18.だめ⑤
必死に弁明したステラは、「意見の相違で剣を持ち出す喧嘩になったが、ヴェルシュがうっかり滑って頭を打って気絶した」ということにした。
ヴェルシュとバーニーがお互いを切りつけ合ったのをステラが治していたところに、ギルド職員が駆けつけた、という筋書きだ。
傷は完璧に治したため、まさか左腕を切り落としたなどとは思わないだろう。
かなり強引なこじつけだったが、ギルド内での私闘は禁じられていてもままあることだ。
納得してくれた職員達は、巻き込まれた形になるステラに心底同情してくれただけでなく、大事に至らないよう治療を施してくれたことに感謝された。
そして、ヴェルシュを治療院に搬送し、バーニーにはきちんと罰則を与えると息巻いて連行していったのだ。
簡単な事情聴取で解放されたステラは、一人家に戻った。
服を着替え、血を洗い落としたら、機械的に腹へ食べ物を詰め込む。
すぐにでも布団に潜りたい気持ちで一杯だったが、そこは堪えてじっと待った。
やがて完全に日が暮れた頃、バーニーが帰ってきた。
自分で切った左腕はギルドで治療してもらったらしく、包帯が巻かれている。
彼は、居間の椅子に座るステラを見つけると、ゆっくりと近づいてきて当たり前のように側に膝を突く。
「ご主人今帰った」
「拘留されなかったのね」
「罰金で済んだ」
軽く言っているが、それなりの金額にはなるのだろうと頭の隅で考えつつ、ステラはバーニーを醒めた目で見下ろす。
バーニーはいっそ不気味なほど、いつも通りの表情をしていた。
あんな騒ぎを起こしたとはとても思えないほど。
「バーニー、なんでクルーゾー様を殺そうとしたの」
「ご主人を侮辱したからだ」
あまりに予想通りの答えに、深い深いため息を吐いた。
ステラは帰ってからずっと、バーニーの不可解な行動を一人でじっと考え続けた。
バーニーから私怨は感じなかった。ならば、直前のヴェルシュの言動にしか理由はない。
まだ彼の中では、ステラの奴隷であり、過去に与えられた命令を忠実に実行しているのだ。
頭を抱えたくなったステラだったが、バーニーも琥珀の瞳でひたりと見据えてくる。
「なぜ、あれを庇った?」
「私はアヴァリスの悪魔ではなく、人間として生きているからよ」
ステラも今回ばかりは引くわけにはいかないと、にらみ返した。
そう、我が儘姫時代は、確かに気に入らない者がいれば、人を使って排除したり、バーニーに殴るよう命じたりしていた。
けれど、普通ならあの程度の悪意では、人を殺さないどころか、傷つけもしない。
だからステラは、バーニーに言い聞かせなければならない。
彼はもう奴隷ではなく、人間であることを。そしてステラがいかに悪だったのかを。
「あの人の言ったことは、一つも間違いじゃないわ。私は確かに罪人で、なにをしようが一生許されない罪がある。そしてあなたはアヴァリスの被害者なの。私が原因であなたは抑圧されて、歪んで、壊れた。あの人は正しく私が悪いと糾弾したの。侮辱も怒りもむしろ当然のことよ。私は甘んじて受ける義務がある」
「だがアヴァリスに関係ないやつらが、ご主人を責めるのは違う」
一点の曇りなく言うバーニーに、ステラは自分の心を見透かされたような心地がした。
ずっと心の奥底に沈めてきた衝動が、ざわざわとわめき出す。
なんとか押さえ込もうとしたのに、バーニーはさらににじり寄ってくる。
「ご主人が生きるには、それしかなかった。違ったか」
「それは――」
「助けもしなかった知らないやつが、悪いと言うのは、おかしい」
バーニーのてらいのない言葉が、ナイフのようにステラの胸を突き刺す。
(違わない)
違わないのだ。十年間、誰かに糾弾されるたびに、密かに思い続けていた。
世間が語る「悪いこと」は、ステラにとって生きるためのすべだった。
だってそうしなければ、尊厳も、自由も、命でさえも奪われてしまうから。
ステラは死に物狂いで十歳まで生き延びた。
けれど、周囲はそれを謝罪し続けろという。でなければたちまちアヴァリスの悪魔だと罵ってくるのだ。
彼らは―――て、くれもしなかったのに。
(だめ。これ以上は、考えちゃいけない。それに、バーニーには関係ないもの)
ステラがなんとか感情の制御を取り戻しても、彼を見返せなかった。
それでも、投げつける言葉はちゃんとある。
「なら、あなたには私を罵る権利がある、そうよね」
バーニーのまっすぐな目が、はじめて揺らいだのが視界の端に見えた。
「あなたはもう奴隷から解放されて、いくらでも栄達を望めるし、平和な日常を送れるの。そして私を悪と罵ってあなたの人生を歪めたことに怒るべきなの。今がおかしいのよ」
そう、再会してから、バーニーはなにも言わない。
アヴァリスに対しての感情も、ステラに対する本心も。
ステラはそれが怖かった。いっそ暴力に訴えて奪って、糾弾してくれれば良いのに。
バーニーの琥珀の瞳が揺らぐ。表情は変わらずとも、なにかを葛藤しているのは瞳の揺れでわかった。
やがてのろのろと動いたバーニーは、ステラの握りしめられた手を取って丁寧に包んだ。
彼の手のひらはひどく熱かった。
「俺は、昔も今も、ご主人の犬だ。ご主人が言うことが良いことで、悪いと言えば悪いと思う。今回のことが、間違っていたのなら叱ってくれ」
その懇願に、縋るように掴まれた手に、ステラは瞑目する。
もう限界だった。
この男がわからない。本気で言っているのか、それとも思惑があるのか不安で警戒して恐れ続けて全方位に張り詰めて――……。
(でも、もう。疲れた)
終わりにしよう。バーニーが言うのなら、その通りに扱ってやろうじゃないか。
だからステラは彼に手を包まれたまま、こう言った。
「どうして? あなたはだめって言ったら止まったでしょう」
バーニーがゆっくりと顔を上げるなか、ステラはふんわりと笑ってみせる。
髪は茶色に染めたけれど、瞳の青だけは以前と変わらない。
だからきっと、前と同じ褒めるときの機嫌の良い表情に見えるはずだ。
「言うことを聞けたのなら、ご褒美が必要ね。なにが欲しい? なんでも良いわ」
喉から出たのは、柔らかい猫なで声とも称して良いもので、ステラは内心自嘲する。
これでいい。実際にかつてと同じように扱えばきっと目が覚めるだろう。
そうでなくても、この程度だと思える。
(こいつも、他の奴らと同じように、私に押しつけたら良い。奪えば良い。それで全部おしまいだ)
だって、ステラのことは、誰も助けてくれないのだから。
バーニーはなぜかひどく狼狽えているように瞳を揺らして、ステラを見上げていた。
今さらか? と少々呆れたが、迷っているのがはっきりとわかる。
「なんでも?」
「そうよ」
「なら、前みたいに、あなたの部屋で眠りたい」
願いを言った。そのことに、ステラは奇妙な安堵を覚えた。
この男が、成人した女の部屋に入りたいと願うのが、どういうことかわからないほど初な訳がない。
(ほら、やっぱりそう。誰も彼も一緒よ)
「良いわ、部屋においで」
承諾したら、喜ぶはずの彼は、すうと血の気が引いた顔をしていた。
甲斐甲斐しく食事を出し、風呂に入れて、いつも通り髪まで拭いてやっても、バーニーは無言だった。
いつも寡黙だからステラはまったく気にせず、寝支度が整うとバーニーの手を引いて、部屋に招き入れた。
ステラの部屋はごく一般的な間取りだ。
ベッドに簡単な書き物机と椅子、クローゼットがある。床には安物だがラグが敷かれていた。
けして広くないから、大柄なバーニーがいるとずいぶん狭く感じられる。
立ち尽くす彼は、ステラがベッドの布団の中に滑り込むと、思い出したようにラグにすとんと腰を下ろす。
いっそ笑えるぐらい予想通りで、ステラは実際に笑いながら布団をめくった。
「バーニー、そっちじゃないわ」
ぽんぽんと、ベッドを叩いてみせると、暗がりで明らかにバーニーが硬直したのがわかる。
「前と、違う」
バーニーの言い分ももっともだ。確かに以前はベッドにまでは入れなかった。
けれど以前のままでは意味がない。
「今は犬と同じベッドで眠る飼い主もいるらしいわ」
「ッ……」
ベッドに開けられたスペースと、ステラを交互に見てバーニーは表情が乏しい中でも明らかに動揺する。
そんな様をステラは冷めた気持ちで観察していた。
もうどうなっても良いと思っていた。
化粧を落としたステラは、お世辞ではなく見られる顔をしていると知っている。
薄い寝間着一枚に包まれた肢体は、女性的な曲線を描いているはずだ。
母親譲りの、肉感的で豊満なもの。治療院に行くときはあえて抑えているくらいだ。
それが男の情欲を誘うことを、ステラはよく理解していた。
だって幼い頃からそうだったし、修道院から出たあともそうだったから。
あとは、男の理性が負けるのを待てば良い。
葛藤していたバーニーはのろりと動き出す。
男性一人の体重を受け止めたベッドは、ぎしりとひときわ大きく軋む。
シャツとズボンだけという軽装のバーニーが、ステラの傍らに滑り込んだ。
さほど大きくないベッドの上だから、自然と身を寄せ合うことになる。
次はどうするのか、とステラが様子をうかがっていると、バーニーに引き寄せられた。
ステラが反射的に身を固める中、向かい合う形で抱きしめられる。
掛け布を引き上げられて――……けれど、それだけだった。
太い腕がステラの背中に回されただけで、なにもしかけられる気配はない。
すっぽりと彼の懐に収まるステラは、混乱して身じろいだ。
「バーニー……?」
この戸惑いをどう表現すれば良いかわからず、名前を呼ぶと、ぎゅうとバーニーが力を込めてくる。
それでも苦しいほどではない。
服越しに感じる高い体温と、石けんと髪油の甘い香りと……少しだけ感じる彼の匂いに動揺した。
おかしい、どうしてなにもしないのだろう。
ステラは当てが外れた苛立ちのまま、抗議しようと顔を上げようとしたけれど、その前に頭を押さえ込まれた。
苦しくはないが、バーニーの顔を見ることはできない。代わりに、バーニーの胸から恐ろしく早い鼓動が聞こえてくる。
ステラの頭上から、小さな声が振ってきた。
「俺は、かしこい犬だから。ご主人の嫌なことはしないから。――もう、捨てないでくれ」
弱々しい懇願に、ステラの心は千々に乱れた。
(あなただって、どうせ、私に押しつけるくせに)
動揺もある、恐怖もある、苛立ちも。
なのに全身を包まれるいっそ暑いほどのぬくもりに、とろとろと睡魔が忍び寄ってくる。
それが、安堵だと自覚する前に、ステラは拒絶できないまま、意識を落とした。




