31話
「ん、ふぁあー」
朝、目が覚めた。両隣を見ると翔君も広志君もまだ寝ている。昨日あんなに大変なことを成し遂げたんだから仕方がないだろう。二人を起こさない様に隣の居間を覗く。女子たちの寝顔を見るのは、どうしようもないくらいの罪悪感を感じさせるが、安藤さんの様子が気になったということでどうか許してほしい。
「ごめんみんなっ」
小さな声で誰に届くでもない謝罪をしてからゆっくりと居間とキッチンを繋ぐ扉を開く。すぅーっと扉は開き、隣の部屋の様子が垣間見えた。まず、一番手前で寝ているのは桜ちゃんのようだ幸せそうな表情で眠っている。きっととてもいい夢を見ているのだろう。そしてその隣は僕らが昨日救出した安藤さん。昨日から一切起きていないのか今も寝たままだ。少し心配になってしまう。その隣は間宮さん。綺麗な姿勢で規則正しい呼吸をしながら優雅に眠っている。そして最後の奏ちゃん。
「……」
僕はこの光景を妙に思う。
なんで安藤さんの隣に奏ちゃんは寝ていないんだろう。あんなに安藤さんのことを心配していた奏ちゃんが、いや、誰よりも安藤さんを心配していたであろう奏ちゃんが、なんで一番端で安藤さんから距離を取って寝ているのだろう。僕にはそれが不思議で仕方がなかった。しかし、そう思う一方仕方がないという気持ちも確かにある。昨日あんなことがあったのだ仕方がない。久しぶりにあったお父さんとあんな会話しか出来なくて、大切な人を傷つけられて、でもその人も大切な人で、そういった感情が渦のように心の中を渦巻いているのだろう。
本当は奏ちゃんだって甘えたいはずなのだ。お父さんに甘えていたいはずなのだ。お父さんと話して、遊んで、笑って、いろいろしたいはずなのだ。きっと昨日だって呼び止めてもらえると少しは思っていたはずだ。家出までして、久しぶりに会ったらきっと少しは私のことを見てくれる。そう思っていたはずだ。強がってはいたけど、きっと呼び止めてほしかったはずなのだ。なのに結果は予想を裏切ってあんな結果になってしまった。
だから帰ってきてから奏ちゃんは元気がなかったはずなのだ。あんなに苦労して助け出した安藤さんに話しかけることも看病することもなく、一人で悩んでいたんだと思う。
もうそろそろ奏ちゃんの心が限界を迎えてしまう。お父さんと和解することを諦めてしまう。無理だと思ってしまう。そうなってしまう前にこの件に終止符を打たなければならない。
「でも、手ごわそうだったよな。お父さん……」
昨日地下室でお父さんを見て、奏ちゃんとの会話を聞いて、僕はどうしたらいいのかわからなかった。だから奏ちゃんの言うことに従い、あの場所から逃げた。
特に何かをされたわけではない。言葉も大して交わしていない。なのに、僕はお父さんから何か怖いものを感じた。それがなんだったのか今でもわからない。でも、その怖い何かから逃げてはだめだということはわかる。
「そうだよ。やらなくちゃ。奏ちゃんのあんな暗い顔もう見たくない。わがままでもいいから笑っていてほしいんだ」
僕は最後に奏ちゃんの寝顔を見て、決意を固め直した。
「待っててね奏ちゃん」
僕は静かに自分の部屋を後にした。
まだ、明けきっていない空の下、僕はうろ覚えの記憶を頼りに天王寺家を目指していた。少し肌寒い外の空気に当てられながら、少し早足に歩を進める。
「えーっと。ここ右だっけ? あはは……」
我ながら早速先行き不安だなと思いつつ、自分に少し苦笑する。
「右であってますよ佐渡様」
「えっ!?」
聞き覚えのある声に振り向く、そこには驚きの人物が立っていた。
「安藤さんっ!!」
「はい。安藤です」
いつもと変わらない表情で佇んでいた。服も僕が昨日洗濯してボロボロな部分を直しておいたメイド服を着用して何事もなかったかのように立っていた。
「なんでここに! それより大丈夫なんですか!? 体大丈夫なんですか!?」
「そんなに心配なさらないでください。私なら大丈夫です」
「でも、切り傷がたくさんあったし、服もボロボロで……」
「ふふっ。本当に優しいんですね。お嬢様が気に入るわけです」
「えっ?」
安藤さんが笑った。
安藤さんが笑った顔を僕は初めて見たかもしれない。いつもなんというか無表情で仕事のできるお姉さんみたいな雰囲気だった安藤さんは笑わなかった。表情に変化がなかった。だからいきなり安藤さんが笑って本当に悪いと思うが、僕は驚いてしまった。
「それより、源蔵様と話し合いに行かれるのですよね? 道を案内いたします。ついてきてください」
そう言って安藤さんは僕の少し前を歩き出す。
「ま、待ってください」
少し小走りで安藤さんの隣に並んだ。
「佐渡さん。源蔵様をどう思いますか?」
「えっ?」
いきなりの質問に意を突かれたが、自分の心の整理のためにも少し真面目に考えてみた。
「正直よくわからないです。少し話しましたが何にもわからなかったです。でも、悪い人ではないと思います」
「それはなぜですか?」
「確かにあの人は自分で奏ちゃんを探さないで執事さんたちに探させたり、久しぶりに会った娘が逃げるのを止めることなく見過ごしたり、一見ひどい人のように見えますけど、なんというか、悪い人ではないと思います」
これが僕の出した質問の答え。
翔君が言うように自分で娘を探さなかったり、しばらく帰らなかった娘がまたどこかへ行くのを止めなかったり、薄情な様に見えるけど、僕にはなぜか悪い人には思えないのだ。自分でもなんでこう思うのかわからない。でも、そう思うのだ。
「その答えは半分正解です」
「半分……ですか?」
「はい。半分です」
「どういうことでしょうか?」
足を止めることなく、会話を続ける。
「源蔵様は今は少しおかしくなってしまったのです。佐渡さん。今まで、お嬢様と過ごして何か違和感を感じたことはありませんか?」
「違和感ですか?」
正直、お嬢様ということもあって僕ら庶民には考え付かないようなことや、飛んでもない行動、言動、などの驚きはたくさんあったが、違和感というのはあんまりなかった。
ただ、一つを除いては―――
「もしかして奏ちゃんのお母さんのことですか?」
安藤さんは僕の答えを聞いて、一瞬驚いたような顔を見せてから「正解です」と言った。
「時間がないのでこちらから話させていただきますと、奏お嬢様のお母様、響様は既にお亡くなりになられています」
奏ちゃんと過ごして数日、何度か僕が疑った内容だ。奏ちゃんはいつもお父さんの話しかしなかった。『お母さん』という単語すら出てこなかった。僕はそこに少しの違和感を覚えていた。しかし、そのことを聞いて奏ちゃんを傷つけたくなかった僕は今の今までそのことを奏ちゃんに聞けずにいた。
「そしてそれが天王寺家の現当主、天王寺源蔵様がおかしくなった理由でもあります」
「どういうことですか?」
話がどういう風につながっているのかよくわからない。
「源蔵様は響様を愛していました。それはもうこっちが見ていて恥ずかしくなるくらいに。そしてそれと同時に奏お嬢様のことも可愛がっていました。それはもう大切な花を愛でるように……」
ますます、この状況になった意味がわからない。そんなに家族思いな人がなぜあんな風になってしまったのか、どうして奏ちゃんが家出してもあんな自然にしていられるのか、僕にはわからなかった。
「ですが、一番大切な響様が亡くなられたとき、源蔵様はまるで魂が抜けられたかのように無気力になられました。それからです。源蔵様とお嬢様があんな風になってしまったのは……」
「つまり、最愛の人を亡くしたショックでああなってしまった。と、そして奏ちゃんをも愛せなくなってしまったということですね」
「はい。そういうことになります。それで佐渡様、私からお願いがございます」
安藤さんは話しながらも進めていた歩を止め、僕の方へ向き直った。そして、腰を綺麗に九十度曲げ、僕に頭を下げた。
「どうか、お二人を元も仲の良い親子に戻してあげてください」
声でわかる。安藤さんは今、泣いている。
きっとたくさん苦労をしたのだろう。二人の関係をどうにかしようと一人で頑張ったのだろう。奏ちゃんの辛そうな顔を見て、何度も心を痛めたのだろう。それでもどうしようもできなくて何度も心が折れそうになったのだろう。僕にはわからないような辛いことがたくさんあったのだろう。だからこ僕は、この件に早く終止符を打たなければならない。
「頭を上げてください。大丈夫です。僕が何とかしますから」
算段なんて何もない。どうにかできる保証もない。だけど、やらなくちゃいけないんだ。
「……よろしくおねがいします……」
安藤さんの涙に誓って
「着きました」
安藤さんの案内のおかげで、迷うことなく天王寺家に着くことができた。
「お気を付けください佐渡様。私たちには準備もなければ作戦もございません。私は桜のように戦闘技術もございませんので、佐渡様をお守りすることもできません」
「大丈夫です。もしもの時は安藤さんだけでも逃げてください。そしてみんなにこのことを伝えてください。そうすれば、もし僕に何かがあっても……みんなが何とかしてくれます」
自分で言っておいてなんだが、何とも他人任せな言葉だろう。でも、僕はそれぐらいみんなを信頼している。僕に出来ないことはみんなの内の誰かができる。そう信じている。
「本当に心のそこからみなさんを信頼しているのですね」
「はい。最高の友達ですからっ!!」
僕は最高の笑顔で答えた。
「じゃあ行きましょうか」
「はい。佐渡様」
僕らは再び戦場へと舞い戻った。
「んー。もう朝かしら」
両腕を伸ばしながら体を起こす。
窓の方を見ると、太陽の日差しがカーテン越しに私たちに光を浴びせていた。
「お父様、私を止めてくれなかったなー」
誰も起きていなかったから、つい、そんな弱音を吐いてしまった。ただ、本当にショックだったのだ。家出までしたのだからお父様だって少しは私を見てくれる。お母様だけでなく私も見てくれる。そう信じて、あんな行動をとったのに、久しぶりに会った結果は残念な結果で終わってしまった。
本当は会った瞬間に安藤にひどいことをしたことを怒りたかった、今までの不満を全部ぶつけたかった。全部受け止めてほしかった。なのに、なんで
「なんで……私のことを見てくれないのかなー……」
目から涙が溢れた。今まで散々我慢していた涙が、一気にあふれ出た。
「あと、あとで佐渡にも一応謝らないと、昨日私を心配して何度も声かけてきたのに無視しちゃったし……。こういう時冷静になって自分から謝れるのが大人のレディーよね」
私は佐渡が起きてないか確かめようとキッチンの方を見た。そして異変に気付く。
「みんな起きなさいっ!! 大変よっ!!」
大声でみんなを起こす。
「なにっ!?どうしたの!?」
「お、お嬢様っ! どうしましたか!?」
「おいおいっ、どうしたよ」
「敵襲かっ!!」
みんなが私の大声で一斉に目覚めた。
「大変なのっ! 安藤がっ、安藤がいない!!」
みんなが安藤が寝ていたはずの布団を凝視する。
そこには安藤が寝ていた形跡は残っているものの、安藤の姿はなかった。
「おいっ! 誠也もいねえーぞ」
「なんですって」
翔がキッチンのキッチンで寝ていたはずの佐渡もいないと騒ぎ出した。
「どこに行ったのでしょうか?」
桜が困惑した様子で言った。
私はその答えに心当たりがある。いや、きっとここにいるみんなが同じ場所を一番に思い当たったはずだ。
「天王寺家でしょうね。二人とも」
間宮が言った。
私も同じ答えだ。少しの間とはいえ佐渡と生活してアイツのことはわかる。バカなほど真面目で優しくて、こっちが何も言わなくてもこっちのことを気にして、自分のことなんかよりも他人のことを第一に考えてしまうようなヤツが、こんな時に行く場所、そんな所は天王寺家、私の家以外にありえない。
「行くわよ。私んちへ」
みんなが私の方を見た。それも驚いた顔で……
「なによっ。私の顔なんかついてる」
「いや、なんかお嬢様はそんなこと言うなんて以外でよ」
「うるさいわよ。口を動かす暇があるなら体を動かしなさいっ」
「おー怖い怖い。これ以上お嬢様に怒られる前に早くしたくしねーと」
翔が慌てて準備を始める。それに続いてみんなも準備を始めた。
「待ってなさいよ佐渡、会ったら絶対に蹴飛ばしてあげるから」
私は佐渡への怒りをふつふつと一人滾らせていた。




