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四月のコーヒークッキーはほろ苦い

「はあ……」


 春の香りがする、柔らかい風に短い髪が揺れた。


 高校の三年間、伸ばしっぱなしの髪をバッサリ切って。メイクだって服だって、勉強と同じくらいにすごく頑張ってここまで来たのに。


 新しい季節に新しい環境、入学したての大学に、新しい友人とまさに新しいこと尽くしな春なのに。

 道端で見つけた小さな石でも思いっ切り蹴り上げたいくらいに、わたしの気分はとっても落ち込んでいた。


「別に、先輩がいるから、この大学にしたわけじゃないし」


 満開の桜が風に吹かれて、綺麗な花びらをひらめかせながら落ちていく。


 普通なら「綺麗だ」とか、合格して良かったと、余韻に浸っているところなんだろうけど。

 そんな光景も腹立たしくなってくるくらいに、わたしの心はささくれていた。


「別に、先輩に言われて髪を切ったわけじゃないし」


 散っていく桜の花びらが、短くしたわたしの髪に降り注いでいく。


 普段なら「やっぱり桜って綺麗だな」と思えることなのに、勢いよく頭を振って落としたいくらいだ。




 一人暮らしを反対する親も、成績が足りないと言う先生を説得したのも。別に、先輩がいたからじゃなくて、入りたい学部がこの大学にあっただけなのだ。


「……別に、約束したわけでも、カノジョでもないし」


 それでも、それなら、あんな言葉を掛けるなよって、胸倉をつかんで殴りたい。


 とっても小さな石を蹴ることで、散った桜の花の上を歩くことで、ようやく少しだけスッキリした気分になってきた。


「別に……」


 蹴った小石の行方をぼんやり見守りながら、フラフラと目的もなく歩き続ける。


 蹴る、転がる。蹴る、転がる。


 それだけで小さな頃に戻ったみたいで、どこに行くのかわからないワクワク感が沸き上がってきた。




 チリン……


「え?」

「おや、意外なお客様だ。いらっしゃいませ」

「え?」


 わたし、ドア開けたっけ?


 小石を見失わないようにと考えながら足元だけを見ていたせいで、どこかの店に入ってしまったらしい。


 チリンというベルの音と一緒に、「いらっしゃいませ」と言われてしまった。 


「あ、あの、すみません。小石を蹴ったら入ってしまったみたいで……。拾ったら出て行きますので、店内を探させてください」


 こんな話をすることも、おかしいだろうけれど。

 ふんわりとコーヒーの香りがしたことから、ここはカフェみたいだ。


 飲食店に小石を投げつけるなんて、営業妨害っていうか、何のクレームだよって話だよ。


 慌てて頭を下げながら小石の行方を目で追っていたら、目の前の椅子が引かれてしまった。


「まあまあ。小石が縁でもなんでも、あなたがここ・・に入ってきたことには、意味があるんですよ」

「え?」


 ようやく顔を上げたら、わたしよりもかなり小さい、少女と言っても良さそうな女の人がニコニコと微笑みながら言った。


「メニューはコーヒーしかありませんけれど、今のあなたにピッタリのデザートをお付けいたしましょう」

「い、いえ」

「どうぞ、お座りくださいませ。ああ、安心してください。テーブルも椅子も窮屈ではありませんよ」

「え?」


 まあまあと言いながら背中を押されたわたしは、仕方なく勧められた椅子に座ることになった。


「あ」


 バスケをしていたから、ではないけれど。わたしの身長はかなり高い。

 百七十センチは軽く超えていて、大学に入学する年になってもまだ伸びている。


 だからか微妙に窮屈になることが多い、カフェのテーブルと椅子の隙間が今日はちょうど良かった。


「うらやましいですねえ。ワタシはこの通り、ちっとも伸びなかったんですよ」

「……小さいほうが、良いですよ」


 シュンシュンとヤカンでお湯が沸く音と、ポコポコという聴き慣れない音。

 しばらくしたら、ふんわりとコーヒーのいい香りが漂ってきた。


 このお店を一人でしているのか、店の中には女の人、一人だけだ。そしてお客はわたしだけ。


 カウンターもあるけれど、もう一組のテーブルと二脚の椅子しかなくて、とても小さいカフェだということがわかった。




 飴色と言えばいいのか、古民家みたいな店内だなあとキョロキョロしてしまったわたしに、小さく微笑んだ店主がテーブルに置きながら話していった。


「古いでしょう?実際、とても古い建物なんですよ。おかげで格安で買えました。まあ、ワタシ一人が生活をするには十分な広さです」


 どうぞとコーヒーがたっぷり入ったカップと、お皿にはクッキーが並んでいた。


 わたし、何も頼んでいないよね?


「ミルクがいりましたよね?こちらをお使いください。できれば一口飲んでから、足してください」

「……わかりました」


 砂糖は置いていなくて、ソーサーの脇にも見当たらない。

 けれど代わりに、温まったミルクが別なカップに入ったまま置かれて、ちょうどいい理想の量が入っていた。


 少し奇妙に思いながらも、コーヒーを口に運んでいく。


「美味しい……」

「ありがとうございます」


 桜が散る頃と言っても、まだ風は寒い。

 買ったばかりの春服は生地が薄かったようで、意外と身体が冷えていたみたいだ。


 一口飲んだだけで肩の力が抜けて、じんわりと温まっていった。




 ミルクもちょうど良く温まっていることで、コーヒーが冷めなくて助かる。

 カフェオレとかを頼めばいいんだろうけど、自分好みの配分じゃなくて、外では滅多に頼まなくなったことも思い出した。


「ミルクが足りなかったですか?」

「え?いいえ、ちょうど良いです」


 別なことも思い出してしまって、思わず眉間に皺を寄せてしまったからかもしれない。コーヒーの味に不満があったのかと、尋ねられてしまった。


「違うんです。わたし好みの、とても美味しくて温かいコーヒーです」

「それは良かった。では、何か悩みがあるんですね?」

「悩みっていうか……」


 あんなの、悩みでもなんでもない。

 だって向こうにその気がまったくないどころか、自分が何を言ったのかも覚えていなかったんだから。


 大学で再会した後の会話も思い出したことで、今度はカップをぎゅっとつかんでしまった。


「すみません」

「大丈夫ですよ。それくらいで割れるような、やわな食器は扱っておりません」


 人よりも身長が大きいわたしは、他の部分ももれなく大きい。

 コーヒーがたっぷり入るマグカップでも、軽く指が組めるくらいに大きいのだ。


 そんな大柄なわたしがぎゅっと握ってしまったら、いくら丈夫そうなカップでもヒビが入ってしまうだろう。


「そんなことはあ、ございませんよ。お気になさらずに、お悩みをお話しくださいませ」

「いえ、ですから、悩みってほどではないんです」


 悩みというよりも、文句と言ったほうがいいだろう。

 そうだ。わたしはなんであの時、文句を言ってやらなかったんだろう。


 少しだけ首を振った店主が、まあまあとなだめるように両手も振っていく。


「小石が導いてくれた、ささやかな縁ではありませんか。それに、外は晴れて桜も満開だというのに、あなたはちっとも陽気な表情ではありません」

「え?」

「ワタシの淹れたコーヒーを飲んで、そのような顔をすることは、いけませんね。さあさあ、お話くださいませ」

「……」


 一口飲んだ後は、とってもホッとした。


 せっかく自分好みのコーヒーが目の前にあるのに、クッキーの乗ったお皿にも、全然手を伸ばしていなかった。


「……よくある、話ですよ」

「ふん?」


 コーヒーとミルクが混ざるように、丁寧にスプーンでかき混ぜながら。


 ぽつぽつと去年の卒業式の出来事から、午前中にあった大学の入学式までの話を始めることにした。




 ―――去年の卒業式。つまり、わたしの一つ上の先輩が卒業をした日。


『高瀬も同じ大学に来ないか?オレは大学でもバスケを続ける予定なんだ。男女の違いはあるけどさ、大学でも一緒に練習できたら嬉しいぜ』


 エースでみんなの憧れの先輩が、わたしに声を掛けてくれたことが嬉しかった。


 わたしはその頃でも百七十センチにいこうかとする長身で、先輩は百六十センチちょっとだから、いつもわたしを見上げる形で申し訳なかったけれど。


『気にすんな。高瀬の背が高いことは武器になる。大学で待ってるからな!』

『はい!』


 親にはどうしてそんな遠いところに行くのかと、先生には今から進路変更なんて無謀だと言われながらも。


「……いつでも励ましてくれた先輩の言葉を励みに、無理だと言われた大学に合格したんです」

「おやおや、青春ですねえ」

「でも、入学式で裏切られました」


 部活もギリギリまで頑張って、勉強も手を抜かずに。この大学に入れば、先輩とバスケができるという思いで必死に頑張ってきたのだ。


 それなのに―――


『あれ、高瀬?どうしてこの大学に来たんだ?』


『バスケなら高校までに決まってるだろ?大学までやってるヤツなんて、もっと別な大学を選ぶって』


 あんなにカッコ良かった先輩は、どこにもいなくて。

 入学式で会った人は、運動も何もしていない、あの時の輝きも何もないただの人だった。


「おや、まあ……。それはそれは」


 お皿を拭きながらわたしの話を聞いていた店主が、呆れた顔をしながら小さく頭を振った。


「この大学はバスケがそれほど有名じゃなかったので、おかしいなと途中で思ったんです。でも高校で活躍した先輩があえて選んだ大学なんだから、指導をする先生や選手に素晴らしい人でもいるのかなと考え直したんです」

「ええ、ええ。成績が伸び悩んでいるだけで、優秀な先生も選手もたくさんいますからね」

「でも、先輩が選んだ理由は全然違いました」


 入学式後に会った先輩の横には、同じくらいに小柄な女の人が寄り添っていた。

 その人はわたしよりも二つ上、先輩よりも一つ上の元生徒会長だった。


「……この大学に決めたの、彼女が先に入ったからだったんですよ」

「それは、それは。何と言っていいのやら」


 開いた口が塞がらないという店主の言葉通り、わたしも何も言わずに、その場を立ち去ったくらいだ。


「わたしには、バスケの為だとかカッコつけといて……」


 ああ、やっぱりこんなの悩みじゃない。

 いますぐ大学に戻って、わたしの将来を変えた責任を取れと胸倉をつかんで殴りたい。もちろん、拳で。


 吐き出したら、スッキリするなんてことはなかった。思い出したことで、余計に怒りが甦ってくる。


「やっぱりムカつく!」


 冷めたコーヒーを一気に飲んで、テーブルに叩きつけるように置いてしまった。


「す、すみません!」


 さすがにこれは、どちらか、もしくは両方が傷んだ気がする。

 そうっとカップを持ち上げてヒビがないかと確認をしたら、テーブルの下に潜りこんで、歪んでいないか確かめる。


 慌てるわたしに、「それくらいで、傷などつきませんよ」と手を振ってニカッと笑った。




「……そういうわけで、全然悩みではないんです。むしろ、腹立たしい内容です」


 もう一杯、コーヒーのお替りを頼んだら、今度は味わうようにゆっくりと飲んでいくことにする。


 そうそう、クッキーもあるんだった。

 何味だろうと手を伸ばしたわたしに、店主がふんわりとコーヒーの香りのような微笑みを浮かべていた。


「その先輩のことを、慕っていらしたんですね?」

「し、慕ってなんかいませんよ、あんな嘘つき」

「思い出にまで怒ることは、いけませんよ」


 柔らかく、たしなめるような言い方で。

 けれどコーヒーとミルクのように、ちょうど良い距離に優しさがあった。


「あ……」


 サクッと齧ったクッキーは、コーヒーの味で。


 バターのいい香りと一緒に、ほろ苦いコーヒーが口の中に広がっていった。




 先輩は、みんなの憧れだった。

 小柄な身長でも活躍している姿を見て、辛い練習でも頑張れた。


 見ているだけで、良かったのに。


「……進路まで変えて、こんなところまで、追い駆けてきて……。か、髪だって、短いほうが似合うんじゃないかって……。先輩の言葉で、切ってみたんですよ」


 行きたい学部が、ここにしかないなんて嘘だ。

 わたしはこの大学で、また先輩のプレーを見たかったんだ。


 好きだとか、そういう簡単な気持ちじゃない。

 自分よりもはるかに背が高い相手を何人も抜いて、ゴールを決める先輩の姿を、ずっと近くで見ていたかった。


「そんなこと、無理だってわかっているのに。……わたし、自分勝手ですよね」


 辛い姿を見せていないだけで、本当はカッコいいエースじゃなかったのかもしれない。


 彼女と一緒にいる先輩は、高校で見ていた先輩ではなかった。

 優しく彼女を見つめる、ただの普通の彼氏だった。




「……すみません、せっかく淹れ直してもらったのに」

「良いんですよ。コーヒーを飲むタイミングは、人それぞれですから」


 また冷めてしまったコーヒーを、ゆっくり飲み干しながら。

 苦いコーヒークッキーを口に入れて、思いっ切り鼻をかんだら今度こそスッキリした気分になった。


「はあ……」


 ああ、スッキリした。


「あ、いま何時だろう?」


 式が終わったら、来れなかった親に連絡をしないといけなかったのに。

 そのままカフェに入って話して泣くとか。他の誰もいなかったからいいものを、なんと迷惑な客だったことか。


「良いんですよ、春ですから。この場所とコーヒーでスッキリしていただければ、本望というものです」


 少し大げさに両手を開いたら、とても丁寧にお辞儀をしていく店主。


「あ、あの、お代は……」


 コーヒー二杯にクッキー付きなら、千円で足りるだろうか。

 鞄から財布を取り出そうとするわたしに、小さい手のひらが伸びてくる。


「それよりも、お客様が蹴り続けた小石は、こちらですか?」

「え?……えっと、たぶん」


 小さい手のひらに乗っている、何の変哲もない小石を見せられても。

 何となく蹴り続けただけで、特に意識して選んだわけでも何でもないのだ。


「すみません。すっかり石の存在を忘れていました」


 慌てて頭を下げたら、引き取ろうと手を伸ばす。けれど、ぎゅっと目の前で握りしめられたら、ニコリと店主が笑顔を見せた。


「お代は、こちらの小石で結構です」

「え!?いえいえ、ご迷惑をかけてしまいましたし!」


 暴れたわけじゃないけれど、わたしが泣いてしまったことで入ろうと思っていたお客さんが、遠慮をしてしまったかもしれない。


 そもそも飲食店に小石を蹴って入れるなんて、やっぱり訴えられるくらいのことでしょう。


 一生懸命に謝るわたしに、いいから出口はあちらだと、椅子を勧めた時と同じく強引に背中を押していく。


「あ、あの、じゃあ、大学でできた友人を連れてきます!宣伝します!」


 せめてお客を呼んでくると伝えたら、小さく頭を横に振って言った。


「ワタシのお店は、悩みのある人にしか辿り着けない特殊なお店なんですよ」

「え?」

「本日はご来店、誠にありがとうございました」


 優雅にお辞儀をした少女のような店主に見送られて、わたしはまた、桜が散る並木道に戻っていた。




「あれ?」


 足元を見ても、さっきまで蹴っていた小石がない。


「小さかったからなあ。見失っちゃったか」


 まあいいやとスマホを取り出して、入学式が終わったことを親に伝えないと。


「もしもし?うん、わたし。無事に式は終わったよ。え?うん。この大学に入れて良かったよ」


 知り合いの誰もいない大学だけど、入りたかった学部があったんだもん。


 なんで三年生で急に進路を変えたのかは、イマイチ思い出せないけれど。


「え?うん、大丈夫。とりあえず今日から自炊を頑張るよ」


 さて、明日からの新生活も楽しもうっと。


 桜が舞うピンク色の世界の中を、短くなった髪を揺らしながら歩き出した。






 ……チリン


 扉を閉めて『CLOSE』という札に変えたら、そのままガチャリと鍵を閉める。


「はあ……。本日のお客様も、なかなか愉快な方でしたねえ」


 悩みでないと言えば、悩みではなかったけれど。


「幅広く言えば、この先の大学生活に悩んでいたんだから、まあ、悩みですよね」


 お代の代わりにいただいた、小石をビンの中に入れていく。

 すぐにカランという音が響いて、角砂糖の姿に変わっていった。


「うーん。まだまだまあだ、貯まりませんねえ」


 思いっ切り、伸びをしたら、本日の営業を終えようと思います。


「またのご来店、お待ちしております」


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