17.仮面の下にあるのは
17.仮面の下にあるのは
そういえばお茶会はどうなったんだろう。ターナー侯爵夫人が、気合い入れて臨んでいたお茶会は。
(セアラ様はいない……ということは、プロデュースは誰がしたんだろ)
するとノックの音。また何があるかわからず、私は内心怯えながら返事をした。
「失礼いたします。ゲインズバラ公爵がこちらにおられるとうかがったのですが」
「ええ、お怪我をなさっています。まだ意識は戻っていませんが」
「はい。その、主より言い使ったのですが、何かご入り用の物などは」
「じゃあ……ゲインズバラハウスに使いをしていただける? パジェットをこちらに寄越すように伝えてもらえれば」
「かしこまりました。それとですが、閣下には別室へお移りいただいてもよろしいでしょうか、奥様?」
「……ええ。よろしくてよ。運んでさしあげて」
来たのは、さっき私をキッチンへ案内してくれたのと同じフットマンだ。
エプロンも眼鏡もとり、地味なドレスを着ただけの女。立ち回りを演じたせいで髪型はぼろぼろ。だけど、怪我をした公爵のそばについた私は、不思議と公爵夫人に見えたらしい。
駆けつけた従僕に、自宅で怪我人を受け入れる用意をさせるよう命じ、かかりつけの医者を呼んでおくよう手配をさせた。準備ができるまで、ターナー邸の客用寝室で待たせてもらう。
*
ふと窓に目をやると、カーテンからもれる光は夕暮れの赤い色。
「……。!」
少しうつらうつらしていたようだ。ベッドのそばに置いた椅子にかけていた私は、そこにいるはずのアーサーの姿を捜した。でもいない。
「アーサー?」
「セアラ。こっち」
あわてたけれど、すぐに返事があった。見たら、部屋の暖炉の前で立ち尽くす公爵。
「何、してるの」
「暖炉に火を入れようかと」
「私がやるわ。あなた怪我してるのよ」
好天気の今日、冬のように冷えてきたりはしないけれど、上着を脱いでシャツ一枚きりの怪我人には寒かったのかもしれない。代わりにやってあげる。
「……」
「……」
パジェットはまだだろうかと、ドアを見た。でも誰も来ない。セアラ様も、ターナー侯爵夫人も、キャロラインも。私を追求しに来る人までいない。
視線を戻すと、暖炉の前の長椅子に座り、火に見入る公爵。手当てのために片袖が切り取られてしまい、まだ寒々しいように見える。
ベッドから毛布を持ってきてその肩にかけた。傷に触らないよう、慎重に。
「ありがとう」
「……」
無言で首を振る。かけた毛布の端を握りしめ、私の手は止まる。そのまま彼の横に留まって。
何をどう説明したらいいんだろう。アーサーは知らないんだから、何故自分が撃たれなければいけなかったのか。いやそもそも、なんでまたあそこにいたのかが私にも疑問。
でも。
先に話さないといけないことがあるはずだ、私には。勇気を振り絞って口を開いた。
「あなたに謝らないと――」
「いいんだ、セアラ。君が無事ならそれで」
正体を明かそうと話し出した私は、優しい言葉に出会ってしまう。
「……あなたは無事じゃないわ」
「いやあ。男だし、腕一本くらい。死ぬかと思ったけど、どうってことない、きっと」
謝ろうとしたのだ。悪役メイドの懺悔を、だまされた公爵に。
だけど。
まだ痛いだろうに、笑って、さらに手を動かそうとしてみせる。大丈夫だ、と。
「どうして」
どうして全てを聞く前に、そんな言葉をくれてしまうんだ。優しすぎる。
「私、怖かった」
「セアラ?」
「あなたが撃たれた時……自分が撃たれたみたいに怖かった! 私が死ぬかと思ったじゃない」
アーサーが優しいから。だから私はとうとうこらえきれず、あふれさせてしまう。
本当に怖かった。銃口が自分じゃなくてアーサーに向けられているのを見た時、あの音が響いた時。自分が撃たれたようなショックを受けた。そのぐらいの衝撃だった。
弾があと少し逸れていたら、アーサーはいま笑っていられなかったのだと思うと耐えられない。そんなの嫌だ。自分がテムズ河に飛び込むほうがましだったかもしれない。
あふれた涙を見られたくなくて、うつむいた。
「やめてよ、優しくするのなんか。かばわないでくれればよかった。放っておいてくれれば」
妻だと思ってなんかいないくせに。それなのに、メイドの格好していた私を一目で見抜き、ただちにかばってくれたこの人が嫌いだ。……嫌いだ。
彼の肩にかけた毛布に、ほとんどしがみつかんばかりになっている私。
ああ。でも本気で泣きつくわけにはいかないんだ。怪我人だから、だけじゃなく。
(この人は、私のじゃない)
その優しさは、私に与えられるものじゃないんだ。それを切なく感じるから。だから嫌い。認めたくない。
「いや……でも。ま、守りたいじゃないか! 自分の、か、家族くらい、自分で。あの時は僕だって驚いたんだ、こっちの息も止まるかと思った」
「……!」
認めたくない。認めたくないんだから、泣いていることなんか、気づかないふりしてよ。泣くのを慰めるように頭を撫でるなんて、しないでほしい。
「だから……守れてよかったって。そりゃ僕が撃たれるとは思わなかったけど、君が怪我をするよりはよかった、本当に。だから泣かないでいい」
ボンクラめ。そんなこと言われたら、もう抵抗できないじゃないか。泣かないでいいとは言うけれど、それって泣かせているも同然なんだから。
お願いせめて今だけでも、と。その肩のところに頭をあずけて泣いていた。
無事なほうの手で、黙って頭を撫でてくれるアーサー。
無言はしばらく続いた。だけど一時の衝動が過ぎれば、私の涙も止まる。そうすると、この状況に対する違和感も思い出す。
(え……これなに。どうして近い)
偽者公妃とヘタレ公爵。今までこんな至近距離になったことがあったろうか。いやない。なにしろ仮面夫婦だし。
でもどうしよう。緊張しているけれど、一方で。
「……」
離れたくもないと思っている。ぬくもりが心地良いせいだろうか。
私、どうしたらいいんだろう。生者の体温のあるアーサーを嬉しく思うのは、罪悪感だけじゃないんだ。行き場のない気持ちだとわかっていてももう無理。止められない。
とはいえ、ずっとこうしてはいられないのもわかっている。相手は怪我人。渋々だけど、もたれていた頭を離した。そうすると。
今度は見つめ合うことになった。近い距離。心臓が大きくわなないて、どうにかなっているのを感じる。よく聞く表現だけど、「その瞳に吸い込まれそう」になる心境を、体験した気がした。
ほんの少しの時間だったのかもしれない。でも、なぜだか途方もなく長く感じた。
アーサーのほうで実際どう思っていたかは、私にわかるはずない。だけど。
頭のてっぺんに当てられていた手は、いつの間にか後ろに回っていた。言い訳するつもりはないけれど、あっちから引き寄せたのは本当だ。私は目を閉じた。
だがしかし。アーサーの往生際の悪さは想像以上だった。謎なことに、ほとんど触れ合っている距離にしておいて、そこで止まった。ぬくもり感じそうなほど近いのに。
「……」
この空気。共有している同じ衝動があるはずと、私にだってそろそろわかる。だったら、最後の一歩くらい、自分から行ってもいいんじゃないかと思った。
だから、顔を少し前へかたむけた。
「!」
ふれた途端、相手が驚くのが伝わった。この期に及んでも驚くのかと、私は落胆。だからすぐに離されちゃうと思った。確かに離れた。一瞬だけ。
一度離れておきながら、間を置かずに戻ってきた。触れ合う感触。今度はそれだけでは終わらず、下唇をゆるくついばまれる。速くなる鼓動に、たまらず息をしようと口を開けると、そのまま侵入されてしまう。
熱がこもっていく。仮面夫婦の仮面が外れかける。「清らかな関係」とは、ちょっとだけ言えなくなったのかもしれない。キスが、その他のいろいろな感情まで呼ぼうとするから。
と、どっちのかはともかく、喉が鳴った。両方かもしれない。
すると途端に。
「……!」
ほとんど飛びのくように離れたアーサー。身を離した彼は傷に障ったのか、表情を歪める。
「え……?」
「ご、ごめ。そんなつもりじゃ」
「……」
なんで? ちょっと待ってよアーサー。なんでそこで逃げる。
私は愕然。何、いま何が悪かった? それって、この状況で男が取る態度なのか。
女心が傷つくと同時に、むっとした。だから無意識ににらんでいた。
「違うんだ」
「何が?」
「いやだから。……僕らはこんなことしちゃいけない」
真っ赤になっていたアーサーは、その後、みるみるうちに蒼褪める。
「……どうして」
「それは……」
自由なほうの手だけで、頭を抱える彼。何かを苦悩して。
「ごめん、セアラ。僕が悪いんだ、全部」
「悪いって? 何かしたの?」
「……とても言えない。いや……話さないわけにも、いかないのか。もう」
苦しんでいるのがわかった。ひとりで何かに、深く苦しんでいる。
はっとした。それはたぶん、ずっとだ。結婚して以来ずっと。やっと気づいた。
ひとりで何かに苦しむアーサー。ならば、どうして私に責められるだろう? 問い詰めて白状させたい、理解してあげたい気持ちが半分。これ以上追いつめたくない気持ちが半分。
(……しょうがない)
さっきのは、なかったことにしないといけないようだ。
そうだよね。お互いのためにも、そのほうがいいに決まっている。
だったら、言えるのはこれだけ。
「いいわ。話したくなったら聞く。あなたが話したい時に」
「……」
「何を聞かされても、私は」
おっと。何言おうとした自分!
「あ、あなたのことは信用してる。悪い人じゃないとわかってるから」
本当の気持ちは告げられないけれど、それぐらいは伝えておくことにした。
そう、たとえ――とても人に言えないような嗜好を持っていると聞かされても。男しか愛せないと言われても、それでもアーサー個人はいい人なのだから。それとこれとは別だと思う。たとえ同性愛者でも、優しくていい人だという事実は変わらない。
固いキリスト教的観念を持つヴィクトリア朝の人にしてみれば、口にするのもおぞましいことかもしれないけれど、私は違うんだから。偏見は持ってない。別に腐女子でもないけど、温かく見守る度量はある――愛の形は人それぞれだって。
「大丈夫よ」
「……そうかな?」
どーん、と懐の深いところを見せたつもりの私。ほとんど友達みたいな態度で笑ってあげている。
ちょっと、やけになったのかもしれない。
*
あらでも。
なし崩しに死亡イベントを乗り越えはしたけれど、結局、自分の正体を告白できないままでいる悪役メイドは、こんな偉そうに友達づらしていいものなんだっけ?




