16.だめ③
ばっとバーニーを向いて問い詰めると、彼は琥珀の瞳を瞬いてうなずいた。
「身分を買い戻したあとも剣闘士をしてたら、ゼインに誘われた」
「ブルクス団長だといつも言っているだろう。養子に入ったのだから敬え」
「ゼインが騎士団外なら良いと言った」
すかさずヴェルシュが窘めても、バーニーは堪えた様子はない。それで、ステラは近衛騎士団の団長の名前だと理解してめまいがした。道理で聞いたことがある名だと思ったわけだ。新聞に時折出てくる名前だったからだ。
バーニーの過去を詳しく聞かなかったことを少々後悔する。
(でも、まさか奴隷上がりの剣闘士を騎士団に誘う酔狂者がいると思わないじゃない!)
顔を引きつらせるステラに、気づいたヴェルシュは鼻で笑う。
「はっお前がずっと探していたご主人様とやらは、ずいぶんお前に興味がなかったようじゃないか」
「それは……」
ステラが否定できない中、ヴェルシュは蕩々と話し出す。
「バーナードが剣闘士だった頃に、その才を認めたブルクス団長が自身の養子にしてまで騎士団へ迎えたんだ。そこからめきめきと頭角を現し、王族がたを暗殺者から守ったこともある。近衛騎士団内でも随一の実力者だぞ。なにより、あのアヴァリスから生き残っただけでなく、克服した人間として、王宮じゃ知らない者がいないくらいだ。まあお前はまったく興味がないようだがな」
嫌みたらしく当てこすられる。
嘲弄も侮蔑の目も、ステラは黙って受け止めた。
「バーナード・ブルクス子爵令息。これが彼の今の身分だ。こんな場所でその日暮らしをさせて腐らせて良い人間じゃない」
ヴェルシュから感じるのは、久しく浴びていなかった憎しみだった。
(新聞じゃ、剣闘士をやめたことしか載ってなかったもの)
そんなこと言ったとして、知らなかったことには変わりないし、興味もなかったのも本当だからだ。
だが、バーニーがそのような華々しい功績を挙げているとは思わなかった。
「そ、う、だったの」
膝に置いた手を握りこんだステラがつぶやくように言うと、バーニーは小首をかしげた。
「少し違う。俺はご主人を待つから騎士は嫌だったが、ブルクスが『守る戦い方を学べる』と言ったからなっただけだ。十分学んだし、ご主人が見つかった。だからいらない」
ご主人呼びまでぶちまけて良いのかと、ステラは肝が冷えた。
ヴェルシュは驚きはしなかったが、苦虫を噛み潰したような忌ま忌ましさが色濃くなった。
「こいつはずっとこの調子だ。アヴァリスが洗脳の呪いをかけていたのかと魔法使いに見せても、気配すらない。もうお前に囚われずとも良いと何度言い聞かせても、お前を待つためだと言い続ける。ブルクス団長が説得してようやく職務に着く始末だ」
「なら、素直やめさせてあげれば良かったのでは」
思わずステラがぼそりと言ってしまったら、ヴェルシュの目が見る間につり上がる。
「馬鹿を言うな! お前じゃあるまいし、こんな優秀でなんら罪もない男が人生を棒に振って良いわけないだろう!」
正論である。
ヴェルシュの苛立ちの矛先はバーニーへ向いた。
「こんな薄情な女に仕えたいだなんてどうかしているぞ。お前の実力ならいずれ騎士団の中核にだってなれるんだ! だからブルクス団長に命じられて私が迎えに来たんだぞ」
どうやら、バーニーは騎士団内で相当重要視されているらしい。
こんなに必死な説得にも、バーニーはそよとも揺らがなかった。
「頼んでいない」
「バーナード!」
ヴェルシュがますます気を高ぶらせる、悪循環だ。
彼の説得を聞きながらしながら、ステラは密かに感心していた。
(奴隷なのもそんなに気にされていない、のかしら。ともあれブルクス団長様とやらもバーニーに逃げられたら顔が潰れるというのも、この男が必死になる理由のひとつなのかも)
思惑があろうとなかろうと、このヴェルシュという男は、バーニーを認めており、さげすむ様子もない。
本気で彼を引き戻して共に働きたいと考えているのだ。
バーニーは日の当たる世界に地位も居場所も作り、求められているのだ。
十年の月日の中で、バーニーが積み上げて、手に入れてきたものを感じさせ、ステラの芯がゆっくりと冷たくなっていく。
彼が生き延びていた間、ステラがなにをしていたか。
ただ修道院でひたすら謝罪をしていただけだ。
逆を言えば、それしか許されなかった。
そのとき、鋭く呼びかけられた。
「おい、アヴァリス。お前はバーナードを見捨てた、そうだな」
ステラがのろのろと顔を上げると、ヴェルシュが鋭く睨んでいる。
「わかるだろう、罪人のお前と違い、バーナードには輝かしい未来がある。お前がこいつにしたありとあらゆる仕打ちを少しでも悪いと思うのなら、バーナードに突きつけてやってくれ。『お前は必要ない。ここにいるべき人間ではない』とな。せめて責任を取るんだ。悪魔でもそれくらいはできるだろう」
冷え切った心で感じるのは諦観だ。
いつだってそうだった。修道院の中で改心して慎ましく生きても、罪人のレッテルは剥がれない。
修道女達はステラを唾棄すべき悪魔として扱い、贖罪としての奉仕を押しつけ続けた。
だから修道院から追い出されたとき、不安と共に少しだけほっとしたのだ。
これで出口のない贖罪をしなくてすむ、と。
だが、今回は違う。ヴェルシュはステラに贖罪の機会をくれるという。
昼夜問わずの治癒奉仕でも、過酷な断食でも、眠らずに捧げる祈りでも、体を痛めつけられるのでもない。正当な謝罪の相手であるバーニーを送り出すために、一言送れば良いと明確に示して暮れている。願ってもないことじゃないか。
なのに、なぜか心の奥底がささくれ立つ。
(私が、無関係の人間に強制されて、バーニーに命じるの?)
ステラはいつの間にか、ぎゅうと拳を握りしめていた。
久しく眠らせていたはずの感情が、ぐつぐつ沸き立ちかけるのを押さえつける。
駄目だ。もうステラはアヴァリスの悪魔ではないのだから、感情的になどならない。
(悪いのは、全部私なんだ)
なのに、なのにだ。
「おい、聞いているのか」
ヴェルシュの当然とばかりにこちらを見下す顔を見たとたん、ステラの唇は勝手に動いた。
「バーニーは、子供ではありません。私が言う程度で変わるような意思なら、隠れていた私を探し出すなんて芸当はできっこないわ。彼は、嫌と言っているでしょう? ちゃんとした大人なら、まずその意思をくみ取るべきではなくて?」
ステラがヴェルシュの言動に、不快感を覚えたのはまずそこだった。
確かに近衛騎士団の騎士という役職は名誉ある仕事だろう。なにより養子先の家に迷惑をかけるという理屈もよくわかる。
だがしかし、バーニーは一貫して戻らないと意思表示をしている。
なのにはなから戻るべきだと都合を押しつけ、拒否されれば責めるのは違うのではないか。
(なにより、自分で説得せずに、さげすんでいる私を頼る……いいえ、命じて当然と思っているのが気に食わない)
彼は理解していない。その物言い自体がバーニーを下に見て、かつてアヴァリスの悪魔だったエレストレーヤと同じことをしているのだと。
息を飲んだのは誰だったか。ステラは凍り付くヴェルシュに向けて、くっとわずかに口角を上げた。
「それに、彼の名前はバーナードではなく、バーニーでしょう。正しく呼ばなければ反応が悪いのは当然だわ」
刹那、ステラはヴェルシュの顔に、ざっと怒りの波が駆け抜けるのを見た。
ヴェルシュの手がテーブルに叩きつけられる、攻撃的な音が部屋に響いた。
「貴様に言う権利があるか! こいつに勝手に名前を付けて、犬に仕立て上げたのは貴様だろうが! 貴様のせいで今でもどれだけの人間が苦しんでいるのかわかっていないのか!? 修道院で贖罪の機会を得てもなお改心しないとは、やはり貴様らに人の血潮は一滴も流れていないんだな、アヴァリスの悪魔め!」
悪意も、怨嗟も、ステラにとってはなじんだものだ。
贖罪の気持ちも、あの頃の自分への後悔も、愚かさに対する嫌悪もちゃんとある。
それでも今のヴェルシュに言っても意味ないこともまた、十分に理解していた。
ヴェルシュは今にもステラの胸ぐらを掴まんばかりに身を乗り出す。
「バーナードを壊した罪をあがなおうとすら思わんとは、やはり貴様は当時に死ぬべきだったん――――ッ!?」
刹那、ステラは悪寒を覚えた。
次いで風が巻き起こり、金属音が響き――目の前に、ぱっと赤が散る。
ごろりとテーブルに転がったのは、左手だった。
「ぐ、ぅっ……!?」
押し殺したうめきを上げたのは、ヴェルシュだった。
彼の左手首の先がなくなっており、生々しく血が噴き出した。
傍らには、剣を抜き放ったバーニーがいる。
そこでステラは、ようやくなにが起きたのか理解が追いついた。
――バーニーが、ヴェルシュの左手を切り落としたのだ。




