1 第二スタート
地面が不規則に揺れている。
奇怪な感覚だった。止まっているのに常に視界が動く。
おかげか、酷い吐き気がする。
置かれた現状も相まって、こうしてベッドに寝ていても、
自分が不安定な所にいると思い知らされる。
「うっ…………ふぅ……うぅ」
堪えきれない不快を、部屋の隅にある便器に吐き出す。
ひたすら嗚咽を垂れ流し、やがて疲れて、ため息をつく。
「はぁ……」
部屋にやってきてからというもの、この繰り返しだった。
汗で蒸れる眼帯をポリポリと掻いて、それを外せないことに煩わしさを感じながら、ベッドを立つ。
扉の窓から外の様子をうかがう。
暗い通路に3人の兵士がいた。
全身を迷彩柄の装甲服に包み、扉に背を向け、何やら話し込んでいる。
「……あの……」
声をかけてみるが、厚い扉越しで聞こえていないのか、反応はない。
「あっ、あの……!」
もう少し大きな声を出してみると、一人が振り向いた。
「|Is there a problem?」
表情のないヘルメットが、くぐもった返事をする。
こちらが発したものとは異なる言語だが、彼らがくれた“翻訳機”という代物を耳につけているおかげで、意味は理解できた。
「何か要望ですか?」
「あ……ええと……」
ひとりでいるのに飽き飽きして声をかけただけなので、少女はとっさに理由を考えた。
「その…………あっ頭が、いい痛くて……きき、気分がっ、悪いんです」
爺や以外の人と話すのはいつぶりだろう。言葉を詰まらせる少女に、「船酔いですか」兵士は平静に対応する。
「ふ、フナヨイ……? それは、い、命に関わるびび、病気とかですか?」
「……いえ。別に。酔い止めを持ってこさせます」
そう言って、兵士はさっさと離れていこうとする。
「あ、待って!」
「まだ何か?」
「……あのっ……いま……どこに向かっているのですか?」
数時間前とまったく同じ質問をする。
「それは答えられません」やはり同じ答えが返ってきた。
「酔い止めは持ってこさせます。それまで安静にしていてください」
突き放すように告げ、今度こそ去っていく。
「……はぁ……」
たぶん、これから、彼らのどこかの拠点に連れていかれるのだろう。
故郷に帰れるのはいつになるだろうか。
そもそも、この命が尽きない間に、そんな機会はくるのか。
と、思考がめぐると、また腹の底が寒くなってくる。
だがそれが震えとなって現れるより先に、尻の下の床が、大きく揺れた。
「うッ――!?」
さっきまでのゆるやかな揺れとは違う。芯を突くような強い衝撃。
ズズズ……と構造物全体が歪む音がする。
扉の外からけたたましいブザーが鳴り響き、機械的な音声が聞こえた。
『飛翔体接近。数2。各員戦闘配置につけ。繰り返す。各員戦闘配置に――』
直後、放送を遮るように廊下から轟音が生じた。
「なっ、な、何があったんですか??」
「部屋の奥へ!」
窓から顔を出した兵士が物々しく言い残して、同僚の元に戻っていく。
少女は貼り付いて外の様子を見た。
「もうバレたのか! 上の状況は??」
「応答がない。いまのでやられたのかもしれん……」
兵士たちは、横一列に並び、廊下の奥へ自動小銃を向ける。
黄色い警戒ライトが暗闇をぼんやりと照らしている。
その奥でなにかがフラリと動く。
「止まれ!」
コツ、
コツ、
規則的な足音が、近づいてくる。
暗がりで容姿は確認できないが、人の形をしているようだった。
兵士の声を無視して、こちらに悠々と歩いてくる。
まるで散歩でもしているかのように。
「――撃て!!」
直後、銃声が響いた。
バリバリとけたたましい金属音がして、大量の薬莢が床に跳ねる。
しかし、人影は歩みを止めない。
奇妙なことに、発射された弾丸は一発たりとも標的を捉えてはいなかった。
まるで当たる直前、弾が自ら避けるように、あらぬ方向へと逸れていく。
「なっ……」
動揺する兵士たちに、人影はふいに、片の手のひらを向けた。
パチッ、
指先で小枝を弾いたような乾いた音がさる。
「ゥ――?」
直後、暗闇に光が瞬き、兵士の一人がくぐもった呻きを漏らした。
その鎧に包まれた全身が、ブクリ――と急速に膨くらみ始める。
装甲の継ぎ目から白い蒸気が漏れ、金属がミシミシと悲鳴を上げて、
「ゥ──ア────!」
ボジュッ!!
湿った音を立て、上半身を内側から破裂させた。
「なッ――!?」
霧のように噴き出した血と肉片が床に散る。残った足だけが、金属の重みを伴ってどさりと倒れた。
「く、クソッ――!!」
すぐさま残りの兵士らが銃を構える。
だが既に人影は、冷たく手のひらを向け直していた。
パチッ、
短い音とともに、また一人の腹部が膨れ上がる。「うァァ――!?」装甲が歪み、関節部のカバーが裂けてピンク色の人工筋肉が露出する。
直後、破裂音とともに赤黒い霧が吹き出し、残骸が膝を折って崩れ落ちた。
「ひっ……!」
最後の兵士は、腰を抜かし、血溜まりの中で尻を引きずっていた。
「う……うぅう……!」
足が震え、靴底が床の血で滑る。必死で立ち上がろうとする彼に、人影は無言で歩み寄る。
「や、やめ――」
「やめて――!!」
扉越しの少女の悲鳴を遮るように、破裂音が通路に響き渡った。
「っ――!」
人影は何事もなかったように、赤く濡れた床を踏み越え、扉の前に立つ。
少女が反射的に後ずさった瞬間、捻れるような轟音とともに扉が吹き飛んだ。
現れたのは、純白の鎧姿だった。
大理石のような質感の甲冑。全身がくまなく覆われ、肌が見える箇所が一切ない。
唯一、フルフェイスの兜の裾から覗く切り揃えられた黄土色の髪だけが、中身が人間であることを示すように小さく揺れていた。
「お迎えに上がりました」
体温を感じさせない、中性的な声。
無骨な篭手に包まれた手をうやうやしく差し出してくる。
「っ……ぐぅ……」
少女は唇を噛み締め、鎧の肩越しに廊下に散らばる兵士たちを見た。
「……ごめんなさい……」
直後、彼女の右目を覆う眼帯が鈍い“光”を灯した。
荒れた海原に揉みくちゃにされる輸送船の船体外板。
その一角が、唐突に弾け飛んだ。
大量の破片が海に投下され、船室の壁に生じた大穴から、激しい雨風が吹き込んでくる。
少女は白髪をたなびかせ、その穴の縁に立っていた。
「ッウ……ぐっ……!」
眼帯が、甲高い作動音を立てながら右目にくい込んできていた。眼球が押し潰されそうな激痛に思わず悲鳴が漏れる。
「うぅ……!」
「落ちれば死にますよ」
少し離れた場所から白鎧が声をかける。その体には傷ひとつなかった。
「ッ……」
少女は息を荒らげたまま、大穴の下に波打つ、どす黒い海を見下ろした。
「……よせ」
こちらの決意を察知した白騎士が一歩踏み出した瞬間、穴から身を投げる。
鼓膜を支配する風切り音。
仰向けに落下する最中、身を乗り出す騎士の兜が見えた。
その姿は呆気ないほどすぐに小さくなり――
「ッ――は」
――凄まじい衝撃が全身を強打する。
目、鼻、口に大量の海水が流れ込み、軋むような痛みが頭蓋を突き上げる。
思考の間もなく肺が詰まる。
少女は意味もなく手足をバタつかせ、胸の当たりをまさぐり、やがて、ごぽりと大きな泡を吐いた。
落ちていく――――。
それきり彼女は脱力した。
これでもう、誰も傷つかない。
意識は閉ざされ、その小さな肉体は、荒れ狂う濁流の中に引きずり込まれていった。
「…………」
しばらく水面を眺めていた純白の騎士は、もう何も浮いてこないのを確認し、穴の縁から身を引いた。
「まったく。手間がかかりますわねぇ」
すぐ側で別の声が生じる。そこには先程までいなかった人間が立っていた。
血みどろの殺戮現場と化したこの船には、とても似つかわしくない、小綺麗なローブを纏った女だ。
「……申し訳ありません」
白騎士は振り向き、素直に頭を下げる。
「いいですわ。どうせ死んでいないのでしょうし……。
せっかく“こちら側”に来たのに、すぐ終わってしまっては少しも面白くないもの」
「もう少し楽しめそう」目深に被ったフードの中で、女は冷たい笑みを浮かべる。
「……いえ。すぐに回収します」
淡白に返した白騎士はその横を通り過ぎて、船内に戻る。
少女と、彼らによって破壊し尽くされたそこには、おびただしい血の池と、兵士の死体の山が広がっていた。
「戻ってこい」
右腕に着けた腕輪に吹き込む。
ほどなく、頭上より雨風に混じって巨大な翼が羽ばたく音が近づいてくる。
吹きさらしになった空間に、その生物は舞い降りた。
「ギェアアアアッ!!」
グライダーのような鋼色の翼を器用に折りたたみ、頭を垂れる。
ザラザラした鱗に覆われた生物の頭に、白騎士は手を当てた。
「少女を追跡しろ。見つけたら、頭部のみ持ち帰れ」
返事が代わりの咆哮とともに、巨生物は飛び上がる。
その姿はまるで、古くからの西洋伝説に登場する“竜”その物のようだった。
「わざわざ自分の騎竜を行かせなくても。この辺りの海にいる魔物を使えばいいのに」
隣で女が皮肉っぽく言う。
「現地調達では操作精度が落ちます」
曇天の中に消えていく竜を見上げた白騎士は、「でもそうなるとあなたが私の竜に乗るのよねえ?」という女を無視し、
おもむろに左腕の篭手に触れた。
つるりとした表面に分割線が生じ、装甲が割れると、円柱ソケットに挿し込まれた紫色の水晶石があらわになる。
白騎士はそれを引き抜くと、腰のポーチから同じ色形の石を取りだし、篭手に挿入。
そして引き抜いた方を数秒眺め、海に放り棄てた。
少女によって空けられた大穴から浸水し、船体は次第に崩れながら沈んでいく。
剥がれ落ちる外板の破片に混じって、白騎士の投げた石が、水面に小さな波紋を立てた。
そのすぐ近くでは、一隻の脱出艇が音もなく戦線を離脱していくところだった。




