20話
「飲み物どうぞ。普通のお茶ですけど……」
「ありがとうございます、佐渡様。いただきますね」
連絡も何もない突然の安藤さんの訪問に驚きつつも、せっかく来てくれたお客さんを玄関に立ちっぱなしにさせるのなんて失礼にもほどがあるのでとにかく家に入ってもらい、とりあえず飲み物をお出しした。
「……おいしいです」
「ありがとうございます。……でも、その辺のスーパーで売っている普通のお茶ですよ?」
「そうなのだとしてもおいしいものはおいしいものですよ。きっと佐渡様の淹れ方が良いのですね」
「いや、別にそんなことはないかと……」
「ふふっ。そんなに緊張なさらないでください」
律儀に僕が淹れたお茶の感想を口にしてくれつつ、安藤さんと二人きりの状況なんて今までほとんどなかったことと、奏ちゃんたちと喧嘩中ということで必要以上に緊張してガチガチになっていた僕を笑顔でフォローしてくれる安藤さん。
正直状況が状況なだけになにを言われるのか全然予想できず、困惑と動揺、そして怒られるんじゃないかという不安で一杯だった僕としては、その笑顔は胸を撫で下ろすには十分なものだった。
「少し、安心しました……」
「……何にですか?」
「どんなことを言われても仕方のない僕に、安藤さんが普通に接してくれていることにです」
貶されてもしょうがないことをしてしまった僕だ。
どんなことを言われたってすべてを受け止めるつもりでいた。受け止めきれないにしてもすべてをぶつけられないといけないと思っていた。
そんな覚悟は無駄になってしまったみたいだけど、それが堪らなく嬉しかった。
「佐渡様。お言葉ですが、私だって多少なりとは怒っているんですよ?」
「そ、そうですよね! 僕は許されないことをしちゃったんですもんね……。簡単に許されちゃいけないことをしちゃったんですもんね……。安藤さんにとって大切な二人を傷つけちゃったんですから、当然ですよね……」
でもそれほど世の中は甘くないみたいで……。
ただ安藤さんが大人の対応をしてくれていただけみたいで……。
「そうですね。確かに佐渡様は重大な失敗をしてしまいました。……ですが、私はお嬢様たちほど佐渡様に怒ってはいないんです」
「え? そうなんですか? 僕はてっきり……」
「確かに佐渡様のおっしゃる通り、私は佐渡様がお嬢様と桜を傷つけたことに対して怒っています。でも、私個人としてはやり方は間違っていたとしてもやったことは間違っているとは思っていません」
「安藤さん……」
「佐渡様。あなたはこれからどうするおつもりでしょうか?」
「これからどうする……とは?」
いつも無表情とまではいかないまでも冷静な顔をしている安藤さんが、真剣味を帯びた表情と、何かを試すような瞳で僕を見てくる。
だから僕も真剣に答えようとするも、質問の意図がしっかりとは理解できずにオウム返しをしてしまう。
「すいません、言葉が足りませんでしたね。……佐渡様、あなたはこれからお嬢様と桜とどうするおつもりですか?」
「それは仲直りするか、それともこのままで終わるか? ということでしょうか?」
「そうでございます」
ようやく質問の意図を理解できた僕は迷うまでもなくその質問に答える。
迷う必要も、迷う理由も、なにもない!
「もちろん仲直りして見せます! それ以外の選択肢はありません! ま、まぁ……あの二人がもう絶対に僕と仲直りするつもりがなくて、僕の顔どころか声も聴きたくないと本気で拒絶されたら別ですけど……」
最初のうちは自信満々に答えていたのに、だんだんと発言の内容とともに尻すぼみしていく自分が情けない。
でも本当のことだから仕方ない。
「そうですか……」
僕の何とも言えない中途半端な発言に、安藤さんは驚いた顔も不安そうな顔は見せず、逆に僕の方が驚いてしまう表情――――やわらかい笑顔を見せてくれた。
その笑顔の意味が分からずに困惑していると、安藤さんは「すいません」と、これまたなぜか謝罪の言葉を口にした。
「あの……なんで安藤さんが謝るんですか? 謝るのはむしろ僕の方なのに……」
「いえ、実は私、佐渡様が今の質問にどう答えるかわかってて試すようなことをしてしまいましたので、その謝罪です」
「えっと……どういうことでしょうか? 僕がわかりやすいとか、僕ならこういうだろうと想像できたとか、そういう話ですか?」
「違います。悪いとは思っていますが、実はここ数日佐渡様を監視させていただいてました」
「えっ!?」
「本当に申し訳ございません。このことに関しては完全に私の独断です。お嬢様や桜は一切関係ないので軽蔑するなら私だけにしてください」
「いやいやいやっ! 僕が安藤さんを軽蔑するだなんてそんな!」
とんでもないことを言い出し、今にも土下座を始めようとする安藤さんを必死で止めにかかる。
だって安藤さんが僕に謝る必要なんてどこにもない。と、思う。
どういう話なのかわからないけど、少なくとも僕が安藤さんを軽蔑するだなんてありえない。それだけは絶対だ。
「ありがとうございます佐渡様。ですが、せめてもの誠意と謝罪として説明だけはさせて下さい」
「じゃあ、お願いします。僕も何が何だかなので……」
せっかく説明してもらえるというのなら聞かない選択肢のなかった僕は、申し訳ないとは思いながらも説明をお願いした。
「さっきも言いました通り、私はここ数日佐渡様を監視しておりました」
「あの、監視っていうのは?」
「簡単に言わせてもらえば、常に佐渡様の行動を把握しておりました」
「それはずっと僕の後を付けていた、ということですか?」
「そういうことになりますね。お嬢様と仲違いしたあの日からずっと、私は常に佐渡様の監視をしておりました。私が手の離せない場合は信頼できる部下に頼んで報告してもらっていました」
「……探偵みたいですね」
大まかな説明を受けた僕がどうにか返せた言葉はこんな言葉だった。
それ以外の言葉が浮かばなかったとも言うけど……。というか、そうとしか言わないけど。
「なので佐渡様が九重様、間宮様、山中様と既に和解したことも承知しております。実際にその現場も拝見させてもらいました」
「あはははは……恥ずかしいところ見られちゃいましたね……」
「そんなことはありません。私が言うのもなんですが、とても誇らしい姿だったと私は思います。ですのでそんな謙遜はなさらないでください」
「そう言ってもらえると少しが気持ちが楽になります……」
どうしよう。
本当にもう言葉が出てこない。
さっき探偵みたいですね。なんて言ったけど、これじゃあ下手な探偵よりすごいんじゃないだろうか? というか、僕だけならいざ知らず、勘の鋭い鈴さんや翔君にまで見つからずにここ数日僕の後をつけていたという事自体が超人的すぎる。
もし仮に天王寺家の使用人になるのにこんなスキルが必要なら、僕は面接どころか書類選考で鼻で笑われると思う。
「えっと、だいたいのことはわかりました。だからさっき僕が奏ちゃんたちとの仲直りを諦めてないことがわかってたんですね」
「そう言うことになりますね。ですのでさっきのはただ言葉にしていただきたかっただけでございます」
「それじゃあ今日こんな時間にわざわざ来てくれたのはもしかして……」
「はい。私ももうあんなお嬢様や桜を見ていたくはありませんので、個人的に佐渡様に協力させていただこうかと思い参上いたしました」
「あ、ありがとうございます!!」
あまりの嬉しさに僕はテーブルを挟んで座っている安藤さんの手を両手で取った。
「本当にありがとうございます! 正直もうこのまま会えないんじゃないかって不安で……」
「そんなことは絶対にさせません。天王寺家のメイドとして、必ずやお嬢様と桜と佐渡様の仲直りを実現して見せます」
「本当にありがとうございます! その言葉だけでなんかもうどうにかできるんじゃないかって思えます!」
「おだてないでください。私にだって不可能なことはあります」
「そうかもしれないですけど、少なくとも僕なんかよりは何でもできますよ! 家事スキルだって僕なんかじゃ及びもつかないですし、周りの気遣いやフォローも完璧ですし、常に冷静で落ち着きがあって安心感もあるし」
「あ、あの、佐渡様……?」
「他にも奏ちゃんや桜ちゃんに見せる母性みたいなのも素敵だと思いますし、奏ちゃんのお世話をしてる姿も素敵だなって思いますし、ときおり見せる笑顔もすごくきれいだと思います!!」
「あの、やめ……」
「なんていうか安藤さんって、お母さんとか仕事のできる女性とかそういうの全部を混ぜたザ・出来る大人の女性! って感じですよね!」
「佐渡様っ!!」
「は、はいっ!」
珍しく安藤さんが声を張ったので、緊張気味に背筋を伸ばす。
が、しかし、安藤さんは別に怒ってないように思う。
「もしかして、僕なにか失礼なこと言っちゃいましたか……?」
自分でもやや暴走気味だったことを理解した僕は、おそるおそる安藤さんに尋ねる。
怒っていなさそうに見えるだけで不快な思いをさせちゃった可能性もあるし、なにより安藤さんは言っては悪いけどあまり感情を表に出さない人だ。
もしかしたら大人の余裕で僕のことを許してくれているだけかもしれない。
「そうなんだったとしたら謝らせてください」
「い、いえ、違うんです……」
「でも……」
「本当に違うんです。……ただ」
「ただ?」
「あの、本当にあまりおだてないでください……」
安藤さんが僕からやや視線を逸らしつつ、小声でそう言った。
それに気のせいかもしれないけど、少し頬が赤いようにも見える。
表情は……あれ? 安藤さんのあんな表情見たことないな。どういう表情なんだろう? なんか照れてるようにも見えるけど……気のせいだよね? 照れる様なことないだろうし。
「こほん。……とりあえず話を戻しましょう」
あっという間に表情を戻した安藤さんが仕切り直しとばかりに大きな咳をする。
そのことが僕にもわかったので、これ以上話を深堀することはしなかった。
「とりあえず佐渡様も気になっていると思いますので、お嬢様と桜の近況からお話させてもらいますね」
「お願いします」
「まず、さっき佐渡様はお嬢様と桜が佐渡様と会いたくない、声も聞きたくないというなら仲直りは諦める。と、仰っていましたが、そんなことはありません。お嬢様は口ではなんだかんだ言いながらもあの日のことを気にしていますし、桜も何度か佐渡様に連絡を取ろうとしていました。お嬢様を気遣ってか踏ん切りはつかなかったようですが……」
「そ、そうですか。よ、よかった~っ!!」
緊張でピンと張っていた身体から力が抜けてテーブルに全身を預ける。
でも、本当によかった。
一番の懸念材料であった、奏ちゃんと桜ちゃんからの徹底的な拒絶。がなくなった。
これで僕は安心して突き進むことができる。
「あっ! すいません! お話の途中でこんな格好して!」
安心のあまりにひどく失礼なことをしてしまったことへの謝罪をしつつ、僕は体を起こして緊張の糸を身体に張り巡らせる。
「いえいえ、お気になさらないでください」
優しい言葉をかけてもらったものの、完全に緊張の糸を解くのは大人の笑みで返してくれた安藤さんに申し訳ないので、僕は多少緊張の糸を緩めるにとどめた。
「それでは続きを。今お話ししましたように、二人とも佐渡様と仲直りする気持ちはちゃんとあります。ただ、そのきっかけを掴めていないだけです。お嬢様の方は自分からあんなことを言ってしまった分なおさらでしょう」
安藤さんに言われて、僕はあの時奏ちゃんに言われた言葉を思い出す。
「もうあんたと私は友達でも何でもないわ。二度と話しかけないで。お金も貸したつもりじゃないわよ。返そうなんてしないでいいわ。とにかく私の前に二度とその顔を見せるんじゃないわよ」
きっと、安藤さんが言っているのはこの部分だろう。
この言葉があの時の僕にとって一番心に来た言葉だったのは間違いない。でもそれは僕だけじゃなくて、言った本人である奏ちゃんも同じだったんだ。
「佐渡様、どうかお願いします……。お嬢様のためにも、桜のためにも、どうか……どうか二人と仲直りをしてあげてください……」
すぐに言葉が出てこなかった。
いや、言葉自体は出てきてたし、心だって決まってた。迷う必要なんてなかった。
奏ちゃんとも、桜ちゃんとも仲直りする気だった。その気持ちは強くなることはあっても弱くなることだけは絶対になかったんだ。
じゃあなんで僕が安藤さんの言葉に言葉を詰まらせたのか。
簡単だ。あの安藤さんが、いつも冷静で、大人で、あまり表情を崩すことのない安藤さんが大きく表情を崩したから。
その優しさと母性に溢れた瞳から―――大粒の涙を零したから。
「す、すいません……。本当はこんなつもりはなかったのですが……」
徐々に徐々に、瞳から零れる雫の大きさと量が増す安藤さん。
あの時の僕の安易な行動が色んな人を傷つけた。
みんなの笑顔が見たい。みんな笑顔でいてほしい。
そんな周りばかりに目をやって、自分に一切目を向けない僕のやり方が、たくさんの人を傷付けた。
みんなと仲直りをしようとするたびに自分のしたことの愚かさや残酷さに気付かされる。
「安藤さん……」
目の前に泣いている大人の女性がいる。
止めようにも止まらない涙を何度も何度も手でぬぐい、「申し訳ありません」と繰り返す。
今までにも泣かせてしまった人がいた。彼方ちゃんや鈴さんを泣かせてしまった。その度に僕は彼女たちと抱きしめたり、ただただ一緒の時間を過ごすという方法を取ってきた。
でも、今は違う気がした。抱きしめたり、一緒の時間を過ごすのは違う気がしたんだ。
その理由も自分でなんとなくわかっている。
だからそれを口にすることにした。
「安藤さん、本当にすいません。いつもいつも僕たちのことを見守っててくれたのに、こんなことになってしまって……」
そうだ。
安藤さんはいつも僕らのことを見守ってくれていた。僕らの輪の中に入りきらずに、いつも少し離れたところから僕らを見ていてくれていた。
僕らが危なくないように、僕らが心から楽しめるように、いつも僕らを優しい目で見ていてくれた。優しい心で包んでくれていた。
きっとそれがいま僕がみんなとは違う方法を取らなくちゃいけないと思う原因だ。
当事者ではなく、少し離れた第三者として僕らと一緒に居てくれた安藤さん。そんなお母さんのような立場の安藤さんと僕の辛さには確かな違いがある。だから安易に気持ちがわかると言ったような行動はしちゃいけない気がした。
「僕には安藤さんをどうやって慰めたらいいかわかりません……。でも、確かに言えることはあります」
安藤さんは別に僕と仲違いをしているわけじゃない。そこがみんなと安藤さんの一番の違いだ。
安藤さんはあくまで僕のしたことについては深くは言及していない。やろうとしたこと自体は肯定すらしてくれた。ただ、やり方を間違ったのだと、安藤さんはそう言った。
だから安藤さんには謝ればいいというわけではない。もちろん謝ることも大事だ。でも、それ以上に僕は安藤さんのためにやらないといけないことがある。
「僕は―――」
今まで何度もしてきたように、僕は言葉に心を込めて告げる。
「絶対に奏ちゃんとも桜ちゃんとも仲直りして見せます」
きっと今言うべき言葉はこれ以外にないと思った。
何度も言う通り、安藤さんは他のみんなと違って僕に激しい怒りを覚えているわけじゃない。
みんなの僕に対する思いを言葉にするなら怒りだ。
なんであんなことをしたのか。どうして勝手な行動を取ったのか。なぜ相談してくれなかったのか。そういった感情が怒りとなった。
ただ安藤さんは違う。安藤さんのは怒りではなく―――心配|だ。
仲の良かった僕らがケンカをして、離れ離れになってしまったことだ。当事者ではなく、母親のような視点で僕らを見てくれていた安藤さんだからこその思い。それが僕らのこれからに対する心配。
「すいません……。こんな事しか言えなくて……」
情けないにもほどがある。僕がするのは結局のところ自分の尻拭いだ。
自らが招いた勝手な自滅。それによって失われた絆を取り戻そうとしているに過ぎない。
それでも、僕にはこんな言葉しか思いつかなかった。
「……その言葉を聞くことができただけで、私はもう安心です……」
俯いたまま、震えた声で安藤さんが答える。
僕はそんな安藤さんの姿を、ただただ瞳に焼き付けた。失礼なのは百も承知してるし、人として最低な行為をしているという自覚もある。女性の泣いている姿を瞳に焼き付けるなんてひどい話だと自分だって思う。
でも、焼き付ける必要があった。
二度とこんな失敗をしないためにも、僕は自分のしたことで生じた最悪の結果を覚えている必要がある。
どんなに辛くても、どんなに見ていられなくても、どんなに目を背けたくなっても、僕だけは決して逃げてはいけない。
「すいません佐渡様……。もう少し時間をいただけますか……?」
「もちろんです。いくらでも待ちます。待たせてください」
それから少しの間、僕は自分のした身勝手な行動の結果を見つめ続けた。




