19話
トントントン。
次の日、僕が起こしたのは誰かが玄関をノックする音だった。
「わあっ! まずいっ。もうこんな時間っ。ってことはこの音は彼方ちゃんか」
布団から飛び起き、寝起きの少しだらしない格好のまま急いで玄関へ向かう。玄関を開けると予想通りそこには制服姿の彼方ちゃんがいた。
「おはようございます佐渡さん。あれ? 今日は少しお寝坊さんですか?」
彼方ちゃんは首を可愛らしく傾げた。
「ごめんね彼方ちゃん。ちょっといろいろあって寝坊しちゃって。少し準備に時間がかかるから先に行っちゃっていいよ」
「大丈夫ですよまだ時間ありますし、そうだ。もしよろしければ佐渡さんが準備をする間に私が簡単な朝食を……」
そこまで言って彼方ちゃんの表情が変わった。さっきまでの笑顔はどこへ行ってしまったのか、かなり驚いた顔をしている。
「さ、佐渡さん……」
「なにかな?」
理由はわからないが彼方ちゃんは何やら深刻そうだ。
「その、後ろ」
「えっ?」
「うるさいわよ佐渡、もう少しゆっくり寝かせなさい。って誰?」
彼方ちゃんの指示と奏ちゃんの声がほとんど同時に耳に入った。後ろを振り向くとそこにはパジャマがはだけ、ボタンがいくつか外れてしまった格好で眠そうに瞼を擦る奏ちゃんがいた。
「ご、ごめんなさいっ。まさか佐渡さんがその、彼女さんと一緒にいるなんて思わなくて、えっと、今度から来ない様にしますので、その、ごめんなさーい」
「えっ。ちょ、ちょっと待って彼方ちゃーん」
何やらとんでもない勘違いをしてしまっていた彼方ちゃんを寝巻のまま追いかけて、どうにかすぐ近くで落ち込んだ様子で歩いていた彼方ちゃんを捕まえることができた。
これで話を聞いてもらえる。
「……というわけなんだ」
「そうだったんですか。すいません。私とんでもない勘違いを」
「いや、わかってもらえればいいんだ」
彼方ちゃんを捕まえて、話を聞いてもらうためにとりあえず僕の家に入ってもらった。僕らはいつも30分近く余裕を持って登校しているので今日みたいに少し時間が遅れても指して支障はない。
こんな日でも安心して朝食を取ることができる。
「彼方ちゃんまた料理上手くなった?」
「本当ですか!? 最近お母さんの手伝いをしたり、たまに夕食を自分で作ってるんです。その成果かもしれません」
「そうなんだ、すごいね。これならお店にも出せそうだよ」
「そんな。まだまだですよ」
3人で食卓を囲む僕ら。とはいっても彼方ちゃんは自分の家で食べてきてしまったというので実質食べているのは僕と奏ちゃんだけだ。そしてなにより驚いたことはまた彼方ちゃんの料理の腕が上達している。正直僕の作った料理よりおいしい気がする。
一方奏ちゃんはというと何も言わずに黙々と彼方ちゃん作の料理を口に運んでいる。どうやら奏ちゃんの口にもあったようだ。
「ふう。本当においしかったよありがとう彼方ちゃん」
「いえいえ。いつでも作りますよ」
朝食を取り終わり、学校へ行く準備も万端。時間もいつもよりは遅いもののどうにかなりそうだ。これなら彼方ちゃんも間に合いそうだ。
「それじゃあ行こうか」
「はい」
「はあ。だるいわ」
3人で玄関を出る僕達。あれ?3人?
「あのー。奏ちゃん?」
「なによ」
「家で待っててくれるんじゃないの?ほら、お昼のお弁当も作ったし」
「いやよ。1人じゃ退屈だし、それなら佐渡の後を付いていくわ」
「んー。しょうがないか」
「そうそうしょうがないしょうがなーい」
僕の居ない間に変なことをされたり、ないとは思うけど、黒服の人たちに見つかってしまったら大変だ。それなら外に出るという少し危険を犯さないといけないけど、僕と一緒に居てもらった方が安心だ。
僕はそうそうにそう結論付け、3人で学校への道を歩き出した。
「やっぱり佐渡さんは佐渡さんですね」
学校への道を歩いている途中彼方ちゃんが話を始めた。
「どういうことかな?」
正直僕には今の彼方ちゃんの言っている意味がわからなかった。
「えっとですね。優しくて、困っている人は放っておけないってことです。私のことがあってまだ1か月も経ってないのに、もう次の人を助けてるんですもん。やっぱり佐渡さんはすごいです」
彼方ちゃんは恥ずかしげもな笑顔で言った。正直、言われている僕としては嬉しいことは嬉しいけれど恥ずかしくて仕方がない。きっと今の僕の顔は頭の上に水を入れたやかんを置いたらすぐに沸騰させてしまうくらい赤くなっていることだろう。頬を自分でわかるくらい熱くなっている。
「そ、そんなことないよ。僕がしたいことをやってるんだから」
「普通の人はそんなこと思いませんよ。助けたいから助ける、当たり前のことかもしれないですけど、それができる人は少ないと思います」
目に一片の曇りもなく、恥ずかしげもなく、本当に心の底からそう思っているように彼方ちゃんは言った。僕のことをそんな風に思っているてくれるのは嬉しい。でも、やっぱり僕はそんなにすごい人間じゃない。どこにでもいる普通の人間。一般人の中の一般人だ。人ごみに紛れてしまえばわからないし、テレビに映るような人間でもない。ましてや歴史に名を残すような大層な人間でもない。どこにでもありそうな日常を過ごしてきた人間、それが僕だ。
ただ、彼方ちゃんがそう思ってくれるのなら素直にお礼を言っておこう。
「僕はそんなにすごい人間じゃないけど、嬉しいよありがと」
「どういたしまして」
いつもとは違う、少し硬い話をしながら歩いていると、彼方ちゃんと別れる十字路に着く。
「それでは佐渡さん。行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
その挨拶と同時に彼方ちゃんは僕に背を向け、高校の方へ向かって歩き出す。僕はいつものように彼方ちゃんの姿が見えなくなるまで見送ってから、駅へと続く道を歩き出そうとすると、声が聞こえた。
「佐渡、あんた達いつもあんな会話してるの?」
「うわっ」
「うわっ、ってなによ。うわっ、って」
そうだった、今日は彼方ちゃんだけじゃなくて奏ちゃんもいるんだった。いつも途中まで彼方ちゃんと歩いて分かれて1人になるからつい一人だと思い込んでしまった。
「ごめん。いつもだとこの後1人だから」
「ふーん。ならこれからは毎日2人よ。よかったわね佐渡。大人な私がなんでも聞いてあげるから何でも話しなさい」
たぶんこれは何か話せという奏ちゃんからの合図だ。まだ奏ちゃんと会ってからそんなに時間は経っていないけど、それでもわかる。
家を出てから僕は彼方ちゃんとばかり話していて、奏ちゃんとは一切言葉を話していない。それはもちろん無視をしていたとかじゃなくて素で忘れてしまっていた。あれ、かえって悪い気がする。
奏ちゃんも今日始めた会ったばかりの彼方ちゃんと話すのがためらわれたのか一切僕らの会話に一切口を挟んでこなかった。だからその反動で何か話したくなったのだろう。
「えーと」
何か話せという奏ちゃんからの合図はわかる。でも、肝心な話す内容が全くと言っていいほど浮かんでこない。元から僕は自分が話すよりも人の話を聞く方が好きなタイプだ。なので自分から何かを話すのは少し苦手だったりする。
「奏ちゃんは海外とか行ったことあるの?」
結局話す内容が浮かばなかった僕は奏ちゃんに疑問をぶつけてそこから話題を広げる方向性を取る。僕が話題を振ると奏ちゃんは満足したようで、少し顔を空へ向け、行ったところを思い出そうとしている。
「そうね。結構いろんなところに行ったわよ。ラスベガス、ヨーロッパ、ハワイ、グアム、ニューヨーク、それからえっと……」
淡々と奏ちゃんの口から放たれる国の名前たち。お金持ちだと聞いていたので、いくつかの国には行ったことがあると考えて話を振ったけど、思った以上の国の名前が出てしまった。
「す、すごいね。僕なんか日本から出たことないよ」
僕は日本を出たことがない。飛行機に乗ったのも修学旅行の沖縄に行くためぐらいだ。
「出ない方がいいんじゃない。向こうじ何が起こるかわからないわよ。日本は平和だけど、向こうは日本に比べて治安が悪いもの。他のことに関しても日本の方が便利だし」
「そ、そうなんだ」
なぜだか、僕の海外のイメージが簡単に崩れていった気がする。僕の中の海外のイメージだと、オシャレな建物がたくさんあったり、日本にはないようなイベントがたくさんあったり、場所によっては自然が溢れている。そんなイメージだった。でも、奏ちゃんの話だとそうでもないらしい。少しショックだ。
「まあでも、いいところもそれなりにあるわよ。なんなら今度一緒に行く?」
「えっ? いいの?」
「お父様に頼めば簡単……」
そこで奏ちゃんが黙った。恐らくお父様に頼む、その言葉が原因だろう。僕の視線に気づいたのか奏ちゃんは僕の方に向き直り、言葉を発した。
「佐渡がお金を出すって言うならいいわよ」
「はは。それじゃあしばらく無理かな」
「まあ精々がんばりなさい」
そう言って奏ちゃんは少し早足で僕の前を歩きはじめる。
(そうか、奏ちゃんもやっぱり……)
奏ちゃんもやっぱりお父さんと仲直りしたいんだ。じゃなきゃお父様に頼むなんて言葉は出てこないはずだ。だから僕も頑張ろう。何をすべきかまだわからないけれど、とにかく頑張ろう。
そう心に誓いをたて、僕は駅へと歩き続ける。




