第21話 黒の追憶
雲ひとつない青空の下。
暖かい南風に吹かれ、揺らめく赤髪。
きりりとしたつり目が、陽光に照らされ輝いていました。
いつか見た景色。晴れの日の中で笑う母の姿と、ぴったりと重なります。
でも、そんな、まさか。
混乱する頭が、最初に吐き出したのは疑いでした。
間違えようがないくらいに見覚えのある顔なのに、理性がそんなわけないと全力で否定しています。
赤子を抱いた彼女。親しげに、一歩一歩近づいてきます。狭まる距離。
間隔が縮むに連れ、増してゆく混乱。
(待って……ください、どうして、お母様が、なんで)
どうして、お母様がこんなところにいるんですか。いいえ、そもそもここは?
イタリアでしょうか。異世界、だと思うのですが……?
「……?どうしてそうぼーっとしているんだ?」
(…………えぇえ!?)
固まる私。バッと、両手を広げる彼女。いたずらっ子のような笑顔。
もともと三、四メートルぐらいだった距離は一気にゼロ距離に。踊るように軽やかに。
そして、狼狽える私を、あっという間に─────
「ははっ、ただいま!」
(………………え?)
「おかえり、ルーア」
─────通りぬけて、行きました。
(…………え?)
思わず振り向きます。
脳は全く動かないのに、体だけは妙に反応がいいですね。ゾワッと鳥肌が立ちました。何でしょうこのデジャブ。
……ん?
ちょっと待て、私の腕、透けているような気が……
……いや、違う。腕だけではありません。
よく見れば、体も、服も、髪も、指も、足も、すべて透けています。
まさか。
(やだ……っ!なんですかこれ、やだ、いや……っ!)
いいえ!いいえ!いいえ!これは、きっと幻覚です。
だって、そんなことあるわけないじゃないですか。
私がもう死んでるなんて。幽霊だなんて。
でもこのビジュアル、どう見ても……とかなんとか言う理性を無視して、動揺は加速していきます。
だって、嫌です、まだ、死にたくない!
(お母様……っ!助け……!)
怖くて、怖くて。
思わず、母の面影に手を伸ばしました。
指の先には、こちらなど見向きもせずに抱き合う二人の男女が。
お母様と思しき女性と、見知らぬ男の人です。
「ふふ、大好きだ」
「俺もだよ」
(…………ぇ?)
涙に濡れた視界が、衝撃で真っ白に染まりました。
心臓が、ドクンと鳴きます。
優しそうな茶色の髪。
低い、聞きなれない若い男の人の声。
赤子の頭を撫でる、大きなゴツゴツした指。
町人風のラフは服装に、いたずらっぽい笑顔。
恋なんて、生易しいものではないです。
懐かしいような、恐ろしいような、羨ましいような。
体が焼き切れるような焦燥感にめまいがしました。
(……っ)
自然と後ろに下がった足を、無理やり引き戻します。
足に力を込めなければ、倒れてしまいそうでした。
(……もしかして、私の)
お母様、お父様に会えたのですか。
元気ですか、大丈夫ですか、1年ぶりですよね。
見つけたなら、帰ってきてくださいよ。私、ずっと待ってたんですよ……っ!?
待ちすぎて、死んじゃうぐらいに。
言いたいことなら沢山あります。攻め立て、労い、励ましたいんです。
それでも、喉から出たのは質問にすらならない単語の羅列。
けれど必死に紡ぎました。ですが返事はありません。
必死の言葉が、聞こえないのでしょうか。
二人はこっちに気が付きもしないで、赤子を撫でては笑い合っています。
それはまるで、母に見捨てられたようで。置いて行かれたようで。嫌われたようで。
裏切られた、ようで。
(やっぱり、私のことなんて、嫌いなんですか?)
─────なぜ、裏切った!─────
私、今何を言ったの……とか、考える暇もなく。脳裏に響く恐ろしい声。
不意に、ぐにゃりと空間が曲がりました。
透けた腕がみるみる鱗に覆われて行きます。パリパリパリ、と不気味な音。
いつもの、私の赤い鱗ではありません。見覚えのない、汚れた青緑の鱗です。
(え、なんですかこれ。やですよこれ。待って、なにこれっ……!)
怯える私。ぐいーん、と伸び、変形する腕。
びっくりして振ると、ずるっと大きく伸びました。
(ヒィッ……!?もう、なんですかさっきからあああああ!?)
慌てて腕を体から離すと、体もグオっと音を立て長く……!?
信じられません、体まで伸びました。
花が散るように衣服が散り、代わりに見えたのは、蛇の腹みたいなグロテスクなお腹。
恐怖で固まる私。ずるずるっと、見る間に伸びてゆく胴体。
自分の足が見る間に見覚えのないものに変わり、小さく黒くなって行きます。
(……っ!!)
自分の顔が、ズォッと伸びる音がします。視界が、反転しました。
衝撃でバランスを崩し倒れたようです。
慌てて顔を起こすと、そこには青緑の体が。
まるで、あの龍のよう。
(いや、いやっ……!)
……よう?いいえ、違います。あの龍です。
私は、今、わけわからないところでわけのわからないまま龍に変わって行っているんです。
そう認識した瞬間。
口から勝手に言葉が漏れました。
『ルルアぁあぁあーーーーー!』
「……はぁっ、はぁっ」
「お願い……あなただけでも、逃げて」
「お母様、嫌です!どうか、どうか……」
「早く行けっ!」
「【破壊の盟約 常闇の橋渡し】」
「!お母様!?お母様ッ!」
「殺す!殺してやる、絶対に!」
◆◇
その時のことは、あまりよく覚えていません。
ただすごく熱かったような気もするし、とても苦しかったような気もします。
霞んでゆく意識の中。
おびただしい数の黒い刃が何時までも浮かんでいました。
そして、気がつけば。
「ここ、は……?」
まるで、幻だったとでもいうように。
「……!?」
攻め立てるような土砂降りの音。覆いかぶさるような曇天。
血の匂い。沼の匂い。傷1つない私の体の下に、大量の血だまり。
視界の隅、真っ赤に染まる少年の影。
慣れ親しんだ水浸しの庭で、倒れていました。




