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同じ心の呪いを  作者: 天野 さくら
9/23

不格好な勇気



浅木の家は古い日本家屋だった。庭も小石が敷き詰められ、松やツツジの木がある庭は私の家とは正反対で、見慣れぬ佇まいがより一層私を緊張させた。




自転車を借りる際に言われた通り、家の脇に併設された倉庫のような小さな小屋へと自転車を押した。雨は治まり、今はまた風だけが吹き抜ける音を立てて庭の木々を揺らす。






「あっ」





その小さな小屋の引き戸に手をかけようとした瞬間、戸が動いて浅木が姿を現した。






「思ったより早かったね。ここ、自転車置き場にしてるんだ」





屋根や壁が茶色の透明な波打ったパネルで組まれたその建物の中は、普通の部屋一つ分の広さで木製の棚に庭の手入れをする大きなハサミや脚立などが並ぶ。




小屋というよりは倉庫と言った方が正しいようだ。






「本当にありがとう、助かったよ」



「いいよ、僕も暇だったし」




そう言った彼の背後に目をやると、私の自転車が奥に置いてあった。そうだ、自分の自転車のことをすっかり忘れていた……。





私に自転車を貸した後、彼がここまで運んでくれたのだろう。





「私の自転車まで……その、ごめんなさい」






こういう私のあまり周囲に目がいかないというか、視野が狭い面は数年後、看護師の嫌味の格好のターゲットとなる。





「あぁ、気にしないでよ。こんな事もあるもんなんだな」





そう言って彼は棚の上のビニール袋の中から何かを私に放り投げた。




手の平サイズの何かのようだったが、慌てて私は両手と自分の胸で受け止める。





「おにぎり……」




「それ鮭だけど、梅の方が良かった?」





梅の方が良かった?、と言い終える前にもう彼はコンビニのおにぎりの包みを破いて食べ始めていた。





「いいよ、これ以上してもらったら悪いよ」




「別にいーよ、することなくて暇だし。どうせ一人じゃ2つもいらないし」








「……いただきます」







波板の倉庫で二人で立ち食いしたあの時間の味覚、嗅覚、視覚も全部昨日のように覚えている。まだ、覚えている。






彼は人に気を使わせないということに長けていたと思う。








いらないものを上げるにしても、わざわざ家の中に上がらせたり丁寧に渡したら余計気を使うと思って、こんな場所でいきなりそれを投げて寄越したのだろう。






鮭おにぎりがおいしすぎて、唾液が出る時こめかみのあたりが少し痛いくらいで、早朝から酷使した身体に余すところなく吸収されていく気がした。







そうやって彼が何となしにくれた物が、私の宝物になっていく。







「朝なんか早く目が覚めてさ、コンビニに行った帰り道のど真ん中に髪の長い女の子がしゃがみこんでるから、一瞬事件現場に遭遇したかと思った」





「うっ……」






この時の物置や修学旅行のホテルのリネン室とか、そんなホコリっぽい所でよく二人きりになったっけ。




「新聞配達、いつからしてんの」




「この夏休みから。まだ10日目くらいだよ」




「ふーん、小遣い稼ぎ?」




「……そんなとこ」





ホントは小遣いってとこじゃなく、生活費ってとこなんですが。




波板の壁を風が叩く音が響く。このまま黙っとくのも気まずいし、彼を前にして黙ってる事ほど惜しいことはない。





そう思って、ふと気になったことを聞く。




「……朝はこうやっていつもコンビニなの?」




「うん、そんなとこ」





どうしてか、お互いに何かを隠しているのが手に取るように分かったし、手に取られたように隠し事を見られているように感じた。





「寒くない?」



「ううん、平気」




外はまた雨が降り始めたらしい。半透明の板を雨がつたい落ちてできる水の流れが、時計の代わりに時間の流れを表してくれる。




二人とも同じタイミングでおにぎりを食べ終える。




「…………」





お互いに、何か言えない事情がある。




そう気づかせると、沈黙は気まずい空白へと変わる。




その沈黙を鮮やかに変えたのは、やっぱり浅木の方だった。







「お互い、」





そう言って浅木は私の手に残ったおにぎりの包みをサッと回収する。





「事情を抱えているようで」





男子のくせによく気が付く奴だ、あぁ。






「フフッ……」





私が必至で隠してきたもの、一番素敵とか可愛いとか思われたい人にそれが知られそうになってるのに、何で笑えてくるのだろう。





「今日は、濡れたりご飯おごってもらったり…………大変な日だよ」





そっか




この人は私の辛さを「何てことない」って事に変える魔法が使える人だった。





何てことないよ、楽しいよ。




こんなぐちゃぐちゃになって、働いて、自転車が壊れても、君ならその惨めな色も私の胸をときめかせる輝きになる。







「……うち、お金持ちじゃないから、夏休みくらい協力しようと思って」





ほら、私が百子にさえ隠していたことが、毎晩私を泣かせていたことが、何てこともなく話せちゃう。




そんな人だから、私は彼を好きになったんだ。




「ふーん、えらいじゃん」



「その言い方はえらいと思ってないね」



「えらいよ、家政婦さん無しじゃ朝ごはんも用意できない僕より」



「家政婦さん?」




家政婦さんというものは、それこそ高塚家のような豪邸にいるイメージだ。




なぜ、こんなごく普通の浅木の家に家政婦さんがいるのか。





「そ、ウチ母さんいないし、父さんはあんまり家に帰ってこないから基本家事は家政婦さんにやってもらってる」




「今はその家政婦さんは……」




「旦那さん体調崩したそうで、夕方だけ来てもらってる。だから今朝ご飯は自分で用意しなきゃならない」




「それでコンビニ、か」




「あんま食べる気になることがないから、別に構わないしね」





浅木は私の手から引ったくったゴミをくしゃくしゃに丸めてビニール袋の中に収めた。




「雨、ひどいな。こりゃ明日の配達もキツイんじゃない?」



「ううん、もう終わり。自転車壊れたから今日で終わり。残念だけど代わりはウチにも配達所にもないし」



「あっ……そうか」




浅木は奥に置いてある私の自転車の方を向いた。




あの自転車、今はもうスクラップで跡形もないのかな。





「いや、大丈夫じゃん」





そう言って浅木は自分の自転車に歩み寄り、





「この自転車、使いなよ。僕は朝使うことはないから」





サドルをポンッと軽く叩いてみせた。





「いっいやいやいやいやそれは申し訳なさすぎる」





今まで必至で平然を繕っていたのだが、その発言に思わずたじろぐ。





「いーって、何かの縁だよ、きっと」





確かにそれは私にとって配達も続けられるし、浅木と関われるしで一石二鳥だ。




何かの縁。そう、私と浅木は確かに事あるごとに繋がっている。



その縁を、自分の手でも結ばなきゃ。




「じゃっ、じゃあ!!」





取り繕っていたものをはがして、人生最大の勇気を振り絞った時だった。






「代わりに、浅木の朝ごはん作ってくるから!!」





語気を強めて勢いに乗せて言わないと、とても言えなかった。





浅木の言う「何かの縁」ができたのに、ここで動けなければ、何も変われない。





瞬間、そんな強い思いがほとばしって、別に料理が得意なわけでもないのにそんなこと言ってしまった。





浅木は私の提案を聞いた瞬間、驚いた顔をした後、





「……不味かったら、食べないぞ」





笑った。浅木が笑った。




いや、ここで満足しちゃダメだ。





「……承知しました」





美味しいって、笑ってもらわなきゃ。





「明日も雨でもサボんなよ、アイ」





雨が少し弱まり、事務所に戻ろうとするとそう言って見送られた。






「じゃあ、また明日」





チェーンの切れた私の自転車を押して事務所へと向かう。






また明日、会える。





「あぁ……」





自分でも驚くくらい柔らかく、甘い声混じりの溜息が出た。






明日も、また会える。この期待に胸が膨らんでちょっと苦しくすらある感覚は、球技大会の頃以来だ。





今度は高塚の邪魔もない。もし私が本当にライターだったのなら自転車を貸してくれることもないだろう。





やっぱりアレは思い過ごしだったんだ。





「……あっ」




脳内に自転車という言葉がよぎると、サドルをポンと叩いた彼の姿を思い出して思わず赤面する。





彼の自転車に乗るということは、サドルが、あそこが間接的に当たってるということで……。





「……何考えてんの、私」





独り言は強風吹きすさぶ住宅街で、私以外誰もいなかったが急に赤面した後ブツブツ冷静に呟く女子の姿は傍からみると不気味だったと思う。






ほんの一瞬そんな不埒なことを考えただけなのに、下腹部の疼きはじわりじわりと跡を濃く残す。





そして思い出すのは球技大会の委員が初めて集まる日、斐川のあの卑猥な話だ。





その頃ちょうど性行為というものがどういう手順を踏むのか、黒板と机の上の情報から知ったばかりで、それと斐川の猥談を組み合わせれば浅木のあの服の下によって私が何を得られるのか、いとも簡単に想像できた。







「……いやだから何考えてるの私」






サドルのことは忘れて、浅木の言ったことや表情だけを努めて思い出すようにした。







浅木と会った後はよくそんな風にやり取りを反芻していたのだが、そうして後になってふと気づいたことがいくつかあった。






そしてそうやって後になって気づいたことが、全部浅木の真核に関わることだった。






浅木のとの会話を繰り返し脳内に流していると、ふと疑問に思った。





私に放られたのはおにぎり一つだったが、彼の持ってたコンビニのビニール袋にはパンや惣菜の類が2人前以上は入っていた。





「……小食なのに、どうせ食べないって言いながら、あんなに食べ物買ってたんだろう」




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