4 流れ着いた少女
その少女はたしかに生きていた。
顔は青白く、唇は紫色だが、まだ呼吸をしている。眠るように気を失っていた。
そして、防護服を着ていなかった。
「とにかく……運ぼう。ここじゃ介抱できない」
その事実だけを確認したジローはすぐさま、倒れた少女の脇下にがばりと手を入れる。
「……そうね」
アキラは一拍遅れてうなずき、足を持とうとして、「ってか、私がそっち持つわ」と胴体側に回った。
「私が背負う。その方が早いでしょ」
「あぁ、うん、たしかに」
足の悪いジローが運べないのは冷静に考えれば当たり前なのだが、彼もまだ動揺している。
少女の体に触れると恐ろしく冷たかった。
「はやく温めないと……」
「あっちの建物に入ろう! まだ状態よさそうだ」
砂浜にぽつんと立つ小屋を見つけ、ふたりはそこまで少女を運んだ。
「海鮮塩焼きそば」と書かれた看板を踏み越え、室内に運び込む。
内装は砂だらけだったが、とりあえず見つけたブルーシートを床に敷いて寝かせることにした。
散らばっていた家屋の一部らしき木材を集めて、焚き火の準備をする。
「濡れた服を脱がせた方がいいわね」
「そうだね」
「オイ」
「あそっか」
アキラが少女の着ている服を脱がせ始める。ジローは慌てて目を逸らした。
「じゃなくて、外で待ってなさい」
火の中に鍋をかけていると、アキラに蹴り出された。
数分後、薪を集めて戻ってくると、少女はアキラが持っていたTシャツとズボンを着せられ、毛布をかけられている所だった。
「防護服、捨てなきゃよかったわね」
この汚染環境では、到底考えられない無防備だ。いつ変異が始まってもおかしくない。「うん……」しかし、ふたりにそれ以上施す術はなかった。
それから、交代で少女の口にお湯を含ませたりして、夜通し看病しながら見守った。
「…………ん……う」
翌朝。朝日が小屋に差し込むと同時に、小さなうめき声が上がる。
顔をしかめながら、薄く目を開けた。
「お……起きた……!」
「――?」
ぼんやりした表情で目をこする少女は、見たことの無い顔立ちをしていた。
欧米系というのか、鼻が高く目元も彫り深だ。片方が眼帯に隠れた目も、まつ毛が多く、ぱっちりしている。
長い白髪も相まって絵本から出てきたお姫様のようだった。
「Olaa……niaro……kara?」
歳はジローと同じくらいだろうか。ぼんやりした顔でつぶやく。
聞いた事のない言語に、ふたりは顔を見合せた。
「大丈夫? どこか怪我はない?」
ジローはとりあえず、温めておいたコップを差し出しながら、尋ねる。
「Ki……ra!? teyun vayna……!?」
唐突におびえた様子で暴れだす。アキラが、即座に取り押さえた。
「落ち着いて。ここは安全よ」
「Kh……khalena……!!」
「待ってアキラ、それじゃ折れちゃうってっ」
ジローに静止されて、「あっ……」アキラは反射的に肩を掴む力を緩めた。
「khalena!」必死に振り回される細腕がジローの持つコップに当たり、お湯が膝にこぼれる。
「あっちっ!」
「Meli! melina……」
その悲鳴を聞いた少女は、我に返ったように動きを止めた。
「Salen……théa liren?」
ジローに何か声をかけてから、首を巡らせてアキラの方にも聞いてくる。眉を八の字に下げて、少し慌てたような顔だった。
「……なんて言ってんのかわかんないわよ」
「謝ってくれたんだよ。いま」
ジローが膝をタオルで拭きながら戻ってきた。「大丈夫。平気だから。ね?」彼が目を見つめて言い聞かせると、少し大人しくなった。
「Melina niaro veiren……」
アキラが拘束を解くと、彼女は身を乗り出して、ジローの手をがしっと掴んだ。
「melina eles……serayin. Melina……melina……」
「えっ、いやいや……ちょっと待って」
足元に跪き、何度も何度も、繰り返し謝る。
「待ってよ……なんでそんな……」
その過剰な態度にふたりが当惑している間に、彼女は力尽きたようにうずくまってしまった。
※
小さな波が押し寄せては引いていく。砂浜の波打ち際。
少女はそこに、呆然と立ち尽くしている。
もう10分以上そのままだった。
「何があったんだろう……」
その少し後ろでアキラとジローは様子をうかがう。
聞きたいことは山ほどある。
彼女はどこから流れ着いたのか。あの死体たちはなんなのか。
なぜふたりと同じように、防護服無しでもこの汚染環境で生きているのか。
「……一人にさせた方がいいんじゃないの。とりあえず……」
アキラはそう言って、引き返そうとする。しかしジローはそんな姉の提案もお構い無しに、少女に近づいていった。
「おいっ! なんで行くのよ……」
ずんずんと歩いて、「ねえ!」と声をかける。
「何を見てるの?」
「…………」
「きみってさァ、どこから来たの? 名前は……?」
少女は応えない。背を向けたまま、ゆっくりと海に足を踏み入れていく。
「ん?」
腰の辺りまで水に浸かっても、まったく歩調を緩めることなく、ジャブジャブと、波の奥に向かって、
一心不乱に。
「ジロー!!」
「わかってる!」
杖をついて片足を引きずりながら、ジローは海に踏み込み、少女の後を追った。
「止まれ! やめっ、おい!!」
遅れてアキラが駆け込んでくる。ふたりはなんとか少女に追いつき、羽交い締めにして止めた。
「S……Stena! Rivāth!」
少女は必死に抵抗したが、アキラの腕力にはかなわなかった。結局、無理やり砂浜まで引き戻された。
「なにしてんのよっ!!」
アキラに頬を引っぱたかれ、少女はうずくまる。
「……」拗ねたように黙っている。そんな彼女の前にジローが膝を着き、
「ねえ、何があったのかわからないけど、よかったら僕らに……」
「……Sarei nor. Elna za ikona fer」
「あ~……そうだった……じゃあまず、君の名前は? なまえ」
ジローは自分を指さし、次に姉を指さして、「ジロー。アキラ」とオーバーな発音で聞かせた。
「きみは?」
と最後に少女を指さす。
少女は顔を上げ、長いまつ毛の瞳でジローを見つめ返し、やがて口を開いた。
「Pa……」
「ぱ?」
「P……P, Pashipaë」
詰りぎみにそう発音した。「えっと……ぱし、ぱえ?」聞き返すと、少し恥ずかしそうな顔で、コクンとうなずく。
「パ、パ、ペ……いいにくい名前ね……」
「いい名前だね! パシパエ。それじゃあ、お腹空いてるだろ」
ジローはぽんぽん、と自分のお腹を叩いて見せた。
「とりあえずさ、ご飯食べない?」
彼の提案に、少女はきょとんとしていた。
「ほら、一緒に食べよ」差し出された手を見つめしばし沈黙する。
「ほらっ」
「…………」
もう一度促され、おずおずと伸ばしたその手を、ジローは強引に引き寄せた。
「っ……!」
「よし」
肩を強ばらせたパシパエに、ジローが表情を崩して見せる。まだ困惑しているが、彼女がそれ以上抵抗することはなかった。
なんとか、思い直してくれたようだ。
アキラも一息ついた。
そのとき、ふと風の音に混じって、低い唸りのような音が海の方から聞こえてきた。
夕日が半分沈みかけた地平線。
あざやかなピンク色に染る、はるか彼方の空から、翼を羽ばたかせて飛んでくる姿がある。
「ん……?」
ジローも気づいた。
鳥?
いや、違う。
その生物の体表は、羽毛ではなく、銀色の鱗に覆われていた。全体的にシャープなシルエットは軍隊の戦闘機を思わせる。
顔は鳥類と爬虫類の中間のような形をしていた。
「なんか……あの見た目……」
どこかで……?
と思っている間に、その生物は急速に下降してくる。
低空飛行で海水を巻き上げながら、三人のいる砂浜へ、一直線に――。
「ッ――伏せて!!」
三人が身をかがめた直後、凄まじい衝撃波が頭上を通過した。
鼓膜が突き破れそうな轟音。爆発的な砂煙が巻き上がり、三人のすぐ近くに突き立っていた船の残骸が、紙細工のように吹き飛ばされる。
「ゥゥウウウヴァ――!!」
「離れて!」
切断された残骸の先が落下してくる。アキラはふたりに命じながら猟銃を構えた。
攻撃を外した生物は、轟音を立てながら旋回し、再び急降下してくる。
標的が照準の中に入った瞬間、引き金を引く。
「ウゥウウウア゛!!」
「なっ――」
しかし、驚くべきことに、生物の頭は弾丸を跳ね返した。
アキラはとっさに身をかがめ、ギリギリで突撃を避ける。
「弾が効かない……なんだ、あいつ……」
ジローは逃げながら背後を振り返った。
「S, Shauriven……」
隣でパシパエがつぶやく。
「Th, Thenar velin tttashiren niaro. Thelun dua, v, vvenasira!」
「な、なに、え?」
彼女はなにやら早口で叫びながら、アキラたちの方に走って行ってしまう。
「な、なにやってんだっ……!」ジローも慌てて後を追う。
「ゥヴヴヴ……」
異獣はパシパエを見つけると、そちらに狙いを変更。
低い雄叫びを上げながら、一目散に突撃してくる。
「Thelir en sel……ael」
パシパエは立ち止まると、その場で諦めたように目を瞑り、両手を広げた。
「ヴヴォオオオオ!!」
「あぶない!」
強靭な鱗に覆われた翼が、その首を刈り取る寸前、間一髪でジローが後ろから体当たりして、彼女を庇った。
「ジロー!!」
しかし代わりに、異獣はジローの背中を掴んで飛び上がっていく。
「うぉおおおあっ!!」
あっという間に数十メートルの高さまで上昇し、ジローは必死に獣の足にしがみついた。
ザラザラした硬い手触り。獰猛な黄色い目がギロリと睨みつけてくる。
「やっぱり……コイツ……」
近くでその容姿を見て確信した。
これは、シェルターで読んできた、中世の冒険物語や伝説で幾度となく目にした生き物。
「竜だ……!!」
「く……ッ」
アキラは銃を構える。が、これではどうしようも無いことはわかっている。
何か他に使えるものはないか。
周囲を見渡していると、パシパエがまだ立っていた。
「なにやってんのよッ! 伏せて!」
呼びかけも無視し、少女はふらふらと歩くと、何かを拾い上げる。
それはジローの杖だった。
「ゥヴヴヴァ――!!」
竜がジローを掴んだまま、四度目の突撃を開始する。
旋回し、少女に向かって下降してくる。
対して、彼女も真正面から向き直った。
おもむろに杖をかかげる。
柄に、蛇が巻きついたような模様がある父の形見の杖。
先端は蛇頭の彫刻となっており、紫色の水晶石がはめ込まれている。
「Yatabutvaimeats」
少女が何かを呟いた直後、その石にブワリと“光”が灯る。
すると、砂浜に打ち上げられた大量の漂流物が、独りでに浮き上がり始めた。
「は……?」
船の残骸、破片、錆びたボルト、アルミ缶、浮き輪、流木……大きさも形もバラバラなゴミたちが、光に吸い寄せられるように集まっていく。
どこか幻想的な光景にアキラが目を奪われた直後、それらは甲高い音とともに発射された。
少女が杖を向ける先――竜へと殺到した。
「ヴィギァアア!!」
ゴミたちは、そのひとつひとつが戦車砲徹甲弾のごとき威力で、鱗に覆われた巨体をズタズタに引き裂いた。
穴だらけになった竜は空中で脱力し、真っ逆さまに墜落する。足に掴まっていたジローも一緒に、砂浜に突っ込んだ。
「うっ……おわっ……!」
「ジロー!!」
アキラが慌てて駆け寄る。
「無事!?」
「な……なんとか……」
弟を砂から引っ張り出し、ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
ふたりはすぐに、いまの現象を起こした張本人の方へ振り返った。
波打ち際。おびただしい血を海水に溶かし絶命していく巨獣の近くで、少女は再び気絶していた。
その手にした杖は、まだ淡い光を放っていた。




