獣たちがじりじりと囲む。
いつもなら獲物を前にすれば瞬時に飛びかかる彼らだが、今ばかりは動けなかった。
なぜ動けないのか彼ら自身も理解できていない。ただ、この得体の知れない少女を目の前にして、本能が危険信号を発している。
こいつは人間でも異獣でもない。
もっと未知の存在だ。
「あんた……たち…………」
その存在は、手に銃剣をぶらさげ、ただ待ち受けるように佇んでいた。
「今まで、さんざん食い散らかしたからには…………そうなる覚悟もできてんでしょうね」
獰猛な輝きを放つ赤い瞳が、彼らを見据える。
「来いよ」
瞬間、恐怖の限界に達した異獣たちが次々に飛びかかる。
アキラは機械的に彼らを葬った。
あれだけ吐き気がした血の臭いは、今では何も感じなくなっていた。




