第26話 炎
空の国へ、もっと上へ。黒い煙が登る、枝がぼとぼと。崩れていく。
淫夢の世界。命を壊していく快楽に、背筋が震えた。
耳に響く絶叫。鳴き声。なきごえ。うめき声。
前を向いたら、熱が目にしみた。泣くがいい、後悔はもう遅い。
僕はどれだけ笑っている?君はこんなに泣いている。
冷えた体。
君は晴天の王だ。君が泣けば光が降って、地上は陽炎に飲まれるだろう。
真っ赤な水面の上で。
永遠の愛を君に誓おう。
◆◇
「ぅぐっ、ぁあ゛!」
土に顎を打つ。腹に根を打つ。再びうつ伏せになった体。
大地に叩きつけられて、一瞬揺らいだ頭蓋骨。降り注ぐ雨。耳元で水が跳ねる。
気が狂いそうな雨の悪臭。
龍の這う音が大きく、低く、土伝いに響く。
セシルくんの方に行く音だ。
立たねば。
汗が滴る左手で泥を握り、片膝を立てた。
変に曲がった右手で、土に剣をさす。削れる土。
震える剣先を力ずくでねじ伏せた。
吐いた息と一緒に、口から液が溢れる。
気にしない。足に力を込める。
少し浮き上がった体。肺から風の音がする。一、二回咳こむ。
鼻を刺す森の匂い。口に入った草を吐き出す。
完全に立ち上がるまであと少し、というところで、いきなり。
幹を折るような音がした。
「あっ゛……あぁ、ああああああああああ!」
足が熱い。
みればばっきりと折れていて、裂けた傷から血が溢れて出していた。
こんなの、どうってことない。
「うぐっ、はぁ!はぁっ、はぁっ、はぁああ……」
深呼吸をひとつ。気にせずに力を込めた。震える足首。
動かない。
おかしい。
知らない。
目の奥が熱い。口の中が熱い。耳が熱い。腕が熱い。吐く息さえ煙のようだ。
身体中が熱い。
「はぁ……ああぁ……敵うなんて、思わ、ないで……!」
震えるだけの役立たず、こんなのいらない。
腰を浮かそうとする、動かない。
動かなくては。
こんなところに座っていていいはずがない。
「どう……か……し、な」
私は勝つのだ、絶対に。
戦うの。
そう決めたの。だから死ねばいい。
あいつなんて死ねばいい。
また足に力を込める。
震える。
腕を伸ばす。遠くの草を握る。
地面が揺れる。龍の動く音だ。
ブレる手で草を引っ張って、体を引きずる。
あいつに早く追いつかないと。
焦燥感に、胸が焼けるようだ。
守りたいのに。
喉から腹から足から血からこみ上げてくる悔しさと憎さと恨めしさ。
ここに、何にも変わらない自分がいる。
「あっ゛……あぁ、ああああああああああ!」
それが嫌で。どれも嫌で、何もかも嫌で。
目の前のものがただ邪魔で。
いらなくて、気持ち悪くて、最低で、腹立たしくて。
いらないのに、どうしてここにいるんだろう。
「うーっ、ふぅう……ううううう!」
だらだらと熱が滑る。ずりずり、と胴体を引きずる龍と私。
まるで二匹の芋虫みたいだ。
雨が降る。強く降る。
喉が熱い。息が熱い。胸が熱い熱い熱い熱い熱い!!
叫びたい。
「あ゛あああああああああああっ!」
無理やり立とうとした。近くの木まで匍匐前進して、幹にすがりついて少しでも、視線を上げる。
伸ばした腕が枝を掴んだ、瞬間何かがどこかで切れたような気がした。
鈍器でどつかれたような頭。鼻の奥に血の匂い。
「うぅあ……うぁ……ぁあ、ああああああああ゛!」
気がついたら木の根元でうずくまっていた。
負けない。腕でまた幹をつかむ。
立たないと。
叫んでも掠れる声が嫌い。
どうして龍がここにきたの。いますぐいなくなればいい。
立ち上がって、ズタズタにしてやる。
切り裂いて、ぐちゃぐちゃにしてやる。
奥歯を噛みしめるほどに、薄く赤めく視界。まるで赤に溺れているようだ。
血が熱い。
がくりと少し伸びた足が折れた。
「ふぅ……ふぅうう……!」
立つ。
走っても転ぶ体が憎い。
どうしてお母さんがここにいないの。戦わなくちゃいけない。
立ってみせると、守ってみせると足掻くたびに、不愉快な耳鳴りがする。
壊れたラジオの、ヒステリックな砂嵐。何にも見えない灰色、悪魔の囁く声みたい。
いやだ、いやだ消えてしまえ。
指先が震える。
手のひらを幹のくぼみに押し当てる。
視界がぶれるたびに、止まらない心臓が狂ったように泣き叫ぶ。
「はぁっ……ぐっ!……はぁあ」
左手で幹を、枝を。
視線を上げる。右手で剣を握る。
痙攣を押さえつけて、腕の筋肉を縮ませる。
ずるり、とまた地面に落ちる。
役に立たない腕が邪魔。
泥に滑る手が邪魔、邪魔だ。
どうしてセシルくんを助けたの。私は絶対諦めない。
また幹を持つ。大地を伝う振動が徐々に離れていくのがわかる。
行かせない。
セシルくんのところへは、絶対に行かせない。
うるさい心臓が邪魔で邪魔で邪魔で。
また目の前が揺れる。
逃がさない。殺させない。
負けたら立てない自分はいらない。
雨が降るのも腹立たしい。
こんなもの、全部いなくなってしまえばいいんだ。
空から流れる赤、赤、赤。熱いその色が、体を焼いていく。
熱湯なんてものじゃない。クラクラするほどの熱。ドロドロ、濁流のような─────そうだ、溶岩。
「ああああああああああ……はぁああああ」
剣を地面にまたさして、体を持ち上げる。
足はいらない。立てれば何もいらない。
なんでもいいから戦いたい。
なにをしてでも助けたい。
殺したい。殺してやる殺してやる殺してやる。
震える腕なんていらない。
もっと強くなりたい。
邪魔なものぜんぶこわせるように。
もっともっともっともっともっともっともっともっと、もっと壊せるように。
どくどくと、血の流れる音がする。
紅く、紅く、目が痛いくらいの真紅が、指の先まで。身体中を、塗り潰す。
「いなく……なれば……っ!」
ぶっ殺してやる。
腹の底から音がした。
チカチカ視界の中、見えた舞う花、破裂音。
紅が二、三回瞬いて─────そして、一気に
火の匂いがした。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
気がつけば、雨は止んでいて。
暗雲は逃げるように風に攫われ、いつの間にか日も傾いた。目の前には真っ赤な空。
ぶわっと吹いた突風に、広がる熱。揺らぐ空間。揺れる髪。
チリチリと肌に弾ける火花の赤、パチパチと揺らめく炎の赤。
ふわり、水気を帯びた視界。焼けるように乾いた空気。乾いた風。焦げた匂い。
水が、熱気を帯びて空へ昇る。肌に、張り付く水滴。
それさえも燃やして、払って、蒸発する赤。
ぺたりと、頰を触る。手のひらについた、赤。金に燃えたつ雲の隙間から見える、赤い光。
あたりを見まわす。目を凝らす。熱い眼に、映り込む大地。ごうごうと踊る炎。
焼けて、爛れて、喉の奥を焼くような煙。
鼻の粘膜、肌の表面、目の奥まで、ジリジリと熱い、熱い。
なぜか、とっても気持ち良かった。
パチパチと木々が騒ぐ。黒く焦げた枝が落ちる。
「ああ、あはは……はは、ふふふ、ふふふふ……ふふふふ」
引っ張られたように口角が上がる。たらりと、何かが溢れる。身体中が面白い。熱くて、熱くて、真っ赤。
目の前は、ただひたすらに綺麗だった。
狂ったように綺麗。それにとっても、気持ちが良い。
マグマ溜まりに沈んだ体を、ゆっくりと持ち上げる。
力を込めて、剣を立てて、体を、上に。
火が、煽られるように揺れた。




