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アンダー・アース 終末姉弟生存記  作者: 遁遁拍子
第1章 地下シェルター
8/18

8 脱出作戦

 暗闇に小さな明かりが点る。

 ライトで照らされた机の上に、折れた杖を置いた。

 片方の継ぎ目に接着剤を塗り、もう片方と押し当てて、しばらく固定する。それからテープでぐるぐる巻きにしていく。


「いや~、まさか杖まで折られるとは」


 ジローはまだ少し鼻声だった。


「……悪かったわよ」


 隣でライトを持つアキラはそっぽを向いて謝った。


「アキラも謝れたんだね」

「うるさい。ホントはそんな気ないけど、あんたがピーピー泣きまくるからよ」

「はァ? 泣いてないよ。違うよあれは……ホコリアレルギーだよ」


 「へぇ~そう」からかうようにニヤついているアキラの視線を、机に目を落として回避する。


「これで……よし!」


 テープで巻いた杖の継ぎ目に金具を通し、ビスで完全に固定する。

 治し終えた杖を満足気に掲げた。

 

「ちょっと不格好だけど、前よりは頑丈でしょ」


 その後、ふたりはリビングに集合した。


「じゃあ作戦、説明するね」


 机の上にシェルター内の構造図を広げる。


「……まず、地上に出るには最下層(ここ)から第二層、第一層を通って、エレベーターシャフトまで行く必要がある。

 最短ルートを通っても約三キロの距離だ」


 構造図の中に赤いマーカーで線をひきなが、ジローは説明する。

 ライトを持ったアキラが、狩りに出向く時と同じ顔でうなずく。


「その途中では異獣の巣を通らなきゃいけない。

 二層と一層に、いま異獣が何体いるのかは完全に未知数。無策で挑めばまず突破できない。

 だから、これを使う」


 彼が取り出したのは大きい袋と小さい袋。「開けてみて」大きい方を投げ渡されたアキラは、「うえっ?」やたら水分の多い中身の感触にうめく。


「異獣の血と体液を染み込ませた上着。

 奴らは光のない地下でモノを認識するとき、主に嗅覚を使ってるから」

「こいつで臭いを偽装するってこと?」

「そう。少なくともこれで、臭いに寄せられて奴らが集まるのは防げる」


 狩りの時、異獣を呼び寄せるエサとして、アキラは人の血をかけた異獣の肉を使っていた。

 これはその逆というわけだ。


「じゃあ、そっちのもう片方の袋は?」

「こっちは……まあ……お守りだね」


 小さい方の袋は、厚い皮製で、口にキャップのような物が付いていた。

 ジローが袋を押すと、キャップから「ぴする」と音がする。

 聞き馴染みのある音だ。


「異獣の発するあの音に極力似せたんだ。近づかれた時、奴らの嗅覚をだましきれそうになかったら、こいつで……」

「…………使うとしたらもうお祈りね」


 嗅覚と聴覚から、奴らを騙す作戦。

 アキラは正直、本当にこれらで奴らの巣を切り抜けられるのか半信半疑だった。

 が、弟が考え抜いた末の結論ならば、これ以上の方法はないのだろう。

 やるしかない、とすぐに思い直していた。


 「他にも色々使うものはあるけど、ともかく、準備と計画はもう全部整えてある。

 あとは実行するだけだ」


 強い光を宿した目で、ジローは自信満々に宣言した。

 「ええ」アキラは今度こそ、彼から目を逸らさずにうなずいた。


 ごわついた防護服の上から、偽装用の衣服を羽織る。荷物を詰め込んだリュックサックを背負うと、ふたりは除染室の内扉をこじ開け、中に入った。

 簡素な室内。さっそく壁についた開閉スイッチを押すが、やはり無反応だ。

 停電により扉のスイッチ類も機能していない。


「ふんっ…………」


 手で押してみたが、さすがに外扉は内扉よりも遥かに頑強で、ビクともしなかった。


「銃で撃つ?」

「いや、弾は温存しよう。それよりもっと確実な方法がある」


 ジローは鉄製ケースを開け、細長い筒状の物体を取り出した。タオルで包んだそれを丁寧に開ける。

 切り取った水道管のように見えるが、その端には短いワイヤーが付いている。


「なにこれ」

「ふっふっ、名付けてパイプ爆弾」


 いわゆる即席爆弾と呼ばれる。筒状のケースに爆薬と金属片を詰め、両端を密閉し、導火線を付けた代物だ。

 簡単な作りだがこれでも銃弾とは別格の威力を誇る。爆薬に使ったのは農耕用に保存されていた肥料、硝酸アンモニウムである。


「強い衝撃とかでも爆発するから超取り扱い注意ね」

「……まさか私の部屋の扉吹っ飛ばしたのって……」

「そう、コレ」


 アキラは思い返して呆れた。あの状況で、私と会話しながら爆弾を仕掛けていたのか。


「あんたって……ほんとに頭おかしいわよね」

「これで……よし」


 ジローはパイプ爆弾を外扉の接合部にテープで貼り付けると、ビニールを開けたマッチを一本擦って、慎重に火をつけた。


「離れて!」


 内扉まで退避する。

 数秒後、凄まじい爆音が扉越しに聞こえ、痺れるような耳鳴りがした。

 恐る恐る扉を開けると、破砕した外扉がバタンと倒れるところだった。


「これは……」


 凄まじい威力。たしかに安易に取り扱っていい物ではない。

 アキラは扉の破片を拾い上げ、あらためて認識を刻み込んだ。


「よぅし……じゃあ扉もぶち抜いたことだし」


 一方のジローは既に意気揚々と扉の残骸を踏み越えている。


「行こう! 脱出作戦開始だ!」

「そんなことより、ここから先は私の指示は絶対厳守ね」

「…………」


 ジローはしかめっ面で懐中電灯を点け、暗闇に足を踏み入れていく。

 アキラは最後にもう一度、後ろを振り返った。

 六年間ふたりが暮らした“家”がそこにあった。


「……」


 これから先、外の世界に何があったとしても、ここにはもう二度と戻らないだろう。

 数秒眺めたあと、背を向ける。

 前を行くジローに追いつくように、足早に歩き始めた。


 除染室から隔壁までの通路は、汚染域ではあるものの、まだ異獣はいない。

 隔壁まで到達したところで、一度この先の作戦を整理する。


最下層(三層)から二層に上がる物資運搬用エレベーターがあるけど、ここからは遠すぎる。

 隔壁を挟んでだいたい100メートルぐらい進んだところに上層に登る非常階段がある。まずはそこを目指そう」


 さっそく隔壁を開ける作業に取り掛かった。

 要領は除染室の外扉と同じで、パイプ爆弾を使う。

 サイズや強度が高いことを考慮し、構造的に脆そうな中開きの接合部に4本を貼り付けた。

 導火線に火をつけ、バリケードまで離れる。直後、外扉を破壊した時とは比べ物にならない爆音と衝撃波が生じた。


「よし、行こう!!」


 と同時に、ふたりはバリケードを飛び出した。アキラが先導して崩れ落ちる隔壁をくぐり抜け、ジローも後に続く。

 なんとか足と杖を動かし、アキラの背中を追いかける。隔壁を通り抜けた直後、崩れた天井の瓦礫が落下した。


「あっぶねェ!」


 非常階段の入口は廊下の壁沿いにある。おそらくあと数十メートル先だ。

 その数十メートルが、ジローにとっては果てしなく遠かった。あっという間に息が上がって、脇腹が痛くなってくる。

 と、前を走るアキラが一瞬スピードを落とした。


「……来た」


 ジローも視界に捉えていた。暗闇から染み出すように現れる、二対の手足の人に似た形の生き物。


「そのまま、私の後ろを走って」


 そう言ったとたん、彼女はスピードを上げた。


「ォアアアアアアア!!!」


 獲物を見つけた異獣が咆哮を上げる。アキラは走りながら背負っていた散弾銃を取り出した。

 銃はジローによって少し改良が施されていた。

 銃身の下に取り付けられた長細い長方形の金属箱がそれである。


『前から考えてたんだ。銃の弾もあと少ししかない。弾を節約しつつ、もっとアキラの力を活かせる武器がいる』


 金属箱の下面には数センチのスリットがある。銃のグリップ側についたレバーを押し込むと、箱の内部が連動して、

 肉切り用ノコギリの刃がせり出してくる。


『名付けて、散弾銃剣!』


 諸々のパーツ増設によって重量はさらに増えていたが、アキラの腕力を持ってすればさしたる問題ではなかった。


 迫る異獣に対し一直線に突っ込む。


「オィアアアアアアアア!!」


 異獣が腕を振り下ろしてくる。直前で身を逸らしてそれを回避。腕を足場に飛び上がり、


「ふっ――!!」


 太い首に銃剣を叩きつける。

 刃がメリメリと肉にめり込み、骨を断ち切る。

 異獣の首が吹き飛び、その軌跡に沿って舞い散る鮮血が美しいカーブを描いた


「ふぅ……」


崩れ落ちる巨体を見下ろし、さらに後続の敵がいないことを確認して、一息ついた。


「けっこう使えるわね。これ」

「す……すごい! こんな簡単に倒しちゃうなんてッ!!」


 ジローは目を輝かせて駆け寄った。


「アキラって強かったんだね!!」

「……」


 純粋な尊敬の視線を向けられ、気恥ずかしくなったアキラは顔を背けた。


「……いいから。早くここ離れるわよ」


 実際、話をしている余裕はなかった。

 音に釣られて異獣は続々と集まってくる。既にまた廊下の曲がり角から数体、こちらに気づいて向かってくる影が見えた。


「階段の入口は?」

「こっちだ!」


 ジローが指す先、壁に隠れるように埋め込まれた非常階段の入口を見つけた。

 錆び付いた扉を蹴り開け、中に駆け込む。

 

 非常階段を登る。足場もかなり錆び付いており、踏む度にギギギ、と嫌な音を立てた。

 階段を登りきると、出口の扉には『第二層』と記されていた。

 音を立てないように、ゆっくりと扉を開ける。先にアキラが顔を出し、続いてジローが通路に出る。


「ここから居住エリアを通って、一層に行く。地上につながるエレベーターシャフトには一層からしか行けない」

「…………居住エリア……」


 あの日以来、一度も戻っていないふたりの故郷だ。


 運搬エレベーターから居住区に繋がる通路を歩く。

 見覚えのある道。そこはかつて姉弟を最下層に送り届けるため、母を含む大人たちが犠牲となった場所だった。

 既に遺体は見当たらなかった。床の片隅でまばらで判別不能な白骨がいくつか転がっているだけだった。


「…………」


 跡形もなく食われたのか、それとも。

 アキラは落ちていたナイフを拾い上げた。


「それって……」


 ジローが覗き込んで尋ねてくる。


「ユウトお兄ちゃんの?」


 アキラは拾ったそれを胸に当て、大きく息を吸ったあと、腰のホルスターに収めた。


「……言っとくけど…………異獣の“元型”を探し出すのは不可能よ。見た目は完全に変異してるから、どれが誰とか、そういうのを判別することはできない」

「うん。わかってる」


 アキラの念押しにジローもうなずく。

 ここにない遺体が、いまどこにいるのかはわからない。

 それが誰なのかも。


「いまは……僕たちが地上に出ることを最優先にする。この先何を見つけても」


 居住エリアに入る。

 高い天井でさんさんと輝いていた人工日光灯はいまは光を失い、街は永遠の夜となっていた。

 建物は六年前から何も変わっていない。特に破壊されることもなく綺麗に残っている。


 ライトで照らしながら先へ進むが、通路と違い、街という地形上、異獣がどの方向から来るかがわからない。

 この暗がりでは周囲数メートルに近づくまで姿を視認できない。


 そこでアキラは音と線量計(サーベイメーター)に集中した。

 異獣が近づく時、線量計のM線濃度数値が上昇する。

 また、奴らの発する特徴的な鼻音。

「ぴするぴする」というあれが聞こえてくる方向が、奴らの居場所というわけだ。


「……いる」


 線量計の上昇を見て、アキラが手で合図する。ライトを消し、建物に密着して姿を隠す。


「ぴする――ぴする――」


 異獣がのそのそと前方の街路から歩いてくる。

 ふたりに気づく素振りはなく、そのまま通り過ぎた。


「………ふぅ」


 ジローの算段通り、近づかれなければ奴らの嗅覚を騙すことができた。


「なんだァ、意外と楽勝じゃん」

「バカ。気抜かないで」


 ふたりはこのように隠れながら進み、あっさりと第二層《居住エリア》を突破。

 第一層に続く非常階段にまでたどり着いた。


 第一層《研究エリア》。

 ふたりが入るのは初めての領域。二層とは対照的に窮屈な通路が続き、埃っぽく、最下層の雰囲気に似ている。

 ただ倉庫が並ぶ単調な作りだった最下層とも異なり、第一層の通路は複雑に入り組んでいた。


「この道……本当に地上に続いてるの? なんかどんどん狭くなってるけど」


 アキラは周囲を警戒しながら聞く。


「ぴする――ぴする――」


 異獣の背後から忍び寄り、ナイフで頭を一突きして絶命させる。

 亡骸を音を立てないよう床に寝かせる。


「まだあと二匹。前から来る」


 この通路には隠れ場はない。

 ふたりはとっさに近くの扉を開け、中に入った。


 その部屋は研究室のひとつだったらしく、実験道具が床に散乱していた。

 

「ガラスとかあるから、防護服に傷つけないよう気をつけて」

「うん」

「奴らが過ぎるまでここで待つ」


 ジローは姉に返事しながら、デスクの上で乱雑に広げられた資料に目を落とした。


《新元素の最初期発生について》


 資料をめくると文章が続く。《マギスリウム粒子放射線は交暦-1年12月東京都で初めて確認された。都内各所に生じた柱形発光現象が発生源と思われ……》。


「ジロー? 何してんの、いくわよ」


 アキラに呼ばれて、ジローははっと顔を上げる。


 続きを読みたい衝動に駆られるも、先ほど自分が言ったことを思い出した。

 地上に出ることを最優先にする。


「――うん」


 彼はそのページを破りポケットに押し込んで部屋を出た。



「ねえ、奴らを狩るコツとかってあるの?」


 第一層に入って幾度目かの交戦の後、それまで黙って見ていたジローはアキラに尋ねた。


「……知ってどうすんのよ」

「僕もアキラみたいに戦えるようになりたい」

「はァ?」


 弟は大真面目な表情だ。

「……」アキラは銃に弾を込め直しながら少し考えて、


「……とにかく、頭を潰す。あいつらの再生力は人とは比べ物にならないから、それ以外じゃ致命傷にはならない」


 銃剣を再度異獣の頭に突き刺す。「フンフン」ジローは興味深そうに唸った。

 その様子を見たアキラは「でも」と付け足す。


「あいつらは爪とか牙は、こんな防護服なんて簡単に引き裂くわ。少しでも傷を受ければそこから汚染される。だからまずアンタは当分、戦わず逃げることだけを考えて」


 そう強く念押すると、ジローは少しうつむいて顎を引いた。


「……で、エレベーターまであとどれくらいあるのよ」

「ウン……もうそんなに遠くないよ」


 ジローは防護マスクに着けたライトで構造図を照らしながら言う。


「次の、次の角を右に曲がったらあとは一直線だ」


 図面に目を落としたまま角を曲がろうとしたとき、ちょうど向こう側からふらりと現れる影が見えた。


「あっ」


 ジローが声を上げ、すかさずアキラが動く。


「オ――ァ――……」


 壁を伝って飛び上がり、ゆらゆらと不安定に立つ巨体の首を切り飛ばす。

 異獣は悲鳴もあげずに崩れ落ちた。


「気をつけて」

「ごめん……」


 死体に目を落とした弟が黙る。


「なに?」

「いや……こいつ、いまなんかリアクション薄くなかった?」


 電灯で照らすと、死体の全身には無数の噛み跡があった。


「……この傷って……」


 アキラがしゃがみこんで観察する。


「異獣の歯ね」


 傷に刺さった長細い歯を抜いて、「まだ新しい」と付け足した。


「共食い……?」


 異獣の生態の全容はよくわかっていない。

 M線によって元の形から変異した姿。ということ以外は、経験で得た習性や肉体的な基本情報しか知らなかった。


「見たことは無いけど、考えられなくはない。私たちが狩りのエサにしてるのも、奴らの肉だし」


 生物は普通なら共食いを忌避するようその遺伝子を作られているはずだが、異獣はそもそも遺伝子の異常変化で出現した種だ。

 ありえない話ではないのか……。

 ジローが顎に手を当てて考えていると、「とにかく……」アキラがつぶやいた。


「この先に、こいつを食おうとした奴らがいる。噛み跡の数的には……数十体」


 共食いをするほど飢えた異獣の群れだ。


「エレベーターシャフトに繋がる他の道は?」

「……ここしかない」

「そう……」

「一回、様子を見よう」

「わかった。すぐ後ろについて」


 彼女はジローに指示し、慎重に角を曲がった。

 そのまま進んで、エレベーターシャフト直前の一本道までやってくる。銃剣を構え、曲がり角から慎重に顔を出した。


「っ……」


 予想通り、そこには無数の異獣がいた。

 見たところ20以上。うぞうぞとうごめく黒い影たちの向こう側に、僅かな光がもれ出す隙間が見える。

 

「あれが……エレベーターシャフトか」


 2、3匹ならともかく、これほどの数を一度に相手する経験はさすがにアキラもしたことがない。

 加えて、今回はジローがいる。足の悪いジローを守りつつ、この数の群れを果たして突破することはできるのか?


「…………」

「たぶん、あいつらもこの先に行きたがってるんだ」


 無理だと思いかけたとき、独り言のように呟いたジローは手に赤黒い塊を持っていた。


「ここを通るしかない……念入りに臭いを消そう」


 さっきの異獣の肉である。

 アキラがなにか言いかけるより先に、彼は腐臭が滴るそれを自分の全身に塗りたくった。


「嘘でしょ……」

「ホラ、アキラも」

「う……ぐ……」

「これしかないよ」


 「っ……う……」ジローが差し出す肉塊を受け取ったアキラは、息をとめ、偽装服の上からさらに塗りたくった。

 濡れた感触、血の臭いが防護マスク越しでも鼻腔に絡みつく。

 嫌悪感が込み上げる。しかし同時に、これほど強烈ならたしかに誤魔化せるかもしれないとも思った。

 一本道の長さは100メートル弱。ここを通り抜ける間だけ、その数十秒だけ奴らに仲間だと認識してもらえればいい。


「……よし。行くわよ」


 アキラが先行し、小声でジローに合図する。全身を異獣臭まみれにしたふたりは、姿勢を低く保ち、通路の角を曲がった。


「うっ…………」


 一本道に入るなり、むせ返るような血と獣の臭いが押し寄せてくる。「……ぷっ……」嗚咽が出そうになり、アキラは反射的に防護マスクの上から口をおさえた。


「ォアア……」


 異獣たちの足元に潜り込む。最も近くにいた一匹がさっそくふたりに気づいた。首をかしげ、こちらを凝視してくる。


「っ……」


 ジローは息を止めて、ポケットから小さな皮袋を取り出す。アキラは背中に隠した猟銃の銃把(グリップ)に手をやった。


「ぴする、ぴする」


 お手製の音出しグッズで、ジローが奴らの鼻音に似た音を出した。

 きょとんとする異獣。

 いや、どう考えても無理だろ!

 アキラは心の中で絶叫する。


「アェア……」


 しかし予想に反し、異獣は低く呻くのみで、興味を失ったようにそっぽを向いた。


「……マジ……」


 誤魔化せた……。

 ふたりは安堵の息を吐いた。


 エレベーターシャフト前の一本道に群がる異獣たちは、なぜか心なしか皆呆然としているように見えた。

 廊下の向こうから漏れ出す光に吸い寄せられるように巨体を寄せあっているが、そのせいでギチギチに詰まったお互いが身動きを取れなくなっている。

 先行し、異獣たちの足元を縫うようにくぐり抜けながら、アキラはジローが先ほど言ったことを思い出していた。


『たぶんあいつらもこの先に行きたがってるんだ』


 地上から地下に隠れ、いつか地上に戻ることを望んだまま叶わなかったものたち。

 もしかしたら彼らは、既に変貌した今でも地上に出たがっていて、光の下で群がっているのかもしれない。


「…………」


 いや、有り得ない妄想だ。アキラは後ろで待つ弟に合図をした。

 ジローは頷き、アキラがいま通った導線を辿るように異獣たちの間を這っていく。


 どく、どく、という脈の音が床についた手のひらまで伝わるようだった。頭上に複数の息遣いが聞こえる。見上げると、異獣たちは光の方に夢中で、足元にいるジローなど気にもとめてなかった。

 やはり、臭いさえ誤魔化せば見つからない。

 これなら行ける。アキラのいるところまではもうあと少し……。


 というところで、近くにいた異獣が不意に動いた。


「…………っ!」


 慌てて腹這いになる。その頭上を、巨大な獣の足裏が通り過ぎた直後、ミシリという重圧がふくらはぎ辺りに置かれた。


「ジロー……?」


 物音にアキラが振り返る。「くっ……」異獣の足元で何やら格闘している弟。


(なにやってんのよ……!)

(抜けない……!)


 防護服のズボンの裾を踏まれていた。ジェスチャーを読み取り、「マジかよっ」慌てて引き返す。


「このっ……」


 異獣の体重は200キロ以上ある。弟ではまず退かせない。彼女が力づくで引っ張ると、裾はズポン、と勢いよく抜けた。

 拍子でふたりとも尻もちをつく。


「あてっ……」


 通路にくぐもった金属音が響いた。

 それは、パイプ爆弾を収めた鉄製ケースが、床にぶつかった音だった。


「ォアア………………」


 頭上からのうめき声が途絶える。ふたりが顔を上げると、

 暗闇に輝く無数の赤い瞳が一斉にこちらを見下ろしていた。

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