第81話 省かれている手順
鮮朝の首都、陽漢。
便殿に集められた報告は、久しぶりに人の声へ熱を戻していた。
北西部、鏡咸。
長く人心を縛りつけていた疫病が、ついに治まりつつあるという。
その一報が届いた瞬間、重臣たちの間に目に見えて安堵が走った。
緊張で固まっていた肩がわずかに落ち、筆を走らせる音が一斉に重なる。
誰かが小さく息を吐いた。
その音は抑えられていたが、場にいた者の多くが同じことを胸の内で繰り返していると分かる。
よかった。
少なくとも、そう思いたい。
報告の文面は簡潔だった。
いや、簡潔すぎたと言ってよかった。
塩を加えた湯冷ましの補給を徹底したこと。
患者と家人を厳格に分けたこと。
往来を止め、接触を断ったこと。
書かれているのは、それだけだった。
特別な薬の名はない。
治療に当たった医師の工夫もない。
家ごとの事情も、失敗の記録も、何ひとつ見当たらない。
ただ、整えられた形だけが置かれている。
「以上の対策が功を奏したものと考えられます」
使者の声は落ち着いていた。
抑揚が少なく、事実だけを運んでいるように聞こえる。
だが、その整い方が、かえって不自然だった。
便殿にいる者たちは、そこまでを深く気にしない。
恐怖の最中にあった者ほど、単純な成功例へ飛びつく。
分かりやすい答えは、常に歓迎される。
すぐに命が下った。
北西部の譲瓶と南部の州羅において、鏡咸と同じ対策を、即刻実施せよ。
塩を加えた湯冷ましを欠かさず与えること。
患者と発症していない者を完全に分けること。
人の行き来を厳しく止めること。
陽漢から出された指示は迅速だった。
恐怖が判断を押したのだろう。
少しでも終わりに近づく形が見えた瞬間、人はそこへ全てを寄せたくなる。
それは理解できる。
理解できるが、理解したところで正しいとは限らない。
数日が過ぎた。
さらに十日が過ぎ、また日が重なる。
やがて譲瓶からも、州羅からも同じ報せが届く。
流行は沈静化しつつある。
新たな罹患者は確認されていない。
文面はほとんど同じだった。
違うのは地名だけで、結論は同一である。
疫病は確かに沈静化している。
少なくとも数字の上では、そう読める。
朝廷には少しずつ日常が戻り始める。
口を覆っていた布を外す者が増え、往来も以前の形へ近づいていく。
止まっていたものが動き始める音がする。
誰もが同じように、これでようやく終わる、と思った。
その空気の中で、ただ一人、世子だけが黙っていた。
便殿の片隅で報告を聞きながら、龍義秀は一言も発しない。
隔離。
塩を加えた湯冷まし。
それだけで?
胸の奥へ、冷たい疑問が静かに沈んでいく。
確かに隔離は理にかなっている。
感染の線を切るという意味では、もっとも原始的で、もっとも確実な方法の一つだ。
塩を加えた湯冷ましも理解できる。
高熱が続き、腹を下し、呼吸が乱れるなら、体から失われるものを補う必要がある。
そこに異論はないがそれだけで、あの致死の速い疫病がここまで揃って引くのか。
龍義秀の内側で、徳永義秀としての記憶が鈍く疼く。
新型ナルコラウイルス。
あの時、自分たちはどれだけ後手に回った。
現場は常に全力で隔離も水分補給も治療もした。
それでも、救えなかった命が積み上がった。
正しいはずの判断が、間に合わなかった現実に何度も折られた。
だから、治ったという報告は、あまりにも都合がよすぎる。
疫病が終息すること自体を疑っているのではない。
ただ、そこへ至るまでの中身が、あまりに削られすぎている。
何かが伏せられている。
あるいは、誰かが意図的に切り落とした情報がある。
龍義秀は机上の報告書へ視線を落とした。
そこには人の名も、個別の手順もない。
治療の工夫も、失敗の痕跡も、迷いも残されていない。
ただ、‘塩を加えた湯冷まし’、‘隔離’、その二語だけが、成功の中心として置かれている。
朝廷は、理解しやすい答えを好む。
複雑な真実より、単純な成功例、誰が読んでも同じ結論へ辿り着く形。
民へ伝えるには、その方が都合がいい。
混乱を抑えるにも、その方が扱いやすい。
だが、都合のよさは時に危うい。
もし別の何かが作用していたら。
もし現場でしか知られていない手順があったなら。
もし治療に当たった誰かが、ここに書かれていない何かを積み重ねていたなら。
次に同じ疫病が来た時、朝廷は何を手本にする。
この削られた報告だけを真実として広めれば、再現されるのは表面だけになる。
その時、同じ結果が出なかったら。
誰が責任を取る。
責任など取れぬまま、また人が死ぬだけではないのか。
龍義秀は静かに息を吸う。
この疑問は、まだ言葉として場へ投げられない。
今ここで口に出せば、水を差す者になる。
ようやく戻りかけた安堵を、再び恐怖へ引き戻す役になる。
それが政治的に得ではないことも分かっている。
だが黙って受け入れるには、報告が整いすぎていた。
便殿の空気は柔らかい。
救われた気になっている者の空気だ。
龍義秀だけが、その柔らかさの外に立っていた。
脳裏に浮かぶのは、会議の場で沈黙していた校理と左副承旨の顔でもある。
あの二人も、何かを飲み込んでいた。
何を飲み込んでいたのかは、義秀にもわからない。
簡単な答えをそのまま信じない。
そういう姿に見えた。
概念が足りない。
説明のための言葉が足りない。
何より、確証の形へ届いていない。
証拠のない疑念は、ただの不穏として切り捨てられる。
だから龍義秀は黙る。
黙ったまま、報告書の空白を読む。
書かれていない部分。
消された人の手。
まとめられた手順の向こうにある、生々しい現場。
そこに何があった。
塩を加えた湯冷ましだけではない。
隔離だけでもない。
何かがある。
そうとしか思えない。
もし鏡咸で本当に人が助かり、屋敷単位で感染が止まった場所があったなら、そこには必ずもっと細かい規律があったはずだ。
誰が世話をしたのか。
何を飲ませたのか。
器や衣をどう分けたのか。
どこまで人の動きを止めたのか。
そうした積み上げがあったはずなのに、それは報告から抜け落ちている。
抜けたのか、抜いたのか。
それだけでも意味は違う。
龍義秀はゆっくりとまぶたを伏せた。
終わったことにしたい気持ちは分かる。
朝廷も民も、そうであってほしいと願っている。
だが願いは手順にならない。
手順を削れば、次は守れない。
この疫病が本当に消えたとしても、原因を取り違えたままなら終わったことにはならない。
また来る。
その時、同じ顔ぶれが、同じ報告を、同じように信じるのか。
便殿の外は静かだった。
以前のようなざわめきが少しずつ戻りつつある。
だからこそ、その静けさが不気味でもある。
救われたと思った直後の緩み。
そこに次の綻びは生まれる。
世子は報告書を閉じた。
疑問はまだ形にならない。
だが確かにそこにある。
隔離と、塩を加えた湯冷ましだけで、感染症は、本当に終わるのか。
答えは、まだどこにもない。
あるいは、どこかに置かれたまま、ここへ届いていないだけかもしれなかった。




