バイバイ・ヴァイオレット【前編】
三月下旬の昼下がり。
窓から温かくて柔らかな日差しが差し込み、絨毯に格子模様を描いている。
著名な意匠が手掛けた婚礼衣装や、各国から取り寄せたらしい色とりどりのドレスがずらりと並ぶ衣裳部屋の中。
私はあまり座り心地の良くない待合椅子に座り、春の陽気にあてられてうつらうつらと舟を漕いでいた。
ここは、白鈴女学院。
王族や貴族の家系へと嫁ぐ少女たちが、厳格な花嫁修業を積むために集う、全寮制の女子校だ。
少女たちはみな、十五歳になる年の四月にこの門をくぐり、十八歳の誕生日を迎えるその日、純白の婚礼衣装に身を包んで卒業していく。
明日は、約四年もの間、寮の同室で生活を共にした同期・アヤメの十八歳の誕生日。
彼女は今、明日の卒業及び婚礼に向けて、衣装合わせをしている。
「同室のよしみで、一番に晴れ姿を見せてやる」と半ば強引にアヤメに手を引かれてこの衣裳部屋へ連れてこられてから、かれこれ数時間が経過していた。
閉ざされた帳の向こうでは、学院お抱えの侍女たちが
「まあ、こちらの襞飾りの見事なこと」
「この大きな飾り紐、アヤメ様に本当によくお似合いですわ」
とはしゃぎ立てている。
今の私にとっては、その黄色い歓声さえも、より深いまどろみへと誘う子守唄に聞こえてしまう。
「ちょっとリカ! なんで寝てんのよ!」
アヤメのよく響く声に名前を呼ばれ、意識が現実に引き戻された。
はじかれたように、ほぼ閉じていた目を見開く。
痛む首を押さえながら顔を上げると、そこには純白の婚礼衣装を着たアヤメが、その服装にそぐわぬ仁王立ちをしながら私の顔を覗き込んでいた。
「ほら、リカがず~っと楽しみにしてた私の晴れ姿よ」
「私は外国のドレスを見てみたかっただけよ。自意識過剰もいい加減にして」
「ごちゃごちゃうるさい!せっかくアンタに見せるために着たんだから、何か言いなさいよ!」
アヤメの着付けを担当していた侍女たちが、私たちのやり取りを見て呆れたように微笑んでいる。
だが心なしか、その視線は幼子を見るように温かい。なんでだ。
「えっと…」
意見を求められたからには、何か言わねばなるまい。
言葉を絞り出そうと、アヤメの頭のてっぺんから爪先まで視線を巡らせる。
彼女が今着ているのは、明日から人生を共にするという、貿易が盛んな大陸国の殿方から贈られてきたドレス。
鈴蘭のように大袈裟に膨らんだ袖、レースが幾重にも重なったスカート、胸元と背面に大きく鎮座したリボン。
衣装全体に散りばめられたグリッターが、窓からの光を反射して宝石のようにきらめいた。
私たちの住む日ノ国では、和装でも洋装でも素朴なものが多いので、なんだか新鮮だ。
アヤメのドレス姿は、もちろん美しい。元が良いのだから、何をどう着たって絵になる。けれど――。
国の豊かさを主張するように豪勢な装飾は、彼女の凛とした美しさを隠してしまっていてなんだかもったいないと思った。
「…素材殺しね」
こんなドレスを彼女に贈るなんて、アヤメの新たな伴侶は目が節穴なのだろうか。
本当は賛辞の言葉をかけたいのに、怒りにまかせて咄嗟に出てきたのは、棘のある悪態だった。
私は昔から、言葉の棘を隠すのも、相手を喜ばせるために着飾ったお世辞を言うのも苦手だ。
「アンタはほんっと、最後まで変わらないわね」
アヤメは呆れたような、けれど少し寂しそうな溜め息を吐き出した。
*
この学院には、「双華制度」という特殊な決まりごとが存在する。
それは、入学と同時に見ず知らずの同級生と二人組を組まされ、卒業まで伴侶として過ごすというもの。
生まれ育った環境の異なる者同士が、同じ部屋で寝食を共にし、互いに歩み寄って価値観を認め合う。
いわば結婚生活の予行演習なのだという。
アヤメと双華の相手になってから、もうすぐ四年が経つ。
すでに他の同級生たちは卒業していき、残された四年生は私たち二人だけだった。
四月生まれの者はほぼ一年前に居なくなってしまったので、顔と名前すらもおぼろげだ。
前にそれをアヤメに話したら、「もう少し他人に興味を持ちなさい」と言われた。
忘れたくないと思うこと以外を無理に覚えて、何の意味があるのだろう。
私はこの学校生活において、アヤメ以外の同級生を知ることに必要性を見出せなかった。
そもそも、知りたいと思える相手がアヤメしか居なかったのだ。
素直にそう反論したら、少し困ったように笑われたのも記憶に新しい。
アヤメとの共同生活も、明日で終わる。
入学当初はそりが合わず、こんなヤツと夫婦ごっこしながら過ごすなんてとてつもなく長い四年間になりそうだと思ったが、過ぎてみればあっという間だったように思う。
どんなに合わない相手でも、長い時間を共に過ごせば少しずつ心が共鳴してくる。
最初は煩わしいばかりだった言い争いも、気づけば心地よく感じるようになってしまった。
正直、アヤメとの毎日がもうすぐ終わりを迎えることがすごく寂しいと感じる自分がいる。
アヤメは、衣装合わせが終わってからずっと機嫌が悪い。
四年間共に過ごした六畳一間の部屋で、明日の出立に向けた荷造りを手伝いながら、アヤメの端正な横顔を盗み見る。
明日からはもう見れなくなるなら、最後くらい笑顔を焼き付けておきたいんだけどな、と思った。
「いい加減、機嫌直しなさいよ」
「それ、リカが言う?」
「人に意見を求めておいて、自分が望む答えが返ってこなかったら拗ねるなんて、大人げないにも程があるわね」
「一生に一度の晴れ姿をまともに褒めることもできないアンタの方が、よっぽど子どもだと思うけど」
先ほどの発言は自分がよくなかったのを自覚しているぶん耳が痛い。
実際、アヤメは贈られた衣装を着ただけだ。
それなのにあんな風に言われて、機嫌を損ねるのは当然だろう。
でも、子供じみていると分かっていても、先ほどのアヤメのドレス姿をどうしても素直に褒めたくなかった。
だって、アヤメが本当は、質素で繊細なものを好んでいることを知っているから。
そして、そういうものこそ、アヤメの美しさを真に引き出すことを分かっているから。
アヤメは、自分の優先順位がものすごく低い。
だから、嫁ぎ先が確定し、相手の男が華美で豪勢なものを好むと知ってから、彼女は自分の好みを隠して相手に合わせるようになった。
いつだって相手のために自分の気持ちを押し殺してしまう彼女を見ていると、胸が苦しくなる。
「…だって」
裸にした本音の言葉は、素直になるのを躊躇う喉でつっかえる。
でもここで伝えなければ、一生後悔すると思った。
「アヤメが本当に好きな衣装を、本当に似合う衣装を着ている晴れ姿が見たかったのよ。アンタは元が綺麗だから何着ても絵になるし、さっきも綺麗ではあったけど…あれは、アンタのこと何にもわかってないやつが選んだ衣装だったから、気に食わなかっただけ」
一度話し出してしまうと、言葉が溢れて止まらなかった。
まくし立てるように一気に本音を吐き出し、息切れしそうになる。
おそるおそるアヤメの方を見ると、彼女は驚きで目を満月のように真ん丸に見開き、大きな目が零れ落ちそうになっている。
「リカって、私のことだけは本当に好きだよね」
「…うるさい」
自然と頬が熱を持つ。
何か言い返してやろうと思ったが、蚊の鳴くような声しか出なかった。
「……それならさ」
アヤメが不意に、いたずらっぽく目を細める。
遠回しに自分の伴侶を侮辱されたにも関わらず、彼女は心の底から嬉しそうな顔をしていた。
「私の衣装、選んでよ」
「え? だって衣装は、さっきのやつで決まって――」
「本番で着るのは流石に無理だけどさ。今夜、さっきの衣装部屋に忍び込んで、もう一度衣装合わせするの。それで、二人だけで結婚式しましょう!」
「いや、なんで結婚式までやらなきゃいけないのよ」
「ぶっつけ本番で失敗したら格好がつかないもの。練習付き合いなさい」
アヤメは、無茶なお願いをする時が、一番生き生きとしている気がする。
その笑顔に弱い私は、渋々頷いた。




