13曲目『青と緑のハザマで』
『やーい、あおみどりのヘドロ女!』
自分の名前が嫌いだった。
碧と名付けた両親のことも。
仕事ばかりで家に寄りつかない父と、そんな父への呪いを囁き続ける母。
幼い頃から父の悪口を聞かされ続けてきた私には、父が悪なのか正義なのか、母が言っていることが正しいのか間違っているのか、まるで判断ができなかった。
ただ漫然と、毎日が怖くて、ビクビク、オドオドする子供になっていった。
碧。
碧。
碧。
青とも緑ともつかない、曖昧な名前。
専業主婦で、ずーっと家にいて、目が合えば父の悪口をボクにすり込もうとしてくる母と、それを曖昧に微笑んで受け入れる私。
曖昧な境界線。
曖昧な私。
『あおみどりのヘドロ女! 臭いんだよ!』
外を歩けば、近所の男子たちに追いかけ回される。
学校にも家にも居場所はない。
鬱屈した気持ちはリストカットにぶつけた。
手首を切るとすっと気持ちが落ち着いたが、母はそんな私の頬を叩き、ヒステリックに泣き叫んだ。
泣きたいのはこっちなのに。
幼馴染で親友のくれなゐに相談したら、『気分転換に』と音楽教室に連れていってくれた。
そうして私は、出逢った。
運命の人に。
離れたくなくて、絶対に手放したくなくて、次に逢う約束を取りつけた。
次に逢ったときには、その次に逢う約束を。
私たちは瞬く間に仲良くなって、彼氏彼女になった。
♪ ♪ ♪
「赤ちゃんは、作曲しないの?」
いつもの、『放課後・休日音楽教室』でのことだった。
やっちゃんが、急にそんなことを言い出したんだ。
「え?」
「だって」
ドラムスティックをクルクル回転させながら、やっちゃんが微笑む。
「赤ちゃんってよく、即興で曲作るでしょ?」
「コレのこと?」
――タラリラタラリラ♪
それっぽいコード進行を左手で刻み、右手でジャズ調のメロディーを乗せる。
すぐに、やっちゃんがドラムで乗っかってきた。
さすがはやっちゃんだ。
数分ほど演奏した後、キリの良いところで終わる。
――ジャン♪
私のピアノに合わせて、やっちゃんがクラッシュシンバル。
からの、スネア×2とキックで小さく締め、クラッシュシンバルを掴んでミュートする。
最も短い、エンドのフィルイン。
私が最初に覚えたフィルイン。
「こんなの、誰にでもできるよ」
「でも、僕は赤ちゃんのメロディー、好きだけどな」
「そ、そう?」
顔が熱くなる。
「て、照れるよ……」
私は暴走気味にピアノを弾きはじめる。
四拍子・三拍子・七拍子に五拍子。
変拍子というか、もはや『無』拍子と化した私のめちゃくちゃな演奏に、やっちゃんが難なくついて来る。
私が主導しているはずが、逆にやっちゃんの作るリズムに私が引っ張られていく。
さすが、相変わらずのリズムモンスター。
「聴いてみたいな」
可愛い可愛い年下彼氏にそこまで言われてしまっては、引き下がるわけにはいかない。
♪ ♪ ♪
翌日の放課後、音楽室にて。
「すごい……すごいすごいすごい!」
やっちゃんは、私が披露した曲に大興奮だった。
「カッコイイ~~~~!」
「え、えへへ、そうかな?」
「歌! せっかくだから歌にしようよ!」
「でも私、歌とか歌えないし」
やっちゃんに地雷系のゴスロリファッションを贈ってもらった日から、私は少しずつ自己肯定感を高めていった。
イジメられそうになったら、やっちゃんが飛んできてくれる。
演奏をしたら、やっちゃんが『上手い』と褒めてくれる。
現に今だって。
けれどさすがに、歌を披露するのはハードルが高い。
「『初音ミク』ってのがあるよ。ボーカロイドって言うんだって」
そう。
その頃はまだまだボーカロイド黎明期。
『歌わせてみた』と『歌ってみた』の黎明期だった。
それから十年。
私がこの世界に食い込むことになるのは、まだまだ先の話。
「でも、お金ないし」
「僕が買うよ!」
「悪いよ」
私はフリフリの地雷系スカートの裾をつまむ。
「やっちゃん、お年玉前借りしちゃってるんでしょ?」
「可愛い彼女のためなら余裕余裕」
「そこまで言うなら」
胸がときめいたのを覚えている。
「あ、でも私、作詞したこと、ない」
「じゃあ僕が書いてくる!」
♪ ♪ ♪
「こ、これは……」
その翌日、いつもの音楽室にて。
「『キミは漆黒のエンジェル 羽をもがれたタナトス 円環の理に導かれ 愛を謳うアフロディーテ』……」
な、何だろう、何だろうコレは。
少なくとも、世に出して良いものではないということだけは、分かる。
「や、やっぱり私が作曲してみるね!」
「えー」
♪ ♪ ♪
さらに翌日、
「書いてきたよ!」
「見せて見せて! わーっ、すごいすごい! ちょっと物足りない気もするけど……ここなんかはこうして――」
「あ~っ、やっちゃんはセンスが少しだけアレだから。このくらいがきっと良いよ、うん」
「そう? まぁ、赤ちゃんがそう言うなら」
ノートPCを取り出すやっちゃん。
「じゃあさっそく、歌わせてみようよ!」
「そ、それは……?」
「お父さんに借りてきた。初音ミクもインストール済みだよ」
「行動力ぅ!」
♪ ♪ ♪
さらにその数日後、
「「できたーーーーっ‼」」
私とやっちゃんは、やっちゃんの部屋でハイタッチしていた。
念願の、私の初めての曲が完成したからだ。
「YouTubeとニコニコ動画にUPしてみようよ!」
グイグイくるやっちゃんと、
「で、でも、ああいうのってイラスト要るんでしょ?」
引き気味の私。
「ふっふっふっ、そんなこともあろうかと」
やっちゃんがノートPCのフォルダを開いた。
「灯センセに描いてもらってきてるんだ!」
「えぇええ~~~~っ!?」
歌姫風な衣装の女の子が高らかに歌い上げている一枚絵。
親友・くれなゐが休み時間に絵を描いているのは知ってたけど、こんな、ここまで上手かったの!?
「動画編集ソフトの使い方も覚えてきた。さぁ、動画作りの時間だ」
♪ ♪ ♪
さらにその数日後、
「「できたぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」」
私たちはハイタッチ。
「さっそくUPしてみようよ」
「うん!」
そのときのアカウントがどれだったかは、もう覚えていない。
私はテスト用に、いくつものアカウントを作ったり消したりしているから。
正直、あのときの動画は曲も詩もボカロ調教も未熟で、そもそもコンセプトがあいまいな拙い一本だった。
それでも、ボカロ動画黎明期というブーストもあってか、最終的に一万再生を超えた。
アレをUPしてからの興奮は、毎日のように再生数を眺めながら過ごすワクワク感は、今もボクの胸の奥底に刺さったままだ。
やっちゃんと一緒にF5キーを連打して、待ったものだった。
再生数『1』(私自身が再生した分だ)が『2』になった瞬間の喜びは。
それが『3』になり『4』になり、『10』を超えたときの興奮は。
再生数が数十を超え、初めて『うぽつ』コメがついたときの衝撃は!
これは、動画をUPしたことのある人にしか分からない快感だろう。
私はあっという間に、その快感の虜になった。
溺れた。
見てる。
見てくれてる。
何千人もの人が、私のことを見てくれている!




