7:6月某日 雨
■6月某日 雨
子どもの頃は、遠足が楽しみだった。
前日の空模様が芳しくな時など、窓から曇天を眺めては雨が降らぬよう心の内で願ったものだ。
あるとき、祖母がおまじないを教えてくれた。
誰でも知っているであろう「てるてる坊主」だ。
天気を気にして床につかない孫を見かねてのことだったかもしれないが、晴れを願って軒先に吊るし「もう安心だよ」と言ってくれた優しさは、今も胸に残っている。
おかげでその後、お守りや願掛けと言えばてるてる坊主というほどにまでなってしまったのは、祖母にしてみれば誤算だったろう。
てるてる坊主のルーツは中国の掃晴娘にあると考えられ、こちらは切り紙で模ったものをナンテンの木に吊るしておくと、箒で掃きはらうように雨雲を消してくれるという言い伝えのあるものだ。
それが日本に伝わった際、当時の天候に纏わる祈祷を行っていたのが僧侶など主に男性であったことから、てるてる「坊主」に変じたと考えられる。
さてこのてるてる坊主、あまり知られていないようだがきちんとした作法がある。
願掛けが通じて晴天になったら神酒を供え、頭部に顔を描きこんで川に流す。
こうして、ようやく「儀式」が完了するのだ。
一般的な家庭で作られているものは、吊るす時点で顔が描かれている場合が多い。
祖母が教えてくれたのも、顔を描いてから吊るすやり方だった。
可愛らしい表情のてるてる坊主が軒先に揺れているさまは、なんとも微笑ましくもあるが、実はこれでは本来の効果は得られない。
顔を描きこんで吊るした時点で、そのてるてる坊主は「死んで」しまっているからだ。
てるてる坊主とは、人の願いとお呪いによって魂を宿したヒトガタを天に捧げて、「晴」を呼び込む儀式であり、このヒトガタは代理の人身御供である。
そしてめでたく「ハレ」となった暁には、穢れを溜めこんだヒトガタを酒で清め、魂の出口である目鼻口を描きこんで「殺した」のち、こちら側から遠ざけあちら側へと追いやるように流すのだ。
ルーツである掃晴娘も「雨をやませるために雨の神の妃となって天に上った娘」の伝説が元となっており、天への捧げものとなることでハレを呼び込んだと捉えることができる。
まあ、庶民が行う七夕の短冊ていどの願掛けが大きな力をもたらすとは到底思えないが、本来の祈祷としてその儀式が実行され、儀式で使われたそれに顔を描きこむことなく放置したなら、いったいなにが起こるだろう。
いまでも時々、曇天の空を眺めながら、そんなことを考える。
最後に、学んだことに味をしめ、さして努力もせず度々それを作っては願掛けを繰り返してきたことを、時効ではあるがこの場を借りて祖母に詫びておく。
≪出典≫ 某社役員 T氏の手帳 最後の記述