第20話
---晩秋。ディルク王国の広葉樹の森が鮮やかに紅葉を迎えている頃、キャリントン家は右に左に大忙し日々を迎えていた。
叔父のことについては、夫と十分な話し合いをした結果、コーデリアの誘拐の件は不問とし、叔父が関与したと思われる前キャリントン伯爵夫妻およびバロウズ子爵夫人の事故について王国の司法機関に任せる形を取った。
叔父はそのことを予見していたのか、司法機関に所属する騎士数名がバロウズ子爵邸に捕り物へ向かった際には屋敷はもぬけの殻で、叔父を拘束しに行った騎士たちは空振りに終わったと聞いた。叔父がどこへ消えたのか、杳として消息不明という。
「この件は司法局に任せたのだ、だからこちらでは幕引きだ。忘れろとは言わない、考えないようにしなさい」
気にはなったが夫の言うとおりである。考えたところで叔父の行方が分かろうはずもない。
「そうね、他にもやらなくちゃいけないこともたくさんあるし、考えないようにします」
こうして、叔父の事件については曖昧ですっきりしない結果で幕を閉じた。
「お嬢様、何でもラグナ=シークという国はディルクよりもだいぶ暑いと伺っております、薄手のドレスを何着か持っていきましょう」
アビーはコーデリアと共に荷造りをする。
「そうね・・・どれくらい暑いのかしら?後で、ジェラルドに聞いてみるわ」
「そうなさいませ。予定される滞在期間も聞いていただけると助かります」
「わかったわ、着替えの他に持って行った方がいいものも聞いてみるわね」
キャリントン家のコーデリアの居室では旅の準備に大わらわであった。夫は今頃執務室でダドリーと今後のことを綿密に打ち合わせているはずである。
荷造りをアビーに任せて、夫のいる執務室に足を向ける。窓の外には自慢の庭が広がっている。
(このお庭ともしばらくお別れね・・・)
寂寥感がコーデリアの胸をよぎる---コーデリアの足は方向を変えて、自然と庭に向かっていた。
最後に咲く秋の薔薇が甘く優しい香りを放ち、コーデリアを出迎える。そっと薄紅の薔薇の花弁に触れて、コーデリアは庭を見渡す。
庭師エルマーの手による綺麗に刈り込まれた植栽が整然と並び、季節ごとに咲く花を巧みに育て、四季折々の花を楽しめるようにしている、美しいキャリントン家の庭。
コーデリアにとってこの庭は心の支えであった。
「大事な庭だったわ」
薄紅に染まる唇から零れ落ちた言葉、コーデリアの心から不意に漏れ出た。
「このようなところにずっとおられたら、体を冷やしますぞ」
いつの間にかコーデリアの背後に立っていた庭師エルマーが、コーデリアの肩にそっと肩掛けを乗せる。
「ありがとう、エルマー。貴方はこの庭の様に温かい人ね」
エルマーの手によって肩にかけられた肩掛けが温かく、コーデリアはきちんと羽織りなおす。
「過分なお褒めをいただきありがたき幸せ」
「だから、私にとっても居心地の良い、まるで宿り木のような場所だったのかもしれないわ。私もこの庭の様にあの人の宿り木になりたいわ」
コーデリアは少女のようにはにかんで、話を続ける。
「きっとね、あちらの国へ行ったら、ジェラルドの身辺は騒がしくなると思うの。それこそ休む間もないかもしれないわ。だから、私は彼が翼を休められる、そんな存在でありたい」
「お嬢様、人は努力すればそれに近づけます」
「エルマー」
碧に輝く双眸を軽く見開いて、コーデリアは庭師の手を取る。
「ふふ、頑張らなくてはね。真摯に話を聞いてくれてありがとう」
手を取られた庭師は焦って、しきりに恐縮する。女主人にとられた手を振り払う訳にもいかず、白く小さな手に己の手が取られている。
「お、お嬢様!手を・・・手を離してください。お嬢様の手が汚れますぞ」
「あら、大丈夫よ、汚くないもの、エルマーの手は。私ね、エルマーの手、とても好きよ。この大きな手がこの庭を美しくしてくれている。この働き者の大きな手が」
ふふ、と笑って、目の前で焦っているエルマーの手をそっと離す。
「きっと帰ってくるわ、それまでこの庭を守ってね」
ただ、夫が帰国するとなると、庭は国に召し上げられるかもしれない。その時、この庭はどうなるのだろう、コーデリアは心の片隅で思っていた。
あっという間に時は過ぎ、冬の足音が聞こえてくる。
荷造りを終え、着々と夫の生国ラグナ=シークに向かう準備が進んでいたある日、居室の整理をしていたコーデリアにジェラルドが声をかける。
「コーデ、入るよ」
言うや否や、夫は部屋に足を踏み入れている。
「どうなさったの?」
ほぼ空になった衣装棚を掃除していた手を止める。
「明日、陛下に謁見するから、心づもりしておいてほしい」
「明日?私も?」
急な申し出に、コーデリアは頭が真っ白になる。
「そう、帰国のご挨拶に。たぶん、伯爵位を返上することになる」
夫が生国で皇位継承権を持っていると聞いた時から覚悟はしていた。
「わかりました」
軽い緊張が走ったコーデリアは力強く答えると、「そんなに緊張しなくてもいい。大丈夫だから」と夫は苦笑いしてコーデリアの頬に軽く口づける。
「それから、掃除はアビーに任せるといい。彼女の仕事がなくなってしまうよ」
「もともと、我が屋敷は人手が足りないのです。私もできることはやります。ふふ、それに最後くらい・・・いいえ、しばらく空けるのであれば、自分の部屋くらい自分で綺麗にしたいのです」
「そうか。あまり、張り切らないでくれ」
夫はコーデリアを軽く抱きしめると、退室していった。
「明日は国王陛下と対面・・・気が重いわね」
気が付けばディルクを出国する日まで、あと1週間と迫っていた。
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