29話
私はどうにか一人逃走を続けている。しかし、もう足が痛いし、息は上がってしまっていて、そろそろ限界だ。
でも、ギリギリまであきらめるつもりはない。約束したから。少しでも長い時間逃げ続けるって約束したから。
だから私は走り続ける。
「……はあ、はあ、はあ……」
「もうそろそろ鬼ごっこはおしまいです。大人しく屋敷にお戻りください。奏お嬢様」
私の検討空しく、後ろから追ってくる執事との距離がどんどんと縮まっていく。そして私は捕まってしまった。逃げようにも大人の男の人の力を振り切るほどの力を私は持っていない。相手からしたら赤子の手をひねるようなものだろう。
私はもうあきらめるしかないと抵抗を止め、俯いた。
「観念してくださりましたかお嬢様。では、迎えを呼びますので少々お待ちを」
執事さんの力が若干ゆるんだ。しかし逃げられるような状況ではなさそうだ。もう私の周りには何十人という執事とメイドが囲んでいて、奇跡的にこの人の手を振りほどけたとしても、逃げた先ですぐに他の人に捕まってしまうだろう。
「車が到着しました。お乗りください」
執事さんたちが私が逃げられない様に私を囲む。もうそろそろ種明かしをしてもいい頃合いかもしれない。
「あのー」
「なんですかお嬢様?」
私のことを拘束していた執事が返事をした。周りのメイドたちも一斉に私の方を見る。そしてその中の数人は驚いたような顔をしている。それもそうだろう。
だって私は……
「誰を屋敷に連れて帰るんですか?」
天王寺奏ではなく、水無月彼方なんだから
「着いたっ!!」
「急ぐわよ佐渡っ!!」
「待って、お金払うから」
「そんなの家のツケにしときなさいっ。行くわよ!!」
彼方ちゃんに囮をしてもらったことにより、僕らは追跡を一切受けることなく、奏ちゃんのお屋敷に到着することができた。お金の方も、奏ちゃんの家を見た運転手が驚きながらも、ツケという提案を受け入れてもらえた。本当に天王寺家ってすごい。
「それにしても彼方にあんなこと頼んでよかったの? 捕まっても何もされないとは思うけど……」
「大丈夫だよ。僕は彼方ちゃんを信じてる。だから大丈夫」
特に理由なんてない。だけど僕は自信を持ってそう答えた。
「お気楽ね。説得力がないじゃない」
「それでも大丈夫だから」
「まあ、どっちにしろ私たちは私たちに出来ることをやるしかないわね」
「うん!」
僕だって彼方ちゃんが心配じゃないわけじゃない。むしろ今すぐ戻って助けに行きたいくらいだ。でも、そんなことをしたら彼方ちゃんの決意が台無しになってしまう。僕のわがままで提案した案を覚悟を持って受け入れてくれた彼方ちゃんに失礼だ。あの時の約束を破るわけにはいかない。絶対に……
「佐渡さん」
「なにかな」
「絶対にこの作戦を成功させましょう」
「うん。もちろんっ」
この約束だけは死んでも守って見せる。
奏ちゃんの案内の元、正門から堂々と中に入ることにした。先に侵入している間宮さんたちのおかげか、入っていきなり発見されて鬼ごっこということもなく、すんなりと侵入に成功した。
敷地内に入り、堂々と玄関を使い、屋敷へと足を踏み入れる。奏ちゃんは入って一瞬驚いた顔を見せてからすぐに緊張感に満ちた顔に戻り、慣れた足取りで歩を進め始めた。
「間宮さんたちはりきってるなー。……はは……」
僕も奏ちゃんと同じように顔を一瞬引きつってしまった。しかしこれは誰でも何かしら思うところだと思う。綺麗に並べられていたであろう花瓶は地面に転がり、割れてしまっていて、窓も所々割れている。絨毯も大勢の人間が走り回っているせいか、皺がたくさんできてしまっているし、場所によっては靴の跡が付いている。久しぶりに帰ってきた自宅がこんな状況だったら誰でも驚くと思う。
「奏ちゃん」
「なによ?」
警戒を解かず、前を見たまま僕の呼びかけに答えてくれた。ちなみに僕もしっかりと後ろの確認を行っている。
「安藤さんの居場所の当てはあるの?」
闇雲に歩き回るのは危険である。間宮さんたちの方は腕の立つ翔君がいる上に、的確な指示を出せる間宮さん、この屋敷について把握しきっている桜ちゃん、なにかと面白い行動で相手を翻弄する山中君がいる。人数も、腕も安心できるメンバーだが、僕らは違う。僕らは人数も腕も特に優れている訳じゃない。奏ちゃんはもしかしたらお嬢様だから何かしらの習い事で最低限の身を守る術を身に着けているかもしれないけれど、僕は何もできない。翔君のように空手や柔道のような身を守る術もなければ、間宮さんのようにみんなに的確な指示を出したり、状況に応じて行動もできない。山中君のように奇抜な行動もできない。つまり、交戦になったら逃げることしか出来ない。僕らに出来るのはせいぜい不意打ちぐらいだろう。それでも一発で気絶させられる自信はない。僕らには武器もないのだ。
「たぶんお父様の部屋と、その隣の部屋には桜たちが行ってるわ。だから私たちは地下に行くわよ」
「地下なんてあるの?」
「普段は使わないんだけど、ちょっとした牢があるのよ。間宮たちから連絡がないってことはお父様の部屋にはいなかった可能性が高いから私たちはそっちに向かうわよ」
いくらお金持ちだからって地下まであるなんて。と思いつつも奏ちゃんの後に続く。
「その場所って桜ちゃんも知ってるの?」
「知らないでしょうね。私だって小さいときにたまたま見つけたんだもの。それにこんな場所知らない方がいいわ。牢があるなんて、どうせろくな使い方がされているはずがないんだから……」
奏ちゃんは視線は前に向けたまま、僕にそう言った。前を向いていて表情はうかがえないが、声の感じでわかる。きっととても寂しそうな表情をしているのだろう。
この家には奏ちゃんとお父さんの問題以外にもいろいろと問題があるのかもしれない。ふと、僕はそう思った。
その後は無言のまま地下へと続く道を歩き続けた。家の中だというのにもう十分以上は歩いている。お金持ちの家とはいえここまで広いと驚くのにも疲れてきそうだ。
「ここよ。暗いから気を付けなさい」
「うん。あっ、ライト付けるよ」
とある部屋の一室に入り、中にあった階段を下りていく。明かりなどはないようだったので携帯のライト機能で少しでも足元を照らしながら階段を下っていく。
カツカツと僕らの足音だけが鳴り響いていく。明かりも携帯のライトだけですごく気味が悪い感じだ。
そして階段を下り終わると、そこには二つの人影があった。
「安藤さんっ」
一つは安藤さんのものだった。椅子に座らされていて手足を縛られているようだ。意識がないのかぐったりしている。何をされたのかは相像しかできないが、決していい待遇ではなかったことが見て取れる。暗いからよく見えないが、大きな傷はないように見える。そこだけは安心できた。
そしてもう一つ影はは……
「……お父様」
奏ちゃんのお父さんのものだった。
「奏か……そういえばお前はここを知っていたのだったな」
「ええ。それよりも安藤を返して」
親子とは思えない淡々としていて、抑揚も、暖かさもない会話だ。お父さんと上手くいっていないとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
「いいだろう。ほら……好きにすればいい」
奏ちゃんのお父さんは安藤さんの目の前から退き、自分で助けろと言わんばかりに僕らを見つめている。
「佐渡、お父様をみてて、変な動きを見せたら好きにしていいから」
奏ちゃんがゆっくりと安藤さんの元へ近づいていく、僕は奏でちゃんに言われた通り、安藤さんの近くでお父さんの行動を見ている。親に対して好きにしていい、なんて言っちゃダメと叱りたちと頃だけど、状況が状況だ。
「安藤っ、大丈夫?」
奏ちゃんが安藤さんの拘束を解き、軽く体をゆすった。しかし安藤さんからの返事はない。息はしているようなので生きてはいるようだが、相当、心身共々疲弊しきっているようだ。
「佐渡、安藤を負ぶって。帰るわよ」
「奏ちゃん。いい機会だからお父さんとちゃんと話を……」
「あんな奴よりも今は安藤よ」
「で……でもっ」
「いいからっ!!」
今の状況では奏ちゃんはまともに話せそうにない。それに安藤さんのことも心配だ。早く家に帰って休ませてあげたい。心惜しいが、今日のところは大人しく引こう。
安藤さんを背負い、奏ちゃんの後を追う。
「止めないんですか?」
何も行動を起こさないお父さんに向かって、僕はつい、そう質問をしてしまった。
「別に安藤のことなどどうでもいい。私が本気を出せばすぐにでも君たち全員を捕えることができる。私の意のままに。それとも君は今ここで私に捕まりたいのかい?」
わからない。この人の心が、考えが、何もわからない。
表情一つ変えず、声の調子も変えず、場の空気すら変えず、淡々とした口調で話をし、久しぶりに帰ってきた娘と娘を匿った男のことを止めようとしないこの人の感情が全く読めない。
確かに、お父さんの言うとおり、この人が本気を出せば、僕らは一日もかからずに全員捕まるだろう。でも、そうだとしても理解できない。
「……僕は貴方と奏さんを仲直りさせたい。僕にはお二人の間に何があったのかわからないですけど、僕はあなた方にもう一度心から笑ってほしい。奏さんに思いっきり笑ってほしい。だからまた来ます」
「好きにするといい青年」
これだけのやり取りを交わし、僕らは階段を上った。
「奏ちゃん。ポケットから携帯を出して間宮さんたちに連絡して。みんなで脱出しよう」
「ええ。……ってこれどうやって使うのよ」
しまった。誤算だった。奏ちゃんは超お嬢様で一般常識が通じないんだった。でも、僕も両手が塞がっている。何としてでも奏ちゃんにどうにかしてもらわないと。
「ええっと、そこのボタンをおして。それから……」
何とか間宮さんに連絡を取ることに成功し、正門で待ち合わせをすることになった。
「早くしなさい佐渡っ。追手が来るわよ」
「ちょ……ちょっと待って……」
さすがに安藤さんを背負いながら走るのは無理があった。僕は元から運動ができる方じゃないのに、人一人背負いながら走るのは少し無謀だったかもしれない。
「いたっ!! 間宮たちよ」
玄関までたどり着くと、間宮さんたちが追手をけん制しながら待機していてくれた。見慣れない人も何人かいるようだ。
「ごめん。佐渡、私……何もできなかった」
合流するなり、間宮さんが僕に謝ってきた。
「いいんだよ。僕だっていつもみんなに助けられてる。人間誰だってミスぐらいあるよ」
「ありがとう佐渡」
「それよりほら、急ご」
「うん」
「早くしろ誠也、そろそろ限界だ」
翔君たちも数で押され始めている。早いところ退散しよう。
急いで正門まで走り、近くに止まっている車を二台ほど拝借して退却した。誰だかわからない人たちは車に乗ることなく、外で牽制を続けてくれていた。本当に誰なんだろう。
僕が心配でその人たちのことを見続けていると間宮さんがあの人たちは山中君の知り合いでこういったことには慣れていると教えてくれた。これで少し安心することができる。
こうして僕らの安藤さん救出作戦は幕を閉じた。




