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V.T. 公爵と私の乙女ゲーム  作者: 端野ハトコ
クリスマス番外編 『きよしこのよる』
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4 ホワイトクリスマス

4 ホワイトクリスマス



「――どうなることかと思ったわ。私も調べられるのかと思って」

「いやだった?」

「べ、別に。だって盗んでないんだもの、調べられるのは……ねえ」

「そうだな。だからチャールズも同じだと思ってさ。彼ひとりを調べたら、まるで本当に犯人みたいじゃないか。無実ならとんでもない話だよ」

「……そうね。ええ、その通りだわ。あなたが正しいと、私も思う」


 あっけない幕切れで終わった宝石消失事件により、クリスマスのゲームはお開きとなった。そして私はアーサーとそんな会話を交わしながら部屋へと戻る。


(他人を疑わない人、よね。この人は)


 未だに妻の入れ替わりに気づかないのだから、相当なお人好しに決まっている。公爵ともあろう人がそんなことでいいのかと、心配にならないでもない。

 だけど。


「あなたでよかった」

「セアラ?」

「なんでもないわ」


 だからこそこの胸は痛むのだけど。罪悪感で。「なんでもない」という言葉も素直に受け止めてくれるアーサーは、別のことに気を取られた。声を上げる。


「セアラ。雪だ」

「え? あ……本当」


 言われて目を向けた窓の外。真っ暗だ。でもその暗い中をちらちらと、花びらのように白い物が舞っている。雪だ。


「いま降りだしたのかしら」

「たしか……こっちだ。セアラ」


 窓の外を見つめていたら手を引かれた。私の手を引くアーサーは、ヘンリーおじさんのお城の廊下をずんずんと進む。


 廊下を歩き、階段を上り。何度か扉も通り抜け。途中の部屋では燭台を拝借し。

 最終的に着いた場所で、私は寒さにぶるっと震える。本当に寒い。


 アーサーが私を連れ出したのは、物見塔の上だった。屋上がテラスのようになっている。


「わあ……!」


 ふわり、またふわり。

 天から舞い降りるは音もなく降る雪。夜闇にひらめく白い真冬の花びら。


 イギリスの中部は冬でもあまり雪が降らない。だから珍しい光景だ。たぶんこの雪も積もらないのだろう。すぐに消える、冬の幻のようなものかもしれない。


 私は立ち尽くし、降っては落ちる雪に手を差し伸べた。

 そんな妻を眺めてでもいたのか、公爵は言った。


「――あ。君のドレスはこれか」

「アーサーったら。今ごろ気づいたの?」


 気づいただけでも上出来だけどね。何しろこの公爵閣下だ。


 濃紺の地に、銀糸と銀ビーズを飾ったドレス。アーサーの言う通り、今日は雪をイメージしたドレスだ。伯爵夫人にけなされてしまった装身具も同じで、銀細工のイヤリングもカメオのネックレスも、雪の意匠の物をつけている。


 実はこれ、本当の自分、“アグネス”の少ない貯金をはたいて買った物なんだよね。クリスマスぐらいは本当の自分でと、自力で手に入れた物とセンスで勝負してみた。結果、伯爵夫人に思いっきりやっつけられたわけだけど。


(やっぱり、必要に応じて贅沢しないとだめなんでしょうね)


 気が進まないけれど、また考えよう。必要とされているのは、体面を守ること。“公爵の妻”になりきるためには、ダイヤのティアラのひとつや二つ、持っていないと済まないらしい。心苦しいけれど、閣下のお財布に頼るしかないか。

 

 でも今夜だけは、本来の自分自身に近い姿だ。

 それは夜に降る雪。ちょうど今の空模様と同じ。


(……だって、この雪のようなものだわ。私は)


 ただのメイドのはずの私が、公爵の妻として振る舞っている。でもそうじゃないと自分自身が一番よくわかっている。


 私はこの雪みたいなものだ。一瞬で消える、儚い夢の中にいる。


 なんだか冷えてきた。体はもちろん、胸の奥の辺りも。

 私は振り返った。「もう戻りましょう」と、少しも疑わない“夫”へ言うために。

 

 アーサーは、両足なげだして地べたに座り、両手は後ろについていた。閣下、そんな高級そうな服でそんな座り方していいんですか。私は従者のパジェットに同情した。


 そして彼はこんなことを言う。訝しそうに首を傾げながら。


「おかしいんだ。僕はどうもさあ、クリスマスにはいい印象がない気がして。どうしてかわからないんだけど」

「……」

「なんでか知らないけれど毎年毎年、この時期屈辱を味わっていたような。何かに対して『爆発しろ』とか思ってたような気がするんだ。どうしてだろう、おかしいよな?」 


(爆発しろって……ん? 『爆発しろ』? んん?)


 どういうことだろう。

 アーサーがそうぼやいた途端、私の中にも奇妙な変化が起こった。どう考えてもおかしいのに。でも公爵のおかしな言葉に、激しく同意している自分がいる。なんだろう、この感覚。さっきもこんなことなかったっけ。


「……変なの。私もそんな気がする」

「ん?」

「そうよ、憧れてたのよ。憧れてはいたけれど、クリスマスには激しく恨みも持っていたんだわ。なんでかしら、忘れてた」

「へえ?」


 家族が一緒に過ごす、一年でもっとも大事な行事のはずなのに。

 でもどうしてだろう。


(『恋人同士で過ごす』……?)


 『爆発しろ』。この聖夜を一緒に過ごす恋人たちを眺めて、昔、そんな風に思ったことがなかったっけ。ものすごくひがんでいたような。


 お互いの奇妙な心持ちに、私と公爵閣下は顔を見合わせた。ずいぶんと妙な共通点があったものだ、国内有数の貴族とただのメイドの間に。おかしいな。


 激しい違和感をおぼえた。私はイギリス人、だよね? 確かに人に言えないような陰謀に関わっているけれど、それは自分の身を守るためであって――。


「でも、今年は違うな」


 アーサーがそう言ったお陰で、私はそれ以上思案の底に沈んでいられなかった。

 公爵とは思えないほどくつろいだ格好のアーサーは、その姿勢のまま空を仰いだ。


「今年は君がいる」

「……」


 そう言ってこちらを見る。なんだかとても嬉しそうに笑って。アーサーがあまりにも嬉しそうだったから、私はつい、己を忘れそうになった。


「そうね」


 だからつい、横に寄り添うように座ってしまった。まるで本当の妻みたいに。そうだ、私だって嬉しい。夫ある身でクリスマスを過ごすのは初めて、のはず。偽者だし、プラトニックだけど。


 何かに対する積年の恨みを晴らした。そんな思いで寄り添ってみる。

 ふと思い出した。


 指示書と一緒にポケットに入っている物に、私はこっそり指先で触れた。

 それは銀色の硬貨。6ペンスだ。


 実はクリスマス・プディングを食べた時、私もこれを引き当てていた。シンシアが先に見つけて喜んでいたから言えなかったけれど。


(間違えて二つ入れちゃったんでしょうね)


 きっとクリスマス・プディングを作るときに、間違えて6ペンス硬貨を二つ入れてしまったんだろう。シンシアの喜びに水をさすみたいだから、あの場では黙っていた。


 この6ペンスと、アーサーが見つけた指ぬき。この二つにはセットで語られる言い伝えがある。


(『同じプディングから6ペンスと指ぬきを引き当てた男女は、結婚する』、か)


 もう結婚はしてるから関係ないけどね、仮面とはいえ。それにシンシアまで巻き込むみたいでややこしい。ぼんやり公爵閣下はあの言い伝え自体に気づいていないし、このまま黙っていよう。

 

 秘密が増えてしまった。でもこの小さな秘密は、不思議と私の心を温めた。


 どうしてかしらと考える。すると手に触れるものがあった。温かい――現実にあるぬくもりだ。見ると手に手が重なっていた。驚いて顔を上げると、視線がばっちり合った。予想外に近いところで。


「……っ。あ、いや、もちろん家族と過ごせるからって意味だから! 変な意味に取らな……いや、なんでも」


 目が合ったアーサーはどうしてか、おかしなほどに慌て出す。重なっていた手など、すぐに外してしまった。わざわざ移動し、いつもの一定の距離まで作る。

「変な意味に取るな」ってどういうことだ。まあいいけど。お陰で安心できるけど。


 それにしても。


(たしか……『ヘタレ』って言うんじゃなかったっけ、こういう人って?)


 妻としてそれなりに大事にされている気はする。バレてはいない。それなのに、どうしてか煮え切らないアーサーのこの態度はやっぱり変だ。ヘタレ、なのかな。


 でも。


「私も嬉しいわ。その……一緒にいられて。あなたと」

「!」


 彼はいい人だ。心からそう思う。だからとりあえず、今日までバレずに済んでいる幸運に感謝した。


「……宿り木はここにあればよかったのに」

 

 アーサーがごく小さな声で何か言った。

 でもよく聞こえなかったので、私は聞き返した。


「何か言いました?」

「いや、なんでもないなんでもない! 違うんだ、家族だから親愛の意味でってことで」

「? そうね、家族よね」


 もしかしたら、一回きりかもしれないけれど。


 この人と今年のクリスマスを一緒に過ごせて、本当によかった。私のこの気持ちだけは、決して“偽物”なんかじゃない。

 

 

 忘れていたけれど、ヘンリーおじさんの城には、今晩も泊まる。

 ロマンチックなホワイトクリスマス。だけどこの仮面夫婦は、今夜もまた清しこの夜なんだろうな。




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