第20話 なにこれ
残酷描写があります。ご注意下さい!
「ぁぐっ!」
ドンっと重い衝撃。
背中を貫く高熱に、声も出ません。
焼かれるような熱さ。しんと固まる空気。
聞こえない雨の音が、ひどく静かな間を作りました。
強烈な異物感に、思わずついた膝。
「……!?ミラさん!!」
静寂に響く焦り声と、ガチャガチャっと家具の音。
セシルくんが、こっちに来てくれているのでしょうか?
恐ろしいまでの土砂降りに紛れ、よく聞こえません。
どうしたんでしょう。なんですか?と言おうとしても、言葉が出ない。
それに、おかしいです。
声を出したいのに、何か知らないものがこみ上げてきました。
止めどなく溢れるナニカ。
思わず吐き出します。いくら咳き込んでも止まない液体。なんですかこれ。怖い。
喉を滑る生暖かい液体が、変にくすぐったいです。
胃液とは違う、慣れない匂い。ゾワッと鳥肌。
『グォオオオオオオオオオオ!!』
龍の勝利の雄叫びが、どこか遠くに聞こえました。
妙に鮮明な胸の熱さ。赤く染まる服。青白い肌。ぐしゃぐしゃの髪。
液体の量が、匂いが、味が、固まった頭にこれはまずいと警鐘を鳴らします。
あたりにただよう血の香り。
雨の匂いをかき消すそれに、何だか涙が出てきました。
鉄の味のする顔に、涙がポロポロと流れていきます。
「……うぁ……っぐ…………ん?」
胸に広がる違和感に、思わず胸を押さえました。
ちくっとした痛みとともに、ぬるっとした何かが手に触れます。
「…………?」
冷たい指に、不可思議な液。
手のひらを見ると、べっとりと赤いものが張り付いていました。
視線の先には、真紅に染まる胸。
よく見ると、真っ黒な何かが生えていました。
「あ」
絞り出された声は、誰の物だったのでしょう。
現実感のない色味に、サァッと血の気が引くのがわかります。
砕け散った血塗れの鱗。ズタズタの布切れ。
異常な熱に引き離されてゆく思考。
「……ぅ……ぐっ、うぁ……」
ザアザアと、降り続ける雨。
手の上の紅が、世界さえも染めて行きます。
「……ぁ」
『グォオオオオオオオオオオ!』
突然、視界がうねりました。まるで、水飴みたいです。
マーブル状の赤い視界。
その歪みに合わせて、力の入らない体がグラリと横に倒れました。
バシャンッと水音。人が倒れる音。走り寄る音が遠ざかっていきます。
どうしようもない吐き気。
ぐるぐると、混ぜられているような感覚。
自分が浮いているのか寝転んでいるのかすらもわかりません。
(熱い……)
体に生えた黒いもの。
それが突き刺さった剣の刃だと、私は気がついたのでしょうか。それすらも、わかりません。
ただ熱くて。
水浸しの地面、濡れた筈の頰の冷たさ。
頰に当たっているはずの、雨粒。
そんな当たり前のことも、徐々に感じ取れずになって行きます。
どうしようもない非日常に全て全て、奪われて行きます。
奇妙に動かない体。
体が灰になるような、感覚の消失。
薄れる意識。
黒に覆われる視界。
暗闇が、ゴクリと喉を立てて────
「みらさっ……ガッ!?」
─────私を、飲み込んでいきました。
◇◆
爽やかな南風。
どこからか聞こえる子供の笑い声。
麗らかな日差しは降り注ぎ、眩しいほどです。
(いいとこですねー!)
周りを見れば、明るいベージュの石壁が広がっています。どうやら住宅街らしいですね。
狭いですがいやな窮屈さはなく、むしろ安心な感じです。
(……ほんと、いいところです)
白い洗濯物の日影が、ひらひらとはためき。
近くに森があるのでしょう。突然の突風から、柔らかな森の匂いがしました。
(…………けど、でも………………)
目新しい、見慣れぬ街並み。
右を向いても、左向いても、目に映るのは見覚えのない景色ばかりです。
(………………ここ、どこでしょう?)
気が付いたら、知らない所にいました。
(……)
いや、まじで。
もうとんと見当のつかない所にいます。どこよ、ここ。
なんですかこの良い感じの住宅街。気持ちいい日向が憎い。
きょろきょろと辺りを見まわします。
イタリアに広がってそうな、日差しの似合う住宅街が目に映りました。
風に揺れる黄色い花が、柔らかく影を揺らします。
パンを焼く甘い匂いが、ふんわりと広がってきました。
……うん、知らんとこや。どこやねんここ。
私剣突き刺さって意識薄れてませんでしたっけ。なんでこんなアットホームなところにいるんでしょう。
度重なりすぎでしょう理不尽。龍で十分だっての。
…………それにしても、さっきは本当に、怖かった!
恐ろしすぎてトラウマになりそうです。
なんで急にあんなことするんでしょう龍。バッチリ油断してましたよ私。
(でも、傷は残っていないんですよねぇ……)
石畳の上に立つ私。
服装はさっきの通りだったのですけど、水滴一つ、傷一つも付いていません。
ひっどい格好でしたからそれはナイス理不尽!
でもついでに解説ついてて欲しかったですね。今あなたはこんな状況ですよって。
それがあれば気を失った後の強烈なドッキリに耐えられたかもしれないのに……。
(…………死ぬかと思ったんですよ)
目が覚めた時、私は艶やかな石畳の上に倒れ込んでいました。
びっくりしました。そりゃもうびっくりしました。あと石畳あったかくて気持ちよかったです。
そして、自分が生きていると、感じた瞬間!
(ヒャッハー!!!!)
自分はもう死んだ気でいたので、訪れた安堵はそれは大きなものでした。
……
……思わずヒャッハー!とか言っちゃうぐらいに。
「ワン!」
(……えっ)
んで隣でこっちを見てる犬と目があったりしちゃったり?
……つぶらな瞳で見つめられちゃったり?
…………あぁあ!
今度こそ死んだと思いました。恥ずかしさで。
犬のくせにここまで私に羞恥心を与えるとは、なかなかやりおるあの犬っころ。
……
……はい、私がバカです。
さ、さて!これからどうしましょうか……
死なないで済んだとはいえ、この状況はちょっとなぁ。ここ、本当にどこでしょう。
あー……それにしても恥ずかしい……。
大丈夫ですかね?他の人たちに目撃されてたら憤死ものですよね!これ!
「すまん、待たせたな」
「……ぇ?」
と、そんなことを考えて身悶えていると。
「意外と向こうに人がいてな……」
不意に背後から声が聞こえてきました。楽天的な、女の人の声です。
思わず振り向きました。
だって、その声は。
「まぁ、お前が待っているからな。早く済ませてきたんだ!」
(……どうして……)
見慣れた姿。今までの羞恥など、どこかへ吹っ飛びました。場外ホームランです。
間違いない。
あの、赤い髪は。あの、綺麗な顔は。
「待っていて、くれたんだろう?」
あの、能天気で腹立たしい笑顔は……っ!
「な、ミラ」
(……お母様……)




