嵐を越えて
パタンと、玄関のドアが力なく閉じられる。
犬養さんが、部屋から出ていった音だ。
外の階段を降りていく甲高い足音が、ゆっくりと部屋から遠退いていく。
やがて部屋は、たちまち静寂に包まれた。
その静けさを最初に破ったのは、
『いやぁ……中々に後味の悪い結末だったね。お労しや、カッターナイフ少女』
言葉とは裏腹に、微塵もそんなこと思っていないような口振りで嘯く佐久間輪の声。
「白々しい。あんな問い詰め方しておいてよく言いますよ」
『おいおい少年、こちとら腕を刺されるわ首折られかけるわで散々な目にあったんだ。むしろ、あれくらいで済ませてあげたことに感謝して欲しいくらいだね』
「その割には結構ノリノリだったように見えましたけど」
『気のせいだろう』
「嘘だぁ」
俺の呟きに、飄々とした態度で応じる佐久間輪。
とはいえ彼女の言い分にも一理ある。
逆に、あの後でよくここまでの余裕を保っていられるものだ。
俺なんて、今も足が震えが止まらない。
大物なのか大バカなのか、彼女の神経の図太さには驚かされる。
だけど今は、それがとても心強い。
なぜなら、
「あ、あの……」
おずおずと上がる、控え目な第三者の声。
……そう。嵐は、まだ完全に去った訳じゃない。
「結局さっきまでのって、どういう状況だったの……?」
一難去って、また一難。
困惑の表情でそう訊いてきたのは、犬養さんの顎にクリーンヒットを叩き込んだ張本人──卯ノ花さんだ。
さっきまで彼女には、目覚めた犬養さんが暴走した場合に備えて部屋の隅に控えてもらっていた。
無論、捕縛のためである。
だけど今は、その必要も無くなっている。
そんな卯ノ花さんも、恐らく。
いいや、ほぼ確実に恋愛バーサーカーだ。
「あ、ごめんね卯ノ花さん。バタついてて説明する余裕なくって」
「ううん、気にしないで。それよりメチャモテール症候群? とか恋愛バーサーカーがどうのって言ってたけど、あれって何の話なの?」
「うーん、なんて説明したらいいのか……」
同じ部屋に居たのだから、犬養さんに話した内容についても聴いていただろう。
だから卯ノ花さんの口から『メチャモテール症候群』や『恋愛バーサーカー』の単語が出てくることに驚きはない。
ただし、問題はあった。
繰り返しになるが卯ノ花さんは、ほぼ確実に恋愛バーサーカーだ。
不法侵入という異常行動や犬養さんでも反応できない一撃を放ったことからも、断定していいだろう。
というか、もし違ったら彼女は天然物のバーサーカーということになる。
そうなると、たぶん恋愛よりもっとヤバい。
ともあれ、そんな彼女に詳細を説明していいものなのか。
「えーっとぉ……」
俺は、腕を組んで脳をフル稼働させる。
この状況において説明とは、言い換えれば「キミの気持ちは本物じゃないんだよ。フェロモンによるただの勘違いなんだよ」という事実を突きつけることと同義だ。
犬養さんの場合、気絶している間に佐久間輪が治療薬を打ち込み症状が寛解したことで納得させることが出来た。
だが、それをしていない卯ノ花さんに改めて説明したらどうなるのか。
正直、全く予想がつかない。
一つ言えるとすれば、どうやっても良い結果にはならないだろうということだけ。
最悪、恋愛バーサーカーとの二連戦もありえるだろう。
今のボロボロな状態でそんなことになれば、結果は火を見るより明らかだ。
下手なことが言えず、言葉を詰まらせていると。
『その話は、後日私が行おう。なんせ彼自身、初めてこんな状況に陥ったんだ。上手く説明できないのも無理はないさ』
ふと、横から入る助け舟。
頭を抱える俺を見兼ねてか、佐久間輪が会話を引き継いだ。
すると卯ノ花さんは、お手本のように肩をビクつかせる。
「そ、そういえば、ずっと気になってましたが貴女は……?」
『私は佐久間輪、しがない天才研究者さ。訳あって彼とは、この現象について調査を行っている。気軽にマーリンさんと呼んでくれ』
「えーっと……」
怯えるように身を縮こまらせ、控え目にコチラに視線を向ける卯ノ花さん。
うん、そうだね。それが真っ当な反応だ。
俺は、そんな彼女に力強く頷く。
「大丈夫だよ、卯ノ花さん。この人は信頼できる不審者だ」
『不審者呼ばわり必要だったかい?』
「そこは事実なんで譲れないっすね」
「ほ、本当に大丈夫? 愛沢くんが言うなら信じるけどさ……」
まだ不信感を拭い切れていない卯ノ花さん。
それでも、俺の言葉ということで一応信じてくれたみたいだ。
と、いうわけで。
「それじゃあ佐久間輪さん、続きをどうぞ」
『キミねぇ……。ともかくだ、今日のところはお開きとさせてくれると有難い。今の我々は、体力的にも精神的にも限界でね』
「あ、ご、ごめんなさい」
『謝る必要は無いさ。それよりキミも今日は帰りたまえ。道中で頭にカバンをぶつけられただろう? 気絶する勢いだったんだ、一度病院で診てもらった方がいい』
「え、でも部屋もこんなに散らかってるし……。せめて片付けだけでも手伝わせて欲しいというか、その……」
佐久間輪から、今日は帰るよう勧められる卯ノ花さん。
だけど彼女は、部屋を見回しながらそう渋る。
嗚呼、なんて心優しい女の子なのだろう。
確かに、今の俺の部屋はボロボロだ。
床には折れた卓袱台の脚に、割れた無数のガラス片。
他にも大暴れした影響で細々としたものが散乱している。
台風が去った後、という比喩がこれほど似合う状況も中々ない。
正直、疲れ切った今の状態でこれを片付けるのは考えたたけで億劫だ。
だけど、
「頭の怪我って、気付かないうちに重症化することもあるらしいからさ。もし卯ノ花さんに何かあったら、おれ悲しいよ」
俺は、物憂いげに俯きながら若干の上目遣いも織り交ぜて彼女を見る。
途端、
「愛沢くん……!」
卯ノ花さんは、頬を真っ赤に染めて両手で口元を覆った。
その瞳は、恍惚を滲ませるように潤んでいる。
『よっ、女誑し』
「シバくぞ不審者」
冷やかすように横から煽ってくる佐久間輪。
まったく、なんてシツレイな不審者だ。
早く帰って欲しい気持ちは確かにあるが、身体の心配しているのは本心だぞ。
俺は、視界の端でニヤニヤ(多分)してる佐久間輪をシッシッと手で払いつつ、卯ノ花さんの両肩に優しく手を置く。
「そういう訳だからさ。今日はもう帰って、また明日元気な顔を見せてくれるかい?」
「……うん!」
そう応える卯ノ花さんの声は、とてもハキハキしていた。
俺がそう頼めば、いそいそと支度を済ませて玄関に立つ。
そして戸を開けながら、満面の笑みを浮かべてこちらへと振り返った。
「じゃあね、愛沢くん。また明日!」
「また明日、卯ノ花さん」
直後、玄関の戸がパタンとご機嫌に閉じられる。
外の階段からは、まるでスキップしているかのようなリズムで甲高い足音が響く。
それも徐々に遠くなっていき、やがて完全に聞こえなくなると。
「…………っ、はぁ゛ー…………」
俺は、肺を空にする勢いで大きく息を吐いた。
そして崩れるように、その場に座り込む。
「一先ず、どうにかやり過ごせたかな……」
『お疲れ様』
そんな俺の隣に、佐久間輪が並んで腰掛けた。
『いやぁ、お互い大変だったね。一瞬、本当に死んだかと思ったよ』
「まったくですよ……。ていうか、腕とか首とか大丈夫ですか? 特に首、鳴っちゃいけない音してませんでした?」
『奇跡的に無事だよ。腕の方も、思ったほどの痛みはない。まあアドレナリンがドバってて痛覚が鈍化しているだけだろうから、寝る前辺りのリラックスタイムが怖くて仕方ないけどね』
そう言って、ハハハと笑う佐久間輪。
だけど、その声に覇気はない。
そりゃそうだ。
今は、どデカい嵐を越えたばかりでテンションがバグっているだけ。
本当なら、このまま気絶したっておかしくない状態なんだ。
だから、
『……ん、なんだい少年。この手は?』
俺は、佐久間輪の頭にチョップした。
とはいえ力は殆ど込めず、軽く触れる程度に留めておく。
不思議そうにコチラを見る佐久間輪に、ヒラヒラと手を振って答えた。
「言ったでしょ、『生きて戻ったら覚えとけよ』って」
『……あぁ、煙玉のときの。まったくヒドイやつだねキミは。こんなボロボロの相手に報復だなんてさ』
「後日改めていいなら、それこそ遠慮なくグーでいきますけど」
『今ので禊は済んだことにしておこう』
拳を固める俺。即座に掌を返す佐久間輪。
それから少しの沈黙のあと、俺たちはバカみたいに声を上げて笑った。
うん、これもきっとテンションがバグってるからだ。
でも笑えてくるんだからしょうがない。
両隣が空き部屋で本当に良かったと、つくづく思う。
そして、一頻り笑い終えた後。
「……ところで、ずっと気になってたんですけど」
俺は、笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら佐久間輪に訊ねる。
こちらは、ちゃんと真面目な話だ。
「どうしてアンタは、俺を助けてくれたんですか?」
恋愛バーサーカーの恐ろしさを体感してから、ずっと疑問だった。
どうして佐久間輪は、こんな危険なことに自分から関わろうなんて思ったのか。
どうやって治療薬なんてモノを作ったのか。
どうして見ず知らずの他人なんかに手を差し伸べたのか、と。
勿論、感謝はしている。
だけど疑問は疑問だ。
解決したからといって、有耶無耶にはしたくない。
すると、
『……あぁ、なるほど。そういえば確かに、動機について話していなかったね』
一瞬、なんのことかと首を傾げる佐久間輪。
だけど、すぐに俺の言いたいことが伝わったのかポンと手を打つ。
そして、
『なら今一度、この場を借りて語らせてもらおう』
まるで古い物語の語り部のように、大仰な言葉遣いで話し始めた。
『これは佐久間輪の、ほんの下らないエゴの話さ』、と。




