7
ある夜のことを、草薙は思いだした。
月のきれいな夜だった。
彼はまだ幼くて、街の西側にある牧場で暮らしていた。
いまは短髪だが、そのころは髪を伸ばしていて、よく女の子に間違えられた。
月光症のせいだろうか、彼は生まれつき奇妙な眼をしていて──どのように奇妙かと聞かれると答えられないのだが──、見るものに強い印象を与えずにおかなかった。
養父はよく、その目は危険だから気をつけろと言っていた。余計なことをあまり言わず、大切なことだけ喋るような父だったから、彼はそのことをよく覚えていた。
ともかく、月のきれいな夜のことであった。
眠れずに寝室を出た彼は、玄関の扉がわずかに開いているのに気づいた。
その隙間から、月光が漏れだしている。
──綺麗だな。
そう思った彼は、扉をあけはなって外に飛び出した。
月の光が気持ちよかった。
熱にうかされたようにそのあたりを走りまわってから、彼は小さな丘の上に立った。
月光のいちばんよく届く場所だった。
空を見上げると、大きな満月が、まっすぐにこちらを見下ろしてきていた。
──こんばんは!
彼はそう叫んだ。
そして、じっとそこに立っていると、なぜだかひどく気分が高揚してきて、いつのまにか踊りだしていた。
腕を大きく広げて。
裸足の右足を軸にして、くるりとターン。
月を見上げて、目を閉じて。
でたらめに体を動かして、月光を浴びる。
くるり、くるり、くるり──
たん。
どのくらいの時間、そうしていただろう。
気がつくと、目のなかが涙でいっぱいになっていた。
なにか懐かしいような。
遠い遠い故郷へと、帰りたくなるような──
*
そのころ稗田は、暗い暗い部屋にいた。
煉瓦造りの壁に囲まれた、天井の高い部屋だ。
窓もひどく高いところにあるため、外の光はかすかにしか入ってこない。
彼女は床に寝ころがって、上をじっと見あげているのだった。
不思議と、知らない場所にいるという気がしない。
まるで、もう百年も、ここで暮らしているかのようだった。
──すっかり衰えた目を、ぱちぱちとしばたかせて、稗田は軽く欠伸をした。
外に出たかった。
*
──草薙が部屋に入ってゆくと、稗田はベッドから上体を起こしていた。
「目が覚めたんですか」
「──ついさっき。私、どうしたの?」
「魔力にあてられて気絶していたんです。幻病の発作だそうですよ」
「そう……」
稗田は、しばらくぼうっと前方を見つめるようにしていたが、やがて、ぽつりと呟くように草薙に訊いた。
「ここ、どこ?」
「あなたの家ですよ。……わからないんですか?」
「見えないの」
稗田は途方に暮れたようにそう言って、首を振った。
窓はないが、月光ランプが灯されているから、室内は明るい。
それで見えないということは──
「──幻病の?」
「そうかもしれない──わからない」
「あまり気にしないほうがいいですよ。一時的なものかもしれない」
草薙にそう言われると安心した。稗田は子供のように笑って、言った。
「そうね」
「不安ですか?」
「少し。──見えないって言ってもね、本当に何も見えないわけじゃないの。普段と違うものが見えるっていうか──白いものがちらちらしたり、月が見えたり。これって幻病の典型的な症状よね」
「発作がまだ収まりきっていないんですよ。じき治ります」
「そうね。だといいわね」
稗田は目を細めてそう言った。
「でもずっと覚悟はしてるのよ。いつ見えなくなってもいいって」
「そうですか」
「いずれは来ることだからね。今そうならなくったって、魔力帯が近づいているから、すぐに同じことになるのかもしれないし──」
そこまで言って、稗田は少しのあいだ沈黙した。
「──幻病で失明した人って、目が綺麗なんだってね」
ふと思いだしたように、そんなことを言う。
「だとしたら、草薙くんもひょっとして、幻病の素質があるのかもね」
冗談めかしてそう言ってから、稗田は不安そうに呟いた。
「ごめんね。……悪いこと言った?」
「いえ。──その話は知っています」
草薙の声は落ち着いていた。それを聞いて、稗田はなんとなく安心した。
「──幻病の人の目が綺麗なのは、普通の人と違うものを見ているからですよ」
稗田は、きょとんとして聞いていたが、やがて納得したように言った。
「……そう、なんだ」
「そうですよ」
「ふうん──」
意味ありげにそう呟いて、稗田は頷いた。
「いずれは──なのね、私たちって」
「いずれは、ですか」
「いずれは見えなくなるし、いずれは動けなくなって死ぬんだわ」
「誰でもそうですよ」
「──小さいころから、月光症で死ぬって分かってたのよね」
稗田は見えない目を何度かしばたかせた。
「なんか……嫌よね。この銀髪っていうの。早死にしますって宣伝してるみたいで」
稗田の口元が奇妙なかたちに歪んだ。笑おうとしているらしかった。
「……気を失っているとき、夢を見ていたんです」
草薙は、どこか遠くを見るような表情をして、そう言った。
「──夢を?」
「小さいころの記憶なんですけど、月光を浴びて踊っているんです。丘の上で」
「へぇ──詩的ね」
「満月の光を直接浴びていましたから、相当魔力にあてられていたと思うんですけど、不思議と気分が良かったんですよね」
「そういうことってあるわよね。月光症の特権かしら」
「そうですね。普通の人はないようですよ」
「月の光って、なんだか懐かしいのよね。どうしてかしら」
「寿命は縮まりますけどね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「──ちょっと見えるようになったみたい。もう大丈夫」
「まだ無理はしないでくださいね」
「大丈夫よ。──ねえ、あのあと、どうなったの?」
「二度目の異変です。前回と同じ、円周状の地域で、たくさんの人が消滅して──最初のときの建物と同じように。怪我人や病人が大勢出ました。月光症や、変化症や──」
「……今度は人間ってわけ。魔力分布は?」
「同じです。まったく痕跡なし。しかし、今回は、少なくともあのときだけは、現場の魔力濃度が非常に高くなっていたのは確かだと思うんですが──」
「あとで計ってみたら何もない、ってわけ。そう簡単に消えちゃうようなものじゃないはずなんだけどなあ」
「……というよりも、あのときあの場所で、魔力濃度の上昇なんてことは、少なくとも計器上は全くなかったことになってるんです」
「え? どういうこと」
「前のこともあって、研究所に置いてある天深盤で、現場付近の魔力をずっと観測していたんですが、まったく反応がなかったそうなんですよ」
「だって──おかしいじゃない。幻病のことだって……」
「そうなんです」
草薙は途方に暮れたように言った。
「確かに、魔力にあてられたような症状が出ました。さっきも言ったとおり、月光症や変化症を発病した人もたくさんいますし──しかし、僕の体にもあなたの体にも、異常な魔力の残留はまったくないんですよ」
「……どういうこと?」
「さあ──あえて解釈するなら、魔力とは別の、同じような効果をもたらす力が働いていたのだとしか……」
「そんなの、ありえないわよ」
少しずつ興奮してきたようで、稗田は声を高くしてそう言った。
「塔はどうなの? 魔力上昇してた?」
「フーチの反応を見たでしょう。あのとおりですよ」
「そう──あのね」
稗田は軽く息をついて、思い切ったように切り出した。
「私、幻を見たのよ」
「幻を?」
「うん。──月光がさしこむ部屋の幻。煉瓦づくりの……ねえ」
稗田は、はっと気づいて言った。
「……私、物見塔のなかを見たのかもしれない」
「物見塔の……中を?」
「ただの夢だと思っていたけど──違ったのかもしれない。幻病の発作って、そういうことが時々あるらしいの。魔力の源が物見塔なら、幻の原因もそこにあるのかも」
「どんな夢だったんですか?」
「煉瓦づくりの建物のなかにいるのよ。見覚えがあると思ったけど、あの煉瓦、物見塔の外壁と同じものだった」
「──物見塔のなかには、なにかが住んでいると言いますね」
草薙は考え深げにそう呟いた。
「もちろん、それだけでは何も断言できませんが──」
「他には? 何か手がかりはあった?」
「ええ。……これが見えますか」
そう言って、草薙は、左手に抱えていた本を、稗田の前にさし出した。
「ちょっと待って。そこの台の上に眼鏡があるから……ありがとう」
それは手書きらしい大きな本だった。表紙には何も書かれていない。中を開いてみると、速記文字のような奇妙な記号が、全ページにわたって細かく記されていた。
「暗号のようです。百年以上も前のものらしくて、解読できる人が誰も──」
「読めるわ」
草薙の言葉を途中でさえぎって、稗田は言った。
「少し、時間はかかるけど、解読はできると思う。……これ、どうしたの?」
「記録庫の奥に隠してあった資料です。……あのあと、所長の命令で、改めてチームを組んで書庫の総ざらえをやったんですよ。物見塔の調査のために」
「所長が? すごい方針転換じゃない」
「さすがに被害が甚大だったからでしょう。……もっとも、それだけではなかったようですが。とにかく、立ち入り調査はまだ許可されていないので、今のところ手がかりはそれくらいしかありません。稗田さんなら読めるんじゃないかと思って持ってきたんですが」
稗田の専門のひとつは、魔法技術の書物や資料において使用される暗号や符丁の解読である。若年ながら、その分野では所内で随一の研究者として認められている。
「いいわ。読んであげる。今すぐ?」
「いえ、少し休んでいてください。四日も眠っていたんですから」
「四日?」
稗田は驚いて聞き返した。そんなに長い間失神していたとは思えない。
「本当に?」
「本当です。……何か胃に入れたほうがいいでしょうね。用意してきます」
そう言うと草薙は、本を稗田の手から取って、部屋を出ていってしまった。
稗田はしばし呆然として、それを見送る。
──魔力のせいだろうか。四日も寝ていたと言われても、まったくそんな気がしない。
肉体的にも、むしろ普段よりも調子がいいように思える。
(少しだけ──)
稗田は、ベッドから起き上がり、そっと部屋を出た。
確か、地下室に、父親の残した資料があったはずだった──
*
魔法技師というのは、魔力を扱う技術者の総称である。たとえば、魔力を避けるための道具を開発したり、逆に、魔力を利用する道具を造ったりもする。
たとえば、月光ランプや月傘、フーチ、天深盤などが、魔法技師が発明した道具である。
そのうちのほとんどは、自然に存在する物質の、魔力に対する性質をそのまま利用したものだが、天深盤だけは、まったく違う技術によって動いている。
すなわち、魔力文字である。
天深盤は、方形の板の上に、自由に回転する円形の板がとりつけられ、さらにその上に、四角錐型の骨組みの頂上から吊り下げられた小さな振り子がある、といった形をしている。この板のうえに書きつけられているのが、魔力文字だ。
この円盤を回転させ、そのうえに書きつけられている魔力文字をなぞることによって、離れた場所の魔力の強さや方向を知ることができる。
単に、自分がいる場所の魔力の流れを知るだけならば、フーチを使えばいい。魔力探査用のフーチの先には、強い魔力に引きつけられる性質を持った鉱物が取り付けられている。しかし、フーチで感知できないほど遠くの、しかも詳細な魔力の動きを知るためには、天深盤を使うしかない。街での生活に欠かせない魔力予報の研究は、天深盤がなければまったく進まなかっただろう。
また、今後、天深盤と同じ原理の、より強力なものが開発されれば、いずれ月までも探査の手を伸ばし、魔力の源を突き止めることもできるだろうと言われている。
しかしそれには、ひとつ大きな障害がある。動力の問題である。
魔力文字というのは、空間から魔力を汲み出して利用するためのシステムである。街の周辺の魔力構造を知るくらいならば、周辺に存在している魔力を利用すればすむが、それ以上のことをやるとなると、エネルギーが足りなくなってしまう。離れた場所からエネルギーを取り出す技術がまだないのである。
仮に、魔力文字を使って、恒常的にエネルギーを汲み出そうとした場合、文字の近く、少なくとも半径5センチメートル以内のどこかに、強力な魔力発生源が必要となる。
魔力文字は、文字の種類と組み合わせ次第で、魔力探査のみならず、あらゆる方面に利用できる万能の技術であるといわれているが、いまだ天深盤以外に実用例がないのは、そういう問題があるからだ。
逆にいえば、その問題さえ解決すれば、魔法技術の一大革命がなしとげられるのは間違いないのだが──
(──という研究をしてたのよね)
暗い地下室を、携帯用の月光ランプを持ってつかつかと歩きながら、稗田はそんなことを思いだしていた。
この家の地下は、魔法技師であった彼女の父親の書庫となっている。現在は行方不明であるが、かつては魔力研究所の所長も務めた、魔法技師の最エリートである。
(それが、なんで、あんな──)
彼女の父親、稗田宗関が最後に発表した論文は、『魔力文字に対する歪曲現象と物見塔の関連について』という題のものだった。なんでも、魔力文字の利用に関する画期的な新技術を発表したものであったらしい。
らしい、というのは、それを発表した直後、宗関自らが関係資料をすべて焼き捨て、魔力研究所の所長であった自身の権限でもって、禁書処分としてしまったからだ。
それから、彼は自宅の地下に閉じこもり、おかしな言動を繰り返すようになった。
そして、二カ月後に、正式に所長職を辞し、出奔する──
(母さんと私を置いて、ね)
稗田は当時のことを思って溜息をついた。父を恨んでいるわけではない。ただ、今はもう亡き人である母親の、悲しげな顔だけはよく覚えている。
──父を恨んでいるわけではないのだ。
ただ、理解したかっただけ──
……稗田は、地下室のいちばん奥の棚の前で足を止めた。
迷うことなく、一冊の古びた──だがこの室のなかでは比較的新しい──本を取り出す。
手書きの本。著者は、稗田宗関。
『暗号総論』という題名が、表紙に記されていた。
*
この書には、私が発見した秘術のすべてを記す。
それを読み解いたものは、大いなる力を得るであろう。
だが忘れるな。大きすぎる力は、災いをもたらす。
それを忘れないならば、この書を手にするがいい。
さあ、月のもとへゆけ。これを読み解き、力を手にするがいい。
(『暗号総論』序文より)
*
「稗田さん」
背後から、そう声をかけられて、稗田は思わずびくりと身を震わせた。
「く……草薙くん」
「ここにいると思いましたよ」
草薙は呆れたようにそう言った。
「無茶ですよ。少し休んだほうがいいと言ったでしょう」
「だって……いいじゃない。解読するなら早いほうがいいでしょう?」
「……ま、分かってはいたんですけど」
意外なことに、草薙はあまり怒ったふうもなく、あっさりとそう言った。
「実際のところ、こちらも手詰まりで、あなたが起きるのを待っていたところなんです。今、研究所で暗号の専門家は稗田さん一人ですし、それに、確かこの暗号は、宗関氏の書いたものの中にあったと所長が言うものですから」
言いながら、草薙は右手に持っていた例の本を、稗田に手渡した。
「解読はしてもらいますが、先に食事ですよ。──作業のあいだに、また倒れられては困りますからね」
「はいはい」
稗田はおどけたように首をすくめた。
*
「……うちの父さんが、どういう人だったかは知ってるでしょう」
すごい勢いで草薙の作ったシチューをすするその合間に、稗田はそう言った。
「もちろん。前所長ですし、あれだけの功績を残した人ですから」
「晩年のことを言ってるの。──死んだって決まったわけでもないのに晩年っていうのもアレだけどさ」
「つまり、出奔される直前の話ですね」
「そ。二カ月もあの部屋に閉じこもってさ、何かやってると思ったら、出てくるなり所長はやめる、街を出る、でしょう。もう大変だったわよ──って、このあたりは母さんに聞いたんだけど。私はまだ小さかったし」
「……そうですか」
「で、そのあいだに書いたものっていうのが──この『暗号総論』ってわけ」
言いながら、稗田は三つ目のパンに手を伸ばした。
「どんな本なんですか?」
「たいそうな能書きが書いてあるけど、要するに題名どおり、暗号の本。ここ五百年の暗号の歴史を総括したってふれこみの。あれ見て、私は暗号の研究を始めたのよね……」
パンを齧りおえてから、稗田はふと気づいたように訊いた。
「そういえばさ、誰もそれ解読できなかったんなら、どうして塔のことについて書いてあるって判ったわけ? 所長も読めなかったんでしょ?」
「これが挟まってたんです」
草薙は、さきほどの本のページの間から、一枚の紙片を取り出した。
「塔の秘密を探る者、この書を読むがいい、って。誰が書いたものか知りませんけど」
「貸して」
稗田は草薙からその紙を受け取ると、さっと目を通して口元をひきつらせた。
「これ……って──」
「何か?」
「……父さんの筆跡だわ」
「宗関氏の?」
「間違いない。この書き方、特徴あるもの。……どういうこと?」
稗田は、真剣に眉根を寄せて考えこんだ。
「さあ……解読してみるよりほかないと思いますよ」
草薙は動じた様子もなくそう言った。稗田は頷いた。
「そうね。じゃ──さっそく始めましょうか」
*
稗田は解読をはじめた。
その本は、どうやら、水上衛史という人物が記したものらしかった。
百年前にこの街に住んでいた魔法技師らしい。
物見塔建設の際に、魔法技師たちの間で争いがあり、水上は幽閉されたのだという。
*
──もうすぐ私は殺されるだろう。だがその前に、なんとかしてこの本を、後世の魔法技師たちへと残さなければならない。この街を滅ぼさないために──
*
「この街を滅ぼさないために──だって。なんだか深刻な話だわね」
とりあえず訳せた部分だけ、草薙に読み聞かせて、稗田は溜息をついた。
「その滅びというのが、物見塔に関係したものだとすると、やはり、今回の異変のことを指しているんでしょうか?」
草薙は、考え深げに腕組みをして、そう言った。
「さあ──ね。その可能性もあるけど……先を読んでみるわね」
物見塔のなかに住んでいるものについて記述した部分があった。
それ滅びを封じるものであるという。
それはまた、魔力を秘めたひとがたである。
──すなわち、人造人間。
*
──それは少女の姿をしているが、人間ではない。年をとらず、食事を必要とせず、何百年ものあいだ生き続けるだろう。私と助手の鴉は、彼女を人間として育てた。しかし彼らは──私を幽閉した魔法技師たちは、彼女をただの道具としてしか見ていない。それが、私が物見塔の建設に反対した理由だ──
*
稗田は少しものうげに呟いた。
「なんだか生々しいわね」
「そうですね」
「物見塔の守り神ってさ、ただのおとぎ話だと思ってたけど──」
ふと思いだして、稗田は、幼いころに聞いたわらべ歌を口ずさんだ。
塔の上には守り神。
街のみんなを見下ろして。
塔の上から見下ろして。
塔の上には守り神。
街を眺めて見守って……
「──なんて歌があったっけ」
「ありましたね」
「……ってことは、本当にいるってことなの? 塔の中に、人造人間が──」
「そういうことになりますね──この本がほんものだとすれば」
「大変なことになったわね……そろそろ所長に報告にいったほうがいいかしら」
稗田はふと気づいて、草薙に聞いた。
「……ところで、今いつ頃なの? 昼? 夜?」
「朝ですよ。夜明けの大鐘が鳴ったところで──そろそろ次の鐘ですかね」
「それじゃ……もう少しだけ目を通したら、報告に行きましょう」
*
私が殺されようとしているのは、塔の建設に反対したからばかりではない。
滅びを封じるこのシステムの限界を指摘したからだ。
魔力文字を利用して、人形に滅びを溜め込んでゆけば、いつかは、その許容量の限界に達してしまう。そして一気に放出された滅びの力は、街を完全に消してしまうだろう。
そうなる前にシステムを放棄して、彼女を解放すべきだと私は提案した。
だが、それは失敗だったようだ。安全な生活に慣れた人々は、耳を貸さない。
もし私の死後、この本を手にする者がいたなら、なんとかして滅びを免れる方法を探してほしい。百年後か二百年後か──滅びは確実にやってくる。それは確かなことなのだ。
*
「──滅びは確実にやってくる。それは確かなことなのだ──」
そう、読み上げる稗田の声は、かすかに震えていた。
「……つまり、この街が滅びるってこと?」
「落ち着いてください」
草薙はまだ平静だった。
「その滅びというのが、今回の異変と関係あるとは限りませんよ」
「……いいえ」
稗田は暗い顔つきで首を振った。
「幻を見た話をしたでしょう。あれが、たぶん──」
「物見塔から送られてきた映像だったと?」
「長いあいだずっと閉じ込められていた──そういう感じがしたわ」
稗田は椅子を蹴って立ち上がった。鋭い目で本を睨みつけ、宣言する。
「物見塔を暴く必要があるわ。所長に直談判よ!」
そして──彼らの戦いは、始まったのだった。
街を救うために──




