つまるところすごい恥ずかしい
影耶の全身が黒紫の雷に包まれ、世界を暗く染め上げるかのような魔力の波動が吹き荒れる。
吹き飛ばされそうになったエイシアの小柄な身体をとっさに支えた。
「なんて、魔力だ……」
アングさんが震える声で呟きを漏らす。
「馬鹿な……!」
魔王さえも、驚きに声を震わせているようだった。
そして、広がった魔力の全てが影耶の元へと一瞬で収束する。
黒い波動に覆われた視界が元に戻り――彼女の姿が一変していた。
全身に黒雷が帯電し、いつもの装備が失われている。さらに、彼女自身にも大きな変化があった。
最初に目を引いたのは、胸部と腰、それから手足の先を覆う獣のような黒い毛皮だ。
いや……毛皮だけではない。頭部には獣の耳が生え、腰を覆う毛皮からは細い尻尾が飛び出している。加えて、目には龍のように細くなった瞳孔を持つ、金色に染まった瞳が爛々と輝いていた。
その立ち姿は彼女の凛とした雰囲気と相まって、孤高に佇む気高い狼のようだった。
「う、ぐ……」
影耶が顔を抑え、歯を食いしばる。
口の間から見えた犬歯もまた、人間ではありえないほどに鋭く伸びていた。
彼女が苦しげな声を漏らすと同時に、帯電する黒雷が強まっていく。
「……確かに凄まじい力だが、強い反動があるようだな。しかも、制御が追いついていないように見える。まあ、余に匹敵する魔力だ。それも当然だろう」
「影耶っ……!」
「見るな、光弥……!」
駆け寄りそうになった僕に、手のひらを向けて押し止める影耶。
プルプルと震える彼女に、魔王が指を向け、光弾を作り出す。
「貴様は危険だ……全力で叩き潰すとしよう。死ね、小娘」
※
「(あああああ! 無理、無理だこれ! 恥ずかしい!)」
俺は赤くなる顔を抑え、羞恥に身体を震わせる。
これだ、これだからビーストモードは使いたくなかったのだ。
ビーストモード――《我が具足は獣魔となりて》。
名前からも分かる通り、これはシエディアの《我が従魔は具足となりて》と正反対。
「魔獣を使って自分の武器へと変化させる」のではなく、「武器を使って自身を魔獣へと変化させる」。それがビーストモードだ。
貴重な魔物の素材がふんだんに使われた暗黒姫騎士女子高生コスチュームセットを融合させることによって、俺は通常時の数倍近い身体能力を獲得し、休むことなく常時全身から攻性魔力の放出が行われるようになる。
その上、戦いの技量を得るドゥリンダナや、闇魔法を使えるようにするアゾットを自身と合成することで、俺の戦闘技能は今までと比べ物にならないほど上昇し、自由自在に強力な闇魔法を連射することができる。
そんな強力なビーストモードだが、欠点が二つ。
まず、それまでに装備していたアイテムが使えなくなること。
そして――常に身体から黒雷が放たれるため、服が着れないこと。
唯一、俺の魔力に耐えうるブラックミスリルの金属糸で作られた毛皮だけは、黒雷の中でも壊れることはない。だが、ブラックミスリルは俺でも簡単には用意できないほど貴重な鉱石だ。
最低限、胸と股間、加えて戦闘のために手足の先だけは覆われているが、こんなのシエディアのビキニアーマーに匹敵する露出である。
なんとか今日までに改良して布面積をあげようとしたが、結局上手くいかなかった。
「う、ぐ……」
ダメだ、もう恥ずかしすぎて動けない。
ビーストモードは感覚の鋭さも上昇させる。光弥とアング、いや、魔王とエイシアさえも食い入るように俺を見ているのがはっきりとわかる。わかってしまう。
ああ、シエディアの反対を押し切ってでも、猫耳と尻尾に使った分のブラックミスリルを毛皮に使えばよかった。顔が熱くなり、力のセーブが緩む。
魔王が何かトンチンカンなことを言っているが、気にしている余裕もない。
こちらにやってこようとする光弥を必死に手で押し留めつつ、何とか魔王の方を見る。
「死ね、小娘」
特大の光弾が放たれた。
混乱の極みにある俺はろくに避けることもできず、光弾の直撃を受けてしまう。
身体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。周囲に爆煙が立ち込める。
「いつつ……」
通常時であればあっさりと死んでいるような攻撃だったが、今の俺なら少し痛い程度だ。傷もない。
「けど、このままじゃ……」
戦うことさえままならない。
ぐっ、と毛皮に包まれた手を握りしめた俺は、その中に一本の小瓶があることに気づく。
「!」
そうだ、シエディアから貰った魔法薬があった。服やアイテムは黒雷で壊れてしまうが、手に守られた小瓶は無事だ。
だが、先程の攻撃で瓶にヒビが入っている。一刻も早く飲まなければ、中身がこぼれてしまうだろう。
どんな効果があるか確かめたかったが、もうそんな余裕はない。
「んぐっ……ぷはっ」
黒雷で壊れないように注意しながら、魔法薬を一気に飲み干した。
……ん? なんかどっか飲んだ覚えのある味だな。例えるなら、度数がキツい酒のような――
※
影耶に光弾が直撃し、爆煙が舞った。
「……どうした? この程度では死なぬだろう、シエディアの娘。早く立つが良い」
「ん、ぅ……」
虚ろな目をした影耶が、ふらふらと立ち上がる。
酔ったような千鳥足で、魔王の方へと近づいていった。
「ん……うぅ……!」
「ふん、この程度で意識が朦朧とするか。やはり、大したことは――」
「……るさい」
「何?」
「うるさあああぁい! 何が魔王だ! もうどっかいけよばかぁ!」
瞬間、影耶が怒声と共に爆発した。いや、そう見紛うほどの魔力が放出された。
僕の動体視力でも捉えきれないようなスピードで影耶が突進し、魔力を込めた拳を魔王の顔へ叩きつける。
「が、は……!?」
今まで一度も痛痒を感じさせなかった魔王がうめき声を上げ、吹き飛んだ。
「……馬鹿な! 空間魔法でも無効化能力でもなく、単純な魔力出力で、余の障壁を突破するだと……!?」
「よく考えれば、元はといえば全部お前のせいじゃんか! 光弥が召喚されたのも、聖剣がどうのも、障壁塔がどうのこうのも!」
もはや見ることさえできないほどの超スピードで影耶が吹き飛ぶ魔王へと追いすがり、追撃を加えた。魔王が地面に叩きつけられ、床全体にヒビが入る。
「ごふっ……!」
「ん、あ……。このままだと壊れちゃうな……。《大規模改造》」
影耶が何かを囁いた瞬間、バチバチと周囲全体から紫電が舞い、部屋が黒い鋼のような材質へと変わる。
まるで、イーヤの障壁塔のような見た目だが……何か関係があるのだろうか。
「……なんかわすれてる気がするけど、まあいっか」
「なんだ、その魔法は……! もしや、改変魔法か? いや……」
「うっさい、黙れ!」
立ち上がりかけた魔王を影耶が殴りつける。そのまま影耶は魔王へと荒々しく拳で連撃を加えていく。
衝撃で床が地震のように揺れ、立つこともままならない。
「コウヤ、アング、私の近くに! ……《蟹座の甲羅》!」
エイシアが防御結界を張る。
「ありがとう、エイシア」
「あまり強固な結界ではありませんが、余波ぐらいは防ぎきれるはずです。……しかし、凄まじいですね。アング、あの力は……」
「いえ、俺も知りません。……というより、一人の冒険者が魔王を圧倒するほどの力を持つなんて、誰も思うわけがないでしょう」
「ですね……」
なすがままに殴られていた魔王だったが、一瞬の隙をついて魔法を構成し、影耶へと放つ。
「舐めるな……! 《王威の転送》!」
「ん? あれ……?」
影耶が部屋の端へと転移させられた。急に魔王を見失った影耶は、きょろきょろと辺りを見渡している。
魔王が立ち上がり、影耶を見据える。身体を鎧のように覆う鱗こそボロボロに傷ついているものの、姿勢が崩れるほどのダメージはない。
「おのれ……障壁が三層目まで破壊されたか。五層目にもヒビが入っている……。これは、一日では修復できんな……」
「あ、そこか……」
「まさか、こんなところで余が本気を出さねばならんとは……。《装邪の召喚・界魔剣スート》」
魔王の手に巨大な魔剣が現れる。禍々しい紋様が刀身に刻まれた、邪悪な大剣だ。
それを見た影耶は、何かを思い出したような顔をして、ぴこんと獣耳を震わせる。
「えっと……なんて詠唱にしたんだっけ……。ああそうだ、《魔雷の絶刀》」
影耶の手から黒雷が放たれ、それが刀のような形をとる。凄まじい量の魔力を放出し続けているにも関わらず、彼女は涼しい顔だ。いや、何故か顔は赤いが。
両者が突進し、剣をぶつけ合う。
魔王の技量、剣速、腕力も相当なものだが、影耶は今までをはるかに超える冴え渡った剣技でそれを捌き、魔王を切り裂いていく。
否、剣技だけではない。今の彼女には、躊躇というものがまるでない。まさに獣のような、本能に従った俊敏な動きで魔王を追い詰めていく。
「が、ぐ……! 何故だ、この余が、こうも一方的に……!」
「《黒夜の龍砲》、《深淵の牙》、《影覇の棘槍》――」
「馬鹿な、馬鹿な……!」
一撃でドラゴンを消滅させそうなほどの魔法を連射しながら、魔王の周囲を飛び交う黒い獣。
影耶に近づくだけで魔王はその身を黒雷に焼かれ、切り裂かれる。離れれば極大の闇魔法を浴び、即座に距離を詰められ追撃を喰らう。
魔王の鱗が裂かれ、削られ、砕け散っていく。もはや数撃入れれば魔王は――
「うぇ」
――そこで、影耶ががくりと崩れ落ち、膝をついた。
姿や装備が元に戻り、黒雷が霧散する。
「影耶……!」
「う、動き回ったら酔った……気持ち、悪い……おえ」
「……! ふ、はは! 魔力切れか!」
魔王が影耶を蹴り転がし、身体を踏みつける。
「あ、う……や、やめ……転がされたら酔う……」
「くはは! よくもここまで余に傷をつけてくれたな、小娘!」
「ダメ、お腹抑えられたら、吐きそ……、い、《一部改造・抽出》……」
勝ち誇る魔王。砕けた鱗の隙間から覗く怒りに満ちた目は、食い入るように影耶だけを睨んでいる。僕らに背を向け、影耶へと手を伸ばす。
「もはや楽には殺さん! シエディアの前につれていき、母娘共々存分にいたぶって――」
僕は、その隙をついた。
狙うは心臓。残りの魔力全てを解放し、聖剣を構えて魔王へと突進する。
勝利を確信し、油断した瞬間を突いた完全な不意打ち。
だが、魔王は寸前でそれに反応した。
「っ、勇者――」
咄嗟に飛び退き、僕の突進を避けようとする魔王。
そこに、エイシアとアングさんの魔法が飛んだ。
「《星結界、天秤座の分銅》!」
「《土の戒め》!」
「なっ――」
「はぁっ!」
鱗と障壁を貫き、魔王の身体に突き刺さる聖剣。
だが――剣は、ほんのわずかに心臓をそれた。
「ぐっ……! ぬかったな、勇者!」
魔王の剣が僕へと振るわれる。ここまで肉薄してしまった僕には、それを避ける術がない。
「しまっ――」
「光弥、ちょっと我慢しろ!」
「え? ぎゃあああああ!?」
「ぐああああああ!?」
瞬間、何故かいきなり僕の身体に電撃が走る。
電気は聖剣を伝い、魔王の身体を内側から焼く。
「か、は……」
いくら魔王といえど、心臓のすぐそばに高圧電流を流されてはひとたまりもなかった。口から煙を出し、聖剣を身体に刺したまま仰向けに倒れていく。
そして、全身が痺れた僕も手の握力を失い、聖剣を離して前へと倒れ――
「あ……」
「……大丈夫か?」
「影耶……」
影耶に抱きとめられ、身体を支えられる。
彼女はチラチラとこちらを見て、怒ったような困ったような、なんとも言えない表情で僕に言った。
「その……助かった、ありがとう」
顔を赤らめ、ふてくされたようにそっぽを向く影耶。
そんな彼女の姿がなんだか可愛くて、僕はまだ痺れが残る手で影耶の頭を撫でた。
「な……!」
「あ……ごめん、嫌だった?」
「うぐ……だ、大丈夫だから、いくらでも撫でろ……ッ!」
「そ、そう……?」
「きょ、今日だけだからな……!」
真っ赤になって歯を食いしばりながらこちらを見上げる影耶の姿に、僕は苦笑いを浮かべるのだった。
「第二章 (カゲヤちゃんを)攻略編」、これにて終了です。
エピローグを挟んで、「第三章 日常編」へと続きます。




