8話
「あっ。忘れてた」
「なにがですか佐渡さん?」
桜ちゃんのおいしい昼食を食べ終わり、食後の休憩ということで二人そろって居間でテレビを見ていたとき、ふと、あることを思い出した。
ちなみに桜ちゃんの作った昼食はどこにも文句をつけることのない、むしろ僕の作る料理よりおいしい料理だった。
昨日僕が作った料理を食べて、おいしいなんて言ってくれたけど、桜ちゃんの作る料理の方がよっぽどおいしいと思う。
「うん。あのね、夏休みにみんなで海に行こうって話になってるんだけど、彼方ちゃんにまだその誘いをしてなかったんだ。早く言いにいかないと」
「それは大変ですよ佐渡さんっ! 女の子には準備の時間がたくさん必要なんですっ。早く言いに行ってあげましょうっ」
言うが早いか、桜ちゃんが勢いよく立ち上がる。そしてそのまま勢いよく玄関に向かって走り出した。
―――メイド服のままで
「ま、待ってっ。桜ちゃーんっ!!」
そのままの勢いで飛び出しそうだった桜ちゃんをどうにか制止する。このままの格好で出られたら、変な噂とか流れる可能性がある。僕はしばらく我慢すればいいかもしれないが、しばらくここに滞在する桜ちゃんが変な目で見られるのは可哀相だ。
「なんですか佐渡さん? 思いたったら吉日ですよ。早くいかないと。水無月さんの準備が……」
強引に僕の制止を振りほどこうとする桜ちゃん。
「待って……おねがいだから。せめて着替えてからにして。おねがいだから……」
「わかりました。三十秒で支度しますっ」
僕の必死の懇願の末にどうにか着替えてもらえることになった。それに桜ちゃん曰く、女の子には準備が必要とのことだが、まだ参加者集めの段階で、具体的な日付なんて決まっていないので、いくらでもみんなの都合に合わせられる。
女の子には準備が必要というのなら、それにだって合わせられる。
しかし、桜ちゃんの言葉は確かにありがたかった。僕は男なのでこういうときの女の子事情というのがわからないので、準備が必要とか教えてもらえるのは本当にありがたい。
「着替え終わりましたよっ! さあ行きましょうっ!!」
本当に三十秒ほどで着替えを済ませてきた桜ちゃん。しかし、格好が変などということはなく、ファッションなどに詳しくない僕でも、かわいい、オシャレだ。と思ってしまうような服で出てきた。
「う、うん。って引っ張らなくてもちゃんと行くからーーーっ」
桜ちゃん超特急でお向かいの彼方ちゃんの家に着いた。
僕がチャイムを押すまでもなく、桜ちゃんがチャイムを鳴らし、応答があるまで停止。少しして彼方ちゃんのお母さんが応答してくれた。
「どちら様ですか?」
「私ですっ」
桜ちゃん。たぶんそれじゃあ伝わらないよ―――
「えっと……どちら様?」
案の定、彼方ちゃんのお母さんに誰なのか伝わることがなかった。急いで僕が代わりに応答する。
「ぼ、僕です、佐渡です」
「ああー。佐渡君? なにー。とうとう彼方をお嫁にもらってくれる気になった?」
「いやっ。だからそれは彼方さんの意志もありますし」
「それなら大丈夫よー。彼方も佐渡君のこと大好きだから」
「は、はいーーーっ!?」
「おおーっ。お嬢様にライバルがっ。これは楽しくなってきました」
桜ちゃんの反応にツッコミを入れる余裕のない僕。頭が思考をしているはずなのに、思考が止まっている気がする。
「お母さん、どうしたの?」
僕の意識を取り戻してくれたのはこの場で唯一の良心である彼方ちゃんだった。これで助かる。
「あのね、彼方。佐渡さんなんだけど、彼方との結婚オッケーだって。迎えに来てくださったわよ」
「え、えーーーーーっ!? お母さんそれってどういうっ……えっと佐渡さんが私をお嫁さんに? う、ふぁう~」
まずい、唯一の良心である彼方ちゃんまでもが混乱し始めている。ここは回復した僕が話を戻さないと。
「彼方ちゃん。違うんだっ。僕は決してそんな話をしに来たというわけではなく、でも、けして彼方ちゃんが魅力的でないとかじゃなくて、むしろ十分女の子として魅力的で……ってあれーーーっ?」
彼方ちゃんを傷つけない様細心の注意の元、言葉を選んでいたらなんだかとても変なことを口走っている気がする。
どうやら僕も完全には混乱から回復しきれている訳ではないようだ。
「うふふ。からかうのはここまでにしておきましょうか。佐渡君もあがりなさいな」
「は、はい。そうさせていただきます」
「おっじゃましっまーすっ」
僕の何もしていないのに疲れ切った微妙なテンションとは裏腹に桜ちゃんは元気だった。
彼方ちゃんの家にようやく入ることができて、僕らはそのまま全員居間に集まった。
「飲み物持ってくるから少し待っててねー」
「すいません。ありがとうございます」
僕らを案内し終わると同時に彼方ちゃんのお母さんはご丁寧に飲み物を取りに行ってくれた。
僕は今回の要件を話そうと彼方ちゃんの方に向き直る。
「あっ。……」
完全に目を逸らされてしまった。
彼方ちゃんのような素直で心優しい女の子にこんな反応をされると、すごいショックだ。
たしかにさっき彼方ちゃんのお母さんの意地の悪いおふざけのせいで、とてもはずかしいことをしてしまったし、僕も変なことを言ってしまった自覚があるのでしょうがないというのは重々承知しているのだが、やっぱりショックだ。
「……ごめんね彼方ちゃん。今日は帰るよ……」
このままここに居ても彼方ちゃんに辛い思いをするだけだ。今日のところは退散して、彼方ちゃんの心をやすませてあげよう。それに僕も少し疲れたし、心を休めたい。
それよりもやっぱり死んだ方がいいのかなー。なんて思い始めてしまった。本当に疲れているらしい。
「あっ。ま、待ってください。すいません。私大丈夫ですからっ。それで私に話しってなんですか?」
「いや、無理しなくてもいいんだよ。僕が悪かったし……」
本当に僕が悪かった。僕の方が年上なのに年下の彼方ちゃんを辱めた上、迷惑をかけるなんて、それもこんなに純粋で可愛い女の子に、本当に救えないよ、僕。
「そんなっ。私も悪かったですしっ。元はと言えばお母さんがあんなことを言い出さなければ……」
やっぱり彼方ちゃんは優しい子だ。
こんな罪を犯した僕に対しても優しくしてくれるし、自分も悪いだなんて、そんなことないのに言ってくれる。
「あはは。あんないいお母さんにそんなこと言っちゃだめだよ。それにもし、本当に嫌なんだったら僕死ぬし……」
でも、本当に悪いのは彼方ちゃんのお母さんのちょっとした冗談を真に受けた僕だし、最近僕ってなんかいろいろ罪があるような気がするし、死ぬのも仕方ないかなー。なんて思い始めていると、彼方ちゃんが俯いた。少し震えているようにも見える。
「えっと……彼方ちゃん?」
「やっちゃいましたねー。佐渡さん」
僕がどうしたものか、本当に死ぬしかないのかと、おどおどしていると、隣で桜ちゃんが楽しそうに呟いた。
どうしてそんなに楽しそうなの桜ちゃん。
「……佐渡さん」
「なにかな?」
「……そこに正座してください」
「は、はい?」
「そこに正座してください」
「はい」
何故か正座させられてしまった。彼方ちゃんも僕の前で正座している。彼方ちゃんの表情を盗み見ると、どことなく怒っているように見える。なんで怒っているのか僕にはまるで見当がつかない。助けを求めるように桜ちゃんの方を見ると、笑顔だけが返ってきた。
あっ。これ僕見捨てられた。
「佐渡さん。私がなんで怒ってるかわかりますか?」
まずい。今僕が一番わからない質問が来てしまった。
「えっと。僕がさっき変なこと言っちゃったから……?」
絶対に違うとは思うけれど、とりあえずそれっぽい回答を口にする。しかし、それはやっぱり間違っていたようで―――
「違います」
「えっとじゃあ、連絡もなしにいきなり来たから?」
「違います」
「それじゃあ、すぐに正座しなかったから?」
こうして質問は続いた。
彼方ちゃんは笑っているけど、笑っているようには見えない。
この表情と感覚をどこかで味わった気がする。そうして自分の記憶を探っていると、とある終着点に行きついた。
彼方ちゃんがこっちに越してきたときのパーティーでの彼方ちゃんのお父さんとお母さんだ。
もちろん、お母さん役が彼方ちゃん、お父さん役が僕だ。
彼方ちゃん。君はお母さん似で、あの人の子供だよ。
「すいませんわかりません」
結局答えを見つけ出すことができず、ギブアップすることにした。
「そうですか……佐渡さん私と一緒に暮らしていた時、佐渡さんは私に何て言ってくれましたか?」
「えっ?」
彼方ちゃんと一緒に生活していた時、僕が彼方ちゃんに何を言ったか。僕はいろいろなことを言ったと思う。
彼方ちゃんを笑わせようとしたり、彼方ちゃんを慰めようとしたり、その場の勢いで何か言ったり、とにかくいろいろ言ったと思う。彼方ちゃんの言う僕が彼方ちゃんに言った言葉とは一体どれのことなんだろう。
「佐渡さん、私にこう言ってくれましたよね。僕達は家族だ。同じ家に住む協力者。って。それにこっちに越してきたときも、もう同じ家に住んでるわけじゃないけど僕たちは家族だ。って、言ってくれました。そして私はその言葉をこうも受け取りました。家族なんだから失敗をしたらそれは家族の人も同じだ。って、佐渡さんは違いますか?」
彼方ちゃんに言われて思い出した。僕は確かに彼方ちゃんと生活し始めてすぐに、言った記憶がある。彼方ちゃんがこっちに越してきてからも言った記憶がある。
でも、僕は最初にその言葉を言ったとき、どういった気持ちでその言葉を言ったのだろう。きっと、どうにか彼方ちゃんを悲しませまいとか考えてその場の勢いで言ったんだと思う。
彼方ちゃんがこっちに越してきたときはきっと、彼方ちゃんがこっちに越してきてくれた喜びと、心の底からそう思ったから言ったのだろう。きっとその時の僕は、今、彼方ちゃんが言ったような深い意味を込めてその言葉を言ったわけではないと思う。
でも―――
今の僕は、あの言葉にそんなことが詰まっていたらいいと思った。
「ごめん。彼方ちゃん。たぶんあの時の僕はそこまで深くは考えてなかったよ。でも、今はそう思う。心からそう思うよ」
「……そうですか。それならよかったです」
彼方ちゃんに少し申し訳ないことをしてしまったと思ったが、彼方ちゃんは許してくれたようだ。
「でも、私が一番怒ってるのはそこではありません」
「えっ?」
「佐渡さん。私たちが生活してる中で私がお願いしたことがありましたよね?」
もう一度記憶を探る。僕の思い出せる限りの彼方ちゃんとの生活を思い出す。
最初に路地裏で彼方ちゃんと出会って、喫茶店に行って、一緒に暮らすようになって、と順序良く彼方ちゃんとの日々を思い出していく、楽しい思い出、笑える思い出、悲しい思い出、辛い思い出、もうずいぶんと時間が経っているというのについ昨日の出来事のようにいろいろなことが鮮明に思い出される。
ただ、その思い出の中に忘れたかった、彼方ちゃんの半裸を見てしまったという思い出も含まれていて少し気落ちもした。
やっぱり僕ってかなりひどいことをしている気がする。
そんなことを考えながら少しの間記憶を漁ってみたが、彼方ちゃんの求める答えの言葉が一向に見つからない。
まず、なんで怒られてるのかわからない時点で、問題ではあるのだけれど、その問題がわからないため答えもわからない。
まずい、本当にどうしよう。
「……思い出しましたか?」
それからまた少しの時間が経った後、とうとう彼方ちゃんが口を開いた。しかし、僕は全くと言っていいほど答えを見つけ出せていないどころか、怒られている理由がわからない。
「ごめんね。彼方ちゃん。いろいろと思い出せたけど、今求められている答えはわからないよ」
結局素直に謝ることにした。
「佐渡さん。水無月さんがなんで怒ってるのかホントにわからないんですかー?」
今まで椅子に座っているだけで無言を貫いていた桜ちゃんが口を開いた。
「……うん。いろいろ考えたけどさっぱりで……」
「はあー。私はわかりますよ水無月さんの怒ってる理由。私も水無月さんが怒ってくれてなかったら水無月家の人には悪いですが私がお説教してましたよー」
「えっ? 桜ちゃんわかるの?」
「はい。絶対に合ってる自信もありますよー」
自信満々の桜ちゃん。
さっきまであんなに落ち込んでいたのに、今ではこんなに元気にいつもの桜ちゃんでいてくれている。こんな状況だけど僕はそれが嬉しかった。
あと、できれば、その答えを教えてほしいです。
「佐渡さーん、同じ内容で何度おこられるつもりですかー?」
ん? 同じ内容?
同じ内容で怒られるということは僕は既に今怒られている内容と同じことをして怒られたことがあるってことか。それも桜ちゃんが見ているところで。
「はあー。いつもはあんなに頼もしいのに女心とか変な所には疎いんですね佐渡さん。でも、私はそういう佐渡さんも好きですよー」
「あ、ありがとう」
最後の言葉が嬉しいけど照れくさくて顔を背けた。
「あはは。怒られてるのにお礼だなんて佐渡さんすごいですね。ふうー。水無月さん。もうそろそろ答えを教えてあげてもいいんじゃないですか?」
「そうですね。そうします」
「お願いします」
桜ちゃんの助け舟と彼方ちゃんの優しさによってようやく僕がなぜ今怒られているのかが聞けるようになった。
「佐渡さん。さっき帰ろうとしたときになんて言ったか覚えてますか?」
「えーっと。ごめんね彼方ちゃん。今日はもう帰るよ」
「もう少し後です」
「お母さんにそんなこと言っちゃだめだよ?」
「そのすぐ後です」
「えーっと。僕なんて言ったっけ?」
ダメだ。ここまでは思い出せるのだが、この後に自分で何を言ったのか全然思い出せない。正直何も言った記憶がない。
それぐらい僕にとって彼方ちゃんを落ち込ませたショックが大きかった。
「佐渡さん。佐渡さんはその後こう言ったんですよー」
桜ちゃんも僕の目の前、それも彼方ちゃんの隣に正座してお説教に加わった。
「それにもし、本当に嫌なんだったら、僕死ぬし。って」
桜ちゃんが答えを言ってくれた。
そしてその答えを聞いた瞬間、さすがに僕でもなんで怒られてるのかわかった。
彼方ちゃんたちは―――
「前に絶対に死ぬなんて言わないでくださいって言ったじゃないですかっ」
死ぬなんて言ったことに対して怒っているんだということに―――
「いいですか佐渡さん。私、あの時佐渡さんに家に来なよ。って言ってもらえて本当にうれしかったです。その時死ぬなんて言ってくれたのも、驚きはしましたけど、それぐらい私のこと心配してくれてるんだって思いました。でも、絶対に死ぬなんて言わないでくださいっ」
「そうですよ佐渡さん。さっき私も怒ったじゃないですかー。反省してなかったんですか?」
「彼方ちゃん、桜ちゃん……ごめん。僕が悪かったよ。本当にごめん」
僕は頭を床にこすりつける勢いで土下座をした。
「わかってもらえたならいいです。もし本当に佐渡さんが死んだら私もその後を追って死んじゃいますからね。私を殺さないでくださいね。佐渡さん」
彼方ちゃんがいつもの笑顔に戻った。
少しどころか大きく遠回りしたけど、さっきの雰囲気よりは全然いい。
「あはは。それなら僕は一生死ねないよ。彼方ちゃんには少しでも長く生きてもらいたいからね」
「はいっ!! 頑張ってくださいねっ」
「じゃあ私も水無月さんと一緒に佐渡さんの後を追いますからねっ」
「ますます死ねなっちゃったね。桜ちゃんもごめんね」
「わかればいいんですよわかれば。でも、罰は受けてもらいますよ」
「ば、罰?」
「はいっ。罰ですっ」
今まで見てきた桜ちゃんの笑顔の中で僕は今日初めて桜ちゃんのある意味一番楽しそうな笑顔を見た気がした。




