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アンダー・アース 終末姉弟生存記  作者: 遁遁拍子
第1章 地下シェルター
7/17

7 生と死のはざま

 薄暗い廊下。床の至る箇所に水滴が落ち、埃で汚れた水溜まりを作っている。

 リアクター停止から三日が経過し、非常用のガスタービン式エンジンもついに息絶えた。

 シェルターからあらゆる電力が喪失。換気の止まった最下層内にはよどんだ空気が充満している。

 隔絶された暗闇と、耐え難い湿気の中、ジローは栽培室にいた。


 野菜たちは湿気を吸ってほとんどがダメになってしまった。

 温室をひとつずつ見て周り、せめて無事な実の種だけ取っておくことにした。


「いままでありがとね」


 彼らの声はもう聞こえない。

 種を入れた袋の口を締め、日光と生命の輝きを失った栽培室を見回す。


「……じゃあ、もう行くよ。バイバイ」


 自室に戻ると、あらかじめ揃えた荷物をリュックサックに詰め込んでいく。

 手動発電式ライト、ナイフ、シェルター内構造図……それから机に置かれた数本の“鉄管”をタオルで慎重に包み、鉄製ケースにおさめた。


「……よし」


 ケースを閉じて、防護服を着用。最後に積み上がった本の山に目を向ける。

 全ては持っていけない。あらかじめ決めていた一冊を手に取る。

 『第二地球冒険記』。表紙にかかった埃を払い、リュックの底に押し込んだ。


 防護マスクを持って、部屋を出る。


「はっ……ふぅ……」


 換気が止まり、空気が薄くなっているせいか、少し歩いただけで息が上がった。

 食糧、水、そして空気。リアクターの電力で保たれていた人の生存に必要な要素が、ひとつずつ、確実に消えていく。

 おそらくあと数日ですべてが尽きる。その前に、行動を起こす。


 廊下の片隅に中途半端に潰れた通信機が落ちていた。「……」それを拾って、アキラの部屋の前までくる。

 扉の所に置いた食事に手をつけた様子はない。

 ドアノブに手をかけてふと思いとどまる。一旦荷物を下ろしてから、ノックした。


「アキラ、起きてる?」


 扉の向こうから、掠れた息遣いが聞こえた。


「あのさ」

 

 ジローはなけなしの唾液で喉をうるおし、


「地上に出よう」


 そう言うとまた、息遣いが聞こえた。気が抜けるような乾いた音。


「大丈夫。作戦は考えてある。体力がなくなる前に出発しよう。それが、僕たちが生き残る唯一の道だ」

「…………」

「……聞いてる?」


 返事はない。ジローはグローブの中で手汗を握った。


「そりゃ、外が安全な保証もないけどさ……でも、何もしないよりマシでしょ。

 地上に行けば少なくとも選択肢は広がる。ほかの生き残りを、父さんを探すことだってできるよ。だからさ」

「…………そう」


 扉の向こうから帰ってきたのは、心底無関心そうな声だった。

 カチリ、

 と小さな金属音がして、ジローは眉をひそめた。


「……なにしてんの?」


 足元に置いた荷物に視線を移す。そういえばひとつだけ、足りないものがある。


「……とりあえず出てきてよ。開けるからね」


 扉を押すと、何かに引っかかって止まった。

 ライトで照らすと塞ぐように置かれたベッドが見えた。


「なんだこれ……」


 散らかった部屋の真ん中で、椅子に座るアキラの背中がある。

 その手には無骨な猟銃があった。


「アキラ?」


 彼女はこちらに背を向けたまま、床に立てた銃の上に、あごを乗せている。


「なにやってんだよ……?」


 呼びかけても反応はない。


「アキラ? ちょっと、開けてよっ」


 ジローは体をぶつけるように扉を押した。だが彼の力ではビクともしない。


「アキラ、何してんだよやめろって! アキラ――――――」


 弟の声を遠くに聞きながら、彼女は深いため息をついていた。


「…………はぁ……」


 そこには苛立ちも倦怠感もない。ただ安堵のため息だった。 

 これは諦めではない。最後の非常電源が切れるまでも待った。

 正真正銘。もはや自分の意思とは関係なく、状況的に、さすがに、これ以上はどうしようもない所まで来たのだ。


 この日を待っていた。

 本当に、やっとだった。


「…………グロいから見ない方がいいわよ」


 この銃なら痛みを感じる間もなく一瞬で死ねる。


「死体はそのままにしといて」


 覚悟を決めて、弟に背を向けたまま伝える。


「なんだよそれっ! ふざけんな……クソっ……!」


 ジローはまだ扉を開けようと試行錯誤している。こんな状況でも、しつこく、諦めることなく。


「……なんで……あんたはさ」


 ふと、ずっと抱えていた純粋な疑問が浮かび上がってきた。


「なんでそんなに生きたいの」


 扉の外で、ジローが動きを止める気配がする。


「なんでそんなに、外に出たいのよ。人が……生きてけるような環境じゃないって……あんただって、わかってるでしょ。

 誰もいない世界でそんなに頑張って、なんの意味があるの」

「……は……?」


 ジローが困惑した声を発する。

 その本当に理解できていない雰囲気に、苛立ちが湧き上がる。


「いや……だから……生存者がいるかは出てみないとわからないよ。ここにいたら確実に死ぬけど、外にはまだ可能性が……」

「だからその、“可能性”とかいう言葉を平気で口にできる感覚が、理解できないって言ってんの。

 なんでそんな期待ができるの。そんな心の余裕が、まだあるのよ」


 こっちだって理解できない。

 物心ついた時からずっと、あんたは得体が知れなかった。


「……なんでって……言われても………」


 ジローは唸って、黙りこくってしまった。


 人生で一番長く近くにいた。一番心の通じ合えなかった人間。

 たぶん自分とは根本的な感覚がズレている。

 この状況で、もはや異獣よりもよっぽど畏怖の対象に感じる弟の返答を、アキラは静かに待った。

 この返答だけは最期に聞いておきたいと思えた。


「……この世界のこと……」


 ほどなく、彼は迷いない声音で答えた。


「何も知らずに死ぬなんて、ありえない。

 本当の世界はもっとずっと広いのに、こんな狭い所で一生終えるなんて、そんなの。もったいなさすぎる」


 弟の大きな瞳が脳裏に浮かぶ。その奥に宿された強い光。


「僕たちは、まだこの世界のこと何も知らない。何も知らないってことは、死んでるのと同じだ。

 僕は本当の世界で、本当の意味で、生きてみたいんだ」


 どんな状況に置かれても変わらない、絶対的な原動力。

 自分はついぞ見つけられなかったそれを、弟の言葉からひしひしと感じる。


「でも僕ひとりじゃ出られない。だからさ」

「……そう」


 だからやっぱり、分かり合えないのだ。


「悪いけど、私には無理」


 決別を確信して、少し穏やかになれた態度で、告げる。


「あんたなら一人でも出られるわよ。この前のダクトでも、なんでも使えばさ」

「っ――」

「私と違って賢いんだから」


 断続的に放たれる、言い訳のような言葉に、ジローが息を飲む気配がした。

 その反応に躊躇を覚えるより先に、アキラはぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばって。

 引き金をひいた。


 ――と、同時に背後で凄まじい爆発音がした。


「うッ――!?」


 何か重い物が背中にぶつかって来た。突き飛ばされ、顎先を外れたスラグ弾がかすめて天井に突き刺さる。


「ぐ……ッ……なに……?」


 床に手を付き、甲高い耳鳴りを聴きながら、嗅ぎ覚えのある刺激臭を感じた。

「……まさか」自分にぶつかってきた物を見る。それは扉を塞いでいたはずのベッドだった。

 ひしゃげた扉が、縁からまばらな炎を立てながら、ゆっくり倒れる。

 立ち上る黒煙の中からジローが現れ、飛びかかってきた。


「あああ!!」

「ぐっ!?」


 必死な形相でアキラの銃を掴み、もぎ取ろうとしてくる。


「ぐ……う……う……!!」

 

 引っ張り合い、揉み合い、足をからませ、二人とも床に転がった。


「この……離せ……っ!」

「イヤだ!!」


 何故か引き剥がせない。火事場の馬鹿力か、あの非力な弟とは思えない力強さだった。


「離せよっ!!」


 あまりのしつこさに咄嗟に本気で蹴り飛ばしていた。


「ぐえっ!」


 尻もちを着くジロー。その拍子に彼の持っていた杖が、バキリと音を立て、折れる。

 一瞬ジローの表情が大きく歪む。だがすぐにまたこちらを睨みつけ、立ち上がろうとしてくる。


「ッ……はぁっ……いい加減に……して……」


 アキラは息を切らし吐き捨てた。


「無理だって……言ってんでしょ。何言われても、もう、べつに気ぃ変わんないから」

 

 ここまで執念深く手段を選ばないとは。

 もはや、こちらも最後の手段を取るしかない。


「出てって」


 アキラは覚悟を決めた。


「でなきゃ、撃つ」


 向けられた銃口を見たジローは動きを止めた。わずかに目を見開いたが、しかしそれだけだった。

 口を(つぐ)み、ただ拗ねたような目で、まっすぐ姉を見上げて。


「……いいよ」


 その瞬間、アキラの中でなにかが切れた。


「いい――ッ――わけないでしょうが!! なんなのあんた、地上に出たいんじゃないの!?」


 フィンガーレバーを操作する。ジャキ、と金属音が鳴り、薬室に弾が装填される。


「そりゃ出たいよっ……!」

「だったら出ろよ!! さっさと出てけよこのっバカ!!」

「うるっ……さいバカ!! それじゃ意味ねえんだよっ!!!」


 ジローは拳を握りしめ、ムキになって叫び返してくる。


「――あっそう――ッ!」


 アキラは激情のままその眉間に照準を合わせた。


 だが、引き金に指をかけて、ぎょっとした。


「ひとりじゃ地上に出たくなんかないっ……ひとりになるくらいなら…………死んだ方がマシだ」


 照準越しに見た弟の両目からは大粒の涙が溢れていた。


「……は……?」


 驚くと同時に、困惑した。引き金をひこうとした指が、自分の意思とは無関係に硬直する。


「……なんなの……」


 心臓が握りつぶされるような鈍痛がする。意味がわからなかった。

 なぜ、弟ごときに。


 何が違う?

 異獣を殺す時と同じだ。もう生きていても仕方の無い命を、終わらせるだけの引き金だ。

 なぜ引けない?

 コイツが弟だから?


 弟だったら、なんなんだ??


 小さい頃からべつに好きじゃなかった。


 仲良くない。喧嘩はしないけど進んで話すこともない。

 お互いに特に興味がない。

 いてもいなくても変わらない。


「うッ……ク……」


 そんな存在、だったのに――。


「……クソ…………」


 わからない。自分の感情……行動の原理が。

 いま何をすべきか、これから何をしたいのか、もう何も、わからない。


『――なんで! なんで母さん置いてくんだよ!』


 その時、よみがえったのは、最後に弟の涙を見た日の記憶だった。

 アキラはわらにもすがる思いでそこに回答を求めた。


 そうだ、あの日――。


 母を置いて最下層へのエレベーターが動き出した後、黙って立ち尽くすアキラに、ジローは何度もたずねた。


『なんで!!』


 当然、なだめる気力などなかった。


 扉が開くと、無言のまま手を引っ張って外に出た。

 たどり着いた最下層は暗く閉鎖的な場所。異獣はいなかったが、ひたすら通路と同じ形の扉が続く空間で、歩いているだけで気が狂いそうになる。


 こんな所で、これからたった二人だけで、生きていかなくてはならない。

 そう思うと胸の内が黒く塗りつぶされていくようだった。


『お母さん…………っ』


 ジローは部屋に閉じこもってまだ泣いていた。

 いずれ出てくるだろうと思っていたが、二日経っても、水も食事も取ろうとしないので、さすがに扉をノックした。


 慰める気力はなかったので、『いつまですねてるの』とか『さっさと働け』とか、そんな言葉をかけた気がする。

 弟が余計に怒ることになっても、まあいいだろうという思いだった。

 自分を糾弾して、散々なじって、それで憂さ晴らしでもすればいいと思っていた。

 そう思うくらいにはアキラも自暴自棄になっていた。


 だが、いざ声をかけると、意外にもすんなりと扉は開いた。


 弟が出てきた。

 大きな瞳をパンパンに泣き腫らして。

 口を結んだまま何かを押しとどめた顔で、こちらを見上げて。


 それから――。



「……あぁ……」



 その時、全てが腑に落ちた。



「…………わかった……わかったよ」



 それからアキラは銃を手放し、ジローを抱きしめていた。


「ごめん」

「うぁあ……うえぇええ」


 首筋に顔を押し付けて、せきを切ったように泣きじゃくる。

 弟の身体はあの頃より少し大きくなっていた。

 でもやっぱり、弱々しくて、頼りなくて、

 そして温かかった。


 奇妙な感覚だった。置かれた状況はなにも変わらないのに、死ぬ気は失せてしまっていた。

 たったこれだけのことで気が変わるなんて、我ながら意味不明だ。


 でも、たぶん、どうしようもないことなのだ。


『お願いだから約束して』


 それは母が最後の瞬間まで、私たちの母親だったように。


『これから先どんなことがあっても……』


 私も、どこまで行っても、コイツの姉なのだ。



「……生きるよ」



 アキラは弟の背中を何度もさすり、固く強く、抱きしめ続けた。

 やっと見つけた自分の光を、もう二度と離さないように。




「いっ――――――たたたたたいいたいっ! ちょっ、背骨折れるってっ!!」

「ゴメン」


 こうして冒険の準備は終わった。

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