23.放置と羞恥
23.放置と羞恥
明日の別れのことで頭がいっぱいで、予想もしていなかった。
「あのう。命乞いとか、しても無駄ですかね」
「そんな世迷言は地獄で言うんだな」
後ろ手に捕えられ、頭に銃をつきつけられた私はまたも手も足もでない。
ここへきてのまさかのピンチ。そうか、このゲームはどうあっても私を殺したいんだな。
「た、高飛びとかするんなら、お金あげるけど」
「金はもらう。お前は死ぬ。私はそれで問題ないね」
だめか。このフランス人、私を殺すためだけに来たようだ。恨み骨髄ってやつ。
ムッシュ・ヴェルネは捕えた裏切り者をはりつけにする、という自分の案が気に入ったようだ。
「ちょ」
ぎょっとした。ベッドの上に投げ出されて。暴れる私を押さえつけたまま、ムッシュは器用に、ベッドの支柱と私の腕を、天蓋についていた紐で結えつけようとする。片方ずつ。もちろん抵抗するけれど、このデブ、叩いてもビクともしないじゃないか。
「わー、わー、悪かったから。謝るから! ごめんなさい、でも人殺しはどうかなあ、なんて思って。皇太子だって別に悪人じゃないじゃん? 殺されるのは気の毒だったというか」
「宮殿で大人しくしていればいいものを、あの遊び人は少々まずいところを目撃したのでね。皇太子といえど生かしておくにはあまりにも危険だった……から消してしまえと教授はお望みだったのだ!」
謝ってもだめか。そりゃそうだよね、誰もがセアラ様のようなお人好しじゃない。
腕を縛られて、身体ごと押さえつけられた。なんでもいいからしゃべり続けて気を逸らす以外、自力でできる抵抗って何かあるだろうか。
「どど、今までどうしてたんですか? ムッシュはお茶会の時どこいたの? ていうか今、どうやってここに入ったの?」
「はっ。そんなこと、今から死ぬ者が知ってどうする」
「いやいや、そんなことは。こう見えても、私も感謝してなくはないんですよ、『教授』のお陰で贅沢な生活させてもらえたし、有閑夫人気分を味わえたし。結婚も初めてだったけど、あの人とならそう悪くもなかったし意外に幸せだったかも、なんて……っちょっとタンマ! 早まるな!」
ああもう、何言ってんだか自分でもわからん! しょうがないよね、目の前に銃つきつけられてんだから。
「いいかげん黙ったら……」
「いやだからね、こんな結果になって残念っていうか。ほら、私にできる償いならなんでもやりますから! 弁護士だって頼んであげますし、監獄へ入ることになっても差し入れぐらいしに行ってあげるから! がんばれば今からでもやり直せるよ、きっと!」
「だから減らず口はやめろ! それに誰が監獄へなど」
「私を殺したって後味悪いだけだよ! しがないレディーズメイドじゃないですか。ていうか殺すことないじゃん、死ぬにはまだ早いでしょ。許してよ、ねえ!」
しゃべり続けるって言うのは、名案だって思ってたんだ。だってムッシュの注意は確かに引けた。
「そうだな。確かに若い」
「ね? かわいそ……」
可哀そうだと思ってよ。と言いたかったんだけど。嫌な笑いを浮かべた相手に、私は最悪を意識する。
「せめていい思いをしてからに」
「ぎゃー!!」
ムッシュの顔が迫った瞬間、私はこれまで一番の悲鳴を上げた。すぐに殺されてもおかしくないんだからよかったんだろうけど、これはこれで嫌だ。
「やだっ、アーサー!」
叫んだ。と、そこで。
「限界だ、行け!」
寝る直前でランプひとつしかなかった部屋に、声と共に光が入ってきた。開いたドアから差し込む光。
「! くそっ」
ドタドタと人が割り込む音がして、それから、圧し掛かっていた体重が消えた。
私は呆然。
「窓だ!」
「逃がすな」
「下に誰か残ってるんだろうな!?」
大勢の怒鳴り声。それから、最初に聞こえたかけ声が命令した。
「生かして捕えろよ。くれぐれもジャックの二の舞にするな!」
えーっと。
今度こそだめかと思った悪役メイドは、死なずに済んだようです。
ありがとうございました。
*
「いや、夜分に邪魔してすみませんでしたね、閣下。でも近くで目撃情報があったもんで。この辺りで奴が用事ありそうなのって、やっぱお宅の『奥方』くらいだろうし。そしたらドンピシャで、や、よかったよかった」
「お宅のレディーズメイド、コリンズでしたかね。たぶん今夜あいつを入れたのは彼女でしょう。正体も目的も知らず、あなたのご友人だからと、屋敷内に通しちゃったみたいで。あんまりとがめないでやって下さい」
「え? いやいや、いいっすよ。俺に礼とかいりません。俺には仕事が報酬なんでね。じゃ、次の事件もあるんで」
待て。声しか聞こえないんだけど、聖典ホームズとは違う、このちょっと粗野なしゃべり方。それと、「俺には仕事が報酬」のせりふって。
あれだよ、私のお気に入り。ポスト“ホームズ”、その名もシェリングフォード・ホームズじゃないのか。
(く、姿が見えない)
いまだにベッドの支柱に腕くくりつけられたままの私。ドアの外にいるらしいホームズ様の姿を拝めない。なんでだ。
その前の出来事を頭の中で再生してみる。
入って来た何人かの人間が、窓へと逃げたムッシュを追って行き。
あいにくここは三階、出てもベランダはなく、追い詰められたムッシュは御用。
連行されるムッシュは激しく私を、偽者公妃アグネスをののしる。
だがあいにく、私はそれらを音声だけで推測していた。ベッドの足側を頭してにくくりつけられているので、頭上で行われているらしいすべては見えなかったのだ。
「……」
やがて。ホームズの話を最後に、あとは静かになった。ドアが閉まり、部屋も再び暗くなる。
(また?)
また放置か。
もともとムッシュと共犯と言えなくはない立場としては、優しく助けてもらえなくても仕方がない。そこは諦める。でも。
「せめて腕を解いてからにして……」
ホームズは一緒に私も逮捕しないんだろうか? みんなムッシュにばっかり行っちゃってて、悪役メイドのこと忘れちゃった? そんなのってある?
無視されていることに、だんだん腹が立ってきた。すると、もう一度ドアの開閉音。
足音とともに気配が近づく。ギシっと、軽くベッドが揺れた。
「怪我は?」
「……いえ。特に」
「そうか。よかったな、今度は人質に取られなくて。僕も二度撃たれるのはごめんだ」
放置プレイの時間は終わり、やっと私の出番らしい。
ああでも、いやだなあ。さすがにこの状況でこの人と向かい合いたくないよう。
首だけ起こして見ると、ベッドの端に腰かけたアーサーもこっちを振り返っていた。肩越しに。
「あのね」
「うん?」
「怒鳴ってもいいです。どれだけでも責めたらいい。閣下にはそうする権利があります。なんだったら殴っても……ほんとに殴られたら嫌だけど」
「……」
往生際悪いかな。でもさ。
「逃げるつもりはないですから。腕、解いてもらえませんか。非難するならすればいいけど、せめてこの格好だけはやめさせて。お願い」
両腕広げて縛られて、自力では取り戻せない自由。それも嫌だけど。
(死ぬほど恥ずかしい)
今夜は暑かった。イギリスには珍しく。
だから、私はとても涼しい格好で寝ようとしていた。例のベビードールにホットパンツで。だってさ。
(自分以外誰も見ない予定だったんだよ。く、放置だけじゃなく羞恥もか!)
この格好のままムッシュに組み敷かれ、警官やホームズの視線にさらされたはず。
……死にたい。
「君はさ」
「はい」
「何か要求できる立場?」
「……」
舌打ちしそうになった。アーサーめ、今までお人好し面してたくせに、何そのいきなり上から目線。あれか、私がただのメイドだとわかったからか。
はいはい、何かお願いできる立場じゃありませんとも。謝ればいいんでしょう。
「わかりました。――騙して申し訳ありませんでした。私はレディ・セアラじゃありません。そっくりなのを利用してなりすましていた侍女です。
反省しています。罪悪感まで失くしたわけじゃないんで」
と、相手は少し沈黙。それが苦しくなった頃、やっと返事がきた。
「……反省?」
「してます。本物のセアラ様にだって謝ったんですよ、これでも」
「本物ね。どこかにいるのか」
「はい。お元気そうでした。あのでも、言いにくいんですけど、セアラ様は戻る気もないみたい……メイドが性に合ってるとか言い出してて」
「へえ」
またも沈黙。ああ、やだよう。何もしゃべんないくせに視線だけは感じる。なにこれ、自分史上最高にいたたまれないんだけど。
「あの」
「何か」
「危ないところで助けていだたいて、ありがたかったですけど。いつから廊下に?」
「ああ。『昆虫標本同然に、はりつけにされていたら』のあたりからだったか。ジョークにしても上手くはないな、正直。ムッシュにはがっかりさせられたよ、色々な意味で」
「そんな前から張ってたんなら、もっと早く助けてくれてもいいのでは?」
「それは僕のせいじゃない。君が偽者だなんて信じられないと言ったら、本人の口から聞かせてもらえと、ミスター・ホームズに止められて。
――僕が帰ったらちょうどミスター・ホームズもここに来たところで、皇太子を狙った犯人の共謀者が潜んでいるようだから一緒に確認してほしいと頼まれた。ムッシュのことだって信じられなかったし、まさか君までと思った」
ぐうの音も出ない。
「ごめんなさい。騙すのうまくて」
「まったくだな。よく一年も」
「本当、よくもったと思いますよ。あなたがボンヤリしてくれてたから」
「君、本当に減らず口だな」
彼と話すのは今度こそ最後だろう。じゃあ、これだけは言っておかないと。
「結婚式で気づかないほうがどうかしてると思います……セアラ様に会ったの、あれが最初じゃないでしょう。声も違うのに」
「……」
「花嫁が別人になってるのにわからないなんて。気づかれなかったセアラ様がかわいそうだと思います! ごめんなさい、もちろん私が悪いんですけどね!」
はあ。やっと言ってやれた。すっきりした。
アーサーはしばらく無言だった。ははあ、それなりにショックだったんだな。
「……それどころじゃなかったんだ」
「はい?」
「式の間は緊張していたし、君はほとんどベールを被っていた。披露宴では客の相手で忙しかったし、その後はその後で……母の話を聞かされたし」
異母兄妹の話か。なるほどかなりのショックだ。ああ、それどころじゃないって、そういうこと。
「わかってないだろうなあ。あの時の僕の無念」
「無念? 妹と結婚しちゃったこと? あ、私はセアラ様じゃないから、ギリセーフなんじゃないかと。そこは安心してもらえるかなって」
でも無念ってなんだ。何か違うんじゃないか。
「泥酔するより他になかった初夜はまだいい。でもお茶会の時は……腕は痛むし、『妹』だし。あれで僕がどれだけ」
「ん?」
揺れるベッド。待て。さっきも似たようなことなかった?
「あの」
公爵様の顔が近いんですけど、私はどうしたらいいんでしょう。
あの、触ってるんだけど手が。どことは言えないけど。それになんで偽者妻にキスしてるのこの人。
「……っ、何するの」
「一年越しに夫の権利を」
「なな、なんで」
「確か結婚したような気がする。式を挙げた相手は、君だったと思うが。違ったかな」
「そ、そうだけど。でも」
「……騙されていた僕はただの間抜けか、君にとって。そうなんだな」
「ちがう! そうじゃなくて。……じゃ、じゃなくて。あのでも、いやっていうんじゃなな」
身動きできず、逃げられない状況。さっきと似たような体勢ではあるけれど、私の言葉がもつれる理由はまるで違う。
「逮捕されないの? 私」
「さあ。ああ、必要なら君の弁護士は僕が雇うよ。収監もさせないとも。大体、君そんなにまで悪いことしたのか」
アーサー! それは首筋にキスしながら言うことじゃない。
「だって騙してたのに」
「僕も騙していた。母のこととか」
「偽者だわ」
「知ってるだろう、僕は人のことを言える立場じゃない」
あ。この仮面夫婦、妻が偽者公妃なら、夫も偽者公爵だったんだ。
それって。
「わ、私のこと、好き?」
「……妹じゃなくてよかったと、さっき心の底から思った」
前の続きのような口づけ交わし、信じられないほど優しく頭を撫でられた。
いったん唇が離れた後、否定しようがないほど上ずった声で私は言った。
「は、放して。腕、そろそろ解いて」
するとものすごく嫌そうな顔して、やっと解放してくれた。
ついでに上からもどいてくれた。
「そんな誘惑するような格好で……毎回そんなの見せられたほうの身にも」
とかなんとか毒づきながら。
「だって。初めてなのに、縛られたままってどうなの? いきなり何させるの」
「……」
行こうとした背中にしがみついたことは、だいぶ経ってから後悔した。いい歳して何やったんだろうと、猛烈に恥ずかしくなった。




