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18.「少年の日の思い出」

18.「少年の日の思い出」



 娼婦殺しの殺人鬼が現れて人質をとって、遅れてきた公爵を撃って自分も死ぬ、というわけがわからない上に散々な事件で幕を閉じた、VT内最大のイベントお茶会。

 だけどやっぱり、偽者公妃の正体発覚はなかった。あれ、なんかスルーされた? 私、もしかして忘れられてない?


(まさかの放置プレイ……いや、死ぬよりはだいぶいいけど。なんだかなあ)


 忘れられているのかどうかはっきりしないけれど、公爵に付き添って帰宅した公妃は、とりあえず怪我をした夫の看病に専念することになる。


 そうして過ごすうち、ターナー侯爵夫人から手紙が来た。

 簡単に内容を言うと、「こちらが主催した催し物の最中に、公爵が負傷したことは大変遺憾である。謝罪の言葉は惜しまない。また、事件のせいで延期せざるを得なかったが、また改めて集まりを開き、今度こそ女王陛下の在位五十周年を記念して作成した祝いの品――女王陛下と故アルバート殿下の大理石彫像――を皆さまにご披露するつもりだ」と。


 え。まさかと思うけど。


(「大事な発表」って、それか?)


 レディ・キャロラインが話に出し、ターナー侯爵夫人が肯定した、あのお茶会で予定されていた秘密の「お楽しみ」。そんなまさかと思うけれど、あそこで予定されていたメインイベントは、単なる祝いのプレゼントのお披露目か。そのためにわざわざ皇太子を呼んでまで。


「じゃあ……本当に」


 あれは、ゲーム主人公と悪役メイドの入れ替わりを発覚させるイベントじゃなかったんだろうか? 立ったと思ったフラグは気のせい? ライバル令嬢の思わせぶりな台詞はたまたま?


「あああ。もう! なんなのこの生殺し」


 いい加減にしようよセアラ様! 戻んないのか本当に。悪役メイドを裁く気ないのか。


「セアラ? ターナー卿はなんだって」

「あ。いえ、あなたのお体はどうかって。心配して下さっているのよ」


 ベッドの上から尋ねてくる公爵。顔色がかなり戻って来ていて、それには私も満足。

 命に別条はなかったとはいえ、アーサーは撃たれたのだ。翌日には発熱もあり、一時はずいぶん気をもませた。

 でも、もうかなり良くなっている。本当によかった。


「食欲も戻って来ていて、良かったわ。そうお伝えしておきましょう」


 こんなことでもなければ入ることはなかっただろう、公爵の寝室。左腕の包帯はまだ痛々しいが、普通の食事をとれるようになったアーサーは、貴婦人みたいにベッドの中で朝食中。

 そういえば、遅ればせながらも彼がターナー邸に現れたのは、自然史博物館が休みで閉まっていたからだそうだ。なんだそれ。


「僕を撃った奴。“切り裂きジャック”だったんだって?」

「……ええ」

「そうか。なら本当に君は危なかったな。そんな奴に人質に取られるとは」


 詳しい説明なんかしていない。


 だけど私から何も聞かないうちに、新聞やら何やらから仕入れた情報で、アーサーは勝手に「皇太子を狙おうとまぎれこんだ暗殺者に運悪く人質に取られてしまった公爵夫人」という、非常に曖昧かつ、ご都合主義的ストーリーを作り上げてくれた。ついでに世間様までそう思っている。


 これでいいのかどうか。うん。


(いいわけないよね)


「寝てばかりはそろそろ飽きたし、議会も欠席ばかりじゃ忘れられる。今日はもう起きるか」

「そう。でも抜糸まではあまり」

「乗馬でもしようっていうんじゃあるまいし、そんな心配するなよ。自分の身体の限界はわかるさ」


 お茶をついだ私に笑いかける。心配かけないように、負い目を持たせないように。

 ボンクラ公爵、でも誰より優しいアーサー。「なんでもないこと」にしようとしてくれているのはわかるけど、私は受け入れるわけにはいかない。


 着替えの介助は従僕に任せ、食事のトレーを廊下の小テーブルに下げた私はひとつ息を吐く。

 アーサーはもう大丈夫だろう。公爵夫人自らそばについて看病をしていた私は、医師や看護婦からずいぶん称賛されたけれど、それは罪滅ぼしだ。そして時間稼ぎ。看病のためと自分に言い訳して先延ばしにしていた件を、はっきりさせないと。


 言おう。自分の正体を。

 決心した私は、公爵閣下の寝室に戻る。


「あの、お話が――」


 と、そこまでしゃべったところで。


「セアラ!?」

 

 世界がぐるぐる回った。身体から力が抜け、あとはもう記憶がない。



 それまでやっていた二重生活に、朝から晩まで何かしら社交の付き合いがあるロンドン。公妃にもメイドにも同じくらい休息はなく、元から無茶なことをしていたのだ。そしてアーサーが怪我をしてからは、山のように届く見舞いの手紙に見舞いの品。看病の合い間にそれらをひとつひとつチェックして礼状を出し、直接来る見舞い客には応対をする。夜になったらなったで、熱を出したアーサーに寝ずの番こそしないものの、何度も様子を見に行った。


 よく考えたら、VTにも「体調管理」のバロメーターはあった。

 つまり人間、無理をすると倒れるってこと。限界がわかってないのは私のほう。


 病床からやっと出られたアーサーに代わり、今度はこっちが寝つくことになった。


 完全に休業せざるを得ない“アグネス”がどういう扱いになったかって?

 それは察してほしい。



 あれだけ焦がれていた、ヴィクトリア朝ロンドンでの貴婦人生活。その中核の行事。


「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン(女王陛下万歳)……」


 不運な私は、ゴールデン・ジュビリーを記念して行われたいくつもの王室行事、記念式典も騎兵隊のパレードも見物し損ね、ロンドンが喧騒に包まれているのをベッドの中で涙を飲みながら聞いていた。


 命あっただけましなのかもしれないけれど。でもねえ。




 無念を抱えた私は、体調が戻ったあともしばらくは不貞寝していた。だってさあ、本当に誰も追求しに来ないんだもの。ちょっとくらい自分を甘やかしたっていいじゃない。もう少しだけ先延ばしにしたっていいでしょうが。


 で、ある夜。昼間ずっと寝て過ごしたせいで、眠れない。


 しょうがいないので、溜まりにたまったはずの手紙類――舞踏会とか晩餐会とかのお誘いやら、田舎の屋敷にいる家政婦からの定期報告、領地の内外からくる寄付のお願いなど――を確認するため、ようするに宿題がどれだけ溜まっているかを見るため、応接間に下りて行った。


 すると。


「アーサー? 何してるの、こんな夜中に」

「セアラこそ。起きていいのか」


 夜中に起き出し、使用人は起こさぬようにこっそりごそごそしている、お互い様な私たち。仮面夫婦が夜中の応接間で顔を合わせた。

 よかった。今夜は例のベビードール寝巻きじゃなくて、普通の長袖ワンピース状のを着て寝ていたから。


「すっかり元気よ、もう。単に色々サボりたかっただけ。付き合いとか、社交とか。面倒だもの」

「へえ。君でもそんな風に思うんだ」

「どういう意味」

「いや。いつも嬉々としてやっているから楽しいのかと。違ったのか」

「……」

 

 このやろ。誰のためだと思っている誰のためだと! 


「……私いま、宿題がどれだけ溜まったのか見に来ましたの。あなたは」

「僕は……その」


 口ごもるアーサー。よく見ると、彼が座っているのは書き物机。のぞきこむと、積もり積もった手紙の山がそこにあった。何通か開かれている。


「自分宛のぐらい、ちゃんと返事を書こうかと。たまには」

「……あなたは怪我人だったのよ。片手では辛いでしょう」

「うん。でも言いづらいんだけど、ちょっと脱線中……」

「は?」


 面目なさそうにしたアーサーが手に持っていた物。木の箱。中身を見て、私は一瞬ぎょっとした。


「何それ」

「クジャクヤママユの標本。取り寄せたのが届いてたんだ」


 それはそれは大きな翅を持つ一匹の蛾が、箱の中に収まっていた。目玉のような模様が気持ち悪い。


 でも。その名前には覚えがあった。


「それなら知ってるわ。珍しいんでしょ、すごく。そうだ昔、昆虫採集に夢中になってる男の子の話を読んだの覚えてる。あなたみたいね」


 ふっと蘇る、思春期の頃の記憶。国語の時間。


 昆虫採集に夢中になっている「僕」と、優等生の「エーミール」。エーミールの持つ美しい標本を羨んだ「僕」は、とっさにそれを盗んで壊してしまう。後悔した「僕」は謝りに行くんだけど――。


「でもつぶしちゃうのよね、自分のも。で、そのあと集めるのもやめちゃう」

「あれのことか。エーミールに冷たく軽蔑されて?」


 そう、あれは。


「『少年の日の思い出』」

 

 先に言われてしまったタイトル。懐かしさに、一瞬、通っていた中学校の教室内の様子が頭に浮かんだ。思わず笑みがこぼれたけれど、アーサーの顔にも同じ感情が見えたので、少し嬉しくなる。

 でも、向こうの表情はすぐに陰った。


「……確かあれは、母親にうながされて謝りに行くんだったな」

「そうね」

「筋を通すということを、教えたんだろうか。息子に。過ちの悔悟を」

「……」


 “伝言”をまだ伝えていない私は押し黙る。


「……僕の母はそういう人じゃない。あの人ならきっとこう言う、『やってしまったものはしょうがないじゃない?』と。あっけなく」

「アーサー?」


 木箱を机に置いた彼は、深くうつむき、片手で頭を抱えた。辛そうに。だけどやがて顔を上げる。


「話すよ。僕が……僕と僕の母が、君に何をしたのか」




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