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六月のコーヒーゼリーは柔らかい

 しとしとと降り続く雨が、わたしの気持ちを落ち着かせなくする。


「フツーは、雨の音で落ち着く人の方が圧倒的に多いんだろうなあ……」


 そうは言っても気分が暗いこともあり、パシャパシャと水溜みずたまりの上を歩いても、ちっとも晴れてくれやしない。


「……いや。水溜りで遊んで気分が晴れるとか、子供か」


 誰もいないくうに突っ込みながら、それでも出てくる溜息は止められない。


「はあーーー……」


 どんより曇っている空を見上げながら、今日も学校に続く道をトボトボと歩く。




「シズカはどうする?」

「え?」


 午後になっても晴れない空を見ていたら、急に友達が覗き込んできた。

 ついでに「どうする?」とは、どういう意味だろうか。


 怪訝な顔のまま視線を上げたわたしに、もうっと腰に手を当てて大袈裟に怒った顔をする。


「だーかーらあ、先輩へのプレゼントっ!シズカだってお世話になったんだから、何か渡そうとか考えてるんじゃないのかって聞いたの!」

「あ、うん……」


 お世話って言っても、体育館を半分に使っているバスケ部とバレー部という間柄で。さらにお互いのボールがそれぞれのコートに飛ぶことで、軽く挨拶をする程度の仲、というだけだ。


 それでも先輩は、……先輩だけは嫌な顔をしないで「頑張ってるじゃん」とか、「ナイッシュー」とか、声を掛けてくれていた。


 ……から、他の人よりはまあ、お世話になったと言えなくもないし、知らない仲でもない。


「でも部活も学年も別なわたしたちが、留学するってことで物を渡すって、気持ち悪くないかな?」

「ええー?知らない仲じゃないんだし、別に、高いものとか手作りじゃなきゃ良いんじゃないの?」

「そうかな……」


 寂しいこと言うなって、軽く背中を叩いてくるけれど。

 高くなくても手作りじゃなくても、向こうはバスケ部の一年生の一人としてしか知らないはずなんだから、贈っても迷惑になる気がするよ。


「考え過ぎだって。っていうか、その考えのほうが重くない?」

「うっ」


 もっと気楽に、サラッと渡せば問題ないと勝手に言い張って、何を贈るか考えておくようにと言われてしまった。


「はあ……」


 止む気配がない空を見上げて、どんよりした雲よりも重い溜息を吐き出した。




 今日も相変わらずの天気だけれど、それよりも絶対にいまのわたしの方が沈んでいるはずだ。


「結局、渡せなかった……」


 鞄の中に仕舞いっぱなしで、よれてきた紙袋を取り出していく。

 一応あれから考えて、休みの日にあちこち回って買ってしまったのだ。


「結局バスケ部員全員から、ってことになったからなあ……」


 これにはまあ、安心してしまったことは否めない。個人で渡すよりは気楽だし、向こうも受け取りやすいだろう。それはわかる。


「でも」


 最初は個人個人で渡そうと言っていたから、こうして選んで買ったわけで。

 それが急に、「隣りのコート同士ってだけだから、バスケ部の中でも渡した人と渡さない人がいる方が気を遣うでしょ?」ということで、部長が代表で買ってきたタオルを渡すことになったのだ。


「一人百円ならまあ、それほど親しくない人だって、悪い気はしないもんね」


 個人で渡すなら五百円くらいまでかなあとか、色々と考えたんだけどなと、渡せないままの袋を見つめてしまう。


「別に、個人的にお世話になったわけではないもんね」


 少しだけ晴れてきたことで傘を畳んで、水を切る勢いで振っていく。


「でも……」


 気持ちごとエイッと振り切るように傘を振りながら、それでも足取りは重い。

 この気持ちもプレゼントも、どこにやればいいのだろうか。


「はあ……。ん?」


 クルクルと傘を丸めた途端、ポツポツと雨が降ってきた。さらに勢いを増して、大粒となって降り注ぐ。


「わわわっ!?」


 手には渡し損ねたプレゼントの紙袋と、折り畳んだばかりの傘。そしていつもは背負っているのに、プレゼントを出したことで持ったままのリュック。


「マズイ、早く傘を……いや、雨宿りができるところは……」


 両手が塞がっていることで、うまく傘が開いてくれない。


 慌てて周囲を見回して、古いけれどしっかりした建物が視界に飛び込んできた。

 雨宿りができそうな屋根の大きさではないから、中に入ることになりそうだ。


「仕方がない。……急げ!」


 バスケで鍛えた足を振り上げて、びしょ濡れになる前に建物の中に滑り込んだ。




 チリン


 外見と同じく古いベルの音が響いたら、そのまま扉を閉めていく。


 はあ……、一応、セーフかな。


 パタパタと雨粒を払いながら、いつも持ち歩いているタオルで拭いていく。


「おや、大丈夫ですか?」

「あ、はい。すみません、突然」

「構いませんよ、いらっしゃいませ」


 カウンターの下にいたのか、ひょこっと顔を出した小さな少女が小首を傾げる。そうして「いらっしゃいませ」と言ってきた。


 あ、ここって何かのお店だったんだ。

 何かっていうか、喫茶店、かな?


 ふんわりコーヒーの香りが広がっていることに気が付いて、キョロキョロと店内を見回していく。


 時刻は十一時頃なのに、わたしの他にはお客さんがいないみたいだ。


 色んな意味で大丈夫なのだろうかと固まっているわたしに、カウンターから出てきた少女がニコリと微笑んだ。


「そのような格好では風邪を引いてしまうでしょう。さあさあ、温かいものをすぐにお出ししましょう」

「え?あのっ」


 戸惑っているわたしの背中をグイグイと押して、お店の中ほどにあるテーブル席へと移動させる。そうして椅子に座らせたら、少し待つようにとまたカウンターへ戻っていった。


「……」


 背は低くくて小柄で、見た目は完全に少女だけれども。いまの力強さといい、「いらっしゃいませ」という言葉から、このお店の店主なのかな。


「はっ」


 お店で温かいものを出すということは、金銭が発生するということだ。

 慌てて財布の中身を確認して、三千円は入っていることにホッとする。


 外見も中身も古びた建物の喫茶店だから、そんなに高くはないはず。……いや、逆に純喫茶とかって、意外とイイお値段なんじゃなかったっけ?

 ワンコインカフェやファーストフードしか行ったことがない高校生からすれば、場違いもいいところだ。


 ちょっとソワソワしていたら、年代物に見える花柄のカップとクリームが乗ったガラスの器が並べられた。


「あの、……これは?」


 カップから湯気が出ていることから、こっちが温かいものになるんだろうけど。クリームが乗ったほうは頼んでないし、温かくもなさそうだ。


 ぼったくられるのかと恐る恐る尋ねたら、ニコリと微笑んだ店主がテーブルの上のものに手を向けた。


「このお店では、コーヒーと一緒にデザートを出すことになっているんです。本日のデザートはコーヒーゼリーなので、飲み物は少し熱めにしました」

「あ、コーヒーゼリーですか」


 中身がわかってホッとしたら、今度はわたしに向かって手を差し伸べる。


「そちらの荷物はどうぞ、隣りの椅子の上に置いてください」

「え、でも」

「こちらを敷きますから、お気になさらず」


 わたしや鞄を拭いたタオルは、今は肩にかけてある。それを外そうと動くよりも先に、店主が厚手のタオルを椅子の上に敷いていく。


 中途半端に開いていた傘はいつの間にか丸められて、テーブルの反対側に置いてある。

 六月だというのにクーラーも何もつけていないのか、店内は心地よく暖められていた。


 風邪を引いてしまうという言葉を思い出し、わたしの為に空調を変えてくれたのかもしれない。


「……ありがとう、ございます」


 ようやくホッと肩の力を抜いて、ゆっくりとカップに口を付けた。




「ふう……」


 最近は憂鬱な溜息ばかり吐いていたわたしの口から、ホッと、安堵をするような溜息が出てきた。


 そのことに少し驚きつつも、身体がじんわりと温まったことで、気持ちも緩んでしまったみたいだ。


「苦かったですか?」

「あ、いえ。……すみません、コーヒーのせいではありません」


 カップを置いた途端に泣き出したら、そりゃあコーヒーのせいだと思うよね。


 驚きで見開かれた瞳をまっすぐに向けた店主に手を振って、自分の意気地なさが原因なのだと首を振った。


「それはそれは……」


 違うのだと言っても、一度出た涙はなかなか引っ込んでくれない。

 ポタポタ零れ続ける涙をぬぐうわたしに、ポットを掲げた店主が近付いてくる。


「良ければその涙の原因を、ワタシにお話してくださいませんか?」

「え?」


 コポコポと、ゆっくりとカップに追加のコーヒーを注ぎながら、静かな声で囁くように尋ねてくる。


 表情も空気も穏やかで、いつの間にかしとしとの雨に変わっていた外と同じく、ゆったりとした動きの店主がニコリと微笑んだ。


「誰かに話すと気持ちが落ち着くと言いますし。それに、整理もしやすいかと思います」

「気持ちの、整理……」


 店主の言葉に、鞄の上に置きっぱなしの紙袋を見つめていく。

 プレゼントを渡せなかったばかりか、先輩に対してどういう気持ちを抱いていたのかも伝えられないまま別れてしまった。


 その他大勢の、隣りのコートを使っていたバスケ部の一年生というだけの存在。


 それがきっと、先輩の中のわたしという人物と知っているのに。




 ふんわりと、コーヒーのかぐわしい湯気が立ちあがる。

 そっと、雨に濡れてもっとよれてしまった紙袋に手を伸ばし、撫でていく。


 たった二ヵ月だったけれど、わたしにとっては特別な存在になった先輩のことを思い出す。


「本当は九月からだったんですけど、早いほうが良いからということで、今月から外国に留学することになったんです」


 バレー推薦ではなく、向こうの大学で学びたいことがあるから、という理由での留学だ。

 その理由も本人から聞いたわけではなく、誰かの噂で知っただけ。それだけで、わたしと先輩の距離がわかるというものだ。


「その先輩が今日、出発するということで、こうして贈り物を用意して、気持ちも伝えようと思っていたんですけど……」


 実際は部員全員での共同プレゼントということになったので、代表で買ってきた部長がそのまま一人で渡すことになったのだ。


「つまり、呼び出すとか別な日にするとかしないと、わたしはこれを渡せなかったんです」

「それはまあ、なんとも……」

「はい。どちらもできませんでした」


 だから、いまもこの紙袋を持っているのだ。

 そして捨てることも開けることもできずに、このまま先輩への伝えられなかった気持ちとともにしまいっぱなしになるんだろう。


 ポツポツと話すわたしに、店主は軽く頷くだけだ。

 話せば気持ちの整理もつくかもとは言われたけれど、この気持ちはどこに行くんだろうか。


「……女性、なんですよ、その先輩」

「ほう?」


 いまはそれほど珍しくなくなったみたいでも、やっぱり偏見はあるだろう。

 そもそも高校生という時期でも、憧れと恋愛をはき違えているだけだと思われることも知っている。


「でも、好きだったんです」


 思い出して、じんわりと涙が溢れてくる。


 ボールを渡した後の笑顔、廊下で挨拶をした時の声、一つに縛っているまっすぐな黒髪と、諦めないでボールを追い駆ける姿勢。


「女子高だから、余計にそういう・・・・、わたしみたいな人もいるんでしょうけど。……でも」


 あの先輩がカッコいいとか、男は汚いとか、そういう話で盛り上がっている子はクラスにもいて。実際にお付き合いをしている人もいたし、わたしだって、先輩と手を繋いだりする夢を見たことだってあるけれど。


「そ、そういう、簡単な言葉じゃなくて……」


 泣きじゃくりながらも言葉は止まってくれない。自分が何を言っているのかも段々わからなくなってくる。それでも店主は呆れた顔をしたり、それは幻想だって言い含めるような言葉もかけてこない。


 ただ小さく何度も頷きながら、ふんわりと微笑んでいるだけだった。




 初対面の人に甘えるだけ甘えて、さらに訳のわからないことを言い続けるとは。


「ず、ずびばぜん……」


 ずずっと鼻をすすりながら、ようやく止まってくれた目元も拭う。

 途中からポンポンと優しく背中を撫でてくれて、それがまた切なかった。


「はあ……」


 それでも泣きながら話したことで、ようやく本当の意味で落ち着いたみたい。


「ありがとう、ございました」

「いいえ。お役に立てたなら良かったですよ」


 目元と鼻は真っ赤でグズグズ言っているわたしに、何でもないことだとニコリと微笑んだ。


 やっぱり見た目は完全な少女でも、この落ち着きっぷりと謎の包容力からすると相当年上なんだろうか。

 それとも単に肝が据わっているというか、経験値が高いだけなのかな。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったタオルをしまいながら店主を見ていたら、その店主がふいに顔を上げた。


「……ああ、晴れたようですね」

「え?あ……」


 まるでわたしの気持ちのように、スッキリとした青空が見えていた。




「あっ、いま何時!?」


 のんびりと追加のコーヒーを飲んで、柔らかいコーヒーゼリーをクリームと一緒に堪能していて気が付いた。


 かなり長いこと居座ったうえに、さらに窓から見える位置にいるわたしが泣いてしまったことで、稼ぎ時とも言えるお昼の時間に、誰も近寄れなかったんじゃないだろうか。


 慌ててスマホを取り出して時間を確認しながら、乾いた鞄を持ち上げる。


「慌ただしくてすみません。あの、お代は……」


 テーブルにかけてある傘をつかんで伝票を探すわたしに、店主が首を横に振って言った。


「お代は結構ですよ」

「え!?で、でも」


 コーヒーは何だかんだ言って三杯は飲んだ。さらにクリームたっぷりのゼリーも食べたんだから、最低でも二千円……いや、結構大きめの器に盛られてたんだし、三千円出してお釣りがあるかどうかだろう。


 財布から三千円を取り出すわたしの手を押しこめて、ついっと紙袋を指差した。


「お代は、その紙袋の中身で結構ですよ」

「え?」


 先輩に渡しそびれたプレゼントが、お代なの?


「渡しそびれたこともですが、このまま使わないで誰かに代わりに渡すこともなくしまいっぱなしにするのでしょう?ワタシに渡しても、良いではありませんか」

「そ、れは……」


 それは、そうなんだけど。


 躊躇っているわたしの前で手のひらを広げて、「さあ」と言いながらニコニコと店主が微笑む。

 わたしが紙袋ごと、お代として渡すことを待っている。


「これは、でも……」


 先輩に渡そうと考えて、いろんなお店を回って買ったもので。

 他の誰かに渡すとか、自分が使うとかは全然思っていなかった。


 ましてやコーヒー代としてなんて、それこそまったく考えていなかった。


「ワタシなら、どなたに渡す予定の物であっても使いますよ」

「で、でも……」

「それとも、正規のお金を支払いしますか?」


 ピラッと伝票を差し出して、意外と良心的な価格だったことにホッとする。

 それでもお小遣い日まであと一週間以上。残り五百円ワンコイン以下で食べ盛りの高校生が過ごせるのかという疑問もある。


「さあ、どうしますか?」

「……」


 この紙袋を見るたびに先輩のことと、渡せなかった不甲斐ない自分を思い出して落ち込むんだろう。

 そんな物を持ち帰っても、お財布的にも気分的にも悪い未来しか浮かばない。


「……使って、くれるんですか?」

「ええ。大事に使わせていただきますよ」


 少し上目遣いに見やったら、ニコリと裏表もないような屈託のない笑顔を向けて一つ頷いた。


 それなら……




 チリン


 雨が止んだ道を歩きながら、不意に聴こえてきた飛行機の音に顔を上げた。


「先輩が乗ってるやつかな」


 ゴオオという音とともに、水を含んだ風が舞い上がる。


 リュックを背負い直したら、ガサッと紙袋の音がした。


「誰かに、何かを話した気がするんだけどなあ」


 リュックの紐をつかみながら、十一時を指しているスマホを見て首を傾げる。


 でも、気持ちは軽くなった。


 ……先輩のことは、これからも忘れられないとは思うけれど。

 渡せなかったハンカチだって、いつかは使おうと思うかもしれないもんね。


「よしっ」


 もう一度、顔を上げたら。

 ゴールを目指す時のように、勢いよく前に駆け出した。






「あーあ……」


 いつもなら、記憶ごと・・・・いただけたのに。

 どこで失敗したんだろうかと首を傾げながら、増やすことができなかった角砂糖の入った小瓶を指でつつく。


「まだまだまあだ、全然ちっとも足りませんねえ」


 空と同じく晴れやかな顔をしながら、「先輩のことが思い出になったら、わたし自身で使います」と言って、お代をしっかり払って出て行った、先ほどのお客様を思い出す。


「ワタシへのお代は、物が正解なんですけどねえ」


 そうは言っても、無理矢理奪っていいものではない。


 角砂糖になった記憶は元に戻らない。つまり、あの少女の先輩への気持ちごと、なかったこと・・・・・・になるのだ。


「ふう……。いつまでも、ワタシが落ち込んでいては仕方がありませんね」


 カウンターを離れるように腕を伸ばし、次のお客様を迎えようと立ち上がった。


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