第22話 王都へと
ずっと前から気がついていた。
きっと元に戻れないことを。絶対に消えないことを。
でももうしょうがないんだ。どうしようもないんだ。
全ては決まったこと。どうにもならない。
それでもいいんだ。もう、どうだっていいんだ。そうだよ、なんだっていいさ。
もう終わったんだから、考えたって無駄さ。
◆◇
紅が散るはずの空は厚く雲が掛かり、大地にどんよりと暗い影を落としました。
オレンジも赤も見えない、ただひたすら仄黒い世界。光はどこにも見えません。
飲み込まれそうで、吸い込まれそうな、ひたひたと満たされる昏暗の闇。
そこに一人いるだけで、ひどく心細くて、泣きたくなる。
それでも、ふらふらする体を無理やり持ち上げ、よろよろ辺りを見回しました。
ゆっくりと踏み出す足に、パシャパシャとゆるい水音。
波を散らすような雨の音。
相変わらず冷えた頭は凍りついて、思考を拒絶しています。
「……セシルくん?」
ぼんやりと開いた目に、突然入り込む雨粒と現実。思わず下がった一歩。
ひときわ高い水音と、信じられない光景。
どうして、何で。ショックで見えない頭の中を、疑問が通り過ぎていきます。
息は出来ないし、鼻はツンと痛むし、口はガチガチと音を鳴らして、うるさいくらい。
掠れる喉、掠れる声、絡む手足のだるさ。ガンガンする頭が、叫ぶ非日常。
見つけてしまった赤い少年に、視界ごと真っ赤に染まりました。
「……セシルくん」
ざあざあと雨に打たれ、薄まっていく血だまり。
……その薄紅で僅かに固まる、濡れた黒い髪。ドロドロした赤の隙間からチラチラ見える、傷だらけの白 い肌。ぐしゃぐしゃの耳は血色が無く、青とも白とも言えない肌の色がゾロリと覗きました。
残酷なコントラスト。奇妙に真実味を帯びて目に焼きつきます。
声も出ない。
ガクガクと痙攣したように揺れる腕を、伸ばし。地に伏す体を、ゆさゆさと揺さぶります。
……返事は、ありません。
そっと、力が抜けたみたいに閉じられた瞳。眠ってるみたいで、背筋が凍りました。
倒れた体はびしょ濡れで、やっぱり小さくて。けれどその手にはしかと剣が握られています。
誰にやられたかなんて、恐ろしいぐらいに明白で。
「……どうして」
なんだ、こんなの、理不尽だ。
どうしてセシルくんが、こんな目に合っているのですか。
私がいない間にこんなことするなんて、ひどいじゃないですか。
どうして私がいなかったんですか。どうして私、助けられなかったんですか。
苛立ちと焦燥と、泣き喚きたいような、笑っちゃいたいような衝動が競り上がって、胸に詰まりました。
はぁっ!と、詰まった呼吸。胸の奥がジリジリ焼かれてるみたいな、熱さ。
腹を殴られたような痛みは、きっと後悔などという生易しいものではないのでしょう。
「……ひどいですよ……」
不自然に熱の溜まった頭が、クラクラしました。あまりにも急展開すぎて、なんだか、夢を見ていた気分です。
いいえ、夢でいてほしい。手を離しました。
おもちゃみたいにふらつく体。胃の中が茹だるような吐き気に、思わず口元を押さえます。足元から這い上がってくる、冷たさと震え。
どこかに落としてしまった様な思考と、耳の奥でゴウゴウ鳴る脳の痛み。
重たい鉄球が頭の中で、ゴロゴロ暴れ回ってるみたいです。
自分が死にかけたときより、何十倍も辛い。
ぎゅうっと、目を瞑りました。
「……うぅ……」
目覚めた時には、もう、あの化け物、いなかったんです。
起き上がって、フラフラしてたら、セシルくんが倒れていて。
─────何が起こったのか、一瞬わからなかった。
いいえ、今でもわからない。何も考えられない。何をすればいいんだろう。
本当にびっくりして、苦しくて、ひたすらに苦しくて。目眩がした。
震えて、怖くて、吐きそうで。胃は重いし、心臓が暴れて、ズキズキする。
どうして、どうして、どうして、どうして……。
ぐるぐる同じ言葉が頭の中に繰り返し回り続けて、気持ち悪かった。
今日ずっとこんな感じで、身に沁みてよく分かる。……私に子供を引き取る資格なんて、ないんですね。
「……ごめんね、ふぐっ……ごめんね……」
うわ言のように、言葉が漏れました。
握りしめた拳が痛い。震えだす体が忌々しい。頰を流れる熱さに、ゾワッと鳥肌が立ちました。だって、情けない。
化け物なんかにやられちゃ駄目ですよ。子供一人、助けられないのですか。
調子に乗って木刀なんて降りまわしても、私なんて何にもできないんだ。
やっと気が付いた。もっと早く気づいていたら、きっと何かが変わったのに。
私、自分のこと、少しは力強いと思っていたんです。本当に馬鹿みたい……いえ、馬鹿そのもの。
「……ごめん」
引き取った子供をこんな目にあわせるなんて、何してるんですか。
セシルくんにもいい迷惑。何もできない人が、子供を助けたつもりになって。
なんて自分勝手。なんて独善的。なんて愚かで、罪なこと。
……何に懺悔しているつもりなのか。自分を責め立てて、それで罪が軽くなるとでも思っているのでしょうか。
ボロボロ溢れる涙が、下へ下へと滑り落ちていきます。
しょっぱかったり、苦かったり、口の中は雨の味がしました。
嗚呼、なんて甘い味。
気持ち悪い。甘すぎますよ。いい大人なのに、何を甘ったれているんですか。
噎せ返る雨の香りに吐き気がした。ショックで、自分が何を考えているかすらわからない。わかっていない。
でも、今自分が何をすべきかぐらい、自分が一番わかってるでしょう……!
「………………くっ!」
ぬるい熱が滴る唇を、ガッと噛みました。
震える手に力を込めて、震える足に気合を込めて。
熱いんだか冷たいんだかわからない、恐ろしいほど軽い体を抱きかかえます。落とさないように、強く抱きしめて、大きく息を吸って。
「……はぁっ……はぁっ……!」
頑張るから。病院に、連れて行きますから。
ここで死なせちゃいけない。一刻も早く、王都に行かないと。
110番なんてないし、連絡手段もない。あるのは、私の足だけ。運ばなくちゃ。
私じゃ助けられない。病院に、走らなきゃ。全力で頑張る、ああ、早くしないと。早くするから。
助けるから。助けさせて。
お願いだから、まだ待って。死なないで。絶対に、死なせないから。
今更、何の覚悟を決めたのでしょう。何を迷っていたのでしょう。
何をすべきか、なんてつくづく阿呆らしい。やることなんて、一つしかないじゃないですか。
唇が痙攣する。息が不自然。顎がガクガクする。涙だって、壊れたみたいに流れてる。でも。
「……絶対っ、助けますからねっ!」
森の中へ、走り出しました。
……上空の、汚れた視線に気付かずに。




