第五話 茶葉の遺言(二)
砕かれた葉を見てわかるのか、そんなに茶に詳しいのか、と言われても不思議ではないし、気のせいだろうと言われても仕方がない話だ。
けれど静傑の顔は烑香の言葉を信じていた。
「甄佳妃、豪傑兄上は茶葉にこだわりをお持ちでしたか?」
「いいえ。茶葉自体は一般的なものを好んでいました。ただ幼少期に茶に毒を仕込まれていたことがあり、茶に関してのみ絶対他人に淹れさせることはしませんでした。毎朝複数名に毒見を済ませた水を側に置き、茶を飲むときには火鉢を用意させ、自身で湯を沸かして淹れています」
いつの頃の話なのか烑香にはわからないが、心的外傷になっているのだろう。
「茶葉や菓子などを硝子の瓶に入れているのは、不純物を加えられる可能性を警戒してのことです。中が見えない缶では不安があるから、と」
よほど警戒していたのだろう。
部屋をよく見渡せば確かに茶葉以外にも乾かした果物などの菓子も瓶に入れられていた。瓶には豪傑の印である馬の印が象られた蓋がついている。相当高価だろうが、立場上誂えるのは難しくないはずだ。
「もしや静傑様は茶葉をお選びになられますか?」
「これを頂戴し、兄たちを忍び皆で茶会を開きたいと思います」
そう言いながら静傑は自然に茶葉を手元に持ってきた。
「素敵ですね」と言っている甄佳を前にこの場で中身を改めることはできないが、後で見られるのだからと烑香は一息ついた。
だが、気が休まったのはほんのひと時だった。
烑香の耳には、遠くから近づいてくる足音が耳に入った。
(この音は……虎祐様ね。御供が二人といったところかしら)
皇子と皇女への言葉を皇帝からの預かってきたのだろうか。
そう思うと同時に、虎祐はどこにでも現れるなと感心した。
宰相とはそれほど皇帝の信頼を得る職なのかもしれない、そう考えていると扉の向こう側から声がかかった。
「……両殿下、そして甄佳様。お忙しい中、失礼いたします」
虎祐は流れるように美しい所作で挨拶をする。
(というより、宰相も後宮に入れるものなのね)
そこまで皇帝の信頼を勝ち得ているのか、それとも宰相は宦官だったのか。
今それを聞くことはできないが、どこにでも現れる人だなと烑香は思う。
烑香がそんなことを考えている中、窓の外を眺めていた甄佳がゆるりと振り返った。その目は先ほどまでとは異なり、鋭くなっていた。
「宰相殿が事前のお約束もなくいらっしゃるとは、陛下の命あってのことでしょうか」
甄佳は無礼だと言わんばかりに強い調子で相手を非難した。
隠そうとしないほど、関係は悪いのだろう。
しかし虎祐は気にする様子がなく、変わらず笑みを浮かべている。
「形見分けに際して両殿下にご不便がないか陛下が心配なさっておられますので、私が確認に参ったまでのことでございます」
「陛下に命じられたわけではないのだな?」
宰相の言葉を否定したのは静傑だった。
甄佳とは異なり敵意を含ませているわけではないが、いつもとは異なり、声の調子は固く、やや低い。
ただし違和感があるわけではない。
(皇族としての静傑様の声なのね)
よく考えれば静傑が公人として話をしているのを見るのは初めてだなと烑香は思った。
虎祐は甄佳から静傑のほうへ体を向けなおす。
「命じられてはおりません。懸念のうちに払拭できれば、と私の判断で参った次第でございます」
「そうか。だが、甄佳妃の案内は適切であり、心配は無用だ。陛下にはお気遣いに感謝していることを伝えてほしい」
「仰せのままに」
必要事項だけ話す静傑に対し、虎祐は素直に頭を下げる。
(……何も、変な会話はない。でも、なんだか……気味の悪い、声)
元より虎祐のことは少し苦手な印象はあった。
けれど、今はどこかぞわりとする感覚がある。ただ、それをどう言語化すればよいのかもわからない。ここまで説明できない感覚は珍しい、そしてどうしてそう感じているのだろうかと烑香が思っている間に、虎祐は静傑の手元を見た。
「ところで静傑殿下はそちらの茶葉をお選びになられたのですか」
「ああ」
「良い品ですね。皆に振舞われ、思い出話に浸るのもよろしいかと思います。陛下も豪傑様もお喜びになられるでしょう。麗藍様はどのようなお品を?」
「……私は静かに選びたいの」
実のところは決まっていないだけだろうと烑香は思ったが、この空気の中で選びたくもないだろう。もともと無表情であることも相まって特に不機嫌であるようには見えないが、短い付き合いでも面倒だと思っていることはひしひしと感じている。
そもそも、麗藍はこの場に来ること自体を嫌がっていた。豪傑と不仲であったことは虎祐も承知していたのだろう、それ以上深く尋ねることはしなかった。
「では、麗藍様にも良い品が見つかることをお祈り申し上げます。そして私はこれにて、失礼いたします」
そして虎祐は部屋から去っていった。
虎祐の足音は一定だが、心なしか往路よりも軽快な足取りであるようにも思えた。要件が終われば気が軽いということなのだろうか。
「行きましたね」
たっぷり間をおいてから言った甄佳は、溜息を吐いた。よほど嫌いであるらしい。直後に麗藍が「こちらにいたします」と紙の束が入った漆の箱を手にし、そのまま烑香に渡した。
「では、私たちは玻璃宮に戻ります。静傑お兄様はどうなさいますか」
「そうだな……途中まではともに戻ろうと思う」
その後はどうしようかという視線を静傑から向けられたが、もてなす場所を持たない烑香に決定権はない。むしろ自分で決めてくれたらいいのにと思いながらも、途中まで一緒に戻るのであれば今急いで答える必要もないだろう。
ただ、茶葉のことがあるので話す時間は欲しいと思ってはいるが。
しかし解散の流れができた今、甄佳が口を開いた。
「お気を付けください、静傑様。……お命が狙われるやもしれません」
唐突で、衝撃的な言葉に烑香は思わず息を忘れた。




