楽園
『9月11日。この前のことを謝ろう。そう思いたった僕は、今日凛花に直接会って話をしようと試みた。でも、ダメだった。凛花はよっぽど怒っているらしい。何度も何度も彼女の近くに歩み寄って話しかけたのだけれど、一度も取り合ってはくれなかった。もう凛花とはこれっきりなのだろうか』
ーーエデン
この世界の管理者イブがいるとされるその巨大な塔を、人々は楽園と呼んだ。
エデン周辺にはこれまた巨大な城下町が敷かれ、この世界中の富がここに集結するという。楽園という名が示す通り、その塔周辺は、娯楽に溢れ、争いもない、まさに人類の理想郷とも言える場所であった。
そして、そんなエデンを理想郷たらしてめているのが、12守護聖騎士、通称「使徒」の存在である。
使徒は12人の管理者直属最強騎士であり、皆5の階位を有している。
そんな彼らによってエデン及びその周辺地区は護られているのだ。
圧倒的な力による完全なる敵の排除。その徹底した排他性によって、エデンは長きにわたって平和を保ってきたのであった。
「使徒ってどんな人達なんだろう」
エルドリエ達が姿を消してから、丸2日が経った。
戦闘の疲労を癒すため、休息をとりながらも、僕達はエデンに向けて歩みを続けた。
そして、2日経った今日、僕達はようやくエデン周辺の城下町まであと一歩というところまで迫っていた。
「どんな人って。そんなの強い人に決まってるじゃない」
「……いや、そうじゃなくってさ」
リンカはそれがどうしたといった様子で、ポカンとした表情を浮かべている。
……ここで折れちゃダメだ。
リンカは僕が嫌いで今みたいに突き放してるんじゃない。リンカはもともとこんな感じで随分とアッサリとした性格なのだ。この旅を通じてようやくわかってきたぞ。
「いやさ、もっとこう厳ついマッチョみたいな感じなのかなーとか、熟練の長老タイプなのかなーとか思ったんだよ。……あっもしかしてリンカ好みの超イケメンだったりして」
ニヤーっと僕はリンカの方を振り向く。
振り向いた先のリンカは、まるでゲスを見るような顔でこちらを見つめていた。
「リ……リンカ?」
「呑気なこと言ってんじゃないわよ。今から私達、元の世界に帰れるか帰れないかの瀬戸際に立たされるんだよ?」
「す、すみません」
ああやってしまった。
リンカに叱られ反省しながら彼女の方を見る。
すると、なにやら小さな声でリンカが呟いた。
「それに私……相手がイケメンかどうかなんて……興味ないし」
「え?なんだって?」
ゴニョゴニョっと語尾を濁したリンカの言葉を、僕は聞き取ることができなかった。
「ううん。なんでもないよ」
一体何だったんだろう。
結局、リンカの発した言葉がなんだったのかは分からなかった。だが、そう言った彼女の表情は、以前よりもなにやら楽しそうだと僕は感じた。
「さあ、エデンまであともう少し!早く行こ!」
そう言いながら、僕の先に立ち、少しの笑顔をこちらに向けるリンカ。
そんなリンカを見て、何故だろう、何やら懐かしい感情ががどっと押し寄せてきた。
「リンカ……君は」
「?どうしたの?」
「いや、僕の思い過しだな」
謎の懐かしさはすぐにふっとどこかに消えてしまった。
だが、代わりにある感情が僕の中を駆け巡る。
ーーああ。元の世界に帰れば、リンカとはもう一生会えないのだろうか。
突如湧いてきた、そんな寂しさを振り払うように、僕はリンカの先へと全速力で駆けて行った。
「ちょっと走らないでよ!疲れるじゃない」
「ふふふ。早く行こって言ったのはリンカだよ。このままだと僕が一番乗りだね」
「ふーん。言うじゃない。君ごときの走りで私に勝とうっての?」
「うっ……仕方ない。ハンデを貰うよ」
「情けないなあ。でも私、そんなに甘くないの」
すぐにスタートの態勢をとるリンカ。
そして、10秒も経たないうちに、ものすごい勢いで僕を追い抜いた。
「まっ待ってよ!」
「こぶりんと先に行って、エデン観光でもして待ってるよ」
抱き抱えられたこぶりんはこちらに得意げな表情を向けている。
「そ、そんなあ」
そう言い残した彼女は、こぶりんを抱えたまま、走りを止めず、そのまますぐに僕の視界から姿を消した。
「しょうがないなあ」
仕方なく、僕は走ることを諦め、その場で立ち尽くした。
周りは一面草原。相変わらず僕の他には誰もいない。
誰も居なくなった草原の上で、僕は一人ニヤニヤと笑みが零れた。
はたから見ればたいそう気持ちが悪いことだろう。 だが、分かっていても溢れでる笑みを止められなかった。
楽しかった。
リンカとこぶりん3人で過ごすこの時間が。
もしこのままこの世界でずっと過ごす事になっても、いいんじゃないか。そう思えるほどに。
そしてこの世界での生活が楽しければ楽しいほど、ある不安が僕の頭の中をよぎる。
それは元の世界での僕はどうだったのかということだ。
元の世界での僕は果たしてこの世界での僕より充実した生活を送っていたのだろうか。
考えても仕方がないことだが、旅が終盤に近づき、元の世界に帰ることのできる可能性が見え始めた辺りから、そんな不安を感じ始めていた。
「きっと、充実した生活を送っていたさ」
そう自分に言い聞かせ、僕はエデンへと再び歩みを進めた。
「ハアハア。結構な坂道だな」
この坂道を越えれば、ようやくエデンに辿り着く。
あまりリンカを待たせるのはマズイな。
リンカと別れてから結構な時間が経った。
着くのが遅いだのとぐちぐちと文句を言われるのはごめんだ。
僕は最後の坂道を、全速力で駆け上った。
峠からならば、エデンの城下町を見下ろせるだろう。
「到着だ!!」
さあ。エデンの城下町との初めての対面だ。
まだ見ぬ、桃源郷とも称されるエデンの町に、期待に胸を躍らせながら町を見下ろす。
……しかし、目に入ってきたのは、想像とかけ離れた町の姿であった。
「なんだよ……これ」
あまりにむごい町の様子を見て僕は言葉を失った。
ここは桃源郷とも言われる、人類の理想の街。
……ではないのか?
数多く並んでいたであろう、民家はことごとく破壊されていた。中には出火している家もある。
店は荒らされ、売り物とみられる果物の残骸が、道端にあちこちに散乱していた。
そして何より……人が死んでいるのだ。あちこちで。目につくあらゆる場所に、人の死骸が転がっている。
これでは桃源郷どころか、地獄だ。
「リンカ!こぶりん!」
僕は急いで町の方へと向かう。
町では、リンカがこぶりんを抱えて呆然と立ち尽くしていた。
「リンカ!なにがあった!?」
「分からない。私が来た時には……もう」
リンカが恐る恐る辺りを見渡す。
「どうなってんだ!」
そう叫ぶ僕の足を、誰かが掴んだ。
「大丈夫ですか!?」
それは傷だらけの身体で地面に這い蹲る、今にも死にそうな兵士だった。
「……」
「待っててください!今、助けを!」
助けを呼ぼうとする僕の足を兵士は再度ぎゅっと掴んだ。
「……助けは呼べない」
掠れた声で、兵士はそう僕に言った。
「何故!?誰でもいい。早くしないとあなた死んでしまいますよ!」
「この町に……人はもう……いない」
「なっ!?」
どういうことだ?これだけ大きな町に人がいない?
「みんな……みんな死んじまった」
兵士は涙を流しながら、僕の足を掴む力を強める。
「みんな?」
「……ああ。……だから俺のことは……いい。それよりも……今から俺が言う言葉を……出来るだけ多くの人に伝えてくれ……」
命の終わりを示すかの如く、兵士の掠れた声はさらに小さくなる。しかし、兵士は最後の力を振り絞って言葉を発した。それは、彼の命を懸けた言葉だった。
「我らが管理者……イブ様は……憎き彼の国アルファリオンによって……攫われた!!」
管理者が攫われた。それが管理社会制度をとるこの世界にどのような影響を及ぼすのか。この時の僕にはまだ想像すら出来なかった。