散髪
「伸びたなぁ」
何とはなしに呟いて、前髪をいじる。
ケアも何もしていないボサボサの前髪は、指でネジって伸ばせばまぶたの前まで届くぐらいの長さになっている。
別にこだわりの髪型はない。
ただ、視界に自分の髪が覗く長さになってくるとうっとうしさが勝るので、髪型はいつも決まった長さになっている。
髪、切るかぁ。
そう思って押し入れにしまっていた散髪道具を引っ張り出す。
美容室には、中学を卒業してからは行っていない。
一人暮らしを始めてからは、ずっと自分で髪を切っている。
バリカンでもみあげやうなじを刈り上げて、すきバサミで毛量を減らす。
ヘアカッターという櫛とカミソリが一体化したものあって、ハサミよりも簡単なのでそれも愛用している。
ツーブロックもどきの髪型にするのには、ずいぶんと慣れたものだ。
人からの目を気にするならば、しっかりと美容室に通うべきなのだろうが、あいにくと誰かに見られるような生き方をしてはいない。
持論だが、髪や服などのファッションは、本人が属するステージに合わせればいいと思っている。
社会人ならば会社にふさわしいファッションをするべきだし、モテたいと思うならばオシャレなファッションをすればいい。
逆に言ってしまえば、どこにも属していないような自分は見た目を気にする必要はない。
清潔感だけは意識しているが、それもファッションというよりも常識の範疇でしかない。
最悪、丸刈りでもいい。
坊主が似合う顔ではないことぐらいしか、剃り上げることには抵抗はない。
……いや、今はマズいか。
「なにしてるの?」
「髪切るんだよ」
押し入れから振り返ると、座布団に女の子座りをした春がこちらを見つめていた。
学校の宿題でもしているのだろうか、手元のノートにはびっしりと漢字が書かれていた。
制服姿の春の横に立つ、丸坊主の自分を想像する。
今の髪型なら、誰かに質問されても兄妹と言い張れば誤魔化せそうな雰囲気はあるが、坊主姿では難しいだろう。
そこはかとない犯罪臭がする。
どこにも属していないと思っていたが、一応春の保護者のポジションになるのだ。
不審な見た目は避けるべきだろう。
……服とか髪とか、もっとちゃんとしたほうがいいのか?
春に散々口出ししておいて、自分は無頓着というのは許されないような気がしてくる。
でもなぁ、見た目を気にしだすとキリがないしなぁ。
ファッションなんて自己満足の世界だし、あまりにも奇抜じゃなければ何でも良くないか?
思考に没頭して完全にフリーズした自分を、春は不思議そうな目で見てくる。
そういえば、春は髪をどうしてるんだろうか。
「お前、髪とかどこで切ってんの?」
「自分で切ってるよ。長いと変なんでしょ?」
「べつに変ではないんじゃないか」
「でも、小学校の時先生に言われたよ。『あなたの髪の長さはおかしい』って」
「......どんぐらい長かったんだ?」
「前髪がこれぐらいで、後ろがお尻ぐらいかな」
「すまん、変だ」
口元に手を当てた春を見て、意見をすぐに翻す。
さすがに顔のほとんどが髪で隠れるのは変だ。
というよりも、怖い。
ただでさえ日本人形のような見た目なのに、それで髪も長いとなったら本当に幽霊のようだ。
今は前髪が目の上ぐらいの長さだから、出会う前に切っていたのかもしれない。
春はなにか思い立ったような顔をして、ふらりと立ち上がった。
イヤな予感がする。
「そうだ、芥お兄さんが髪を切ってよ」
「俺が?」
「今切るんでしょ? 一緒に切ってほしいな」
あぁ、やっぱりろくでもない提案だ。
俺の目の前に立って、なんてことはないといった顔をする春に頭を抱えたくなる。
多分、髪を切るという行為に技術がいらないと思っているのだろう。
俺が自分で髪を切ると言ってしまったし、それが普通だと勘違いしてるかもしれない。
「イヤだよ」
「なんで?」
「俺に人様の髪の毛を切れるだけの技術はないから」
「ハサミで切るだけだよ?」
「ハサミで切るだけだから技術が必要なんだろうが。美容師がどれだけ努力していると思ってんだ」
春は首をかしげて不思議そうにしている。
国家資格をなんだと思っているのだろうか。
自分を見上げる春の髪を見る。
細い髪からは甘い杏の匂いが漂っている。
買ってやったシャンプーとコンディショナーをしっかりと使っているようだ。
枝毛は所々に見られるが、出会った時と比べたらだいぶキレイになったような気がする。
それが余計に髪を切ろうという気を削いでくる。
ひどくボロボロだったなら好き放題にしたかもしれない。
ただ、今はもう髪をぞんざいに扱ってほしくないと思ってしまう自分がいる。
……美容室、連れてくかぁ。
一度ちゃんと手入れをしてもらった方がいいだろう。
予約することや美容師と春の会話を想像すると、ストレスでギリギリと頭が痛み出す。
美容師というのはやたら話したがるものだから、春の世間知らずや会話のズレがどう思われるか不安で仕方がない。
金だけ渡して俺は家にいようか。
それか、予約もいらない会話も少ない千円カットに行かせるか。
どうしたものかと悩んでいると、そんな俺の心を知らずに春は催促をしてくる。
「芥お兄さんに切ってほしいな」
「気軽に言うなガキが。それができるなら俺は美容師で食っていくわ」
「じゃあ、どうするの?」
「店に行くしかない」
「でも、お金かかるんだよね? 芥お兄さんに切ってほしいなぁ」
「金で済む方が気楽な気分なんだが」
そこまで話して、ふと持っている散髪道具に目がいく。
一度、春には髪を切る行為の難しさをしっかりと覚えてもらうか。
やりたくはない。
やりたくはないが、教育代と考えたらまあ割り切れなくはない。
どうせ春にしか見られないし、変になってもいいだろう。
「俺の髪、切らせてやるから、ちゃんと難しいって感じろ」
「え?」
「スマホで写真を見て、それそっくりになるように俺の髪を切れ」
散髪道具を押しつけると、戸惑ったように道具と俺のほうを交互に見ている。
春にハサミを持たせるのは正直怖い。
刃物の怖さも、ついでに教えよう。
……全く知らない第三者が凶器を持っていてもなにも思わない散髪って、とても高度な文化な気がしてくるな。
こんなことで、そんなことを感じたくはなかったが。
今年に入って、いやここ数年で一番緊張しているかもしれない。
「私が、芥お兄さんの髪を切るの?」
「だってお前、それぐらいしなきゃ素人にはできないって実感しないだろ」
髪が服につかないようケープを首に巻いて、風呂場に向かう。
排水溝に髪がつまらないようにネットをつけて、準備は完了だ。
覚悟はできてないけど、まぁなるようになる。
最悪、丸坊主になるだけだ。
流石にバリカンを渡す勇気はなかったので、すきバサミだけ渡す。
「ほら、切っていいぞ」
「......芥お兄さんに触っていいの?」
「今だけな」
許可を出すと、恐る恐る春の手が俺の髪に触れる。
細い指が俺の髪を撫でるのを感じる。
いかん、すごい怖くなってきた。
青ざめる自分とは対照的に、鏡に映る春は嬉しそうにずっと髪を触っている。
そういえば、春から触ってくるのは布団に跨ってきた日からなかったかもしれない。
触るなと言ってからは、律義にその言いつけを守っていた。
なにがそんなに嬉しいのかは分からないが、その表情を見たらとやかくいう気は失せてきた。
撫でられる感覚も、悪くないような気分になる。
だから、ジョキンという音がするまで、春の感覚のズレを忘れていた。
「......おい、なにしてんだ」
「切っていいって、言ったから」
「徐々に切れよ! なんでいきなり半分近く切るんだ!」
「私は、いつもこうだよ?」
キョトンとした春の顔を見て、表情が歪む。
切っていいと言ったが、もう少しちゃんと教えてからにするべきだった。
判断を間違えたなぁ。
ジョキンと、また耳元で髪を切る音がした。
「髪切るのって、難しいね」
「学べたようでなによりだ……」
どんどんと髪が短くなっていく鏡の自分は、引きつった顔で笑っていた。
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