5 故郷
地平線が夕日を完全に飲み込み、夜が訪れる。
人類滅亡前と比べると格段に暗い闇夜。ただし地下とも違い、一切光がないというわけではない。
地上には天然の光がある。
大気に舞う汚染物資は上空に上がるほど薄くなっていく。今日は風の流れも良く、埃や灰の散布は少ない。
空に散らばる無数の星と月がくっきりと浮かび上がって地上を照らしていた。
その砂浜にも月明かりは出ていた。ぼんやり光る波打ち際に、一艇のボートが音もなく漂着する。
小さなドアが開くと、数人の黒い影が現れ、自動小銃を手に周りを警戒する。
「東西班に別れて砂浜を捜索しろ。“彼女”もここに流れ着いたはずだ」
最後にボートを出たカイダ・ユウヘイは、部下たちに短く命じた。
「了解」
迷彩柄の防護装甲に身を包む兵士らは、即座に砂浜に散らばっていく。
「了か……うっ……」
と思ったが、新米兵が一人。視界の端で嘔吐しかけていた。「しっかりしろ」目線は砂浜を警戒したまま声をかける。
「すみませっ…………うっ………」
「吐くならボートに戻って吐け。ヘルメットの中で窒息するぞ」
「っ……いえっ……大丈夫です」
この任務から配属された不運な彼は、込み上げたモノを意地で飲み込んだらしく、フラフラと立ち上がっていた。
「無理するなよ」カイダはフルフェイス型防護ヘルメットの中で軽いため息をついた。
『――こちら東班――仲間の遺体を複数発見――』
無線越しの部下の報告にはややノイズが入る。
『すべ――認しました。生存者――なし』
現代において、旧世代の衛星を利用した通信や位置情報はほとんど使い物にならない。
地上を包むM線によってあらゆる電波が阻害されるためである。
この地に漂着したカイダたちが救助を呼ぶにも、長距離通信ドローンが必要になる。
幸いボートに一機装備されていて、安全が確保できたら飛ばす予定だが、まだ気は抜けない。
『――こちら西班――ターゲットの痕跡――見しました』
「……わかった。すぐ向かう」
報告の場所に向かうと、そこには巨大な生き物の死骸が転がっていた。
「これは、“竜”か……」
「はい。敵兵が騎乗としていたものとみて間違いないかと」
先に確認していた副官のリーが報告する。
全身に無数の穴を空けられた、“竜”としか言いようがない姿形の生物。その周辺には、細かい鉄片やゴミなどが無数に転がっていた。
「……翻訳機のタグは?」
「周辺一帯では受信できていません」
『隊長、足跡があります。三人分、市街地に向かった模様』
別の兵士の報告。
その瞬間カイダは思考と判断を終え、「全員、西側に集合しろ」部下たちに指示を発した。
「これより市街地を捜索する。ターゲットはこの地にいる。何としても確保するぞ」
『了解』
兵士たちは速やかに行動を開始する。
カイダは、砂浜の向こうに見える街なみを見渡した。
およそ20年ぶりに訪れた、故郷の風景。それは彼の脳の深い部分を抉り、生々しい記憶と罪悪感を呼び起こさせた。
※
十数時間前。
「なんなの……これ……」
アキラとジローは、砂浜に倒れ伏した少女を前に立ち尽くしていた。
そのすぐ傍らには今しがた絶命した竜の亡骸がまだ湯気を立てていた。辺りには濃密な血の臭いが立ち込めつつあった。
「とりあえず……異獣が寄ってくる前に、ここを離れるわよ」
猟銃を構えながらアキラが言う。「う……うん」父の形見の杖を拾い、ジローはうなずいた。
その先端の石は既に光を失っていた。おそるおそる触ると、ジュッと音がする。
「あっッつ……!」
「はやく、行くわよ!」
アキラが少女を背負いながら急かす。
ふたりは廃墟街に戻り、隠れ家になりそうな手頃な建物を探した。
比較的植物の侵食が少なく、頑丈そうな廃商業ビルを見つけた。
「いったいどういうことなんだろう」
ジローは杖をつき、歩きながら呟く。先ほど少女はたしかに、この杖で何かを起こした。
「この杖に、あんな使い方があったなんて……すごいよ、超能力だよ、アレ。
てことはさ、持ち主の父さんの正体もさ、超能力者だったのかな??」
「あんた、この子が起きてもそういう質問攻めにしないでよ」
アキラは背負ったパシパエの顔をちらりと見ながら、弟に釘を刺した。
「なんで?」
「なんでって……この子は……危険よ。あまり刺激するようなことはしないで」
アキラは先程彼女が竜を撃退した“攻撃”を思い返す。
銃弾も通らなかった竜の体を一瞬で粉々にした。結果的にジローは助けられたが、一歩違えば巻き添えになっていただろう。
そうなれば再生する暇もなく確実に死んでいた。
「何が起こるかわからない。もしも……あの力が私たちに向けられたら、取り返しのつかないことになる」
「この子が……そんなことしないと思うけどなぁ……」
ジローは呑気に言っているが、だからこそ自分は慎重にならねばならない。
まずは、その正体を突き止めなければ。
アキラは背中でぐったりと眠る少女への警戒意識を強めた。
※
目を覚ますと、見知らぬ部屋で寝ていた。
「Eliena……Sirha……arrel vi……」
いくつかの机と箱型の機械が並ぶ部屋だ。各席ごとに雑貨や付箋やペンがまばらに置かれて、おそらく何年も使われていない場所のはずだが、当時の生活の残り香がまだ感じられる。
壁一面のガラスの割れた窓から見える外はすでに暗くなっている。
「っ……」
不意にずきりと右目が痛む。
眼帯に触れる。そうだ。さっき砂浜で、またこの目を使おうとしたんだった。
でも船で使った時よりは痛みがマシなのは、杖があったからだろう。
「あ、おはよう!」
すぐ近くで声がして、反射的に肩を強ばらせた。
見覚えのある少年がいた。黒髪の短いくせっ毛、大きな瞳をした人懐っこい顔が、覗き込んでくる。
このジローという少年が、杖の持ち主だった。
「きみ、また気を失ったんだよ。あでも安心して。いまここは……砂浜からちょっと離れた、安全な場所だからさ」
彼の言葉はパシパエの知らない言語だが、耳の翻訳機のおかげで理解できた。
「ちょっと待ってて、いま食べ物用意するからね」少年は優しい口調で喋りながら、焚き火に水を入れた鍋をかける。
ガチャリ、ドアが開き、少し背の高い少女が入ってくる。
「戻ったわよ」
ボーイッシュな短い黒髪に、やや鋭い猫目。こちらの名前はたしか、アキラだ。
「なんか、その辺に生えてた野菜みたいなのと……あと魚も何匹かとってきた」
「いいねえ。ぜんぶブチ込もう」
アキラが持ってきた食材を、ジローはナイフで器用に切って、鍋に入れていく。
手慣れた様子だった。彼らはずっとここで生活していたのだろうか。
と思っていると、鍋から湯気とともにいい匂いが漂ってくる。
「……ごくり」
そのときパシパエは、自分の腹がとんでもなく空いていることに気がついた。いったい何時間、何日間、ろくに食事をせず過ごしていただろう。
ぎゅうう……と低く唸っている。
あ……まずい。
「っ……!」
ぎゅぐぐぐぐう~~~!
不意に部屋に大きな音が響き渡り、姉弟は目を丸くしてパシパエの方に振り返った。
「Ah……u……s,s,sheleva!」
ぎゅう~……ぎゅうう……。
必死に腹を押さえつけるが、一向におさまらない。
「ァアゥアアア……!」
最悪だ。助けられた上に、料理を見て真っ先に腹を鳴らすなんて。
なんて無礼で意地汚い。
「ははぁ~いいね。振る舞い甲斐がある」
ところが顔を真っ赤にするパシパエに対し、ジローはニッと笑った。
「ほら、できたよ」鍋から具と汁をすくい、器に入れて渡される。
大きな野菜や、ぶつ切りの魚がごろごろとそのまま入っていた。
「食べて食べて」
もう堪えられない。奪うように器を受け取り、おそるおそる息を吹きかけて、一口すする。
「どう?」
「…………」
言葉にならないほど美味しかった。
各具材の旨味が凝縮されている。体が芯から温められ、胸に染み付いた負の感情すらも浄化されていくようだ。
「ん……ふ……ふぅ」
パシパエはこくこくと何度もうなずきながら、口の中が火傷するのも忘れて一心不乱に食らいついた。
「いままでの中じゃあ、いちばん悪くないんじゃない?」
「食材と料理人の腕がいいからね」
食べ終わったあと、アキラは部屋の窓辺で見張りに立ち、ジローは食器や鍋を拭いて片付けていた。
「É, Ena……meri’na s, sulvata al maran」
おずおずと近づいて話しかける。
「ん……?」ジローに言葉は通じていない。彼の持つ鍋を指して初めて、「あ、手伝ってくれるの!」と反応する。
「じゃ」と持っていた容器の一つを渡してくれた。
「もう体は平気?」
「……ein」
「……そっか。よかった。いまの『はい』って意味だよね?」
「Ena…… iréth na selmira, naëth ena pasië…… koréth ilyuna nai……」
「……ん……?」
ジローは顔を上げてパシパエの顔を見る。ジェスチャーを待っているようだが、こういった長めの文章は伝えづらい。
ふと思いついて、彼女は翻訳機を片耳だけ外し、差し出した。
「……これ着けてってこと?」
「Thēren」
ジローは受け取った翻訳機を自分の耳に着ける。
『Share mode same machine completed』彼にしか聞こえない機械音声がした後、
『言語解析。日本語』
「あの……き、聞こえますか?」
目の前にいるパシパエの声が、彼の理解できる言語に変わった。
「私の……言葉……わ、わかります?」
パシパエは不安そうな顔で覗き込んでくる。
「…………わかります」
壁際に腰かけて窓を見張るアキラは、ジローとパシパエが顔を近づけ合って話しているのを注意深く観察した。
「…………」
小声で中身まではよく聞き取れない。ただジローの表情は驚きに染まっていた。
アキラはなぜかその光景に少し危機感を覚えた。
猟銃を握る手に少しだけ力を込める。
「じゃあ……いままでの会話もぜんぶわかってたんだ」
「はい。ごっごめんなさい、最初から、ここ……こうすればよかったのに……」
「いや、そんなことはないよ。一回通じない状態で話してた分、いま感動すごいし」
ジローは屈託のない笑顔で答える。「あの……」彼女はそこで一度唾液を飲んで、カラカラになった喉と舌を潤す。
「えっと……お……おふたりに助けていただいたご恩は本当に忘れません。でも……わ、わかっていただきたいんです。
私とは、関わってはいけないんです。おふたりにも……その、きっ……き……き……」
「危険?」
ジローが続きを先に言ってくれた。パシパエが言葉を詰まらせてしまうのも、特に気にしていないようだった。
「あ……それです」
酸欠になりかけた喉から息を吐き出し、うなずくパシパエ。
「それって、さっきみたいなあのバカでかいヤツとか?」
あの竜のような異獣を思い出しながらジローは付け足す。
「そ、そうです。あれは……私の、おおっ、追手でした。あの、わっ私、実は……」
「よくわかんないけどさ、君のあのすごい力があれば、また撃退できるんじゃない?」
彼は、パシパエの内情には特に興味無さそうに、聞き返してくる。
「だっダメなんです……あれは……。
あ……あれを使ったら私は……わ……私じゃなくなる」
「……?」
要領を得ない物言いだった。
しかしジローとしても、ここで簡単に引き下がることはできない。
「僕たち、最近までずっと地下シェルターにいたんだ」
話題を変えてみる。
「だからまだ、この世界のことあんまり知らないんだよね」
「ちっ地下……?」
「うん。もし良ければ君に教えてもらえないかな」
彼はまず自分の境遇と、目的を打ち明けることにした。
「地上がいまどうなってるのかさ」
パシパエは少し戸惑った素振りを見せたが、ジローが真っ直ぐに見つめていると、
「……わ……私が、知っている限りの、こと、なら……」
と了承してくれた。
「おっお世話になった、お返しに、なるのでしたら……」
「ありがとう!」
ジローは待ってましたと言わんばかりに、父の杖を取り出した。
「じゃ、さっそく。さっき君が使ったこれ……君は、これがなんなのか知ってるの?」
「……それは……」
するとはっと目を見開き、言葉に迷ったように沈黙してから、
「なんで、ここに……」
「見覚えあるんだ?」
「……すっ……それは石杖……私たち、ま《魔法使い》の杖です」
「……まほう……?」
「はい。わっ私のこ故郷では、そう呼んでいます」
ジローの聞き返しに、大まじめな顔でうなずく。
「故郷って…………」
彼女は黙って、上を見た。
そこにあるのはオフィスの天井。だが……ジローが真意を理解するのに、時間はかからなかった。
「……マジで」
天井の上にある空。そのさらに向こう――――第二の地球を、指していた。




