つまらなくはない
「ねぇ、芥お兄さん。今日は泊まっていい?」
「帰れよ」
「家、追い出されちゃった」
「はぁ?」
「正月が明けるまでリビングに出てくるなって、書置きがあったから」
「それなら部屋で大人しくしてろよ」
「芥お兄さんに会いたかったから、出てきちゃった」
そんな可愛らしいこと言われても、全然嬉しくないんだが。
背景がチラつかなきゃなぁ、グッとくるセリフかもしれないんだがなぁ。
クリスマスの時も追い出されてたし、親が家に誰か呼ぶときは春を見せないようにしてるんだろうな。
こいつの両親の仲って、どうなってるんだろうか?
春に対する興味関心がないなら、夫婦仲も冷え込んでいるのだろうか?
椅子の向きを変えず、目線だけ後ろを見る。
春は、買ってやった座布団に座って、いつものように表情の乏しい顔でこちらを見つめている。
……聞いたところで答えは知らなそうだ。
「大みそかぐらい、一人でゆっくりしたいんだが」
「大みそかって、一人でゆっくりする日なの?」
「家族と過ごす人が大半なんじゃないか? 年末年始は大体の人がそういう過ごし方だろ」
「そうなんだ。芥お兄さんは、家族と過ごさないの?」
「......親とはずいぶん会ってないからな、今年も一人だ」
「じゃあ、今年は二人だね」
「帰ってほしいんだがなぁ」
家族、という単語に少し口ごもる。
両親とは3年近く会っていないし、連絡も取っていない。
高校中退の件で揉めに揉めて、半ば絶縁に近い形で家を出てきたからな。
実家どころか、地元にすら帰っていない。
もはや両親の顔が若干ぼんやりしている。
この点だけは、俺も春も大した違いがないのかもしれない。
ぼんやりと過去に浸っていると、春は持っていた本を本棚に戻し始めた。
学校の授業は真面目に取り組んでいるらしく、小説はそれなりに読めるようだ。
ただ、小説内の出来事を理解したり現実とリンクさせるのは苦手らしく、学園物とか青春系はあまり理解できずに首をひねっている。
人間関係や感情の機微というものに疎いようだ。
それを学ぶための読書ではあるのだが、効果が出るのは当分先のようだ。
「大みそかって、何をする日なの?」
「そば食って年越しして神社行って終わり」
「どうしてそばなの?」
「あぁー、それは考えたことないな。なんでなんだろう」
「芥お兄さんも知らないことあるんだね」
「知らないことの方が多いわ」
投げやりに答えて、パソコンの電源を落とす。
コミケに行っていた藤川さんから無事終了したという連絡を受け取ったし、ネットでの作業も終わったし仕事納めにしていいだろう。
本当なら現地に行って売り子なり手伝いなりするべきなんだろうが、あの人混みには行きたくないというワガママで許してもらっている。
都会はすごい、よくあの密集具合で人間が生活できるよな。
歩道がほぼ独り占めできるような地方住みには考えられない世界だ。
実家を飛び出す前はなんとも思っていなかったが、今はもうあの世界で生きていくのは無理だ。
ゲーミングチェアを回転させると、春が目の前に立っていた。
あまり生気のない真っ黒の瞳が、伏せ気味にこちらを見つめている。
口は何かを言いかけて我慢したのか、強く噛みしめている。
おねだりを我慢する子供のようだ。
額に手を当て、大きくため息をつく。
最近になって気がついたんだが、自分はどうやら甘い人間らしい。
強く拒絶できない、自分の意志の弱さに呆れる毎日だ。
「買い物、行くかぁ」
「……ここで待ってていい?」
「ガキ、お前も来るんだよ」
「いいの?」
「行きたいんだろ? そんな面してずっと見られても困るしな」
「......やっぱり、芥お兄さんは物知りだよ。私のこと、どうして分かるの?」
「お前が顔に出すぎなだけだ」
「そうなのかな?」
自分の顔に手をあてて表情を確認する、マヌケな動作に少し笑みがこぼれる。
表情を作るって経験がないんだろうな、目と雰囲気でなんとなく感情が読み取れる。
大きく伸びをして立ち上がる。
最近は寝正月ばっかりだったし、たまにはしっかりと行事に取り組むのもいいかもしれない。
「ほら、行くぞ」
「うん、芥お兄さん」
春と二人でアパートを出る。
自炊は普段しないから、そば以外の諸々も買わなきゃいけないなぁ。
頭の中で、何があって何がないかチェックする。
……春用の箸とか買うかぁ。
どうせうちに来るし、あっても使わないということはないだろう。
いい機会だし、料理とか覚えさせようかな。
ガリガリすぎてちょっと怖いし、他にやることがあれば俺に対する質問攻めも減るだろうし、悪くはない。
考え事をしていると、横を歩いてた春が俺の顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、芥お兄さん」
「なんだ」
「楽しいね」
「......まだなにもしてないが?」
「それでも、楽しいね」
ほほ笑む春の目は珍しく、らんらんと輝いている。
どうやら本当に、ただ歩いてるだけの今が楽しいようだ。
「これからなにするの?」
「スーパーで買い物して帰るだけだ」
「そっか、楽しみだな」
「別に、面白くもなんともないだろ」
「そうかな? 芥お兄さんはつまらない?」
「……つまらなくは、ないんじゃないか」
「そっか、良かった」
「楽しいとは言ってない」
「つまらなくないなら、楽しいんじゃないの?」
……なんとなく、言い負けた気がする。
楽しそうにしている相手に『つまらないよ』と言えるほど、無粋な人間ではない。
ただ、春に気持ちを見透かされているような気がして少し不服だ。
言い返そうと思ったが、これで口数を重ねるのもなんだか違う気がして、何も言わずに足を速めた。
「わ、速いよ、芥お兄さん」
「お前の歩く速度に合わせてたら、日付変わっちまうよ」
……これはこれで、子どもっぽいな。
日の暮れた寒空の下、少しだけ童心に帰った自分がいた。
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