2章 林の中の友達(1)
「朝よー、起きなさい」
秋篠夏希は、目の前の扉を二回ノックして、向こうの人物に声をかける。しかし、反応はなく、仕方無くゆっくりとノブを捻り、ドアを開ける。
「くー……すー……」
幼なじみ――北野健斗が布団の上で気持ちよさそうに寝ていた。それ自体は喜ばしいことだったが、今日は平日。登校日である。夏希は足音を立てないよう気をつけ、そーっと健斗の側まで歩み寄る。
「起きなさいって、何時だと思ってんの」
肩を掴み、ゆさゆさと揺らす。健斗は「んんっ……」と声を漏らすが、まだ目覚めない。
また今日もこれかぁ、と夏希は肩を落とした。夏希はたまにしか起こしに来ないが、いつも健斗はなかなか起きない。前回はそこに落ちてた本を叩きつけ、前々回は耳元で騒音を鳴らして無理矢理起こした覚えがある。
「今日はどう起こしてやりましょうかね……」
じっくりと健斗の顔を見て、考える。ただ揺らすだけではどうしても起きないし、前に色々試しはしたが、やはりできるだけ乱暴な方法を取りたくない。
(それにしても……ほんと寝るときは幸せそうな顔してるわね……)
健斗は高校生とは思えないような、無邪気な笑顔ですやすや寝息を立てている。起きている時の憎たらしさなど、まるで感じない。
「……思い出したら腹立ってきた」
昨日言われたことが頭に浮かぶ。自身の体を見下ろしてひとりごちる。
あたしにだって、少しはあるし。
「もう、まだ寝てる気なの? そんなに起きないなら……」
そっと健斗の頬に手を添えて、首筋にかけて優しく撫でる。今からしようとすることに対して、緊張し、夏希は息を呑んだ。
自身の長い髪が垂れ、健斗の顔にかかる。起きる様子はない。
もう一度ゆっくりと頬を撫でる。まだ起きる様子はない。
深呼吸して、息を整えて。夏希は健斗の顔に向かって、ゆっくりと顔を近づけ――
指に思いっきり力を入れた。
*
「おー、痛ぇ……ったく、力加減ってもんがあるだろ、なあおい」
家を出て数分が経った頃。北野健斗はまだ微かに痛む頬を擦りながら、隣の幼なじみに呼びかける。
「優しく起こしてちゃんと起きる人が言うものよ、それ」
「だからってなぁ……」
はぁ、と健斗はため息をつく。このやり取りももう飽きるほど繰り返した。埒があかないと判断して追求を諦める。
「つーか、勝手に人の家入ってきてんじゃねーよ」
「あら、家主さんには許可を貰ったけど?」
「訂正。勝手に人の部屋「ちゃんと許可は貰ったわよ」
「俺の部屋だよちくしょうめ!」
このままだと自分のプライバシーが無くなりそうで怖い。この話題についても諦めた。
幼なじみの彼女は、ああやって気が向いたときに自分を起こしに来てくれる。それ自体はありがたいことだが、だからといって勝手に部屋に入るのを許した覚えはなかった。
(ったく、俺が夏希の部屋に入ろうとすると怒るしなー。おかしくね?)
理不尽なものを感じる健斗であった。
「まあ、そうね。ちょっとやりすぎたかしらね……」
「お前の中ではちょっとなのか、そうなのか」
「は、腫れてるわけじゃないし大丈夫よ……」
どうやら本当に大丈夫なのか自信がなくなってきたようだ。健斗としても、あの程度で壊れる自分の体ではないという自負はあるが、万が一ということもある。今後は反省してお手柔らかにして欲しいところだった。
「じゃあ、お詫び、ってわけじゃないけれど」
夏希は鞄から何かを取り出そうとする仕草を見せる。その姿勢に、やれやれ、と健斗は呆れ果てた。
「お前な、人が簡単にモノで釣れると」
「……はい、これ。イチゴ一パック」
「ありがとう夏希! 愛してるぜ!」
「相変わらずね、その性格……わ、悪い気はしないけど」
軽くそっぽを向いて髪を弄る幼なじみをよそに、透明なプラスチック容器ごと赤い果実を奪い取る。ラベルを見ると有名なブランドのものであり、つまりは健斗が一番好きな品種であった。
「やっほー! さっすが夏希! 分かってるな!」
「当然でしょ、何年一緒にいると思ってんの」
得意げに夏希がふんぞり返る。今はそんな態度が全く気にならない。それほどまでに自分の好みのものを持ってきてくれたのが嬉しかった。
早速ラベルを取り、容器を開けて、一粒つまんで頬張った。「いただきます」も忘れない。
「うめー! ってかやけに新鮮な味だな。もしかして行ってきたのか、朝市」
「そうそう、駅前の。よく分かったわね。買い物を頼まれたから、そのついでにね」
「わざわざありがとなー! あー、採れたてイチゴ最高ー!」
「べ、別にあんたのためってわけじゃ……まあそれでいいか。あたしもいただきます」
夏希は健斗が持ってる容器からイチゴをつまみ、ヘタを取ってからぱくっと食べる。取ったヘタはいつの間にか腕にひっかけていたビニール袋の中に捨てていた。器用なやつだ。
他愛のない雑談を交わし、イチゴを食べながら見慣れた道を歩く。高校受験の時には特に志望校もなく、自宅から一番近い(つまり交通費がかからない)佐倉坂高等学校を選んだため、徒歩二十分で学校に着く。おかげで遅くまで寝られるので結果的に正解だったかな、と健斗は思っていた。




