二転三転
カリカリとシャーペンと紙が擦れる音がする。
音のする方を見ればまだ昼過ぎだというのに、制服姿の春がいた。
ついにサボりでも覚えたかと思ったが、どうやら期末テストの期間らしい。
そういえば午前中で終わっていたなと、自分の学生生活を思い出しながら、再び手元の少年誌に目を落とす。
見慣れた絵柄が表紙を飾っている。
藤川さんのスタートダッシュは成功したようだ。
喜ばしいことだ。
作家名であるビリジオンの横に、知らない原作者名がついていることは気に入らないが。
最近まで気になっていなかったが、やはり直に目で見ると感じるものは違う。
人気の出た同人作家が商業誌に行くことは珍しくない。
そのことに不満はない。
むしろ、夢があると思う。
自分の活動が認められて、後援がつくことはすごいことだ。
ただ、嫉妬というか、悲しいというか、よく分からない感情が心の片隅にある。
(なんで俺には声をかけないんだ?)
藤川さんと一緒にサークルで活動していたのに、どうして自分には何も声掛けがない?
プロには絵だけ評価されて、ストーリーはゴミだと思われたのだろうか。
それは、素直に心にくるものがある。
ベッドに持っていた少年誌を投げ捨てると、集中していた春はビックリしたようだ。
シャーペンの芯がポキリと折れて、どこかへ飛んで行った。
「あ、めいさんの絵だ」
「アンケート上位だってよ。売れっ子様は違うわ」
「芥お兄さんの、書いたお話で描いてるの?」
「......違う」
子どもは聞かれたくないことを平気で突いてくるよな。
はは、俺はお呼びじゃないのさ。
少年誌に目を通している春を横目にベッドに寝転がる。
スマートフォンをいじってサークルのSNSを適当に更新してから、春宛に届いていた荷物があることを思い出した。
住所は自分宛だったから段ボールは開封してしまったが、中身は自分に宛てたものではない。
中に入っていたものを春に渡す。
それは、一枚の画用紙に描かれた絵だった。
額縁の中には、幸薄い少女がほほ笑んでいる。
色鉛筆で書かれたであろうそれは、数多の色が重なり合って柔らかい雰囲気を感じさせる。
「クッキーの礼だとさ」
「わぁ、キレイな女の子だね」
「......それ、お前の似顔絵だぞ」
「え? 私、こんなにキレイじゃないよ」
「藤川さんにはそう見えてるんだろ」
絵の春と、リアルの春はそんなに大差はない。
写真を送ってくれと頼まれていたから、それを見ながら描いたのだろう。
リアルが無表情な分、絵の方がキレイだと思わなくもないが、誤差の範囲だろう。
絵をずっと見つめていると、春は急にこちらに向かって問いかけてきた。
「芥お兄さんも、私はこんな風に、キレイに見える?」
めんどくさい質問が飛んできた。
これは、どう答えるのが正解なんだろうか。
年下の中学生に面と向かって、キレイと言うのは気色悪いような気がする。
しかし、下手に貶したら春は悲しむだろう。
照れ隠しの暴言なんて分からないだろうから、言葉通りに受け取ってへこみそうだ。
「まぁ、可愛いんじゃないか」
悩んだ末に出た言葉は、結局無難なものにしかならなかった。
少なくとも、2か月前と比べたら可愛くなっただろう。
最近は朝早くからうちに来て朝食を食べるようになったおかげか、肉も付いてきたし血色も良くなった。
ボサボサだった髪はまとまって、櫛も絡まることなくさらさらと通るようになった。
表情筋は動きが乏しいが、元々顔の造形は悪くない。
美少女と言っても、差し支えはないんじゃないか。
「その、芥お兄さん、ジロジロ見られると、恥ずかしいな」
「あぁ、すまん」
イラストと見比べているうちに、春をずっと見つめていたようだ。
顔を赤くして俯いている。
見られるの、恥ずかしがるような奴だったっけ?
そういえば最近、春は何かをじっと見つめることも減った気がする。
出会った頃は、人や物問わず何でもかんでも見つめるような奴だったが、成長しているようだ。
不躾な視線は失礼だと、何でもかんでも見るのは良くないと、教育してきた結果が出ているようだ。
いいことだ。
もしかしたら中学を卒業する頃には、少し世間知らずな女の子くらいにはなれるかもしれない。
友人もいるし、この少女の未来はそう暗くないようだ。
そう思って、ふと自分のことが気になった。
自分は、何か変わっただろうか。
仕事仲間は順調にステップアップしている。
目の前の少女は、恵まれない環境でも日々成長している。
俺は?
何か一つでも、前に進めているのか?
他力本願の生活に、価値はあるのか?
思考がネガティブに染まり始める。
行動が伴わない思考に意味は無い。
単純に可哀そうな自分という気分に浸りたいだけだ。
そんなことに時間を使うなら、何か努力すればいいのに。
嫉妬心だけは一人前にあるのが、さらに自分を情けなく感じさせる。
「えへへ、芥お兄さんのおかげだね」
暗い思考を切り裂くように、春の笑い声が聞こえた。
絵を大事そうに抱えたまま、自分の横に座った。
安物のベッドのスプリングが、ぎしりと軋む。
肩が触れるような位置で、春が見つめてくる。
「こんなキレイに、可愛くなれたの、芥お兄さんのおかげだね」
「特に何かした覚えはないが?」
「そうかな? だって、前の私、鏡で見た時幽霊みたいだったよ」
青白い肌、荒れた長い髪、生気のない瞳。
確かに、少し前までは幽霊のような見た目をしていた。
その面影は、段々と薄れている。
「私だけだったら、こんなにキレイになれなかったよ」
「......そうかい」
「そうだよ。だから、芥お兄さんのおかげなんだ」
横で、絵と変わらない笑みを浮かべている春を見て肩をすくめる。
俺は、バカだ。
変わっていないはずがない。
前に進んでいないわけがない。
でなければ、今も独りでいただろう。
雪の降ったあの日から、ずっと隣にいる少女の方を見る。
望んだ始まり方でなくても、歪な関係でも、肯定したのは自分だ。
春を肯定したのは、自分なのだ。
フッと息がこぼれる。
「最近、芥お兄さん、よく笑うね」
「気のせいだろ」
「前は、怒ってばっかだったよ」
「お前が変な事ばっかするからだろ」
ごろんとベッドに寝転ぶ。
窓から差し込んだ光を反射して、春の髪がキラキラと輝いている。
厳しい冬が終わり、春になるようだ。
日差しがだいぶ、強くなってきた。
まぶたを閉じる。
午後の陽気は、ひと眠りするのにちょうどいい。
「俺はひと眠りするから」
「うん、おやすみ」
そうしてすぐに、シャーペンと紙が擦れる音がし始めた。
いつからだろう。
春が立てる生活音が、そこまで苦ではないと思うようになったのは。
明確な答えは得られないまま、意識を手放した。
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