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「やあ、ごきげんよう」
「……ごきげんよう。アルヴィ殿下」
久しぶりにアマリアが一人庭園で本を読んでいると、アルヴィがどこからともなく姿を現した。以前彼の命を救った後、アカデミア内では二人が「道ならぬ恋に落ちている」という噂が立った。当然アマリアはきっぱりと否定したが、もう一方の当事者アルヴィはそのことを聞かれても笑うだけで噂を打ち消そうとはしなかった。
「そんなに嫌そうな顔をしないでくれるかな。さすがに傷つくよ」
「……怪我をされたなら、また焼いて塞いで差し上げましょうか?」
「うーん。その場合は君よりサラちゃんにお願いしたいな」
軽口を叩きながら、アルヴィはしれっとアマリアの横に座る。いろいろと事情はあるものの、同じ死線をくぐり抜けたこともあって、アマリアは多少ながら彼に友情らしきものを抱いていた。
「サラちゃんが、聖ヒルダ教会のユリア司教に夢中って本当?」
「どこでそんな話を……」
「あれだけ話し込んでいたら、そりゃみんな知ってるさ」
アマリアは黙り込むが、アルヴィは気にせず話し続ける。レオが次期皇帝に指名されて肩の荷が下りたのだろうか、それとも彼もまたアマリアに多少気を許しているからなのか、その軽薄さには以前のような陰気さは感じられない。
「サラちゃん、聖ヒルダ教会に行くの? ……まあ、癒しの魔術を勉強するならあそこがベストだよ。……まあ俺としては、サラちゃんにはレオの妃になって欲しかったんだけどね」
思いがけない言葉を耳にして、アマリアはさすがに眉を寄せた。
「……どう言う意味ですか」
「言った通りださ。サラちゃんがレオの正妃になれば、当然トゥーリ家がレオの後ろ盾になるだろう。しかも皇帝を救った『聖女の再来』となれば、これ以上ない組み合わせだよ……って、そんな怖い顔しないでくれよ」
「……」
アマリアは無言でアルヴィを睨みつける。いくら相手が皇族とはいえ、こうも軽々しくサラのことを扱われてはかなわない。アマリアの怒りを察知したのか、アルヴィは肩をすくめた。
「……そういえば、ヒューピア家のご当主が代替わりしたとお聞きしましたが」
「ああ。祖父が父上の……皇帝陛下の怒りを買って、隠居を言い渡されたんだ。……俺の目から見ても、あの人はちょっとやりすぎた。当然の結果だろう」
「ご自分の後ろ盾を失ったわりに、ずいぶんと冷静ですこと」
「ああ、母上は怒ってるよ。それがまあ、怖い怖い。あの人が水の初級魔術しか使えなくてよかったよ」
アルヴィの母である現皇帝の正妃ヴィルヘルミーナは、その高貴な生まれと立場にふさわしく、高慢ちきな性格で有名だった。アルヴィルートでもサラに惚れた息子を叱りつけ、二人の仲を裂こうと暗躍し、最終的にはサラの殺害を指示するほどだ。
となると、アマリアにも一つ気がかりがあった。彼女の息子を差し置いて次期皇帝に指名されたレオのことだ。
「……レオ様は、その、安全ですの?」
「母上がレオを狙うんじゃないかってこと? それは大丈夫だと思う」
「レオ様本人はともかく、その、宮廷にはレオ様のお母上もいらっしゃいますし……」
「ああ、大丈夫だよ。母上とレオの母君は聖ヒルダ祭の夜に誓いのキスを交わした間柄だし」
予想外の言葉を聞かされて、さすがのアマリアも「は?」と令嬢らしからぬ疑問の声を上げた。
「聞いたことない? 誓いのキス。聖ヒルダ祭の夜に、生涯の愛を誓い合ってキスするんだって」
「それはその……お付き合いしている男女でするのではなくて?」
そういえばそんなイベントがあったなあと、今更ながらアマリアは思い返す。確か、サラと攻略対象はその夜に永遠の愛を誓って口づけを交わすのだ。メタな言い方をすれば、ペアエンディング確定のフラグである。
「別に男女じゃなくてもいいんだ。女の子のペアは毎年それなりにいるし、去年は物陰で男同士キスしてる奴らを見た」
「なんでそんな……いえ、それはそれでよろしいことですけど、どうしてよりによって殿下とレオ様のお母上同士が……」
「身分には結構な差がある訳だけど、アカデミアでは仲が良かったらしいよ。そもそも、レオの母君を宮廷に引き入れて、父上に紹介したのは母上だし」
「そ、そう……なんですの……」
「俺が言うのもなんだけど、正直よくわからない世界だよね」
いきなりぶつけられた強烈な情報に、アマリアは呆然とする。宮廷とは魑魅魍魎が跋扈する場所だとは聞いてはいたものの、関わり合いになりたくないという思いだけが湧いてくる。
「アマリアちゃんは聖ヒルダ祭の夜、誰かと約束あるの?」
一瞬、アマリアの表情が凍った。自分がサラの攻略対象である以上、今度の聖ヒルダ祭ではアマリアがやらねばならぬということだ。状況を想像し、思わず顔を赤らめる。
「あれ、そういう相手いるんだ?」
アルヴィはアマリアの顔色の変化に目ざとく反応し、からかってくる。
「殿下には関係ないことです」
「……もしかして、相手はサラちゃん?」
思わず黙り込んだが、それは肯定しているのと同義だった。アルヴィは意外そうな表情を浮かべ、「こりゃレオが喜ぶな」と不思議なことを呟いた。
「なぜレオ様の名前が出るのですか?」
きょとんとしたアマリアに、アルヴィは珍しく困ったように言葉を探していた。
「……なんていうか……そう、あいつは君とサラちゃんが仲良くしているのが嬉しいんだ」
「そうなのですか?」
「ああ。君ら姉妹はあいつにとって特別だからね。あいつのためにも、いつまでも姉妹仲良くやってくれよ」
アルヴィはそう屈託無く笑うと、「聞きたいことは聞けたから」と言って、現れた時と同じようにあっという間に去っていった。
一人後に残されたアマリアであったが、自分がやるべきことを悟り、顔を真っ赤にして頭を抱えていた。
*
そうこうしているうちに、聖ヒルダ祭の日がやってきた。今やサラはすっかりユリアの門弟になったようなもので、アカデミアで開かれた講義には当然全て参加、帝都の教会での奉仕活動にも付き従って、その教えを真剣に学んでいた。
その状況があまり面白くないアマリアは、教え子が他人に奪われて悔しくないのかとハンヌに問いかけてみた。だが、そもそも彼はサラを彼女に託したいと考えていたらしい。
「私ではもう、彼女の師として大したことはできませんから」
そう語る師の顔は、やるべきことをやったという満足感に満ちていた。
「次のステップに向かう教え子の背中を押すことも教師の務めです」
その言葉は、アマリアの心に妙に響いた。
教会での祈祷が終わると、学内はすっかり浮ついた雰囲気に満たされていた。聖ヒルダ祭のクライマックスは夜の祭りで、この夜は帝国各地で花火が打ち上げられる習わしだった。もちろんアカデミア内でも、生徒たちが花火の打ち上げを今か今かと待ちわびていた。
「ここもダメそうですね」
アマリアとサラはといえば、ベストポジションを探す人波の中を右往左往していた。いつもなら人などほとんどいない庭園はもちろん、講義棟や寮の屋上やグラウンドなど、あらゆるところに人混みができていた。
「もうこの辺でいいか……」
人はいないが木に囲まれてあまり空が見えない広場にたどり着き、アマリアはそう諦めのつぶやきを発した。だがサラは、そんなアマリアに一瞬だけ、悲しげな視線をよこした。「二人きりで花火を見よう」なんて約束をした自分を恨む。
「ああ、よかった。やっと会えた」
背後から声をかけられ振り向くと、そこにはレオが立っていた。意外なことに彼は独りきりだった。
「レオ様」
「お久しぶりです」
アマリアとサラがそろって声を上げると、レオは嬉しそうに微笑んだ。
「二人を探してたんだ。でもあの人混みだろう。花火が始まる前に会えてよかったよ」
「何かご用でしょうか?」
サラが不思議そうな顔をして問いかけた。
「用というか……餞別を渡したくてね。サラは明日、ユリア様と聖ヒルダ教会に向かうんだろう?」
「よくご存知ですね。でも見学に行くだけなので二週間後には戻りますが」
「去るのは私の方だよ。初級魔術師の資格が認められたので、一足先に城に戻ることになった」
サラの魔術で一度は回復した皇帝であるが、最近では再び健康状態が悪くなっているとの噂である。次期皇帝に指名された以上、彼が早々にアカデミアを卒業し、文字通りの帝王教育を受けるのは必然であった。
「そうでしたの……」
「ご卒業おめでとうございます……と申し上げるべきでしょうね」
アマリアの言葉に、レオは苦笑いを返す。
「ありがとう。いろいろあったが楽しかったよ。それでまあ、二人に礼を言いたくてね」
「お礼を言われるようなことなんてありません。私の方こそレオ様にはお世話になってばかりで、お礼を言うのは私の方です」
「気にしないでくれ、サラ。大切な友人を守るのは当然のことだよ」
「レオ様……」
レオはにっこりと笑う。これがゲームなら間違いなくスチルになる、王道の王子様スマイルだった。
「そうそう、それで渡したかったのはこれだ」
レオは一本の鍵を差し出した。受け取ったアマリアは、鍵に付けられたタグを見て驚きの声を上げた。
「これ、時計塔の……!」
時計塔はアカデミアで最も高い建物である。数年前までは解放されていたらしいが、大勢の生徒が殺到してトラブルになって以来、聖ヒルダ祭の夜は封鎖されることになったと聞いていた。
「静かに……アルヴィ兄上から借り受けてきた」
年の割に大人びたレオには珍しく、少年のようにいたずらっぽく笑う。
「誰もいない特等席だ。二人で行ってくるといい。……私からの餞別だ」
*
時計塔の屋上庭園の眺めは最高だった。見上げれば暗い夜空には星が広がり、眼下を見下ろせば花火を待つ人々が豆粒のようだった。
「ふふっ……人がゴミのようね」
「お姉さま、その例えは不謹慎だと思います」
アマリアは思わず呟いたが、その意味がサラに伝わることはなかった。
二人は庭園のベンチに並んで腰掛け、花火が打ち上がるはずの方向を見上げる。
「レオ様もいらっしゃればよかったのに」
サラが呟く。当然の流れとして、二人はレオにも一緒に花火を見ようと誘いをかけたが、レオはそれをあっさり断ると、そのまま一人去ってしまったのである。
「こんないい場所、私たちだけで使ってしまってよかったのでしょうか」
「次期皇帝のご厚意よ。ありがたく使わせていただきましょう」
「でも……」
「どうせ、アルヴィ殿下が“個人的に”お使いになるおつもりだったんでしょうし」
サラはこのような絶好の場所を独占することに罪悪感を覚えているようだった。
「じゃあ、下のドアを開けてくる? 大勢の人が来て前のようなトラブルになれば、レオ様とアルヴィ殿下がお叱りを受けることになるかもしれないけど」
「それも……そうですね」
惨状を想像して、サラもようやく諦めがついたらしい。しばし、二人は黙って夜空を見上げていたが、サラが口を開いた。
「……私、聖ヒルダ教会に行こうかと思っています」
「アカデミアに残るのではなくて?」
「西方にある分校への派遣という形で、アカデミアに籍を残すこともできるとハンヌ先生が仰っていました」
「……なるほど、そういう手もあるのね」
「……行っても、よろしいでしょうか?」
サラは真摯な表情を浮かべ、アマリアをまっすぐと見つめた。アマリアはその目をそらさずに言う。
「……なぜ、私に許しを得るの?」
「なぜって……だって、一緒にいられなくなってしまいますし……隣にいたいと申し上げたのは私なのに」
サラの瞳が不安げに揺れた。葛藤を抱えていたのはサラも一緒だったのだ——それを悟った瞬間、アマリアの胸を駆け巡るものがあった。アマリアは不敵な笑みを浮かべ、サラに言い放った。
「どこへなりとも行けばいいわ」
その言葉に、サラの顔が凍りついた。
「そんな……」
打ちひしがれるサラの目を、今度はアマリアが覗き込んだ。そして、きっぱりと言った。
「私は必ずついていくから。……ついていけなくても、必ず後から行くから」
サラは目を丸くした。
「お姉さま、一体何を……」
「私もサラの隣にいたいから……それだけの話よ」
「えっ……」
「決めたの。サラの行くところには私も一緒に行く。たとえあなたが一人どこに行こうと、私は必ずあなたのいるところに行くわ」
「お姉さま……?」
「だからサラ。私を気にせず、あなたは行きたいところに行きなさい。どこへ行こうと、私は絶対にあなたの隣にいてみせる……たとえ、あなたが嫌だと言ってもね」
きょとんとしたサラの顔に、アマリアはいたずらっぽく笑いかける。
「私はずっと、あなたの隣にいると誓うわ……私のサラ」
アマリアはサラをいきなり抱き寄せると、その唇に軽くキスした。
「これは誓いのキス。わかったわね?」
状況を理解して、サラは一気に顔を赤くした。そして、輝くような笑顔を浮かべて嬉しそうに声を張り上げた。
「はい、お姉さま!」
二人は抱き合い、もう一度キスを交わす。空には大輪の花火が打ち上がり、人々の歓声が響いていたが、二人にはもうどうでも良いことだった。
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