88.新学園長
アンパ・シア・スルトリクトは、宮廷魔術師を勤め上げた女性だった。
その後は、子爵位の夫の領地に住み、孫や寄子貴族の子を相手に、貴族としての立ち振る舞いや天職への身の任せ方を教えて暮らしてきた。
教え子からは、教育厳しい鬼婆と恐れられていたが、その教え子の全てが学園を卒業して成人となったことで、自身の役目も終わった。
夫も子爵の位を子に渡し、後は死ぬまでの短い時間を、穏やかに暮らして果てるだけ。
そんな境遇だったのに、王家からクルティボロテ学園の次期学園長を勤めてもらえないかという打診がきてしまった。
王家からの話とあれば、引き受ける受けないに関わらず、王都へ出向かなければ礼を失する。
たとえ余命いくばくもない老女を働かせる気かと、内心で憤りを感じていたとしても、アンパは馬車で王城へ登城するしかなかった。
宮廷魔術師時代のローブに身を包み、背中をピンと伸ばして、アンパは推薦者のアビズサビドゥリア王子と面会時に問いかけた。
「どういう経緯で、わたくしめが選ばれたのか。それをお教えくださいませ」
アビズサビドゥリアは、学園で起こっている事態について伝え、さらに懸念を付け加える。
「――生徒の一人が編み出した新しい天職への試みに、我は大変に興味を持っている。しかしその結果が出る前に、今の学園長は潰そうとしているのだ」
「……その新しい天職への学び方について、このわたくしめが拒否するとは考えなかったので?」
今の学園長と考えを同じくしているかもしれないと匂わせたが、アビズサビドゥリアは一笑に伏すだけだった。
「ふっ。貴女の教育の仕方については、よく聞いている。とても指導は厳しいが、身分の隔てなく、そして個々人に合った教育をしていたともな」
「人とは変わるもの。宮廷魔術師を辞して、何年経っていると思いですか」
「昨今でも、地元で教えていた子供から鬼婆などと呼ばれているとも聞いたが?」
そんな話まで耳にしているのかと驚きつつも、アンパは自身の矜持に従って、ある条件を口にする。
「その新たな方法が間違っていると判断した場合、わたくしめは絶対に生徒に、その方法を学ばせなくいたします。それをご承知いただけるのでしたら」
「貴女が目で見て、そう判断されたのならば仕方がない。その心配は杞憂ではあるがな」
それならと、アンパは新学園長の話を受け入れた。
それと同時に、新たな方法――バジゴフィルメンテ派と呼ばれているらしき生徒たちの動向を、学園長就任前から収集することにした。
情報を集め、ときには学園見学者に扮して目でも確認して、バジゴフィルメンテ派が提唱する方法は決して間違いではないことを、アンパは理解した。
そして新な学期がやってきて、アンパは新学園長に正式に就任した。
(この新しい方法が学園に定着するまで――バジゴフィルメンテが卒業するまでの二年間が、わたくしめの最後のご奉公になるでしょう)
そう決意しながら待つことしばし、呼び付けていたバジゴフィルメンテ派の主要人物三人が学園長室に入ってきた。
バジゴフィルメンテ、マーマリナ、そしてアマビプレバシオン王女。
その三人を見て、アンパはバジゴフィルメンテに対する警戒心を一段上に上げた。
マーマリナもアマビプレバシオンも、初対面の学園長という存在に、少なからず緊張した雰囲気を体から出していた。
しかしバジゴフィルメンテに限っては、まるで何度も会ったことのある相手かのように、ごく自然体である。その上で、アンパが敵対して実力行使してきた際には対処できるよう、油断なく様子を窺っている雰囲気もある。
(常に天職に身を預ける戦闘者――王城の門番のような雰囲気ね。でも、その顔には笑顔が浮かんでいる。つまりバジゴフィルメンテは、天職に身を預けていない状態のはず)
天職に身を預けることをせずに、天職の力を引き出す。
荒唐無稽な話のように聞こえていたが、アンパはバジゴフィルメンテを間近で見たことで、話を真に納得する気になった。
そんな三人への観察を終えて、アンパは意識して作った凛と響く声を放った。
「わたくしめが、新たな学園長となりました、アンパ・シア・スルトリクトです。そして貴方がたを呼び付けたのは、わたくしめが提唱する新たな教育方針を伝えるためです」
そのまま続きを話そうとするが、それより先にマーマリナが挙手してきた。
「質問かしら。マーマリナさん」
「はい。その教育方針は、わたくしたちが広めようとしているものと対抗するものですの?」
「いいえ。その教育方法を学ぶ人を、さらに多く与えようというものです」
目の前の三人が揃って疑問顔になったので、アンパは答えとなる話に入ることにした。
「アビズサビドゥリア王子の肝入りの方針です。世にいる不適職者とされた人物を集め、その方たちを貴方がたにお預けします。見事、不適職者から脱却させてみなさい」
その通達に、真っ先に手を上げたのは、アマビプレバシオンだった。
「不適職者は、同年に一人か二人ぐらいの割合です。集めたところで、大して人数は増えないような気がします」
「いいえ、姫様。その認識は間違っております。その割合は、貴族に限った話。平民まで含めれば、毎年十人前後は不適職者は現れております」
「つまり、貴族平民関係なく不適職者を集めて、学園の新入生にしたわけですね?」
「その通りですが、一つ訂正を。今年に天職の儀を受けた者の中で不適職者と判断された者も連れてきております」
「入学年齢を前倒しにしたのですか?」
「貴族も平民も、不適職者へは厳しい扱いをします。それが常識です。入学年齢まで待っていたら、不適職者の多くは死亡してしまいます」
マーマリナとアマビプレバシオンが真偽を問おうという目を、不適職者と烙印を押されていたバジゴフィルメンテに向ける。
バジゴフィルメンテはその視線を受けて、あっさりとした仕草で頷いた。
「僕の場合は、不適職者だと判断された日から、魔境に入って薪を集めるように命令されたよ。僕に剣の才能がなければ、入学前に魔物の餌食になっていたかもね」
「こほん。流石にそこまで酷い扱いは稀ですが、結果的に死んでも良いという扱いを受けることは多いようです」
アンパは訂正を入れてから、三人に改めて向き直る。
「貴方がたは、肝に銘じておかなければなりません。貴方がたの教育法の正しさを証明できなければ、未来永劫、不適職者が社会に受け入れられる機会がなくなるのだと」
つい脅し口調になってしまったが、アンパは訂正しなかった。
教育に関わる者は、教え子の将来を背負うぐらいの気構えでなければならないと。
新しい方法を編み出し、それを他者に伝えようとしているのであれば、この三人も同じ気構えを持ってくれなければ困る。
そう、アンパは信念から思っているからだ。
この厳しい意見に、マーマリナとアマビプレバシオンは、意見を窺う視線をバジゴフィルメンテに向ける。
(新たな方法を広げる主導はマーマリナが行っていても、派閥の名前の通りに、バジゴフィルメンテが派閥の支柱のようね)
それならとアンパは、数々の教え子を震えあがらせてきた厳しい目を、バジゴフィルメンテに向けた。
これで怯むようなら対応を新たに考えねばならない、と思いながらの睨みつけ。
しかしバジゴフィルメンテは、微風すらも感じていないかの様子で、あっさりと話と視線を受け入れた。
「克服する気があるのであれば、不適職者全員が天職の力を引き出せるようにすることを約束します。その後のことまでは、約束はしませんけど」
「その後とは、なんのことです?」
「教え伝えたものを後世に残すためだろうと、僕は卒業したら学園には残りません、ということです」
話が繋がっていないような気がするものの、アンパはバジゴフィルメンテの言い分というか危惧を理解した。
新たな教育法を真に理解しているのは、提唱者であるバジゴフィルメンテだけだといえる。
今後人々に伝え広める際に、教育法の中身が歪む可能性がある。
その歪みを、本家本元であるバジゴフィルメンテに正してもらうためには、バジゴフィルメンテを王家に近い場所に置いておくことが最良になる。
しかしバジゴフィルメンテ本人は、そんなことになるのが嫌なのだろう。
「仮に、王家の命令でもですか?」
アンパが端的に告げると、バジゴフィルメンテは顔を嫌そうに歪めた。
「僕がどうするかは、僕自身が決めます。人の意見は参考にしても、命令を遵守する気はないです」
「あのー、アンパ学園長様。バジゴフィルメンテ様が不適職者と見られたのは、バジゴフィルメンテ様が天職『剣聖』が伝える剣が気に入らないと反抗したからなのですわ」
神が齎した天職に反抗するのだから、王命などに従うはずもない、ということのようだ。
アンパは、バジゴフィルメンテは美男な顔に似合わず頑固者なのだなと、認識を新たにした。
「王名に逆らうという表明は、生家にも迷惑がかかると分っての言葉ですか?」
「父上は、僕が学園を卒業したら即座に僕を貴族籍から抜くはずなので、問題ないですね。ちなみに、弟が次期辺境伯に内定してます」
「王家に睨まれて、今後やっていけると?」
「王家の栄光は、遠くの辺境も魔境にまでは届きませんよ。実際、僕の地元だと、王家を軽んじる平民は多くいますから」
「……それは本当に?」
「王家というよりかは、新地貴族全般です。神に祝福さらた土地でヌクヌク暮らしている、魔物と戦う気概のない腰抜けども、って認識です」
「王家も貴族も、必ずしもそういう方ばかりでは」
「平民の、とりわけ辺境住民は、王都の情報なんて入りません。なのである意味、空想上の生き物ですよ。辺境における王家と新地貴族の扱いは」
知らないからこそ好き勝手言っている、と言われてしまっては、辺境の実情をしらないアンパは口を閉じるしかなかった。
その代わりに、もう一度釘を指すことにした。
「とにもかくにも、貴方がたは提唱する方法が正しいことを、新入生と不適職者たちとで証明するのです。その証明のために、多くの生徒と関われるよう、取り計らいます」
用件は終わりだと身振りで知らせると、バジゴフィルメンテたちは一礼して学園長室から出ていった。
その出ていく際に、三人とも『学園長の用事が大したことじゃなくて良かった』と表情が語っていた。
(自覚を促す釘差しが効いていないと見るべきか、それともその新たな方法に自身があると見るべきか)
とりあえず、後は結果を見るしかない。
アンパは、長話で老体に疲れを感じながらも、学園長の執務を始めることにした。